“逆説”の邪馬台国-5
2020.09.15
【「邪馬台国」幻想と陰謀】
今回は、「邪馬台国」に皆さまが抱いている“幻想”をお届けいたします。
「魏志倭人伝」を著した作者 陳寿の「陳寿伝」をよく読めばわかることですが、陳寿は、“ロマン”を書きたてる筆致が得意です。
史実を“単純化”して勧善懲悪的な“ドラマ風”に記したために、わかりやすかったのです。
実際、陳寿が著した史書『三国志』は、“ドラマ風”の要素があるために、「蜀」の王“劉備”ならびに「死ぬときは一緒」と義兄弟のちぎりを交わした“関羽”や“張飛”を主人公とする劇作『三国志演義』(通称「三国志」)としてドラマに仕立てられ、人気をはくしているのはご存じのとおりです。
実際の史書『三国志』は、魏の“曹操”こそが英雄と呼べる人物なのです。
それはともかく、史書『三国志』のなかに、『魏書』があり、その末端に「倭人条」(魏志倭人伝)が収録されています。
なので「魏志倭人伝」も例外ではなく、“ロマン”を書き立てる筆致で記されています。
実際には、“枝葉”の出来事があるシビアな史実であるにもかかわらず、陳寿は単純化して描いたために、「卑弥呼」や「邪馬台国」がそこにあって、まるで“英雄”かのように“ロマン”を夢みてしまうことが起こります。
つまり、我知らずとも“幻想”を抱き、「卑弥呼」や「邪馬台国」以外に重要な史実がなかったかのように“勘違い”してしまうのです。
このことが、「邪馬台国」の所在地を比定するときに冷静さを欠いて弊害が生じます。
1、「邪馬台国 幻想」
一例をあげましょう。
「魏志倭人伝」を、ほかにない100%の史実かのように我知らずとも信じると、“卑弥呼”や“邪馬台国”が日本の“原点”かのよう錯誤することが起こります。
「邪馬台国 畿内説」は、その代表です。
『日本書紀』に記される畿内における初代「神武天皇」の御即位と「大和朝廷」の成立を「卑弥呼」や「邪馬台国」が“原点”としてかかわるに違いないと信じ込んでしまうのです。
“歴史的大チョンボ”なのですが、気づいていません。
もしくは気づいていても、“意図的”に「邪馬台国は畿内大和だ」とこじつける理由がありそうです。
さて、「卑弥呼」や「邪馬台国」の時代、すなわち3世紀の日本の全国の考古学的出土品のデータを、ごくふつうに学術的に「魏志倭人伝」と照らし合わせてみれば、ほぼ答えが出てしまいます。
「畿内大和説」はあてはまらないのです。
それゆえ、彼らは逆に「考古学的には畿内が優勢だ」などと、恬として恥じずにウソぶき続けます。
冷静に客観的に比較すればわかることです。
「畿内説」の学者や研究家は、自分の“学問的プライド”や“学閥”があるし、何より“研究費”の件もあるし、“世間体”などもあって、いまさらひるがえすわけにはいかないというのが実状のようです。
一例を挙げますと、「魏志倭人伝」に「鉄鏃」(てつぞく:鉄のやじり)など鉄器の記述が出てくるのですが、青銅器の記述はありません。
当時の畿内は、出雲系の「青銅器文化」だったことは学校などで習ったとおりです。
「魏志倭人伝」に記される3世紀の「鉄鏃」の出土は、全国でもダントツの300個近い数量を出土している福岡県と熊本県がそれぞれ1位と2位を争っています。
畿内大和は、わずか数個の出土にもかかわらず、「畿内から鉄鏃が出ている」と“畿内説”ありきの観点で「考古学から裏付けられた」と語っているだけなのです。
もちろん、「畿内説」に不利なデータは歴史学界をはじめオモテに出そうとしません。
つまるところ、かつてのヒトラーのドイツ帝国や現在の中共のように、“ウソも100回言えば真実になる”という心理戦によって“強弁”し続けています。
「卑弥呼」や「邪馬台国」をなんとなくでも日本の“原点”と妄想を抱いている人々は、畿内説学者の“強弁”を無意識に心に残し信じてしまうことがあります。
卑弥呼や邪馬台国は、決して日本の“原点”などではありません。
歴史の「一コマ」にすぎず、3世紀に日本に存在した国邑(こくゆう)の“ワン・ノブ・ゼム”にすぎないことは、広く古代日本をひもとけばみえてきます。
