日本vs波蘭の“場外乱闘”
2018.07.03
ご存じの方も多いので、説明するほどではありませんが、現在、ロシアでサッカー・ワールドカップが開催されています。

そこで6月28日の「日本」対「ポーランド」戦でのお話です。
ちなみにポーランドは、漢字で「波蘭」、略して「波」と書きます。

日本は、「0対1」で負けていたにもかかわらず、最後の約10分間、ファール(イエローカード)をしないように終始、味方陣営内だけでのパスまわしに徹し、会場サポーターからブーイングを浴びながらも時間稼ぎをして、試合に“勝つ”ことを放棄し、結果、「決勝トーナメント」への出場を決めた“戦い方”についてです。

まあ、賛否両論の“情外乱闘”が起きていたことは、ご存じのとおりです。

最近、ドラマ「噂の女」や「限界団地」と立て続けに主演女優を張り、元「Jリーグ 特命PR部 女子マネージャー」の足立梨花は、この試合に対してツィッターで、「嬉しいんだけど 素直に喜べないというかなんというか」とつぶやくと、賛同と反対の意見があがったようです。

足立は、これに対して、「めんどくさい人多すぎ なんなの? 好きなこと呟かせてよ 嫌なら私のツイート見るなよ いろんな人のいろんな見方があっていいじゃんか めんどくさいな」とつぶやくと、これが炎上騒ぎに発展したとか。

サッカーにかぎらず、“まとも”な批判から、“首をかしげ”ざるをえないような“いいがかり”に思えるものまで含めると、こういった「炎上騒ぎ」は、最近、多く見受けられます。

まあ、今回の件に関していえば、サポーターや観客の“想い”は、勝てればベストですが、要は興奮する「面白いゲーム」を期待しているわけです。

一方、監督をはじめ選手たちは、フェアプレイで戦うことはさることながら、1戦でも多く勝って上位にランクするといった「勝つ」ことを目的としたプロスポーツを戦っているわけです。

なので今回は、いわば“負けるが勝ち”の作戦をとったといえます。

プロレスであれば、見て楽しんでもらう“興行”(エンターティメント)の側面が比較的に大きくありますが、サッカーは、試合が面白いことにこしたことはありませんが、“スポーツ”である以上、最終的に“勝つ”ことがメインなので、そこに“面白いゲーム”を期待する観客とのあいだに“想い”や“スタンス”の違いがあります。

結局、サポーターや観客は、監督や選手の立場にたって、“理解”を示すもよし、“サムライ・ジャパン”の名に恥じないように、正々堂々と負けてもいいから気概をみせてほしいと“期待”するもよし。

その“気持ち”は、人それぞれの“想い”なので異なるのは当然です。
今回の場合は、「法」や「倫理」に触れた試合やプレーではないために、どういう“想い”をもとうとまったくの自由です。

むしろ問題は、自分の“想い”を正しいと考えて相手に“違法”に強制したり、不用意に傷つける発言をすることです。
なので、要は、お互いに相手の“想い”を尊重すれば、問題はありません。

監督や選手は、当然、試合結果には「責任」を負って戦っています。

ですが、サポーターや観客は、試合結果に対する「責任」はありません。
責任がないので、自分の“想い”を自由に述べられますが、逆にいえば、“無責任”にならないよう注意が必要です。

それが、相手に自分の考えや“想い”を強請しすぎないことです。
そういった民度をもてば、ムダな「炎上騒ぎ」はなくなります。

もっとも、「炎上騒ぎ」を“体験”していくことで民度のあり方を学ぶ機会が生じるという点では、「宝瓶宮時代」の社会に向かって成長していくために必要な面がなくはないともいえます。

もちろん、これも一つの意見です。




“恐怖のパワハラ”の一瞬
2018.06.19
だれも気づけない一瞬の出来事でした。

わずか、0コンマ数秒をコマ送りにして、ようやく今回の総選挙で“世界女王”に輝いた松井珠理奈(SKE48)が、3位に終わった宮脇咲良(HKT48)に、すれ違いざまに一瞬だけ“厳しい表情”をしているのがみてとれます。


