「三種の神器」のルーツ 2
2017.05.26
ここからは「三種の神器」のルーツについて書いてまいります。

すでにご存じの方も当然いらっしゃると思いますが、三種の神器の中で「八咫の鏡」は別格です。

なぜなら、即位の儀において行なわれる「剣璽等継承の儀」は、「草薙の剣」と「八尺瓊の勾玉」ならびに「御璽」と「国璽」を継承しますが、「八咫の鏡」は宮中の賢所から動かされることはありません。

もっとも、八咫の鏡にせよ草薙の剣にせよ、ご本体は、それぞれ伊勢の神宮と熱田神宮に奉祀されており、いずれもその形代(レプリカ)をもって片や賢所に奉斎され、片や継承の儀にもちいられるのはご存じのとおりです。

では、なぜ「八咫の鏡」は動かされないのかというと、もともと天皇(大王)が治める国を象徴するものだからです。

具体的には、賛否はあると存じますが、3世紀末に九州倭国の2代目女王「台与」を旗頭に、畿内国(大和)に東征したさいに、倭国を象徴したものが「八咫の鏡」だったからです。

諸説はありますが、卑弥呼の邪馬台国(やまたいこく:やまと)を女王の都とする北部九州連合「倭国」の和の統治形態をモデルに、結果として、統一大和においては「天皇」を中心とする和の統治「大和」(やまと、大きい和国)が形勢されたために、倭国の象徴であった台与の鏡すなわち「八咫の鏡」は、引き続き「大和」の象徴として天皇が変わっても動かされることはないわけです。

一方、「草薙の剣」や「八尺瓊の勾玉」は、大和統一にさいして、国譲りや服従してきた国々の象徴であるために、代々の天皇は、それらの国々の統治を引き継ぐ意味において、即位にさいしては「剣璽等継承の儀」によって「草薙の剣」と「八尺瓊の勾玉」を受けつぎ、統一大和を治める天皇の“みしるし”とします。

なので、お気づきのように「八咫の鏡」は、卑弥呼から台与が受けつぎ、東征ののちは、大和を治める大王(天皇)が権威の象徴として受けついできました。

すなわち、もともとは倭国大乱ののち、北部九州連合「倭国」を和をもって治めた女王の象徴であり、東征ののちは全国統一を平和的に成そうとされた統一大和連合の大王(天皇)がもつ統治の象徴だったわけです。

では、「八咫の鏡」のルーツは明らかになりましたが、残りの「草薙の剣」と、後日、7~8世紀になって三種の神器に加わった「八尺瓊の勾玉」は、どの国々を治めるものがもつ権威の象徴であったのかということです。



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