かんながらを象徴する鏡
2023.02.07
[建国記念の日特別編その1] ― 日本的霊性と友愛精神 ―


神なき日本の原点となった「かみ」なる大自然



「建国記念の日」特別編を一筆啓上申し上げます。

日本と世界各国の成り立ちの違いをみていくと、欧米は代表的にはキリスト教の創造神(The GOD)を今日の文化のベースにしているといえます。

一方、日本は、今はかすかに残る程度ですが、大自然を“かみ”とする「かんながら」の道がベースです。

同じ音で神と“かみ”ですが、両者には明確な違いがあります。

西洋文明が根づいていった明治以降や戦後GHQの占領政策の影響によって、日本的な感性が弱められいったのかもしれません。

「神」というと現代日本人は、西洋の“人格神”やギリシャ神話やローマ神話のような神々を想起することが多いためです。



≪文明開化における西洋化≫

アタマでのみ考えると本質を見失うことがあります。

文明開化における西洋化はその一例です。

それらを否定するものではありませんが、いまだ発展途上の現代物理科学によって、知識教育を絶対と考えると、われ知らずとも日本の気候風土に伴なった精神文化にそぐわない方向に進みかねません。

昨今の登校拒否などは、その弊害の現われともいえるもので、精神的感性に優れている子どもゆえに、そうなるケースがみられるようです。

ご注意すべきは、知識偏重教育の逆パターンながら、事実を誤認した神秘主義(スピリチュアリズム)に陥ることが起こることです。

なぜなら、“科学万能主義”も“絶対神秘主義”も、ご理解しにくいかもしれませんが精神的な根因は同じものがあるからです。


【One Point】 西洋占星術で言えば、尾びれをつながれた二匹の魚のようなものです。

お互いに逆方向に泳ごうとして進めずに、もがき、限界を迎えているようです。

当サイトでいう「対立二元論」に陥っているためです。





≪かんながらの道≫

古来の日本は「かんながら」を道とします。

漢字をあてると「随神」や「惟神」と書きます。

ですが、これだと現代日本人は勘違いするでしょう。

「かんながら」は、宗教上の神や人格神に対する信仰とは異なり、ごくふつうに大自然を太古から「在って在るかみ」としたものだからです。

大自然を「八百万の神」と呼ぶのも、絶対なる創造神を唯一の神とする西洋的な思考や概念の影響で、大自然とは似て非なる人格神や獣神&物神また神話の神々をイメージしやすいために、ご注意が必要です。

そうではなく、キリスト教や仏教が発祥する以前の縄文時代から「大自然」を大切にして畏敬しつつも共存してきた、ごくふつうの精神意識です。


【One Point】 江戸時代初期の鈴木正三(しょうさん:1579-1655)が語った「農業、即ち仏業なり」に通じる、しぜんのままの日本的霊性また和の精神だといえます。

農業を今日的に「労働」と言いかえても同じです。



【ご参考:日本資本主義の精神】

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-1905)にならってか、山本七平(1921-1991)氏が『日本資本主義の精神』のなかで触れていました。

農作業が忙しくて仏教を学ぶヒマなどないという農民に対して、日々の農作業が仏道であり修行だよといったようなお話です。

日本人には当たり前の価値観ですが、近隣国では汗水たらして働くのは下僕の仕事といった考えが強く、工業技術の発展やサービス業にも弊害がもたらされています。

“労働即仏道”を含めて接客など「おもてなし」は、アストロロジカルに申し上げますと、日本人の民族性「魚宮」によって象徴されています。

魚宮は“無私の精神”や“犠牲の精神”また“善意”などの象意を持ち、肯定的にとらえるためです。




≪日本的霊性と友愛精神≫

大自然とともにある「かんながら」によって形成されていった日本的霊性は、美しく豊かな国土を持つゆえに、はぐくまれた精神性です。

大自然をベースとして、しぜんと体感し体得していったものです。

縄文人が地上に生まれて、物心がつく以前、すなわち「かみ」から在った畏れ多くも美しい大自然です。

ときに大災害を起こす畏怖すべきものですが、ふだんは豊かな食料や四季彩々の恵みを縄文人に日々もたらしてきたかみなる大自然です。

天空の日月星、地上の山川草木また動物は、日本列島では、海外に多い過酷な環境とは異なり、多様性に満ちていて縄文人らとともに「かみよ」(上代:神代)から在りて在るものです。

