「高天原」の意味と場所
2016.11.22
●宝瓶宮占星学サイトの連載「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていく第2弾です。


日本の原点とされるのは「高天原」です。
もちろん『古事記』や『日本書紀』の中でのお話です。

「高天原」は「たか あま の はら」でもいいのですが「たかまがはら」と読みます。

「たかま」というのは、「たか」と「あま」の後者の「あ」(a)が、前者の「か」(ka)に続き「kaa」となるために省略されたものです。
要は「高」(たか)と「天」(あま)“が”いた「原」(はら:平野)という意味で「高天原」です。
『日本書紀』の作者はそうネーミングしました。

では、なぜそうしたのかというと、具体的に“どこ”とはワケあって正確には場所を書けないためです。
そのため「神代紀」の“主人公”の名前をとって高天原とつけました。
主人公とは当然「皇祖」です。

『日本書紀』の「神代紀」下巻の冒頭には、明確に「皇祖の高皇産霊神は」と記されています。
「皇祖」と記されているのは「高皇産霊神」(たかみむすび の かみ)1柱のみです。

この「高皇産霊神」の娘と、「天照大神」の子から、天孫降臨をした「瓊瓊杵尊」(ににぎ の みこと)が生まれます。
要は「高天原」から地上に“降りた”わけです。

もうお気づきですよね。
皇祖「高皇産霊神」と「天照大神」がいた場所ゆえ、その頭文字の「高」と「天」をとって「高天原」なわけです。
単純明快です。
ここで注意すべきは、このときの天照大神というのは、元祖「天照大御神」のことで「男神」です。

昨今は天照大神といえば「女神」で皇祖神として祀られるのはご存じのとおりです。
なぜかというと『日本書紀』の作者は、元祖天照大御神や素戔嗚尊や卑弥呼また持統天皇までも、皇祖神「天照大神」という統合的シンボルに習合させました。
そうすることによって、すべての豪族を一つにまとめ「統一大和」を築くことができるためです。
詳しい経緯は、連載「占星学から解く日本の原点」「その3:天照大御神の系譜」をご参照ください。

では「高皇産霊神」と元祖「天照大御神」は実際にはどこにいたのでしょうか。

高皇産霊神は「高木神」として知られますが、九州北部の“筑紫平野”を中心に祀られています。
一方、元祖「天照大御神」の系統は、紀元前10~前6世紀に古代オリエントから東アジアに来て九州に上陸し、のちに古代大和へも登った一族です。

よって「高天原」の場所はご推察のとおりです。
「天孫降臨」が北部九州で行なわれ、瓊瓊杵尊のひ孫の「神武天皇」がそこから東征しましたので、当然といえば当然のお話です。

※近々「天孫降臨」が北部九州だったことを書きます。


コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeNote -