天皇と「日本の天運」その4
2021.03.23
 
● 初代 「神武天皇」以前に“国づくり”を行なった「大国主神」


ここからは本題の「天皇と“日本の天運”」その変遷をお届けする初回です。


結論的に、日本で最初の“国づくり”を行なったのは、実在が不確かな初代「神武天皇」ではなく、それ以前の「大已貴命」(おおあなむちのみこと)こと“大国主大神”(おおくにぬしのおおかみ)です。

ウソや冗談ではなく、『日本書紀』にそう記されています。

結局、「大国主神」の“善政”にはじまる日本の「天運」となっています。


詳細は後述いたします。

約2,160年間(計算値)続いた「双魚宮時代」(そうぎょきゅうじだい)も、また今後の「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅうじだい)も日本は「天運」を有します。

それゆえ、世界史の中で数千年も滅びることのない“奇跡の国家”になっています。

それは、今後の「宝瓶宮時代」も同様です。


その理由は、「双魚宮時代」のはじまりと相前後して、「魚宮」(木星)で象わされる“民族性”をもち、「宝瓶宮時代」に共鳴する「水瓶宮」を“国体”として当時の国づくりが行なわれたからです。

それを可能にしたのが、日本列島の豊かな“大自然”と、太古また古代に日本列島にたどり着き住みついた複数の“海人族”(あまぞく)との融合で、特徴的には君臨しても支配しない“天皇”(大王、大神)やそのもとで平和的な“合議制”(共和制)の国体にあります。

もちろん、例外となる時期や国邑(こくゆう)はありました。


「双魚宮時代」は、今から32年前の1989年に終わりました。

人知れず“宝瓶宮時代のビッグバン”(宇宙波動の変化)が起き、新たに“共鳴関係論”を歴史パラダイムとする「宝瓶宮時代」が正式にはじまったからです。

宝瓶宮時代もまた約2,160年間(計算値)続きます。

これらの時代区分は、“春分点歳差”にともなう「プラトン年」(グレート・イヤー=約25,920年の周期)にもとづく「プラトン月」(グレート・マンス=約2,160年)のことです。

詳細は、「宝瓶宮占星学サイト」や「数理法則とクオリアル・ワールド伝授講座」で述べていますが、人類歴史は「プラトン月」こと占星学的な時代区分にもとづいて、その象意による“歴史パラダイム”に規定されて推移し、漸次、発展してきた事実があります。

これまでの「双魚宮時代」は、“対立二元論”を歴史パラダイムとしていましたので、“神とサタン”、“天国と地獄”、“霊と肉”、“善と悪”、“吉と凶”といった「宗教」また「思想哲学」の時代でした。

ただし、昨今は、そのような「双魚宮時代」から「宝瓶宮時代」の社会体制への重要な移行期(変遷期)にあります。


約2,000年ほど前、“対立二元論”の「双魚宮時代」初期にあって、日本も1~2世紀に大陸からの影響と鉄製武器の普及などによって、“争い”が生じました。

それを治めたのが、「ヒメヒコ制」(共立的統治形態)にもとづいて、“祭祀長”(大王、天皇)を推戴し、より対等の立場で首長や豪族らによる“合議制”の平和的な連合体(共和国)の運営でした。

そのような“長”のあり方や“臣民平等”の国家運営は、日本の“国体”「水瓶宮」となっていきます。

なぜなら、最初に“国づくり”を行なった“大已貴命”こと「大国主神」は、人々を“大御宝”(おおみたから)として、“支配”ではなく対等に教え諭して「和」(饒:にぎわう、ゆたかさ)をもたらしてきたからです。

そういうこともありまして、『日本書紀』の“憲法十七條”には、冒頭に「一曰(いちにいわく:第1条)以和爲貴」(和をもって貴しとなす)と記されています。


さて、“万世一系”の皇統を記す『日本書紀』ですが、それは7世紀の「白村江の戦い」の敗戦など国内外情勢によって、早急に「天皇」のもとに確固とした“統一独立国家”「大和」を構築する必要が生じていたためです。

また、古代最大の内戦「壬申の乱」によって、“千年のちまでも二度と皇位争いを起こさない”と誓った第40代「天武天皇」によって、皇位(王位)の“正統”を明確にする必要があったからです。

それゆえ、“プロパガンダ”となる部分が『日本書紀』には相応にありますが、日本書紀編纂の総裁をつとめた歌人の舎人親王(とねりしんのう:天武天皇の皇子)の人柄ゆえか、一方では案外と正直に史実のままに残そうと努めています。

初代「神武天皇」以前に、すでに“国づくり”が行なわれていたことが、ちゃんと記されているのもその一つです。

そのへんを、まず「神武天皇紀」から抜粋してみましょう。


●『日本書紀』「神武天皇紀」から抜粋

「塩土(しおつつ)の翁(おじ)に聞くと『東の方に良い土地(※注:葦原中国)があり、(中略)その中に天の磐舟(あまのいわふね)に乗ってとび降ってきた者がある』と。(中略)そのとび降ってきた者は、饒速日(にぎはやひ)というものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる。」

「長髄彦(ながすねひこ)は、使いを送って言上し、『むかし、天神の御子が天磐船(あまのいわふね)に乗って天降(あまくだ)られました。櫛玉(くしたま)饒速日命といいます』」

「(饒速日命は)その部下を率いて帰順された。神武天皇は饒速日命が天から降った(※注:国を治めていたという意味が含まれる)ということはわかり、いま忠誠のこころを尽くしたので、これをほめて寵愛された。これが物部氏の先祖である。」


つまり、物部氏の祖「櫛玉饒速日命」が、“葦原中国”(あしはらのなかつくに)に天降りし、すでに古代“国づくり”を行なっていたと記されているのです。

そこに、おなじ天孫族の“神武”が東征してきたので、“国譲り”をして忠誠を誓ったという“ストーリー”を『日本書紀』は描いています。


次に、順番が前後しますが、神武以前の「神代」(上)をみてみましょう。


●『日本書紀』「神代」(上)一書から抜粋

「大国主神は、大物主神(おおものぬしのかみ)とも、また国作(くにつくり)大已貴命(おおあなむちのみこと)ともいう。(中略)また、大国玉神(おおくにたまのかみ)ともいう。また顕国玉神(うつしくにたまのかみ)ともいう。」

「さて、大已貴命と少彦名命(すくなびこなのみこと)は、力を合わせ、心を一つにして天下を造られた。また、現世の人々と家畜のためには、病気治療の方法を定めた。

また、鳥獣や昆虫の災いを除くためには、まじないの法を定めた。このため、百姓(おおみたから=大御宝)は今に至るまでその恵みを受けている。」

「これから後、国の中でまだ出来上がらないところを、大已貴命が一人でよく巡り造られた。ついに出雲国に至って揚言(ことあげ)していわれるのに、『そもそも葦原中国(あしはらのなかつくに)は、もとから荒れて広いところだった。けれども、私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない』と。