言い替えますと、宇宙大自然のありのままを受け入れてきたのが「かんながら」で、現代日本にも今後の宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)にも通じる、日本的霊性や友愛精神(和、絆、民度)の原点になっています。


【One Point】 和辻哲郎(1889-1960)の『風土』からも分かるように、民族性は気候風土に左右されてはぐくまれます。

日本列島は他国とは異なって、日常的には大自然を克服する労苦が少なく、受容の精神による穏やかな民族性が形成されていきました。



【ご参考:民族性:魚宮、国体:水瓶宮】

アストロロジカルに申し上げますと、「日本は何座宮」(別サイト)で触れたように、日本人の“民族性”は「魚宮」によって象徴されます。

一方、“国体”は天皇を推戴して臣民平等といった「水瓶宮」によって象徴されています。

12サイン(宮)の象意に詳しい方なら、「日本的霊性」は魚宮の象意に通じ、「友愛精神」は水瓶宮の象意に通じることをご理解できるでしょう。




≪豊かな食材に恵まれた≫

大自然と共存し次代につなげていくために、たとえば山菜を見つけても、すべてを刈り取ることはしませんでした。

来年もまた実りを採収することができるように、一部を残しておく知恵をもって、大自然との共生共存を図ってきたのです。

世界の文明発祥の常識を覆した縄文文明は、青森の三内丸山遺跡にみられるように4、5,000年以上前から栗林を人為的につくり、栗の栽培をしていたことがDNAから確認されています。

一方、西欧は作物に乏しく、狩猟生活を旨としたために、戦うことが大前提の民族性がはぐくまれていった気候風土があります。

彼らが中南米を植民地としたときに、ご当地産のジャガイモを西欧に持ち帰って栽培に成功することで、今日に知られるようになったほどです。


【One Point】 春夏秋冬、山海の多彩な食材に恵まれた日本は、アストロロジカルにみれば、戦後の現体制は“グルメ”としても象わされる「牡牛宮」に変わりました。

それゆえ快適な生活環境や妥協なき食への追及が功を奏し、ユネスコ無形文化遺産に「和食」が指定されています。




≪明治に正式にご裁可≫

明治以降、皇祖神は「皇大神宮」(伊勢内宮)に祀られる「天照大御神」になりました。

天皇として初めて伊勢をご親拝された明治天皇によって、ご裁可されてからです。

現在、各地の神社やご家庭などの神棚で「天照皇大神」(あまてらす すめ おおかみ)が等しく主祭神として祀られるようになったのはそのためです。

本来の古神社は大自然の山や岩などをご神体としていました。

また、一般的に神社では、拝殿に「鏡」を置いて崇拝の対象にしているのを見かけます。

なぜでしょうか。

鏡は、自分を写すだけでなく周囲の人々も、空の日月星や大地の山川草木など大自然のすべてを写し出せるのです。

一部例外があるかもしれませんが、いわば大自然の象徴です。

それゆえ、拝殿の鏡は「かんながら」の象徴だといえます。


【One Point】 かつて武家社会では「素戔嗚尊」(すさのお の みこと)も多く祀られていました。

ヤマタノオロチを退治し、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)をもたらした“武神”でもあるからです。

その武家社会が明治維新で終わると「天照大御神」がご祭神に変わり現在に至ります。




【ご参考:随神は“かんちがい”】

「かみ」というのは、川の源にあたる上流を川上といい「かみ」です。

また、命令などお沙汰を下すお役人やお役所もお上で「かみ」と呼びます。

ご家庭で「おかみさん」といえば母親を指しますが、子供を生みだす源でもあるためです。

始原に近い存在や新たに生み出す存在を「かみ」と呼ぶのが日本です。

古代縄文においては、大自然はすべての万物を生み出す「かみ」と考えられていたようです。

「かんながら」の由来でしょう。

そのため、「かんながら」を随神や惟神と漢字を使って表記すると、“かんちがい”(神違い)に陥りかねません。










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