“アポカリプティック”
2020.07.06
 
「アポカリプティック・サウンド」をご存じでしょうか。

くだんの“神秘系”大好きな人たちや“妄想系”の人々また“都市伝説”を信じ込みやすい人は、『新約聖書』のヨハネの黙示録に記される“天使のラッパ”こと“世界終末の音”などと論じています。

天空に断続的にどこからともなく“不思議な大音響”が響きわたり、ときにラッパのように聞こえることもあれば、竜虎が吠える声のようにも聞こえ、音の種類は案外と豊富です。

最近では、中国で鳴り響いたことから、昨今の“天変地異”とも関連付けられることがあります。

ですが、科学的な原因は明らかになっていません。


ご存じでない場合、一度、聞いていただかないとイメージしにくいと存じますので、YouTube動画でご確認ください。

今、話題になっている中国の「アポカリプティック・サウンド」の動画アドレスを張っておきます。

●動画 「龍の声? 貴州省の山村に響く不気味な音 専門家も首をかしげる」
2020年7月3日アップ (1分50秒)

これは「アポカリプティック・サウンド」の一例で、案外といろんなタイプの音があります。

「アポカリプティック・サウンド」自体は、さほど珍しいことではなく、世界各地で記録されています。

「この10年間でよく起きるようになった」という人もいますが、スマホの世界的な普及によって、だれもが動画に保存して、アップできるようになったことが、近年、起きはじめたかのように思われているだけなのです。


実際、ネットをタグれば案外とアップされています。

日本国内でも動画として記録されていますので、英語や各国語でタグってみればいろいろ見つかると存じます。

なかには、カミナリや大砲の音だったり、飛行機の音を間違えているものもありますが、だいたいは“竜虎の咆哮”や、“牛の鳴き声”に似ていたり、“得体の知れない轟音”が連続的に響きわたっていたり、まれに二重奏や三重奏の“ラッパの音”のようだったりと、さまざまにあります。

一説では、洞穴に風が吹き込んだり、地底からの音などという説もありますが、であればその地域のみに起きる現象になりますが、そうでもありません。

最も有力な説は、太陽風と地磁気によって起きるというものです。

いわゆるオーロラの音響版です。

オーロラは、成層圏(11km~50km)を超えた電離層(50km~500km)で発生します。

その外側には大気層の最も外側にある外気圏(800km~)がありますので、空気がある以上、「音」は空気が振動して発生するために、その可能性は残ります。


「アポカリプティック・サウンド」は、天空に響きわたるような音の性質から、ちょうど湿らせた手でボウルのふちをなぞると不思議な音が鳴る楽器「グラスハープ」の音に似ています。

「グラスハープ」は、“天使の声”とも“悪魔のささやき”ともいわれ、18世紀に「アルモニカ」が発明されたことで大流行しました。

ですが、19世紀に悪魔の楽器とされて、姿を消しています。

要は、適度な湿度をもった大気が、“ボウル”のような役目を果たし、そこに共振する“強風”が吹いたり、もしくは“太陽風と地磁気”が反応して共振したさいに、“大気ボウル”の状態に応じて、いろんな「アポカリプティック・サウンド」が鳴り響くといえます。

いずれも上空の出来事であり、見えない空気による共振現象であることから、目に見えず、科学的にも確認がむずかしいことから、現在は推論にとどまっています。

かつて人類は、こういった“不思議な現象”に遭遇してきましたが、たとえば「カミナリ」などに代表されるように科学の進歩とともに、その原因や理由を明らかにしてまいりました。

現在では、カミナリを不思議に思う人はいないのと同様に、「アポカリプティック・サウンド」もいずれ明らかになってくるでしょう。

個人的には、「妙なる天上の音楽」を聞いたことがある経験から、“天使のラッパ”を100%否定するものではありませんが、「アポカリプティック・サウンド」自体は“世界終末の音”などではなく、地上の自然現象です。



※ご参考にあと2つ動画をご紹介しておきます。

「Apocalyptic strange sound was heard again in Slovakia,15.10.2016 What is it?」
(2分21秒)

「Strange Sounds in Terrace, BC Canada August 29th 2013 7:30am (Vid#1)」
(1分49秒)