左:松井珠理奈(太陽「魚宮」、月「魚宮」)
右:宮脇咲良(太陽「魚宮」、月「射手宮」)

過日16日のAKB選抜総選挙で順位発表の当日、午前中の「オープニング・アクト」の1コマです。

咲良は笑顔のまま変わらずにパフォーマンスを続けているようですが、下馬評では、どちらが「1位」を獲るかと騒がれていた両エースだったので、珠理奈は相当に「敵対心」を剥き出しにしていたことがわかります。

YouTubeでは、「松井珠理奈が宮脇咲良へ恐怖のパワハラ!」などといった見出しで、スロー再生の動画があげられていました。1時間にもおよぶ「オープニン・アクト」のなかから、よくぞ、この瞬間を見つけたものだと思います。

ファンというのはすごいんですね。
ノーマル再生でみたら、まったくわかりません。

YouTube動画でいわく、“恐怖のパワハラ”が明らかになったのは、松井珠理奈自身が明かしたからです。

上位16名の選抜メンバーの「フォトセッション」会場に、3位の宮脇咲良がいないので記者が尋ねると、珠理奈が「正直に言います」と語りはじめ、咲良に「もっとちゃんと踊って!」と告げた(叱咤した)ら咲良はうなづいたが、「さんくらたんは出れなくなった」と語ったとのことてす。

もっとも運営側は、このことは記事やニュースにしないようマスコミ各社に通達したのですが、すでに何社かは発表したあとでした。

総選挙に先駆けた韓国での「PRODUCE48」では、松井珠理奈が4位で、3位と2位は韓国メンバー、宮脇咲良が1位になっていましたので、そのこともあって選抜発表を前に、珠理奈はナーバスになっていたのかもしれません。

3連覇女王の指原や上位常連の柏木由紀が出ない、たかがAKBグループ内での立候補者による総選挙ですが、ご本人たちにとってはされど総選挙のようです。





ドラマがなかった「総選挙」
2018.06.17
恒例の「AKB世界選抜総選挙2018」が昨日6月16日に開催されました。

選挙について書くほどではないのですが、最後にデータとして挙げておきます。

記念すべき第10回めで海外からのグループの参加もありながら、“ドラマ”や“サプライズ”に乏しく、これまで秋元Pが避けてきた「予定調和」の今年の総選挙でした。

また、メンバーも“ふつう”のコメントが多く小粒化しています。

理由は、たたき上げの初期メンバーがいなくなったことが大きいようです。

初期メンバーは、冠番組「AKBINGO!」の初代MC“バッドボーイズ”や、一昨年3月をもって終了した「有吉AKB共和国」のMC“有吉弘行”から、キビシイ“叱咤”や“ムチャぶり”をされて追い込まれながら、“キャラ”を確立しAKB全盛期を築いてきました。

ですが、“国民的アイドル”となった2010年以降のメンバーは、その地位に甘やかされてた面が大きいのです。

ファンが推しメンを甘やかすのは当然だとしても、問題は、業界スタッフや番組MCが“国民的アイドル”となったAKBをどこか忖度したり、今ひとつ厳しくできないといったことが起因しています。

新メンバーはAKBの場合、とくにシロウト当然で経験不足なので、ほかのメンバーとの違いをアピールできる独自の“返し”や“キャラ”を身につけないと、大人数のなかに埋没してしまいます。

「鉄は熱いうちに打て」というように初々しいときがチャンスで、昨今のメンバーは打たれることが少なく、スタッフも番組MCも、大人数なのはさることながらメンバー各員の個性や資質を見極めた対応ができないでいます。

メンバーは“ムチャぶり”などで追い込まれた、とっさの判断から対応の“仕方”や自分にあった“キャラ”を見いだしていくことで人気が出てきます。

生き残ってきた初期メンにはそれがありました。

たとえば、3連覇したサシハラは、「自虐ネタ」「ヘタレキャラ」「いじられ芸」「オタ芸」と引き出しが多く、けなされても明るく返すことで“キャラ”が立ち人気が出ました。

