日本古来の「かんながら」
2018.11.21
一般に「かんながら」(かむながら)といえば、次のように言われます。

●惟神の道(かんながらのみち)
神道の別名。
随神道とも書き、神意のまま、すなわち、人の私心を加えない本来の道のことをいう。
神代より続いてきた清く明るく直き正しき道に、いささかも手を加えることなく、そのままに従って行動する道を意味する。
『日本大百科全書』(ニッポニカ)「神道用語集」

本当でしょうか?

漢字では、「随神」や「惟神」などと書きますが、すべて当て字です。

なぜなら、漢字が日本に入ってきて「神」といったワケのわからない文字をあてたのであって、それ以前から「かんながら」(かむながら)ということばがありました。

漢字で「神」と書いてしまうと、どうしても一神教の「神」(The GOD)といった、“創造神”や“全知全能の神”また“唯一の神”といったニュアンスが混じってしまいます。

そうではなく、「かみ」という古代日本語は、「おかみ」(お上)や「おかみさん」(女将さん)と共通した、もっと身近な意味をもっていました。

つまり、「おかみ」(お上)といえば、指示を出す“おおもと”の江戸幕府だったり、官庁などお役所のことをさします。

また、川がはじまる“おおもと”に近い上流を、川上というのも「かみ」なのです。

それと類似で、「おかみさん」(女将さん)といえば、料亭や旅館の経営者だったり、切り盛りする指示を出す「女性」のことをいいますが、もっと身近に「母親」も、「うちのかみさんが…」というように「おかみさん」なのです。

では、なぜ、「おかみ」なのでしょうか。

土偶「縄文のビーナス」などをみても、縄文時代は“妊婦像”が多いことに気づきます。
なぜなら、古代、妊婦(女性)は「かみ」だったからです。

なぜ「かみ」かといえば、女性(母親)から人が生まれ出てくるからです。

つまり、「かみ」という日本語は、本来、何事かが出ずる“おおもと”のことだったのです。

なので、『古事記』や『日本書紀』でいう、たとえば「天照大御神」などというとき、「かみ」(神)という尊称で、“おおもと”となるご先祖(始祖)さまのことをあらわしました。

ちなみに、さまざまな「かみ」(神)のなかで、さらに最初のご先祖さまを「おおみかみ」(大神、大御神)といいます。

「おお」(大)ということばもまた、“長男長女”などのように、順番で最初を意味しました。

ということから、「かんながら」というとき、本来はご先祖(かみ)さまとともにあるということを意味します。

重要なのは、その「かみ」が必ずしも人間とはかぎらず、大自然の「かみ」をも意味していたことです。

なぜなら、人は死して大自然にかえりますが、同じように人は大自然にから生まれ大自然によって生かされていることを縄文人(日本原住民)は実感していたからです。

なぜなら、縄文時代の日本列島は、大自然の環境や食物に恵まれていたからです。

なので、「かんながら」というとき、大自然など八百万の神々とともにある「自然崇拝」や「祖先崇拝」といったことを意味し、“共存共生”の精神や、“おかげまさてといったことも意味していました。

ひるがえって、砂漠の民だった古代イスラエル民族や、16世紀にジャガイモが南米から入ってくるまで食糧事情に乏しかった西洋は、大自然は克服するもととらえていましたので、古代日本は異なっていたのです。

大自然のキレイで豊富な水や山海の食料に恵まれた「縄文時代」の日本人は、しぜんと「かみ」(大自然、八百万)とともにある「かんながら」の精神(日本的霊性)をつちかっていたわけです。





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