「惑星直列」って何
2020.07.05
 
何年か前もそうでしたが、「惑星直列」が騒がれました。

昨日、アメリカ建国記念日の2020年7月4日も一部で「惑星直列」と騒がれましたし、その一方で惑星直列ではなく「惑星勢ぞろい」だともいわれていました。

ハッキリ書きますが、「惑星直列」など起こることはありません。

惑星の周期を計算すれば、本来、わかるお話なのです。

もっとも、どこからどこまでを「惑星」とするか、また何を「基準」とした直列なのか、さらには「直列」の誤差を何度以内におさめるのか、前提条件が必要です。

天体学では、「太陽」を恒星として、太陽系惑星は、「水星」、「金星」、「地球」、「火星」、「木星」、「土星」、「天王星」、「海王星」の8個です。

一方、“星の配置が地上に影響をもたらす”とする西洋占星術では、「太陽」をふくめて、上述に「月」と「冥王星」を加えて、10個の星をメインとしています。


いくつか説があるのですが、今回、7月4日の「惑星直列」云々のお話は、第一に「月」を除いて「太陽」~「冥王星」までの惑星が、空の180度以内に位置するといった“惑星勢ぞろい”が起きるといったことのようです。

それが、当たり前なのですが黄道上に(一直線に)“並ぶ”といった一種の“惑星勢ぞろい”のお話に、なにをどう勘違いしたのか、尾ひれがついて「惑星直列」などといういつもの“騒ぎ”になったようです。

言葉よりも、実際をいくつかの図でみてみましょう。


まず、「プラネタリウム」のような天体図で示すと下図のようになっています。

【図1】


東京から見た全天で、太陽がのぼる直前であれば「水星」~「冥王星」までずべての惑星が観測できる500年に一度の“天体ショー”だといえます。

ですが、これを「惑星直列」とはいいません。


一方、このときの星の配置を「天の北極」側からみると、下図のようになります。

【図2】



「天王星」と「冥王星」を除けば、こちらはいくらかでも“直列”といえなくもありません。

ですが、これは昨日7月4日にかぎったことではありません。

比較的に動きの早い「水星」と「金星」が、逆行に入ったこともあり、1か月弱ほど続いているのです。

もし、“惑星勢ぞろい”でいえば、昨年2019年12月~今年7月15日頃まで、ときに「月」をふくめて、天空の180度以内に惑星が集まる状態が続いています。


このような配置のまま、これらの星たちは、地球の自転にともなって、毎日、地球を“一周”して見えますので、昼夜となく“惑星の勢ぞろい”は継続し続けています。

そのなかで、昨日7月4日は“理論上”、太陽がのぼる直前に全部の惑星が“夜空”に観察できるというお話と、たぶん、ゴッチャになったものです。

実際は、「太陽」と「水星」の距離が近すぎるので、目視で観測できるわけではありません。

逆にいえば、約12時間前や約12時間後は、東京からみて【図1】とは正反対にすべての惑星が「月」を除いて地球の裏側に隠れてしまうので、惑星が一つも観測できないことになります。


次に、“星の配置が地上に影響をもたらす”として占断やリーディングを行なう「西洋占星術」また「宝瓶宮占星学」のホロスコープ(天球図)からみると、昨日7月4日午前5時の星の配置は、下図のようになります。

【図3】



ホロスコープの上下真ん中は「地平線」を象わしますので、上半球に星が集まっていれば、地上から見えることを意味します。

逆に、下半球に集まっていれば、西の地平線に沈んでしまって見えないか、東の地平線からのぼる前で見えないことを意味します。

地球の自転によって、これを毎日繰り返している昨今です。

比較的動きの早い「水星」や「金星」は、平均して1年で太陽またホロスコープを1周しますので、このような配置は、最長でも半年以上続くことはありません。

「海王星」や「冥王星」の場合、平均すれば1年で2度/360度ほどしか進まないし、太陽からみて“直列”することはありません。

ということで、太陽から遠い星ほど位置が変わるには、かなりの年月を要します。


結局、「惑星直列」は太陽からみても、またホロスコープのように地球からみても、すべての惑星が直列に並ぶということは、その周期の違いから起こることはありません。

「太陽」を含めた惑星たちが、180度以内にまとまって位置する“惑星勢ぞろい”自体は、500年に一度しか起こらないというものでもなく、案外と起きています。

一例をあげますと、1952年5月21日~8月10日までの期間、180度以内に太陽と惑星たちが位置し運行していました。

さらには、翌1953年5月25日からもそうで、とくに同年7月24日~10月3日の2か月間ほどは、今回の一時期と同様にほぼ120度内外に、すべての星たちが集中したことがあるほどです。