そして、『今この国を治めるものは、ただ私一人である。私とともに天下を治めることができる者がほかにあるだろうか』と。」


ここにおいても、天孫「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)が高天原から天降る前に、大已貴命こと「大国主神」による“国づくり”が「葦原中国」(狭義では“畿内国”、広義では“日本”)で成されていたことが記されています。

つまり、日本国でみた場合、実質の初代は「大国主神」(大已貴命)なのです。


しかし、それでは「天皇」が治める正当性が成立しません。

それゆえ、当時の出来事や、のちの世に東征しモデルとなった実在の人物よって、初代“神武天皇”をたてて、“始めて天下を治められた天皇”「始馭天下之天皇」(はつくにしらすすめらみこと)という“ストーリー”を作成したのが『日本書紀』です。

なので、実在の“初代天皇”は、『日本書紀』にもう一人「御肇国天皇」(はつくにしらすすめらみこと)として記されている第10代“崇神天皇”(和風諡号:御間城入彦五十瓊殖天皇:みまきいりびこいにえのすめらみこと)の御世にあたります。

最初に“国づくり”を行ない、天下を治めた「大国主神」(大物主神、大已貴命)がそうです。

それを『日本書紀』は“万世一系”の皇統に“崇神天皇”あるいはその“御世”のこととして組み込んで記しています。

当時は、固有名詞(名前)が不確かなので、「大国主神」という呼び名は、“最初(太古)に国づくりを行なって主(あるじ)となったかみ(人物)”という業績から名づけられたものです。

必ずしも一人とはかぎりません。

ですが、最初に“国づくり”を行なった人物を「大国主命」また「大国主神」と申し上げます。


『日本書紀』によると、物部氏の祖「饒速日命」もその一人です。

「饒速日命」という呼称も、大国主神と類似で、“先に人々に「和」(饒:にぎわう、ゆたかさ)をもたらした尊い人物”という意味です。

後日(平安時代)、“天皇家”の由緒を記した『日本書紀』との整合性をとって、加筆修正された物部氏の由緒『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)によると、饒速日命は物部氏の祖「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」と記されています。

実は、男性神「天照大御神」(大神さま)となった人物です。

ですが、『日本書紀』は、“万世一系”を定着させた第41代「持統天皇」(和風諡号:高天原広野姫天皇:たかまのはらひろのひめのすめらみこと)をわけあって「天照大神」になぞらえさせたために、途中で女性神「天照大神」に“キャラ変”させています。

それが今日に伝わるイメージになりました。


厳密にいえば、「天照大神」は、“饒速日尊”(物部氏や大国主神)であり、“大日孁貴”(おおひるめのむち:九州倭国の卑弥呼)でもあり、“持統天皇”(畿内国大和の天皇)とも読めるようになっています。

要は、“統一大和”の象徴として『日本書紀』に描かれたわけです。

そのため、「天照大神」を崇拝すれば、どの豪族や臣民であっても、自分たちの先祖や先祖大神を崇めるように計算されていて、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)との誓約(うけい)によっても、どの子孫が崇めてもおかしくないように修辞されています。


さらに付記しておきます。

縄文晩期後半また弥生早期において、「遠賀川式土器」(おんががわしきどき)が模倣もふくめて東北青森まで全国に広がっています。

その意味は、北部九州また福岡県の遠賀川流域に発した稲作が、“おんがさま”(大神さま)こと「大国主神」(大已貴命また饒速日命)によって、日本海の出雲を経て、全国規模に広まっていったことを現わしています。

上掲の『日本書紀』「神代」(上)の抜粋を今一度、ご吟味いただければ、そのことが示唆されていると存じます。


事実、福岡県郡筑前町(旧三輪町)には、山をご神体とした“おんがさま”と呼ばれる「大已貴神社」があります。

のちに、畿内国(大和)の三輪山をご神体とする「大神神社」(おおみわじんじゃ=おんがさま)の“前身”ともなる神社だと考えられます。

大和の大神神社は、「大物主大神」をご祭神とし、大已貴神と少彦名神を配祀しています。

ちなみに、「大物主神」という呼称は、“最初の物部氏の主(ぬし)となったかみ(人物)”とも読めることから、その場合、饒速日命こと物部氏の祖「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(男性神「天照大神」)の別称ともいえます。

三輪山をご神体とされる“大神神社”ですが、本来は三輪山登拝口がある「狭井神社」(さいじんじゃ)こそがもとの神社です。

なぜなら、狭井神社でご参拝すると、ちゃんと三輪山山頂を拝するようになっています。

これに対し、大神神社でのご参拝は、その方向にはだれがたくらんだのか、三輪山山頂ではなく「伊勢神宮」を遥拝するかたちになっているためです。


この意味を解説いたしますと、大神神社に祀られる「大物主大神」は、上述のように伊勢神宮の元祖「天照大御神」こと物部氏の祖で、最初に“国づくり”を行ない全国に遠賀川式土器とともに稲作をもたらし指導した「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(≒大国主大神)という可能性が否定できなくなります。


いずれにしても、重要なのは、日本の「天運」の原点は、人物でいえば「天皇」もそうですが、古代“国づくり”を行なった実質の初代「大国主神」(大物主神、大已貴神)また男性神「天照大御神」(櫛玉饒速日命)にかかわって、もたらされているという事実があります。

このことがみえてくると、以後、今日に至る日本の「天運」の変遷が解けてきます。












天皇と「日本の天運」その3
2021.03.18
 
● 「魚宮」の象意による日本の“大自然”と“海人族”


先回「お知らせ」いたしました内容をご紹介する前に、今回は「双魚宮時代」(そうぎょきゅうじだい)の日本に「天運」をもたらした“外因”をご紹介いたします。

日本が“民族性”を「魚宮」とする由縁でもあります。

端的には、日本の“大自然”と古代“海人族”(あまぞく)に由来します。


日本は世界でも特異な“大自然”を特徴とします。

茫漠とした“大海”や地形また気候の“多様性”などですが、いずれも「魚宮」の象意です。

逆にいえば、和辻哲郎の『風土-人間学的考察 』(1935)を持ち出すまでもなく、そのような要因や気候によって日本の“民族性”は形成されました。

「縄文時代」や「双魚宮時代」の影響圏また初期のことです。

ただし、このことは科学技術が発展し、即物的な思考がはびこった近現代では、いくぶん気づきにくかったり、ご理解しにくくなっているかもしれません。


占星学からみて、「魚宮」によって“民族性”を象わすことができる日本は、紀元前6世紀ころに「双魚宮時代」の影響圏がはじまった“縄文末期”あたりから「天運」をともなうようになっていきます。