邪馬台国以外に、全国各地に国があり、畿内国はその一つでした。
調べていただいてご判断されればいいのですが、ゆるやかな“本州大国主連合”の集会地の一つが畿内国、奈良盆地だったようです。
なぜなら、『日本書紀』からもわかるように出雲系の残滓が多いのです。
2、3世紀前後の「国邑」
上述のように、「邪馬台国」以外にも全国各地に“国邑”(こくゆう)がありました。
「魏志倭人伝」や『後漢書』をみても、次のように記されています。
● 「魏志倭人伝」より抜粋(1)
「(女王国)その南には狗奴国(くなこく)あり、男子を王となし、女王に属せず。
(中略)
倭の女王 卑弥呼、狗奴国の男王 卑弥弓呼(ひめここ)と、もとより和せず。」
● 「魏志倭人伝」より抜粋(2)
「女王国の東、海を渡りて千余里、また国あり、みな倭の種なり。
また、侏儒国(しゅじゅこく)あり、その南に在り、女王を去ること4千余里なり。」
● 『後漢書』より抜粋
「女王国より東のかた海を渡ること千余里にして拘奴国(くなこく:「狗」の字が異なる)に至る。みな倭種なりといえども、女王に属せず。
女王国より南のかた4千余里にして侏儒国(しゅじゅこく)に至る。」
「魏志倭人伝」に記録されるだけでも、規模は不明ながら「狗奴国」(または「拘奴国」)があり、「侏儒国」があったことがわかります。
では、ここから何がわかるでしょうか。
仮に「畿内」に女王国があったと比定した場合、東に「海を渡ること千余里」(約70km)に国はありません。
また、南に4千余里(約280km)もの先に国はあるでしょうか。
畿内大和からだと、約180km近い沖合いの太平洋の中になります。
ご参考に申し上げますと、日本の中で海を渡ること千余里(約70km)の東に国があるのは、九州と四国のみが該当します。
ただ、四国の場合、南に4千余里(約280km)もの先に、国は存在できません。
ちなみに、九州北岸から鹿児島南端は約300km強です。
それはともかく、3世紀前後の主な国内の国をあげてみます。
四国には、由緒ある「阿波国」がありました。
中国地方の瀬戸内海沿岸には「吉備国」があります。
日本海側には山陰に「出雲国」、近畿に「丹後国」、北陸に「越国」があります。
近畿の「畿内国」や中部の「尾張国」さらには縄文集落跡が残る「諏訪国」なども古い国邑です。
関東にも、「関東王国」もしくはその前身となる国邑がありました。
当然、東北地方にも縄文時代から集落があったことがわかっています。
これらは古い国も多いのですが、「女王国連合」は2世紀末に誕生したばかりの新興国にすぎません。
もっとも、金印が出土した「奴国」は1世紀にはありましたし、卑弥呼を女王に輩出したことから「邪馬台国」は、もう少し古い国のようです。
3、「畿内説論者」の“陰謀”
「畿内説学者」のやり方は“ヘン”です。
“中共”(中国共産党政権)と同じ手法をとっています。
中共が「尖閣は古来から中国の領土だ」と強弁して奪取しようとしているのと同じように、「邪馬台国が畿内だ」と強弁し、“実力行使”でねじふせようとしています。
客観的な「歴史研究」というよりも、“プロパガンダ”(政治宣伝)の域に近いのです。
あまりにもヒドく、学究的ではないので、理由を考えてみました。
「宝瓶宮占星学」サイトにも書いたことですが、古代支那の冊封下にあった「邪馬台国」を畿内大和だと“強弁”することによって、日本は古代から中国の冊封下にあった国だと“既成事実化”しているのかもしれません。
もちろん、上述したように「プライド」や「学閥」や「研究費」などの理由もあるでしょうが、それ以上にやり方が“異常”なのです。
中共が、「台湾」や「尖閣」また「沖縄」の占領を足がかりに、海洋侵出して東太平洋の覇権を手中にしようとしているのはすでに衆知のことです。
まずは、アメリカと世界を二分統治し、そののちアメリカまでも侵略して「世界覇権」をにぎることが彼ら共産主義者の目的です。
その前段で、当然、日本も中共の属国化が試みられます。
そのさい、邪馬台国また女王国連合は「古代支那の冊封下にあった」という“歴史的事実”が日本支配の根拠になります。