まとめますと今回の「惑星直列」騒動は、「天王星」と「海王星」を除いて、冥王星までの星がやや直列的に並ぶというここ1か月間程度の出来事がまずあったようです。

次に、この半年間ほど「月」を除いて(その半分は「月」もふくめて)、すべての惑星が“天の半球側”に集まっているために、理論上、一度に観測できるといったことが、7月4日に限定されたようです。

これらを、ゴッチャにとらえた一部の人が、誤まって「500年に1度の惑星直列」などと、“アクセス数”や“いいね”稼ぎをふくめて、記事やニュースにして広まったのが原因のようです。










えっ なんていう山の名?
2020.06.08
難読山名のお話です。

※画像がなくてスミマセン、カメラを失くしました。


福岡方面をのぞいて、ほぼ山に囲まれた盆地に実家があり、そこから見える頭一つぬけている4~5つほどの山のうち、なんと3つが「難読山名コンテスト」で入賞しているという日常のお話。

NIFTYが1996年に行なった「日本異様難読山名コンテスト」で、投票によって日本一に選ばれた山、また第3位の山、さらには第12位の山です。

gooが2016年に行なった全国の難読山名調査でも、1位と4位になっています。


まずはかるく肩ならしで、山というより丘陵。

実家の川向かいにあります。

「会所山」。

川をはさんで目の前にあるので、子供の頃から朝に夕に日々目にしてきました。

山頂には、858年に創建され、古代にこの地を治めていた“日佐津媛”(ひさつひめ)を祀る祠(ほこら)「久津媛神社」があります。

もともとは景行天皇とともに祀られていたのですが、明治末期にふもとの「会所神社」に移されました。

たぶん、古墳代わりに埋葬されたもので、景行天皇が熊襲征伐の帰りに寄られたことが『豊後国風土記』に記されています。

丘陵の名前は「会所山」(よそやま)です。



さて、本題の実家から見える難読山名を含めた4つの山をご紹介します。


1、
NIFTYでもgooでも全国1位に選ばれたのは「一尺八寸山」。

標高は、706.7m。山容は平凡です。

名前の由来は、猪を3匹仕留めたところ、その尾の長さが一尺八寸(54.5cm)もあったことから名付けられたといいます。

山名は「一尺八寸山」(みおやま、みおうやま)です。


2、
次は、NIFTYで3位、gooで4位の「月出山岳」。

見る場所で山容はまったく異なります。

実家のある盆地から見ると、頂上が3つ見え、こどもが描く富士山のようです。

実際は4~5つ前後の直列的な連山です。

別名「月嶺山」、標高は708、7m。

盆地の東にあって「月」が昇ると山容が美麗なことからの別名でしょう。

山名は「月出岳山」(かんとうだけ)。

読めるかw。


3、
また、巨大な伐り株のような山容の「万年山」が秀逸でよく見えます。

ふもとに“伐株山”があるのですが、それは標高685.5mと低く、この「万年山」は標高1140.3mです。

特徴的な山のかたちをしており、下万年と上万年にわかれ、珍しい2段メーサといわれる台形状の「卓上台地」(山)が2つ連なっています。

こちらも『豊後国風土記』に登場し、地名の由来にかかわっています。

山名は「万年山」(はねやま)。

NIFTYの難読山名コンテストでは、全国12位でした。


歴史があるから“難読”なのか、あれやこれやと理屈をつけたがる地元の”習性”があったからなのか、はたまた江戸時代に全国一の塾生数をほこった咸宜園をかかえる“天領”(江戸幕府直轄地)が置かれるほど、九州の山奥ながら要衝の地にあるからなのか。