一例を挙げますと、そのことは『日本書紀』にも示唆されています。

真偽はともかく、『日本書紀』に記される日本国は、初代「神武天皇」のご即位にはじまり、「双魚宮時代」の影響圏に入る直前の紀元前660年(紀元節)といわれます。

ちなみに、そののち「双魚宮時代」が正式にはじまるのは、紀元前2世紀(BC171年頃)からです。


占星学による宇宙的な時代区分の「双魚宮時代」や「宝瓶宮時代」などは、「プラトン年」(グレート・イヤー)にもとづきます。

「プラトン年」は、古代ギリシャの数学者であり天文学者でもある「ピッパルコス」(BC190年頃-BC120年頃)によって発見された“春分点歳差”にもとづいて、「地球」の自転軸の傾きが1周する約25,920年(計算値)の周期をもちます。

詳しいお話は「宝瓶宮占星学サイト」をご高覧いただくとして、約2,160年間続く双魚宮時代は、「魚宮」(木星)の象意にもとづく“宗教”(高等宗教)の時代でした。

その影響圏において、「ブッダ」(お釈迦様)が現われ、正式にはじまってのちは「イエス」(キリスト)が現われています。

それによって、東洋では「仏教」、西洋では「キリスト教」が、双魚宮時代の「天運」にのって世界的に広まっていきました。


ちなみに、「ユダヤ教」は少々おもむきが異なります。

ユダヤ教は、双魚宮時代の前、「白羊宮時代」(はくようきゅうじだい)にあたる紀元前2,000年ころのアブラハムをイスラム教とともに“信仰の祖”とします。

その後、奴隷となっていたイスラエルの民をエジプト脱出によって導いたモーセが、シナイ山で神から授かった「十戒」をベースにした「戒律」を重視するのがユダヤ教です。

「戒律」は、魚宮の象意に基づいた“信仰”(宗教)というよりも、「牡羊宮」の象意に基づいた“行動規範”(ルール)だからです。

事実、「世界3大宗教」といえば、仏教、キリスト教、そして7世紀に成立したイスラム教で、ユダヤ教は含まれていません。


それはともかく、魚宮(木星)の象意にもとづく「双魚宮時代」は、1846年に海王星が発見されると、共鳴星が「海王星」に変わっていきます。

以降、海王星の象意にもとづいて、“神秘主義”(スピリチュアリズム)が盛んになり、「木星」の“世界宗教”から、「海王星」の“新興宗教”や怪しげな“カルト宗教”が隆盛をきわめていきます。

海王星が発見された1846年は、幕末の孝明天皇がご即位された年で、黒船来航の7年ほど前にあたります。

この江戸時代末期から明治にかけては、日本でも新興宗教がよく使われる表現をすれば“雨後のたけのこ”のように誕生していきました。


お話はもどりますが、日本でも相応に宗教の影響はさけられなかったものの、むしろ縄文時代や双魚宮時代の初期においては、「魚宮」のもう一方の象意、“大自然”や“海人族”の影響が日本では顕著でした。

代表的には“大自然”を崇敬する原始神道(太古神道)です。

お天道様や宇宙万物を“八百万の神々”として崇め、大自然そのものを“信仰”の対象として大切にしました。

それは、日本列島が大自然に恵まれ、畏敬の対象でもあったからです。


一方、大自然とも関係しますが、3~4万年ほど前に「スンダランド」をはじめ各地から海流に乗って古代日本列島に船でやってきて、住み着いた“原初日本人”がいました。

彼ら初代“海人族”や双魚宮時代の初期に日本にやってきた幾多の“海人族”らは、日本原住の“大山族”とともに『日本書紀』には「山幸彦と海幸彦」として象徴されています。

近年は単一民族と考えられてきた日本人ですが、太古また「双魚宮時代」の初期あたりまでは、周辺の島や陸から船で渡ってきた海人族らを交えた“他民族国家”でした。

それは、世界でも珍しいほど多くのDNAが入り混じっていることからも科学的に明らかです。

このような“多様性”や“他民族”を受け入れ、日本化していく(清濁併せ呑む)“感化力”は、12サイン(宮)の最後を飾る「魚宮」の象意に通じます。


もう少し書いておきましょう。

周囲を海に囲まれ、南北に細長い島国であることから、南からの暖流と北からの寒流が混じる豊かな漁場を抱えるのが日本列島です。

のみならず、4つのプレート上に位置することから、3,000メートル級の山々が背骨のようにそびえ、必然的に豊かな大自然と豊富でキレイな水に恵まれました。

四方の海からの水蒸気をふくんだ風が高山によって上昇し、大量の雨や雪を降らせるためです。

それは四季の移り変わりや、狭いわりには海抜の変化が激しい地形ゆえに、多種多様な植生や生き物の派生を可能にしました。

そのような“大自然”が残っていた当時は、山海の“食料資源”に恵まれていたのです。


結果的に、「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、縄文時代や上古は、土地や食料を求めて争う必要がありませんでした。

また、余暇も生まれたことから、お互いの役割分担や助け合いをはじめ、創意工夫による「縄文文明」の形成が可能になったのです。

結局のところ、“大自然”の恵みをはじめ、「木星」の象意による寛容な“海人族”のメンタリティーは、トータルで「魚宮」の“民族性”をはじめ、“日本的霊性”を生み出していきます。

かぎられた陸地とは異なり、大海原では大陸のように土地や食料を求めて争う必要がありません。

海に出れば、「舟」を我が家として“自由気まま”な暮らしが可能で、船影に魚が寄ってきますし、随時の雨を溜めておけば飲料水にも困りません。

そんなこんなで、現代人が思う以上に豊かで平和的な暮らしが可能な古代日本列島でした。


「双魚宮時代」以前、またその初期に、上述のような「魚宮」の象意にもとづいた“大自然”や、原住の大山族と“海人族”の融和によって形成されたのが日本の“民族性”です。

それは、その後の「双魚宮時代」において、日本の「天運」のメインストリームとなっていきます。


一方、日本の“国体”は、「水瓶宮」によって象わされますが、そこに起因する「天皇」もまた、大自然の豊穣と、国民の安寧を祈る祭祀長が原点です。

それは邪馬台国の「ひみこ」(霊巫女:霊媒師)を共立して、倭国大乱を終わらせ「平和」をもたらした故事にも由来します。

もっとも、マルキシズム(共産主義)の歴史学者は、「天皇」を武力で民を支配する“権力者”に仕立てようとしますが、それは一時的な例外の“大王”にすぎません。

むしろ、“海人族”にもかかわって平和主義者というのが「本流」です。

そのような「天皇」にかかわる「水瓶宮」の“国体”は、のちの「宝瓶宮時代」にそなえて、双魚宮時代の「天運」を維持し補強するものになってきた事実があります。














天皇と「日本の天運」その2
2021.03.15
 
● 「天運」の変遷を解くカギ 「中大兄」の出自


歴史学者が“根本的”にあえて間違えている「中大兄」(なかのおおえ:天智天皇)に関してです。

問題は、その出自です。

7世紀後半に即位された「天武、持統、文武」の親孫三代(第40~42代)の天皇によって、確固とした“万世一系”の基盤が築かれました。

万世一系の皇統は、天武系が第48代「称徳天皇」(しょうとくてんのう)で終わったあとも、天智系へと変わり、今日まで受け継がれています。

なぜかというと、宇宙この世界の根本法則「基本三数」(数理法則)にそって成立したからです。

簡潔にいえば、「基本三数」は一体不可分の「1数=意志」「2数=実体」「3数=関係」の3(4)数によって成り立ちます。

天武天皇の“意志”(1数)が、持統天皇の“実体”(2数)によって、孫の文武天皇への譲位へと藤原不比等のサポートもありつつ内外の“関係”(3(4)数)によって、皇位継承(万世一系)の「基本三数」が『日本書紀』とともに成立したのです。