そのため、「邪馬台国」が地方にあっては論拠が弱まるのです。
どうしても『日本書紀』に初代“神武天皇”が即位されたと記され、代々天皇が“都”とし、実際、統一「大和朝廷」が置かれた畿内が「古代支那の冊封下にあった」としたいわけです。
そのため、「邪馬台国 畿内説」を声高に主張する人たちの中に、中共の意を受けた“工作員教授”や“スパイ研究者”がいて、「畿内説」を定着させようと動いていてもおかしくありません。
なぜなら、「畿内説論者」のやり方は中共とウリふたつだからです。
1、テドロス事務局長を「WHO」に送り込んだように、まず“権威”である「歴史学界」などに畿内説学者を送り込み、“学術的権威”から日本人を操ります。
2、中共が「マスコミ」を利用して常時、情報戦を仕掛けているように、畿内説論者は朝日新聞など「反日マスコミ」を使って“ウソ”の情報を大々的に流して日本人の洗脳を図っています。
……※ご参考:一例【モモの種】(後述)。
3、“武漢ウイルス”は、もはや中国の研究所から出たことが複数の証言によって明らかです。にもかかわらず中共は、“ウソ”を言い続けたように、畿内説の学者や研究者も不利な情報は隠し、“牽強付会”で畿内説を言い募っています。
史実を客観的に探究する職業にもかかわらす、それを超えてシロウト騙しの“牽強付会”を続けるのは、もはや学問のほかに強い理由があるからとしか考えられません。
結局、“工作員教授”や“スパイ研究者”を想定しないと、理解できないほど中共と同じ“プロパガンダ”(政治宣伝)のやり方を展開していることが傍証です。
“学者”というよりも、将来に備え、「中共の日本支配」に向けた歴史的根拠づくりを着々と行なっていると考えるしかないほどの“強引”さです。
※ご参考:一例【モモの種】
2018年に“大量のモモの種”が纒向遺跡(まきむく:奈良県桜井市)から発見されました。
それは客観的な事実ですが、「畿内論者」は「卑弥呼のモモの種」だと、失礼な言い方ですが“バカ丸出し”にも発表し、そればかりか、中共のやり方をならって「反日マスコミ」をもちいて大々的に報じ、「これで畿内に決まりだ」などと強弁して“既成事実化”を図ったのです。
良識ある歴史学者や研究者は、みんなあきれかえりました。
なぜなら、「魏志倭人伝」にはひと言も「モモ」は出てきません。(注)
また、「卑弥呼」が何を食べたかなどは書かれていないからです。
さらに、彼らが、卑弥呼のモモだという証拠となる“文献”を示さなかったところをみると、古代支那の「史書」のどこにも卑弥呼が“魔除け”にモモを食したなどと書かれていなかったのは明白です。
つまり、彼らの“妄想”また“こじつけ”なのです。
この一連の出来事を目にしたとき、その“牽強付会”ぶりに、彼らは中共と同じ手法をもって「ねつ造」し「事実」を捻じ曲げるということがハッキリとわかりました。
ほかにもありますが、彼らはもはや“学者”や“研究者”ではなく、すでに“アジテーター”(大衆扇動者)か、もしくは“邪馬台国幻想”を抱く信者や宗教活動家のようです。
ちなみに、纏向遺跡から出土した「モモの種」(桃核)は、2,765個です。
一方、岡山県で同じ弥生時代の遺跡から出土した「モモの種」(桃核)は、約10,000個もあります。
「魏志倭人伝」に記される“大衆を惑わす”「卑弥呼」を、証拠もなく“モモの種”と結びつけること自体に客観性もなにもないのです。
それをマスコミまで使って堂々と公表することを、“陰謀家”といいます。
(注) 「モモは出てきません」のご説明
「魏志倭人伝」には、「その竹には、篠・簳・桃支あり。」(原文:「其竹篠・簳・桃支」)とあります。
ここに「桃」という字は出てきますが、この一文は、倭国に産する竹の種類で「篠(しのだけ)、簳(やだけ)、桃支(とうたけ:桃支竹)」が植生しているという意味です。
次回は、「卑弥呼」の“幻想”をお届けいたします。
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