渡辺麻友は、自分を出せないタイプなので、逆にそれを活かして、「アイドル・サイボーグ」という“キャラ”で人気を保ちました。

柏木由紀は“腹黒”や“ブラックまりもっこり”と呼ばれ、2代目総監督の横山由依は「ギョウカイ慣れした女」で“キャラ”をみせ、同じく川栄李奈は卒業して唯一ブレイクしたメンバーですが、「おバカキャラ」や「ウソだろーがー」で人気を博しました。

ですが、昨今の番組MCは、メンバーを見抜けておらず力量不足の感があります。

実際、「AKBINGO!」の2代目MCに就任したウーマンラッシュアワーの“村本”は、イジってはいけないメンバーを必要以上にイジり続け、“卒業”という退会に追い込んでしまいました。

一部のファンは、MCに抜擢された当初から見抜いていたらしく、「村本」を抜擢したスタッフを“無能”呼ばわりしていたほどです。

結局、“シロウト”のメンバーを業界に応対できるように育てるのは“オトナ”の接し方が大きく、“独りよがり”に接したり、国民的アイドルだからと“遠慮”するのではなく、“ステージ”に立つ以上、“キャラ”をお互いの努力で引き出さなければなりません。

それができていないことが、渡辺麻友(太陽「牡羊」、月「乙女」)が卒業し、指原莉乃(太陽「蠍」、月「天秤」)、柏木由紀(太陽「蟹」、月「乙女」)、山本彩(太陽「蟹」、月「牡牛」)が不参加の今回の総選挙で、いつものよいコメントが少なく、「ドラマ」や「サプライズ」にも乏しく、“総選挙ショー”としての魅力に欠けた原因だったといえます。

ちなみに、今回の総選挙のTOP10メンバーの順位とサイン(宮)は次のとおりです。

1、松井珠理奈 太陽「魚  宮」 月「魚  宮」 …SKE48
2、須田亜香里 太陽「蠍  宮」 月「獅子宮」 …SKE48
3、宮脇  咲良 太陽「魚  宮」 月「射手宮」 …HKT48
4、荻野  由佳 太陽「水瓶宮」 月「水瓶宮」 …NGT48
5、岡田  奈々 太陽「蠍  宮」 月「水瓶宮」 …AKB48、STU48
6、横山  由依 太陽「射手宮」 月「牡牛宮」 …AKB48
7、武藤  十夢 太陽「射手宮」 月「獅子宮」 …AKB48
8、大場  美奈 太陽「牡羊宮」 月「牡羊宮」 …SKE48
9、矢吹  奈子 太陽「双子宮」 月「牡牛宮」 …HKT48
10、田中 美久 太陽「乙女宮」 月「蟹  宮」 …HKT48 
 
※ 太陽は「蠍」「射手」「魚」が2人ずつ、月は「牡牛」「獅子」「水瓶」が2人ずつでした。



国防相の“低レベル”発言
2018.06.03
いわく、
「過去にだまされたから、未来もだまされると疑えば、交渉したり、平和を創出することができない」
「北朝鮮を疑い続けたら、対話に支障が出る」
だそうです。

一見、もっともそうなご意見です。
これが一民間人から発されたものであれば、「理想主義者」として理解はできます。

ところが、この発言は、昨日6月2日シンガポールで行なわれた「アジア安全保障会議」の場で、日本の小野寺五典防衛相に対して発されたものです。

小野寺氏は、会議の場で「これまで北朝鮮は融和ムードを演出しては、核ミサイル開発を推進してきた」「対話に応じたことだけで、見返りを与えるべきではない」と事実を語ったことに対して、韓国の宋永武国防相が発した批判です。

ことの本質は、「対話」なのか、それとも「核ミサイルの放棄」なのか。

日米共通の認識は、「核ミサイルの廃棄」「拉致家族の解放」が目的であって、「対話」は平和的手段として、その選択肢の一つにすぎません。

「対話に支障が出る」から“事実を述べるな”というに等しい韓国国防相の発言は、どの職務で語っているのかということです。

国民や国家を守る国防相や軍は、すべてのケースを想定して「危機管理」を行なうべきです。

なのに、「北朝鮮の変化を信じるべき」「大胆な決断を下した北朝鮮を理解してほしい」など、現実が目に入っていない“理想家”や“観念的平和論者”の弁を、国防相が語るのは、危なかっしくて聞いていられません。