「基本三数」が整うと、6(7)数、そして“宇宙森羅の最小象徴数”12(13)数へと「基本三数の二段構造」また「基本三数の基本三数展開」によって順次、発展展開していくようになっています。


それはともかく、天武系の皇統が「称徳天皇」で終わったあとも持統天皇の父親の第38代「天智天皇」の孫で、すでに年老いていた“酔いどれ”の第49代「光仁天皇」から天智系の皇統がはじまります。

このへんの経緯は、不比等まではともかく、その子の藤原四兄弟(いずれも病没)以降の“謀略”とも思える思惑が働いており、自らは天皇につかずとも外戚として天皇を意のままに操ろうと動いてきた歴史があります。

いずれにしても、天智系の皇統は続きましたので、天智天皇こと「中大兄」に対しては、御用学者はもちろん、その出自の秘密を暴くことはできませんでした。

なぜなら、戦前戦中は、皇室に対する「大逆罪」や「不敬罪」に問われたからです。

それは戦前戦中にとどまらず、戦後も昭和天皇が尊敬する人物として「天智天皇」を挙げられたために、決して“悪く”は書けないという配慮や忖度が続いたといます。


そのため、「天智天皇」(中大兄)と「天武天皇」(大海人皇子)に対する評価は、歴史上の事実とは異なって“逆転解釈”が起きてきました。

天智と天武の実状は省略させていただきますが、中大兄と大海人皇子を“実の兄弟”とするのはかわいいほうで、両者の母「宝皇女」(たからのひめみこ:斉明天皇)が高向王(たかむくおう)と離別する前に生んだ「漢皇子」(あやのみこ)が、大海人皇子ではないかとするトンデモ解釈さえ散見できます。

つまり、“弟”の大海人皇子(天武天皇)のほうが、宝皇女の連れ子だという解釈です。

ふ~ん…。

兄ではなく、弟のほうが“連れ子”なのね。ばかじゃないの…。


『日本書紀』は、大海人皇子の出生年を明らかにしていません。

ですが、中大兄は、3人もの自分の娘を“義弟”の大海人皇子に嫁がせています。

鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ:持統天皇)と、大田皇女(おおたのひめみこ:持統の実姉)、そして大江皇女(おおえのひめみこ)です。

とくに、大田皇女と鸕野讃良皇女は、姉妹同時に大海人皇子に嫁いでいます。

3人めの大江皇女は、10代後半で大海人皇子に嫁ぎ、壬申の乱のときには3歳になる長皇子(ながのみこ)が生まれていました。

さらにもう一人、新田部皇女(にいたべのひめみこ)も天智崩御(壬申の乱)後に天武天皇の後宮に入っています。

計4人もの娘が“弟”に嫁いでいるのです。

なぜでしょうか。


実は、中大兄のほうが宝皇女の連れ子だったからです。

父親はほんとうに「高向王」なのか誰なのかもわからず、母が舒明天皇と再婚したため、のちに“義弟”となった本来の嫡子(跡継ぎの皇子)の「大海人皇子」にとりいる必要があったからです。

なぜなら、“野心家”の中大兄は、母の舒明天皇との再婚によって、タナボタ式に天皇(大王)への可能性が出てきたからです。

個人的な心象では、まず“義兄”の自分が舒明天皇のあとをついで天皇(大王)に即位し、次に“義弟”の大海人皇子に譲る密約があったと考えています。

そのプランにそって、中大兄は天皇に即位する可能性のある人々を何人か殺害しています。

結局、大海人皇子に娘たちを嫁がせたのは、緊密な姻戚(身内)関係を結ぶことによって、天皇への道を開こうとしたものです。


また、中大兄が“義兄”であることは、『日本書紀』の呼称からもみえてきます。

通常、“大”がつくほうが長男(大兄)で、“中”は次男(中兄)になります。

では、「中大兄」と「大海人皇子」はどうでしょうか?

もし、中大兄が舒明天皇の長男であれば、単に“大兄”と呼ばれたはずです。

しかし、『日本書紀』は、大兄は大兄でも「中大兄」と、“皇子”の尊称もつけずに記録しています。

一方、「大海人皇子」は、凡海(おうしあま)ではなく、長男につける“大”の字をもって、ちゃんと大海人皇子と記録されています。

なぜなら、“弟”の大海人皇子が、本来は舒明天皇の嫡男(跡継ぎ)であって、中大兄は舒明天皇の子ではないからです。


それゆえ、大海人皇子は、天智天皇の子「大友皇子」(明治3年追諡:弘文天皇)との壬申の乱に勝利し、天皇に即位されたとき、自らの正統を明らかにし、“千年のちも二度と皇位争い(内戦)を起こさない”と誓い、過去の歴史と自らの正統性を示すべく『古事記』と『日本書紀』の編纂を命じています。

『古事記』については、また別の秘密がありますが、機会があれば後述いたします。


しかし、結局は、ご存じのように藤原氏の“遠謀”もあって、天智天皇の子「志貴皇子」(しきのみこ)の子、第49代「光仁天皇」へと皇統はうつっていきます。

以降、天智系の皇統が続くことになるのです。


さて、大海人皇子は、壬申の乱にあたって「伊勢」を遥拝しています。

なぜ、伊勢を遥拝されたのかは重要なヒントです。

ですが、ご説明は長くなるので省略し、壬申の乱に勝利したのち「伊勢神宮」の改築(増築)にとりかかり、その遺志を継いだ持統天皇によって、今日のような「大神宮」に生まれ変わっています。

持統天皇は、周囲の反対を推し切り、「伊勢神宮」に何度かご行幸をされていますが、のちの天皇は誰一人として伊勢にお参りをされていないのはご存じかもしれません。

ところが、そのような天智系の皇統が1,200年あまりも続いたのち、御一新後に、「明治天皇」が初めて「伊勢神宮」をご親拝されているのです。

さらには、皇祖を「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)と改められました。

『日本書紀』に記される皇祖は「高皇産霊尊」(たかみむすびのみこと)です。

源頼朝公にはじまる武家政権になってからは、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ:草薙剣)で知られる「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)また「大国主大神」(おおくにぬしのおおかみ)も崇められてきました。

明治の国家神道は、ご祭神を正式に決める際、伊勢派(天照大御神ほか)と出雲派(大国主大神)とで論争が起きましたが、結論はでず、結局は明治天皇のご勅裁によって「天照大御神」に決定します。


不思議に思われませんか?