へぇ、そうだったんだぁ、って感じです。


4、
最後は、簡単な山名。

よくカミナリが落ちるので周囲の木が枯れていて見晴らしの良い「五条殿」。

標高は833.6m。

名前の由来は、1512年に五条氏が「五条烏砦」を築いてからだそうです。

山名は、なまって「五条殿」(ごじゅうどん)。

中学、高校を父親の郷里のこの地で過ごしたムツゴロウさん(畑 正憲氏)も、この「五条殿」を見るのが帰省のさいの楽しみだったとか。

でもゴロウさんは福岡市生まれで、北海道に移住しましたけどね。









※いい写真が集まれば後日アップするかも。
もっともらしい“ウソ”予告?
2020.05.30
表題の「もっともらしい“ウソ”…」の次には「…をつく池上彰、朝日新聞」と続きます。

かといって、出はじめのころを除いて池上彰の番組は見ていません。

なぜなら、「NGT48山口真帆事件」のさいの“文春オンライン”などと同じように、50%の事実を述べながら、肝心の部分で50%前後の“ウソ”を語るので、信用できないからです。

これは、政治情報に関してはほぼ100%の“ウソ”を書く「朝日新聞」や「中国」などとは異なり、少々、やっかいです。

なぜなら、ほぼ100%が“ウソ”だとわかっていれば、その反対のことをやれば正しく日本や国民に有益になるので分かりやすいのです。

ところが、たとえば「70%の真実と30%のウソ」を我知らずとも信じて語る“宗教”をはじめとし、50%の事実を語りまた報道して「なるほど」と納得させながら、いちばん知られたくない部分に関しては“もっともらしいウソ”をさりげに語りまた報道する池上彰や文春オンラインなどの場合、よくよく考えないとどれが事実でどれがウソなのかを見抜くことが困難になり、騙されやすくなるのです。


一例を挙げます。

ご判断は皆様のご自由です。

好評だったNHKの「こどもニュース」から、池上氏が民放に出はじめ、それまでになかったわかりやすい解説や、臆せずに政治家に切り込むインタビューによって視聴率が上がり、人気もでました。

そのころのことです。

池上彰氏は番組の中で、「憲法は権力を縛るためにある」と語ったのです。

意外な解釈に、うなずいたかたもおられると思います。

ですが、本当でしょうか。

「憲法」は、コンステチューション(Constitution 国体)ともいわれるように、日本国家の根幹をなす最重要の規定です。

彼が、なにをもって“権力”としたのかはともかく、あまりに大雑把で乱暴な言い方に、失礼ながら「コイツはダメだ」と思いました。

一見、知識はもっていますので「なるほど」と思わされることも多いのですが、実は底が浅く、まさに他人の言動や情報でメシを食う軽薄なジャーナリストで“根っこ”がないと勝手ながら感じたのです。

それ以来、いっさい池上氏の番組を見なくなりました。

※当時はまだ事務所にテレビがありました。今はNHKに視聴料を払うのがおかしいのでテレビは置いていません。

簡単なことですが、憲法は“国家権力”にかぎらず、日本全体のあり方を規定し、国民一人ひとりに平等に適用されます。

その憲法で規定されているのは、「主権在民」であって日本の主権者は国民なのです。

この事実を知っていながら、「憲法は権力を縛るためにある」というのは、国民の自由を監視するためにあるといっているのと同じになりますが、そうではなく、憲法には国民の義務とともに「自由と人権」が保証されているのはジャーナリストならずとも誰でも知っています。


池上氏は、いったい何を言いたかったのか。

反日主義者のように“反権力”が意識の根幹になければ、あのような言葉を地上波のテレビで堂々と語ることはないはずです。

つまり、「憲法は権力を縛るためにある」という乱暴ないい方は、「政権」に対しても一方的な言い草ながら、まして主権者たる「国民」に対しても、“共産主義一党独裁的”な発想や思想が根底にあるとしかいいようがありません。


その後、数年が経ってからですが、池上氏に対して学者文化人などから、不評の声があがりました。

それは、池上氏の番組スタッフが、見識をもった学者や文化人に意見を聞いたあと、なんと(学者や文化人の)「名前を出さずに池上彰の考えとして番組で発表してよいか」と確認をとってきたという、複数の人々声でした。