事実、金正恩との対話に応じたトランプ大統領は、「対話はするが、(核ミサイル廃棄の)結果がでるまで制裁は解除はしない」と述べています。

当然の判断です。

また、「さらなる強固な制裁をしないですむことを望む」といった旨を、北朝鮮の金英哲副委員長との会談において伝え、交渉が決裂したら、あとはないぞとクギを刺しています。

しかし、韓国国防相の「信じるべき」「理解してほしい」という弁は、国防相の立場では当然ないし、むしろ北朝鮮の代弁者でしかありません。

韓国軍のTOPがこんな調子なのです。

「アジア安全保障会議」に参加した、各国の軍のTOPはもちろん、とくに“マッドドッグ”と呼ばれたマティス米国防長官は、これでは「韓国は信用できない」と改めて認識したことでしょう。





このカタチは前方後円墳?
2018.05.21
まずは「画像」をご覧ください。

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ご存じ「グーグルマップ」の航空写真です。

ほぼ中央にある「前方後円墳」のカタチの大きさは、全長約700メートル、後円部の直径約300メートル。
場所は、サッポロビール日田工場から、筑後川上流の三隈川(みくま がわ)をはさんで北西に約1.2キロメートルほどの位置です。

もちろん、「前方後円墳」そのものではありません。

考えられるのは2点。
第1点は、「偶然」で、空き地の宅地造成をしていたら、こんな「前方後円墳」のようなカタチになったというケース。
第2点は、「前方後円墳」の計画跡地で、測地をしてカタチを決め実際に作ろうとしていたが、何らかの理由で作業が中断され、そこに後年、住宅地ができたというケース。

というのも、調べるのはこれからですが、この地は歴史的に由緒がある場所だからです。

歴史的由緒のいくつかを、以下ご紹介いたします。

このそばには、かつて「ダンワラ古墳」と命名された5世紀頃の“横穴墓”がありました。

そこから3世紀の卑弥呼の時代の金や銀で象嵌がほどこされ、ルビーやヒスイやトルコ石などの宝石が埋め込まれた「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」(きん ぎん さくがん しゅりょうもん てっきょう)が出土しています。



銅鏡ではなく「鉄鏡」というのがミソです。

卑弥呼の時代、「三国志」でも有名な魏の曹操は、直径約46センチの「金錯鉄鏡」(きんさくてっきょう)を持っていたという記録があります。

「鉄鏡」というのは、支那の皇帝など王族しかもてなかったものです。

一方、日本で唯一発見されたこの「鉄鏡」は、直径約21センチの大きさとはいえ、かなりの装飾がほどこされている豪華なもので、地元の歴史家たちは“卑弥呼の鏡”ではないかと考えているようです。

この地は、筑後川本流の上流にあるなど、かの地の「邪馬台国」と地理的条件が似ています。

これが、もし「卑弥呼の鏡」だとすれば、卑弥呼が死んで「邪馬台国」が滅び、台与の女王国になったとき、卑弥呼の一族がこの地に逃れてきた可能性が考えられます。

ダンワラ古墳のすぐそばには、「豊後風土記」にも記されているこの地域をおさめていた巫女、「比佐津媛」(ひさつひめ=久津媛)を祀る古墳代わりの会所山(よそやま)や、その頂上にある比佐津媛神社、また法恩寺山古墳群など、比較的ながら古墳の密集地でもあることです。

さらには、少し離れますが、日本最古の「豪族の居館跡」があるのもこの地です。

実際、なんと「旧石器時代」から「中世」まで、長期間にわたる複合遺跡の「小迫辻原遺跡」(おざこ つじばる いせき)があって、「豪族の居館跡」は、弥生時代末期(卑弥呼の時代)から古墳時代初めの「環濠集落」のなかで発見されています。