武家政権が終わり、明治天皇になって、突如、天武天皇が遥拝し、その正妃の持統天皇が大神宮に改修した「伊勢」(天照大御神)が正式のご祭神となったのです。

「伊勢」(天照大御神)をないがしろにした天智系の天皇は、結局、公家政権の藤原氏の意のままに操られ、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の武家政権へと日本の「命運」は託されることになりました。

そのような武家政権を開いた「源頼朝公」の母は、三種の神器のひとつ「草薙の剣」が祀られる「熱田神宮」の大宮司家の娘「由良御前」(ゆらごぜん)です。

実際、熱田神宮の西門前にあった「熱田大宮司」(藤原家)の別邸が、頼朝公の生誕の地と伝わっています。

現在は「誓願寺」になっていますが、当時は井戸はなく、別邸に池があり、その水を産湯につかったようです。


次回は、伊勢を遥拝した天武天皇とは異なり、天智系は“正統”ではなかったゆえに、日本の「天運」は半減しました。

にもかかわらずそれを補い、日本の「天運」を維持した源頼朝公(熱海神宮:草薙の剣由縁)にはじまる武家政権と、明治天皇ご即位によって「天運」が還るまでをお届けいたします。













天皇と「日本の天運」その1
2021.03.13
 
● 双魚宮時代と宝瓶宮時代の「天運」をもつ日本


“占星学”からみたときに、日本は「天運」を抱く国家で、アメリカは“世界の自由民主主義を守る”「天命」をもつ国家です。

なぜなら、日本の“民族性”は「魚宮」で、“国体”は「水瓶宮」だからです。

理由は、後述いたします。

一方、アメリカは、“民族性”は「射手宮」で“国体”は「水瓶宮」、現体制は「蟹宮」ゆえに、占星学からみると、否応なく自国を守るのと同時に世界の自由民主主義体制を必然的に守らざるをえない「天命」をもつ国家になっています。

今回は、天皇と「日本の天運」がテーマなので、アメリカのご説明は省略させていただきます。


ただ、実際のエピソードをひとつご紹介させていただきます。

シリアが毒ガス兵器か何かを使って自国民を虐殺していたときのお話です。

オバマ元米大統領は、そんなシリア問題に関して、結局「アメリカは世界の警察官ではない(との考えに同意する)」と発言しました。

たしかオバマ政権の第2期で2013年9月頃だったと存じます。

そのとき「宝瓶宮占星学サイト」に「オバマは“まぬけ”です」とすぐに書きました。

それは、建国以来の「天命」を放棄したとき、アメリカだけでなく自由民主主義世界の衰退がはじまるからです。


事実、「アメリカ弱し」(オバマは言うだけ番長)とみた中国は、その後、次第に「傍若無人」な態度をとりはじめ、東アジアをはじめ世界の自由民主主義の危機を引き起こし、一昨年のピークに至っています。

幸い、宝瓶宮時代の「天運」をもった日本は、第二次安倍政権が誕生し、地球儀外交やセキュリティー・ダイアモンド構想によって中国の封じ込めに動き、アメリカはトランプ政権が誕生し、世界の自由民主主義を守る「天命」を回復しつつあります。


それはともかく、宇宙的な「人類歴史区分」からみたとき、次のようにいえます。

約2,000年ほど前(厳密には紀元前171年頃)から「双魚宮時代」(そうぎょきゅうじだい)が正式にはじまりました。

双魚宮時代というのは、「魚宮」(木星→海王星)が共鳴サイン(宮)です。

それから約2,160年後(計算値)、今から32年ほど前の1989年に人知れず“宝瓶宮時代のビッグバン”が起こり、「歴史パラダイム」(宇宙波動)が大きく変わっていきました。

宝瓶宮占星学サイトや当ブログをご一瞥のかたならご存じのかたも多いと思いますが、かつての双魚宮時代の「対立二元論」から、宝瓶宮時代(ほうへいきゅうじだい)の「共鳴関係論」へと、人類の歴史パラダイムは変化し、正式に宝瓶宮時代がスタートしました。

現在の2021年は、宝瓶宮時代の“社会体制”に移行していく「イン・ジ・アクエリアス」の過渡期にあります。

ちなみに、宝瓶宮時代ののち、1989年から約2,160年後になりますが、「磨羯宮時代」(まかつきゅうじだい)にうつっていきます。

それまでは「水瓶宮」(天王星)を共鳴サイン(宮)とする時代が続きます。


さて、詳しいお話は省略させていただきますが、「魚宮」の“民族性”にともない、大自然のめぐみを受けて、“お天道さま”を拝し、巨岩や由緒ある山をご神体として崇める“古神道”の日本は、双魚宮時代と共鳴して「天運」をともなってきました。

その具体例は、後日、当シリーズで掲載することがあると存じます。

これが、建国以来、一度も日本が国を失うような侵略をされてこなかった理由です。

さらに、祭祀(女性)と同時に、為政者(男性)を立てた古代の「ヒメヒコ制」もそうですが、女王ヒミコを共立することによって、長い争い(倭国大乱)を終わらせ、平和的に“各国”(豪族ら)による“合議制”をとってきたのが日本列島の九州にあった「倭国」(北部九州連合:邪馬台国連合)です。

この“統治パターン”は、のちの東遷とともに、畿内国を中心とした“大和”(大倭)に踏襲され、女王の代わりに「天皇」による平和的な統治へと、「宝瓶宮時代」を先取りしたかのように全国規模で展開されていきます。

例外はありますが、天皇は「君臨すれども統治せず」という“祭祀”(祈り)と“権威”の存在であって、西洋の“専制君主”のように「権力」をもって国民を押さえ込む存在ではないからです。

このあたりの「天皇」と「国民(国家)」の関係は、“一神教”の西洋人には理解しにくいかもしれません。

今後の「宝瓶宮時代」は、個人の「自由」や「個性」(才能)や「友愛精神」(和、絆、民度)が、漸次、世界的に発揮されていく社会に移行していきます。

それは、古来より、日本人が“モットー”としてきた形態でもありました。

このことが双魚宮時代の影響圏がはじまった縄文時代末期から、正式に双魚宮時代に入った弥生時代にかけて2,000年以上も前に“国づくり”が行なわれ、天皇(祭祀長)をシンボルとした合議制(稟議制)ゆえに、“国体”を「水瓶宮」とするゆえんです。

