国東半島の「ケベス祭り」
2018.08.26
大分県の国東半島(くにさき はんとう)に奇祭と呼ばれる「ケベス祭り」があります。

毎年、10月14日に行なわれますが、祭りの起源も由来も意味も不明の“火祭り”なのです。

祭りの概要は、まず祭りを行なう前に、“トウバ”(当場)の男たちが素っ裸で海に入りみぞぎを行ないます。
このあたりは、宗像大社で、かつて女人禁制(今年からは男子も禁制)だった「沖ノ島」に上陸する際に、男たちが素っ裸で海に入り、みそぎをするのと同じです。

ケベス祭りの次第は、2メートルほどの木の棒をもち、木のお面をかぶった“ケベス”とされる白装束の男が、神社の広場で燃やされているいくつかに束ねたシダの“庭火”に向かって、棒を槍のように構えて突進し、燃え盛る“庭火”をまき散らそうとするものです。

ですが、幾度となく(8回)同じく白装束の男たちに拒まれます。

この絡みは、ある程度は演技なのですが、どうやら本気の力比べでもあり真剣なようです。

ついには9回めにケベスは“庭火”に達し、木の棒でかき回します。
すると炎は5メートルほどにものぼり、火の粉がハデに舞い散ります。

これを機に、今までケベスの邪魔をしていた白装束の男たちは、木の棒の先に“庭火”をさして、なんと観客たちの頭上に次々と振りかざしていくのです。

舞い散る火の粉は、遠慮なく観客たちを襲い、あちこちで悲鳴があがります。

ですが男たちは、さほどお構いなしに観客に火の粉をふらせ、中には棒の先の燃え盛る“庭火”を観客たちのなかに放り投げることさえあります。

では、なぜ、このような“ケベス祭り”が、国東半島で1,000年以上にもわたって毎年行なわれているのでしょうか。

真相は定かではないのですが、個人的には次のように考えています。

国東半島といえば、紀元前7~8世紀ころに、古代オリエントの人々が赤土(酸化鉄)による製鉄を行なっていた場所です。

“ケベス祭り”が、内陸ではなく国東半島の東端の海岸沿いの岩倉社(いわくら しゃ)で行なわれるというのも、世界に先駆けて航海術をもった「フェニキア人」が、世界ではじめて鉄器文化を築いた「ヒッタイト人」を母に持つ古代イスラエルのソロモン王の依頼を受けて、金銀や珍宝また鉱物資源をもとめて「古代イスラエル人」とともに世界を航海し、日本にも来ておだやかな内つ海に面した国東半島付近を拠点のひとつにしていたからです。

事実、“ケベス”というのは、古代ヘブライ語(旧約聖書)で「子羊」(כבש:ケベス、ケヴェス)を意味します。

なので、火を用いた「ケベス祭り」というのは、古代イスラエル人が神への燔祭(はんさい)の「子羊」(ケベス)を捧げた祭りで、観客たちが火の粉を浴びるのも、また観客たちに火の粉を浴びせて当然としているのも、要は神への燔祭の子羊であることを意味し、“信仰”の証なのです。

「ケベス祭り」の長い歴史において、いろんな解釈を勝手に付加した一面がないとはいえませんが、木のお面をかぶっている以上、“ケベス”とされる白装束は何かの化身であり、人間ではないことは確かです。

一方、同じく白装束のトウバたちは、お面をかぶっていないので人間です。

ということで、どうみても日本語とは思えない「ケベス」という言葉が、古代ヘブライ語で燔祭の「子羊」をさすのであれば、『旧約聖書』から祭りの内容も推測できてしまいます。

詳しいご説明は、機会があれば「宝瓶宮占星学」サイトにアップすることがあるかもしれません。





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