【現実版】戦国武将ベスト5
2020.05.01
この前、国民10万人が投票「戦国武将総選挙」が放送されていましたよね。

これは“日本人に愛される戦国武将 ベスト30”という副題のとおり、各自が“好き”だったり“尊敬できる”または“強そう”など、それぞれの自由な判断基準をもって、いわば“イメージ”で選んだものです。

なぜ、“イメージ”?

まず「戦国武将」の実際の姿を知っているわけではありませんよね。

だいたいは「小説」や「ドラマ」また「ゲーム」などで描かれた“フィクション”に影響されつつ、一部にノンフィクションの部分的な「実録」をまじえた“イメージ”によって、ご判断されているからです。

江戸時代の「太閤記」や近年の「司馬文学」などは、フィクションの代表例です。

歴史家のあいだでは、事実とは違うことが知られていますが、読者としては「なるほど、そうだったのか」と思い、イキイキと描かれた胸躍る戦国武将の活躍の姿に、つい“事実”だと信じてしまいます。

そういった後年、当時の人によって書かれた戦記物をふくめ、ドラマと実際の戦国武将の姿はかなり違いがあります。

およそTOPに立つ人間は、遠くから客観的にみるぶんには“カッコイイ”のですが、実際にそばでリアルに接すると考えの違いがあることなどから理解できなかったり、接し方に苦労することも多くイメージがガラリと変わることがあるからです。

そこで、そういった“フィクション”や“ドラマ”のイメージを抜きにして、歴史に残る「実績」から、ほんとうに凄かった戦国武将はだれなのかベスト5にしてみました。

もちろん、好き嫌いの個人的な感情はぬきにしてです。


では、早速、発表~♪

ド、ド、ド、ド、ど~ん!同率 第4位。


◆「豊臣秀吉」と「前田利家」

【理由】
秀吉は、たしかに「天下」を獲りましたが、2人の軍師の突出した力が大きく、天下をとってのちは弟「秀長」のコーディネイトに負うところが大きかったからです。

もともと秀吉のイメージは、光秀を討ってのち自らのイメージアップ戦略によるもので、信長の覇権を自分の手柄かのように描いた「太閤記」などによるつくられた秀吉像です。

事実、秀吉が真の天下人たりえないのは、「淀姫」への接し方をはじめ、TOPとして最も重要な「後継者」づくりに失敗していることです。

逆に、利家は、秀吉側でありながら、徳川政権下で「後継者」への引継ぎに成功し、加賀100万石の礎を築いています。

また、賢妻「まつ」とともに、秀吉を上回る卓越した側面をもって生き残り、単純に比肩はできないものの結果、いい勝負だといえます。


第3位

◆「織田信長」

【理由】
個人的には、いちばん好きな戦国武将です。

過去にとらわれない合理的な判断や、数々の改革を推し進め、古い家柄や権威の時代から、実力で新しい時代のやり方に変えていったことは、やはり特筆に価します。

その点で秀吉は、信長の2番煎じの政策が多いことからも、信長が上位です。

減点せざるをえない部分は、ドラマチックな生涯は面白いのですが、「星のディレクション」の影響があるとはいえ、天下獲りが見えて“慢心”してしまったことが、戦国武将のTOPとしてはありえません。

事実、それが「本能寺の変」につながっています。


第2位

◆「伊達政宗」

【理由】
東北にありながらバテレン禁止のなか、広く海外にも目を向けて秘密裏に派遣した先見の明と胆力、また戦さの実力もありながら、「気長く心穏やかにして(中略)この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」と達観する精神性をそなえていたところです。

天下人の秀吉にも家康にもおそれられながらも高く評価され、重用されれる器をもっていたことや、家康なきあと、天下獲りの野望を捨て、三代将軍「家光」の“後見役”として、“外様”ながら仙台藩58万5千石(のちに62万石)の雄藩を築き、幕末まで続く礎を残したことです。

もし、信長と同時代に生まれていれば、どちらが天下を獲ったかわかりません。

少なくとも東北をはじめ関東以北は“伊達王国”になっていた可能性が高いからです。


第1位

◆「徳川家康」

【理由】
家康は、明治政府によって徹底して貶められました。

長州、薩摩などから、関ヶ原の“仇”(かたき)として、功績をないかのように評価されたのです。

そんな誤まったイメージが現在も残り、戦後、経済界のTOPなど組織存続の手本として評価を受けてそこそこの名誉を回復したものの、一般人にはおよびませんでした。

現代人は、明治政府によってイメージづけられた悪人“家康像”を心のどこかに植えつけられたまま、その実績に反して、かなり不当に評価されています。

というのも、天下のTOPたる最大の責務は、国家国民の安泰であり、その維持と継続だからです。

家康は、自身の後継者の育成とともに、それを見事に成し遂げています。

あの時代に、旗本や直参には石高を低くして地位を与え、外様には地方に封じたものの石高を高くして不満を抑えています。

また、檀家制度によって宗教を“戸籍係”や“葬式仏教”にして、維持運営はできるものの信仰的には骨抜きにするなど、300年近い太平の世を維持する“システム”を家康は築いています。

もはや、並みの戦国武将とはレベルが異なり、この右に出る戦国武将はいません。

義元、信長、秀吉に仕えながらも、信頼され、戦国時代を生き残った術(すべ)や精神性を含めた力量は、あまり喧伝されていませんが、並大抵のものではありません。

そういったいろんな立場を臨機応変にそつなくこなし、生き残り天下を掌中にしたのみならず、泰平の礎を築いた見識や実力また人格は、“三拍子”そろったナンバーワンというしかありません。


ちなみに、戦国武将以外では、1,000年のちをみて『日本書紀』をはじめ“万世一系”の「皇統」を定めた天武天皇とその定着に尽力した持統天皇(天武正妃)がいます。








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