ちなみに、初代「神武天皇」のご即位(旧暦1月1日)を現在のグレゴリオ暦になおすと、2月11日(建国記念の日:水瓶宮)になります。

その真偽は不明だとしても、“和の象徴”たる「天皇」のもとに、だれもが“平等”という形態こそが日本の“国体”「水瓶宮」の原点になっています。


厳密には、多々ご意見があると存じますが、“支配/被支配”の対立二元論の「双魚宮時代」にあって、その影響はのがれえませんが、比較的ながら日本は庶民の自由が“国体”の「水瓶宮」によって守られてきた国家です。

ちなみに、「魚宮」の“民族性”は、お上(かみ)を尊(たっと)び、敬いしたがう国民性をもたらしています。


信長秀吉の安土桃山時代も徳川政権下の江戸時代も、商人をはじめ庶民主導の文化が花開いてきたことは、お上から“百姓は国の宝”とされ、第一次産業従事者や商人がとうとばれてきたことからもそれがいえます。

もっとも、そのような真の歴史を隠して、“支配層による搾取の歴史だった”と教えるのがマルクス史観(共産主義史観)の歴史学界や学校教育またそれに汚染されたマスコミです。


さて、日本の「天運」を支える天皇は、確実にいうなら『日本書紀』に記される7世紀の第40代「天武天皇」が壬申の乱を経て決意された「1,000年後も皇位争いをなくそう」とされた“意志”を基本に、その正妃の第41代「持統天皇」、そして孫の第42代「文武天皇」への“譲位”による三代の継承によって、藤原不比等の尽力とともに“万世一系”は定着していきます。

大海人皇子(おおあまのおうじ)こと「天武天皇」のご即位は、673年です。

以後、天智天皇の皇女であり、天武天皇の正妃となった鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)こと「持統天皇」、そしてその皇子「草壁皇子」の子「文武天皇」へと天武系の皇統は第48代「称徳天皇」(しょうとくてんのう)までつづきます。

それ以降は、天智系へと皇統が変わります。

日本の「天運」継承は、ここで分散されますが、それもまた結果的に日本の“天運”だったといえます。

詳細は後述いたします。


このことをひもとき、現在の「天皇」を語るには、どうしても天智系皇統の原点、中大兄(なかのおえ)こと「天智天皇」に触れなければなりません。

はっきりと書きますと、正統だった大海人皇子(天武天皇)に対して、『日本書紀』からみえてくる中大兄(天智天皇)は、“兄弟”であっても「義兄弟」です。

当時の出自は、正統性が疑える立場だったことが読みとれます。

その証拠のひとつに、7世紀前半、実質上の“大王”(天皇)だった蘇我家を倒した「乙巳の変」(645年)以降、668年まで23年の長きにわたって中大兄は、天皇につくことができませんでした。

結局は、母の「斉明天皇」がご即位されてのち、その崩御によってようやく「天皇」にご即位される道が開かれたのです。

それゆえ、『日本書紀』に記される中大兄の諡号(しごう)は、「天命開別天皇」(あめみこと ひらかすわけの すめらみこと)と申し上げます。

早いお話が、“天皇への道を開いた別系統”の天皇といえる諡号です。

このあたりの事情と日本の「天運」の変遷の秘密は、次回以降、お届けいたします。













宝瓶宮時代の「三数思考」
2021.02.25
 
これからの時代の思考法についてです。

新しい宝瓶宮時代は、過去とは思考形式を変えなければなりません。

時代のシステムが、具体的に異なっていくためです。


占星学から申し上げますと、“対立二元論”を歴史パラダイムとした「双魚宮時代」(そうぎょきゅう じだい)から、“共鳴関係論”による「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい)へとすでに宇宙波動は変わっています。

それが実体的になっていく時代(社会)へと突入したためです。

今年2021年1月下旬から「精神意識の変革(覚醒)」のディレクションの影響圏に入ったので、今後はだれでも徐々にその“精神意識”(心理、霊性)ここでいう「思考形式」を変えていく必要が生じるためです。

ご興味があったり、ご納得されるかたのみ、以下ご高覧ください。


“対立二元論”というのは、これまで約2,160年間(計算値)の「双魚宮時代」を規定してきた歴史パラダイムです。

要は、“心と体”や“魂と肉体”、“来世と現世”また“天国と地獄”といった「二元論」によって世界やものごとは分類され、“宗教と科学”によって判断され、社会は動いてきました。

たとえば、約2,000年前にはじまり、その後の人類歴史に大きな影響を与えた「キリスト教」などの宗教もそうです。

ものごとを“神とサタン”や“善と悪”また“信仰と不信仰”など「二元対立」によって価値判断をしてきたのです。

さらに申し上げますと、政治体制では、たとえば“神”によって選ばれたとする「専制君主」などによって、“支配/被支配”の身分制度をはじめとした上下関係で運営することが常識だった時代です。

これは、ピラミッド型組織の典型である「カトリック」(旧教)などもそうです。

これらは、「宝瓶宮時代」の影響圏に入る1630年前後(ガリレオなどの時代)まではそうでした。


しかし、これ以降、「双魚宮時代」にありつつも徐々に「宝瓶宮時代」の影響が浸透してきます。

宗教世界では、「カトリック」(旧教)に対して、「プロテスタント」(新教)が生じます。

ピラミッド型支配体制や押し付けられた教義からのがれて、直接、“神”や“イエス”につながろうとする“信教の自由”を掲げます。

それによって、イギリスからのがれて建国されたのが、当初、「ピューリタン」(清教徒:プロテスタント)によって建国理念を掲げた「アメリカ」です。


一方、政治的には、「専制王権」による圧制や不平等から、個人の権利や自由を求めた「市民革命」が、イギリスやフランスで生じます。

これらはやがて紆余曲折を経つつも、今日の「自由民主主義体制」を形成していきます。


それはそうなのですが、人々の思考型式は、いぜん“善か悪か”や、“○か×か”、また“吉か凶か”といった「対立二元論」のままなのです。

なぜなら、学校教育やマスコミなどの社会が古い体制のまま続いているからです。

もっとも、その要因は、“資本家 vs 労働者”といった「階級闘争」を“必然”の道理としてあおる「共産主義思想」(マルキシズム)が、人知れず大衆に“不満”を抱かせ、“社会不安”をあおり、あわよくば“共産主義革命”をいまだに志向しているからです。

すくなくとも、一部「野党」の議席を必死で維持しようとしています。


そのほかにも、「儒教思想」によって、いつまでも“身分”にこだわり、たとえば半島の隣国が盛んなのですが、“ランク付け”や“順位付け”をして「マウント」をとろうとする古い文化もその一つです。