やっぱり、そうだったのか。

もし、池上彰が一流のジャーナリストであれば、他人が取材し研究し得た情報を、自分が取材した情報かのように番組で公表することなどプライドにかけてしないし、実際、あってはなりません。

もっとも、これは数年前のお話で、現在の池上氏がそうだとは確認できていません。


お話は変わります。

今日(5月30日)に池上氏の特番が放送される予定です。

そこでは、「ウイルスに“打ち勝つ”、それは非常に難しいんです」とか、「人間というのはずっとウイルスと闘ってきて、“共存”してきました」とか、どさくさまぎれに、「これからどんどん環境破壊が進み、温暖化が進んだりすると、また未知のウイルスが出てくるかもしれません」などと語ります。

ちょっと待ってよ、池上さん。

歴史的に人類はウイルスに打ち勝ってきたし、新しいウイルスが発生すれば、それもいずれ克服していきます。

なので、ウイルスと“共存”してきたなど、十把一絡げにくくられても、そのつどウイルスは異なり、共存などしていません。

まして、環境破壊や温暖化から、今般の“武漢ウイルス”が発生したわけではないので、それって「池上さん、中国のカゲの代弁者をしてる」って思っちゃいます。

決定的なのは、温暖化による熱帯病などの「病原体」(菌)と「ウイルス」は別物だということくらい知っていると思うので、あ~ぁ、今夜も池上さん“もっともらしいウソ”を語っちゃったな、となりそうですね。

っていうか、まだ番組の放送前だから、わかんないけど…。








宵の明星「金星」と「三日月」
2020.04.25
宵の明星といわれる「金星」と「月」の情報です。

最近、やけに明るく輝く星を西の空にみるので、最初、飛行機かと思いました。

でも、動かないので、プラネタリウム・ソフトて確認したところ「金星」でした。

それほど、いつも以上に明るいので、「金星」だと確信できなかったのです。

それもそのはずで「金星」は、今月4月28日に最大光度に達します。

なので、すでにマイナス4.5等星の明るさで観察できたわけです。

マイナス4.5等星というのは、1等星の100倍ほどの明るさです。

当日、月の左側に「オリオン座」をみることができますが、その右下部分)が全天で21個しかない「1等星」の一つ、オリオン座ベータ星の「リゲル」です。


「月」は、一昨日23日(木曜日)に、牡牛宮6度前後(星座では”おひつじ座”)にあり、「太陽&月&天王星」の三重合(トリプル・コンジャンクション=0/0度)を形成していました。

「新月」です。

そして明日26日、双子宮16度(星座では“おうし座”)の「金星」と双子宮13度の「三日月」が、最接近してみえるわけです。

もちろん、西の空に雲がなければのお話です。


最接近といっても、「ホロスコープ」で3度の差がありますし、黄道上の上と下をトランシット中なので、相応の開きがあります

実際の最接近は、真夜中の午前0時前後です。

そのため、北半球の日本からみれば、地球の裏側なので、みることはできません。


※ご参考

4月26日 午後7時 東京から西の空をみたときの「月」と「金星」と「オリオン座」の位置関係









サイクリング・ハイ
2020.02.04
「ランナーズハイ」ならぬ、“サイクリング・ハイ”のお話です。

ご存じのように、「ランナーズハイ」というのは、マラソンなど長時間走っていると麻薬作用のあるβ-エンドルフィンが出て“爽快感”や“恍惚感”などを体験することです。

人体に故障でもないかぎり、“走ることが楽しい”と感じ、苦しいはずの長距離なのにまた走りたくなるというものです。

そういった体験を「ロードバイク」(自転車)で長距離を走るたびに体験するので、「サイクリングハイ」というものがあるようです。

1日の大半をパソコンの前に座っていると、どうしても「運動不足」に陥ります。

なので、気候のよい春や秋、また昨今のような暖冬の時期は、片道65km、往復で130kmほどを泊りがけで走ることがあります。

道の駅などで休憩しながら、片道4時間~5時間ほど、寄り道が過ぎるときには6時間近くかけて走ることもあります。

最初の1時間めは、「目的地」を目指す想いでいっぱいです。
2時間めが過ぎると、「約半分まで来た」って感じです。

ところが、3時間めを過ぎたあたりから、「次はどこか九州の海岸沿いでも泊まりがけで走りたいな~」と、毎回、“ぶらりサイクリングの旅”を思い描いている自分にはじめて気づきました