ちなみに、秀吉の時代もそうですが、江戸時代には、九州一円を治める西国筋郡代がおかれ、幕府の直轄地「天領」として栄えた歴史的な街です。

なぜ、福岡市からも大分市からも熊本市からも約60キロメートルほども離れた山中の盆地に「天領」(代官所)をおいたのかというと、古代からの由緒があるというだけではなく、周囲が山々で、大軍が攻めのぼれる場所が1か所しかなく、しかも隘路(あいろ)になっているために、「防衛」に最適だったことが第1点です。

第2点は、筑後川本流の上流地域にひらけた盆地なので、川をくだれば、そのまま吉野ヶ里遺跡などがある築後平野を経て、有明海にでることができる水運の良さがあります。

事実、杉の産地としても有名なこの地は、切り出した杉を筏(いかだ)にして運ぶ「筏流し」によって、昭和28年(1953年)の大洪水「西日本水害」が起こるまで運んでいました。

第3には、当時は尾根伝いに、この地からタコ足のように古道が四方八方にあって、そこから九州各地に行ける陸路としても要衝の地でもあったからです。

いまは、アユや鵜飼また温泉などで知られる「観光地」(水郷、小京都、酒)になっていますが、たしかに歴史的な場所なので、中世は幕府はもちろん豪商が拠点をかまえて栄え、古代は豪族が拠点をかまえていたというのはおかしくないわけです。







「江島神社」の紆余曲折
2018.05.15
「弁財天」(弁才天)こと、弁天さま。

ご存じ、「七福神」で唯一の女神として知られています。
弁天さまは、もとはヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」(Sarasvatī)で、その女神さまが仏教に取り込まれて、弁天さまとなりました。

湘南、江ノ島の「江島神社」は、神社なのに「日本三大弁天」として有名です。
ほかは琵琶湖の竹生島にある宝厳寺「竹生島神社」を筆頭に、瀬戸内海の「厳島神社」。

なんでも「江島神社」をひもとくと、創建は欽明天皇の13年(552年)に、神宣に基づいて江ノ島の南の洞窟に「宮」を建てたのがはじまりと伝えられています。

この「552年」という年は、仏教公伝(ぶっきょうこうでん)の年なのですが、その年が弁天さまをまつる神社の“創建”というのは、できすぎたお話で、どうもマユツバです。

むしろ、地元民が、漁業や海上交通の安全を願っていた祠(ほこら)が、いつしか海路の神「道中貴」(ちぬしのむち)の「宗像三女神」の代表格、田心姫(たごりひめ:古事記では「多紀理毘売命」たぎりひめのみこと)を祀るようになったといえそうです。

そののち仏教の隆盛とともに、日本の「八百万の神々」は、さまざまな「仏」が化身となって現われたものとする「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)によって、“田心姫”をはじめ宗像三女神は、水の神でもある「弁天さま」の権現だとされはじめました。

江ノ島の「弁財天女」信仰は、江戸時代まで続きますが、明治維新後の「廃仏毀釈」によって、もとの田心姫をはじめとした「宗像三女神」、今の「奥津宮」=多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)や、「中津宮」=市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、また「辺津宮」=田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を正式に祀るようになったわけです。

結局、弁天さまは、辺津宮の境内にある八角形のお堂「奉安殿」(ほうあんでん)に“秘仏”としてまつられています。

この「弁天さま」(弁財天)をまつる社(やしろ)は、必ずといっていいほど、池や湖や海の中の「島」にあります。

それらは、“板子一枚下は地獄”といわれる舟による漁業や海運の安全を願って、仏教信仰とともに水の女神「弁天さま」を、周囲を水で囲まれた「島」にまつるようになったと考えられます。

ちなみに、江ノ島は「地震」とも関係があって、「関東大震災」のときに1mほど隆起したといいます。

江ノ島の縁起をみても、欽明13年(522年)に大地震が起きて、10日後に揺れがおさまると海底の大爆発によって岩が吹き飛ばされてできたのが、「江ノ島」だとされています。

