持統天皇 御製歌の意味
2019.05.18
だれもが知っている有名な「万葉集」の御製歌です。


春過ぎて夏来(きた)るらし白たへの衣(ころも)乾(ほ)したり天(あめ)の香具山 (万1-28)


詠み人は、万世一系を定めた天武天皇(第40代)の妃、持統天皇(第41代)です。

歌の解釈は人それぞれにあります。
基本的に自身の“器”にあわせて解釈をしますので、ヘタに解釈すると底が知れてしまいます。

いくつか解釈例をご紹介します。

1、
一般的には、持統天皇が帝都藤原京のすぐ近くにある香具山を臨んで、新しい季節の到来を詠んだ歌だとされ、香具山は高さ百メートル余りの低い山なので、山腹に白い衣が干されているのが、すぐにそれと理解できたのであろうと解釈されます。

2、
また、謀略的な解釈としては、詳細は省きますが、「政権奪取に成功した、してやったり」と詠んだ一首であるというのも目にしたことがあります。

3、
さらには、凡庸な解釈ですが、持統天皇自らが女官らとともに洗濯をして、夏になって水がひんやりして…と愛が感じられる歌であるというのもありました。

いずれでもいいのですが、「万葉集」を単なる歌集ととらえると間違います。

とくに天皇クラスになると、そこには歴史や当時の政治色が秘められているのです。

編者とされる大伴家持らも、その歌意を見抜いて選出しています。

持統天皇のこの御製は、字面のまま受けとると、当たり前すぎて“歌”になりません。

そうではなく、当時を映した深い意味が込められています。

今でこそ万世一系は当たり前ですが、完全に定着をさせたのは、知る人ぞ知る持統天皇の功績です。

皇太子草壁皇子が若くして薨御されたため、のちの持統天皇こと鸕野讚良(うののさらら)皇后は、自ら皇位に就いて、孫(草壁皇子の皇子)に譲位し何がなんでも皇位を継承させることによって、万世一系を根づかせようとしました。

それゆえ、神代からの“万世一系”を記した『日本書紀』は、持統天皇から文武天皇への譲位で終わっています。

この一首は、孫の文武天皇へのスムーズな譲位を願って詠んだものです。

「春」から「夏」に当たり前のように季節が変わるように、持統天皇(春)から孫の文武天皇(夏)へ、即位のときの麻の麁服(白妙の衣)を着せたいものだ(ほしたり)という歌意です。

それゆえ単なる香具山ではなく、山頂に国常立神を祀る天孫由縁の「天の香具山」と詠んだわけです。

持統天皇が異常なほど珂瑠皇子(かるのみこ)こと「文武天皇」(第42代)への譲位にこだわったのは、当時の人であれば常識的なお話です。

夫、天武天皇の遺志を実現して、二度と皇位争いを起こさないよう「日本の礎」(万世一系)を築きたいという願いと決意が込められた一首です。

「春過ぎて夏来るらし白たへの衣乾(欲)したり天の香具山」





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