どうやら、“チャリ”でも走ることが「快感」に変わってきているのです。

もっとも、雑踏の市内に戻って事務所に着くころには、仕事モードになることも多いのですが、「走るのが楽しい」という想いがどこか心の片隅にでも残ったままなのです。

多分、人間の脳は3時間も単純にペダルをこぎ続けていると、そこそこ順調であることが条件ですが、同じことを続けている状態が「ラク」だと感じてきて、“ランニングハイ”ならぬ「サイクリング・ハイ」が起きているようです。

また、山に登りたくなる「クライマーズ・ハイ」や、仕事が楽しくなる「ワーカーズ・ハイ」などもあるようですが、頭を使いすぎると疲れる星まわりを生まれもつせいか、後者はあまり体験したことはありません。


ちなみに、日常生活は、“フル・サスペンション”(ダブル・サスペンションとも)の「シティ・マウンテン」(1.95インチ)が段差の多い街中ではクッション性もよく快適に走れます。

ママチャリなど通常の1-3/8インチのタイヤでサスペンションがないと、段差で前カゴから荷物が飛び出ることがあります。

今はバリアフリー化が進んだので知りませんが、20年ほど前に23区内を走ったときには、段差が多く、ほんとに走りづらかった記憶があります。

長距離のサイクリングは細めの1.25インチの「ロードバイク」(18段変速)が快適です。

とくに空気をいっぱい入れて、駆動部には「KURE 5-56」などの潤滑油をさして出発すると、軽快さが増しスピードがでます。





新元号「令和」によせて
2019.04.03
すでにご存じのように、新元号「令和」が発表されました。

『万葉集』の「梅花の歌」三十二首の序文にある「初春令月 気淑風和」(初春の令月にして 気よく 風やわらぎ)から採用されたことも、ご存じのとおりです。

たぶん、すでに多くのかたが解説されていると思いますが、一応、書いておきます。

「令和」の“令”は、初春の令月のことなので、旧暦の2月、厳しかった冬が終わりに近づき、ようやく暖かくなりはじめて、何事をはじめるにも良い月のことを意味します。

2月といえば、新元号の御世となる次の天皇の誕生月、2月23日が思い浮かびます。
ホロスコープでいえば「魚宮3度」の太陽です。

ただし、新暦での2月23日なので、旧暦になおすと1月27日、令月の直前です。

それはともかく、新元号「令和」について、なぜか賛否があるようです。

その理由は、「令」の意味を勘違いされておられるからです。
 
反対している多くのかたは、みたところ、「令和」の“令”をもって、“命令”や“司令官”など支配のイメージでとらえて、「“命令して和す”とは何事か」などと感じているのではないかと存じます。

ですが、採用元となった「令月」には、もちろんそんな意味はありません。

この令は、「ご令息」や「ご令嬢」また「ご令室」(奥さま)といったように、お相手の身内を敬って呼ぶときにつかう美称です。

なので、「命令」というのも、元来は、ご神託を人々がありがたくひざまづいて受けるさまをあらわしたものなので、もとは悪い意味ではありません。

つまり、「令」には、“良い”といった意味しかなく、それゆえ採用元となった「令月」も、暖かくなりはじめて物事をはじめるには“よい月”(旧暦2月)という意味を持ちます。

では、なぜ「令和」に良くないイメージをもつのか。
また、悪くいう人がいるのか。

その理由は、文字というものは、“概念”を表わしたものなので、その人が平和や調和ではなく、「支配、被支配」といった対立二元論でしか物事をとらえていなかったり、共産党一党独裁のように、上からの指示(“命令”)でしか動けない服従させられた思想や環境のなかにいると、「令」の字に“悪い”イメージをもって解釈してしまうからです。

そうではなく、「令」の字を正しく理解していたり、「令月」とまでは知らなかったとしても、「ご令息」や「ご令嬢」といったように、相手を敬い謙譲する気持ちをふだんからもって生活し、使用していれば、新元号「令和」は、相手の平和を称える、日本にふさわしく美しい元号であることがわかると存じます。







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