とくに隣国の影響が大きい、いまや落ち目の某アイドル・グループや、テレビ局など一部マスコミに巣食うそれらの人々によって、その影響や傾向は、案外と今なお色濃くみられます。


しかし、人知れず起きた1989年の“宝瓶宮時代のビッグバン”によって、宇宙波動は“共鳴関係論”の歴史パラダイムに変わりました。

その宇宙波動は、“十月十日”(とつきとおか)の期間を経て、いよいよ出産のための“陣痛”の時期に入ったのが、今年2021年1月下旬からです。

そのため、今後は2~3年の“誕生”にむけて、実際の「共鳴関係論」に進んでいきます。

そうなるほど、私たちの思考形式も遅くないうちに、“対立二元論”から「共鳴関係論」へと変わっていかなければなりません。

でないと、いつまでも“善か悪か”や、“○か×か”や、“吉か凶か”といった単純な“二元対立”でご判断していると、新しい時代の「事実」や世界の「真実」を見抜けなくなります。

そればかりか、“出産”が近づくにつれて時代の流れにとり残され“バカ”になるならまだしも、時代の「運勢」を失っていくことが起こりかねません。

急には変われないまでも、既存の“学校教育”や“マスコミ報道”また“バラエティー番組”などの善悪やランク付け発想は“サブ”にしていくことをおすすめいたします。


ということで、本題です。

まずは、“対立二元論”の発想や思考からの脱却についてです。

ここでは「共鳴関係論」の考え方の入口となる「三数思考」(クオリアル・シンキング)を入門編としてご紹介いたします。

詳細は、今後の時代をみすえて、すでに2012年からお届けしています「数理法則とクオリアル・ワールド」(伝授講座)により、「基本三数」(数理法則)による宇宙この世界の創成プロセスと存在様相また共鳴関係をご紹介しています。

まずは、次のようにとらえることからはじめられるとよいでしょう。

「クオリアル・シンキング」(Quareal Thinking)の入門となる「三数思考」の概容です。


たとえば、ここに1つの選択肢があるとします。

それを、“A”か“B”か、また“採用”か“不採用”かといった二者択一で単純にご判断するのが「対立二元論」の思考法です。

もはや過去のものとなった観念的な思考型式です。

今後の「共鳴関係論」では、まず次のようにとらえます。

入門なので単純に書きます。

まず、“A”か“B”かではなく「三数思考」3(4)数によって、第三の“C”の選択肢が必ず「ある」ととらえます。

“採用”か“不採用”かではなく、たとえば“留保”や“試用”またそれ以外に“採用も不採用もしない”といった選択肢が「ある」ことを念頭におきます。

白か黒かではなく、“あいまい”な幅広いグレーゾーンといった選択肢があります。

また、モノクロ以外の多様な“色彩”や“模様”が「ある」といった発想をします。


前者の「対立二元論」は、“0”か“1”か「ON/OFF」で計算していくこれまでのコンピューターと同じです。

後者の「共鳴関係論」は、“あいまい”な部分を残して計算していく今後の量子コンピューターに似ています。

さらには、「宝瓶宮時代」が進んでいくと、量子を超えた“波動コンピューター”が出現すると考えています。

宇宙この世界や人類をつらぬく“共鳴波動”によって、瞬時に“答え”ならぬ“道”が導かれるようになっていく可能性があります。


いずれにしても、まずは既存の「対立二元論」の思考や考えから脱却されることです。

それが必要で、ほかの思考形式でもかまいません。

ここでは「基本三数」によって、“第3の道”やいずれでもない“第4の選択肢”を考慮していくことを手はじめにおすすめいたします。

このような「三数思考」(クオリアル・シングング)に慣れていくと、“悩み”も少なくなり“可能性”が大きく広がります。

さらには“自由”な発想ができるようになり、新しい時代のとらえ方が漸次、見えてくるでしょう。

答えは1つではなく、波動共鳴によって“無限”に生じていきます。

そこに至るまでに、まずは“二者択一”の発想ではなく、複数のお答え、すなわち第3の選択肢があり、第4の道もあることが考えてみましょう。

さらには、課題や問題そのものにとらわれず、そこから離れた“解決法”さえも広がる時代になっていきます。












※後日、入力ミスをはじめ、言い回しや表現を見直します。

「世界大逆転」の転換日
2020.11.13
 
結論を書きます。

本日2020年11月13日前後をピークとして、これまでの世界(社会)状況が一変する“世界大逆転”のときに入りました。

宝瓶宮占星学の「星のディレクション」からそうリーディングできます。

実際に目に見えるかたちで多くの方に認識されるようになるのは、「宇宙波動」→「社会現実化」には、宇宙法則からみて実現化の時間が必要なので、相応のタイムラグがあるでしょう。

ですが、すでにお伝えいたしました今年2020年1月13日の「組織運営変革の深化」のピークが、10か月後の本日11月13日に、“新たなピーク”と“ピークアウト”の分水嶺のときをむかえています。


具体的には、次のようなことが起こりえます。

今年、世界を大混乱に陥れた「武漢ウイルス」(中共ウイルス)の“弱毒化”が、この前後をさかいに起こりはじめます。

そのため、よくよく注意していれば、感染や感染拡大は容易に防げるようになります。


もう一つ。

今、世界を騒がせている「アメリカ大統領選挙」における、民主党陣営の“伝統的”で大々的な「不正選挙」も同様です。

本日をもって、「トランプ大統領」の再選が“宇宙波動”すなわち「星のディレクション」によって確定しました。

あとは漸次、現実化していく動きに入っていきます。


当然、それにともない、マスコミ報道や世界の動きも次第に変わっていきます。

というか、変わらなければ“宇宙波動の変化”に反するために、ときの運勢である“天運”を漸次、失っていくことが起こります。

最悪は、一瞬にして突如、一変し、どん底に落とされることもあります。

なので、個々人においては、意識を“チェンジ”されるのもよいでしょう。


明るく、高潔で、前向きな波動でとらえていかれると、昨今の宇宙波動と共鳴しやすくなります。


そして、来月12月17日や19日にはトランシットの「土星」と「木星」が、あいついで「水瓶宮」に入宮します。

水瓶宮は、1989年に人知れずはじまった「宝瓶宮時代」に共鳴するサイン(宮)です。

のみならず、翌月、来年2021年1月26日には、トランシットの「冥王星」までも水瓶宮の影響圏に入っていきます。

これは、2006年から影響圏に入り、2008年から正式にはじまった世界的な「組織運営の変革」のディレクションの最後の3年間と並行して、いよいよ「精神意識の変革」のディレクションがはじまっていくことを意味します。