地震は、津波をともなうことがありますが、そういった災害や海難から安全を祈願して祀ったのが、江ノ島の南の洞窟の「宮」であり、海人族の神「田心姫」(たぎりひめのみこと)をはじめとした「宗像三女神」でした。
それが仏教信仰の時代に、「弁天さま」に習合したわけです。

下の画像は、 視覚障害者の自立のために多くの弟子を育てるなど尽力した、江戸時代の杉山検校(すぎやまけんぎょう)の命日にちなんだ5月13日「杉山検校祭」の日の「江島神社」辺津宮です。

この日は、多紀理比賣命を祀る「奥津宮」の内部が開放されるなど、特別な1日でした。






“グルメバブル”に踊る-2
2018.04.24
よく知られたところで、「グルメ」(美食家=gourmet)といえば、北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)があげられます。

美食のために器にも凝りだし、陶芸家や画家としても知られ、高い評価をえています。

もっとも、食べものには、さほどこだわらない立場からすれば、ただの“食いしんぼ”のオジサンにしかみえません。

その「魯山人」をモデルにした“海原雄山”が登場する漫画が、いまや“グルメバブル”(グルメブーム)の先駆けともいえる、“究極”対“至高”の料理対決を描いた、不定期連載の漫画「美味しんぼ」です。

「のりこえねっと」共同代表に名をつらねる原作者・雁屋哲こと戸塚哲也氏の“思想”があらわれた「福島第一原発事故」の回が問題になったことは記憶に新しいところです。

それはともかく、北大路魯山人で思い出すのは、個人的な体験ですが、あるとき編集部員たちと一緒に編集会議を兼ねて、“しゃぶしゃぶ”を食べに行ったときのことです。

フェミニストの優秀な女性部員の一人が、「日本人は肉の食べ方を知らない」と魯山人が言っているといった旨の発言をしました。

どうやら、“しゃぶしゃぶ”は、いちばん美味しい肉の脂を落とす、といったことのようです。

一理はありますが、肉によりけりです。

まあ、人それぞれに好きずきでいいですし、昨今の飼育された食肉の場合、適度にシャブシャブしたほうがよかったりします。
個人的には、ふだんは、“こってり系”よりも、“さっぱり系”が好みといった理由もあるからです。

知人に、しばらく海外に赴任していた人がいて、そのとき、血のしたたるような生肉にハマり、食べ続けた結果、ぶくぶくと太ったというお話を聞いたことがあります。

当然です。

人間でも体脂肪率は、個人差はありますが、20%前後はふつうです。

まして、野生の動物はともかく、「食肉」にするために、あえて太らされた家畜の体脂肪率は、かなり高いのが一般的なはずなので、それを、脂身の部分はさけるとしても、さほど火をとおさずに食べ続ければ、太るのは当然の結果です。

なので、そういった「食肉」を食べる場合、金網で焼いて少々脂をおとす焼肉や、相応に出汁を効かせたお湯にくくらせて、適度に余分な脂をおとす“しゃぶしゃぶ”のほうが、レアで食べるよりも個人的には好みだというだけです。

もちろん、A5ランクなどのランク付けは、さほど関係ありませんが、脂の美味しい上質な肉の表面をさっと焼いただけで食べるのも、“こってり系”を体が欲しているときなど、ほんとうに食べたいときには、美味しかったりします。

そういうこともあって、もはや日本人といえども、1883年(明治16年)生まれの「魯山人」が生きた、明治時代や大正時代(昭和34年没)など、肉が高級品であまり口にすることがなかった時代とは異なります。

日本は、1955年(昭和30年)から高度経済成長期に突入し、1980年代後半(昭和55年頃以降)のバブル景気を経たのちの昨今、「日本人は肉の食べ方を知らない」と語った魯山人の言葉は、もはやアナクロニズム(時代錯誤)でしかありません。

まして、1989年(平成元年)の「宝瓶宮時代のビッグバン」によって、占星学の時代区分でいえば「宝瓶宮時代」が人知れず正式にはじまったのです。

以降、ちまたにあふれる「肉」の食べ方など、“グルメバブリー”な「うんちく」によらず、個人の考えや好み、またご判断でご自由にされたらいいというお話でした。




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