1989年にはじまった「宝瓶宮時代」が現実世界の意識へと“波及”していくことを意味します。

たとえていえば、受精後、胎内で成長した生命が、いよいよ「誕生」していく“はじまりのとき”をむかえることを意味します。

それは、次のような1節につうじます。

「この時代には、地上のすべての悪が一掃され、世界に平和と人類愛がよみがえってくるといわれています。

過去の英知の学問が復活し、今までのいっさいの思想や観念や宗教、また国籍や人種の差異に影響されないクリスタルのように透明な精神をもった新人類が現われてくるといわれています」

『ホロスコープ入門』 ルル・ラブア著より抜粋。


“過去の英知の学問が復活”というのは、占星学の分野にかぎれば、古代ギリシャ時代の世界観「四大元素説」にもとづいて体系化された「古典占星学」のように、宝瓶宮時代の新しい宇宙観「数理法則とクオリアル・ワールド」(数理法則)に基づいて体系化された、宝瓶宮時代の新しい西洋占星術「宝瓶宮占星学」を象わしています。

逆にいえば、19世紀中頃以降に世界を席巻した“新しい学問”、誤まった「共産主義理論」が崩壊していく時代をむかえたことを意味します。

それに対して、“クオリチュアル”(霊識、新しいスピリチュアル)など、宇宙に根づいたグランディングによる精神的かつ霊性的な意識と世界が、新たに復活していく時代のはじまりになることを意味しています。











TRUMP LANDSLIDE
2020.10.30
 
人類歴史には、1つの法則があります。

それは「数理法則」からみたとき、「宇宙開闢」(かいびゃく)の“ビッグバン”において、“人類”の誕生と、その歴史の方向性は「星のディレクション」によって決まっているということです。

もちろん、人類の“自由な意志”がありますので、いくらかの変遷は生じます。

それは「星のディレクション」の範囲内での“ブレ”(ゆらぎ)であるのが、宇宙の「根本法則」です。


そのような人類歴史の“流れ”(根本法則)からみたときに、今般の「アメリカ大統領選挙」は、単にアメリカ国民が自国の大統領を選ぶというものではありません。

のみならず、今後約24年間の「人類の命運」を決定するものになっています。

なぜなら、「星のディレクション」から申し上げますと、新大統領が就任する来年2021年1月からは、21世紀前半の最も重要な“メイン・ディレクション”である「精神意識の変革」のディレクションが、その影響圏に入っていくからです。

ちなみに、“武漢ウイルス”(中共ウイルス)が世界的に大流行して、国家の組織運営はもちろん、会社組織も個々人の生活も組織運営の変革をせざるをえなかった今年2020年は、これまで約9年間続いてきた「組織運営変革の深化」のディレクションが“ピーク”を迎えた1年でした。

それは、以前から「宝瓶宮占星学」サイトで“ピーク”となることをお伝えしてきたことです。

なので、ご存じの方も多いと思います。

その“深化”のディレクションのベースとなっているのが、2006年から影響圏に入り、2008年から正式にはじまった「組織運営の変革」のディレクションです。

このディレクションは、2023年まで、まだあと3年間続きます。

ですが、来年2021年以降の最後の3年間は、同時に次の重要な「精神意識の変革」のディレクションの影響圏のはじまりともなっています。


その重要なディレクションのはじまりにおいて、アメリカが「トランプ」(共和党)を選ぶのか、それとも「バイデン」(民主党、副大統領候補ハリス)を選ぶのかは、その後の23年間を「人類」がどのような道を進むようになるのか、歴史的な命運にかかわります。


すでに当ブログでも過去に書いたことですが、「精神意識の変革」のディレクションというのは、たとえて申し上げますと、“負の第2次世界大戦”のような時代を意味します。

“負”というのは、「第2時世界大戦」のように世界を二分した軍事力の「戦争」ではありませんが、それ以上に厳しい“精神意識面”を体験しかねない時代を象わします。

第2次世界大戦は、戦争が終わったとき白人支配から、アジアなど有色人種の「植民地開放」が起きました。

同じように、「精神意識の変革」によって、その後の「世界の枠組み」が大きく変わっていくことになります。

それが、オーウェルの小説『1984』のように、“悲惨”な独裁政治すなわち自由のない「人類総管理社会」を体験して、激しく陰に陽に人類全体が戦いながら変わっていくのか、それとも「宝瓶宮時代」のもと各自の自由な「精神意識」によって、相応の紆余曲折があったとしても主体的に変わっていくのか、それを選択していくのが、今般の「アメリカ大統領選挙」になっています。

わかりやすく言えば、そういうことです。


なぜなら、ここにきてようやく報道されはじめている「バイデン・スキャンダル」は、ひとりバイデン一家の問題ではないからです。

史上最低の大統領「オバマ」をはじめとしたバイデンが所属する民主党の幹部らを巻き込んだ一大スキャンダルでもあるからです。

のみならず、その背後にあるのは「中国共産党」による壮大な“アメリカ乗っ取り計画”だからです。

中国共産党は、秘密裏にアメリカの「民主党」幹部らを、利権をはじめとしたさまざまな手段でもって飼い慣らしているからです。

それが「バイデン・スキャンダル」の本質です。

今般の選挙で、“中国利権”をエサにしたアメリカ金融業界やフェイスブックやツイッターなどSNSをも巻き込んで、「バイデン」を大統領に当選させれば、それが大きく実を結びます。

オバマやクリントンはもちろん、スリーピー・バイデンは「操り人形」よろしく中国共産党の意を汲んだ政策を漸次、推し進めることになります。

結局、アメリカ政界を乗っ取ろうとする中国の計画が進んでいるのです。


なので、なまじっか自分のアタマで考える賢い大統領よりも、半分認知症の「バイデン」のようなスリーピーのほうが都合がいいのです。

当選後は、さっさと引退してもらうなり、隠れ共産主義者でもある副大統領候補のカマラ・ハリスにバトンタッチして、大統領にするのが彼らの狙いです。


結局、そのことを感ずいている「Qアノン」など、アメリカを建国した生粋のアメリカ国民(WASP)らが信じる「神」によって選ばれた(といっても過言ではない)「トランプ」が勝利しなければ、アメリカは悲惨な道を歩み衰退していきます。

のみならず、日本をはじめとした世界の自由民主主義陣営も悲惨な道に進み、自由で民度の高い「宝瓶宮時代」の社会体制へ向かう“歴史プログラム”に大きな狂いが生じます。

そのため、“神”とは申し上げませんが、“ビックバン”の当初から宇宙この世界を「数理法則」のもとに運営している“宇宙の法則”から申し上げますと、「TRUMP LANDSLIDE」でなければ、人類歴史は第2次世界大戦前の「植民地主義」の時代に大きく後退することになります。

人類には“自由意志”が付与されている以上、100%絶対に起こらないとはいえないのです。

しかし、“アメリカの良心”が相応にでもあれば、一時はバイデン優勢でも、人類を「宝瓶宮時代」の社会体制へと推し進める「トランプの大逆転勝利」(TRUMP LANDSLIDE)が必然的に起こるようになっています。


 








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