「共鳴関係論」の世界
2016.12.01
双魚宮時代の「対立二元論」は、これまでの時代の常識だったので、だれでも理解が容易です。

たとえば、宗教的に「善」か「悪」か、思想や哲学的に「正しい」か「間違い」か。
さらには、学校教育のテストのように「○」か「×」か、また占いや一部の西洋占星術のように「吉」か「凶」か。
これまでの世界では当然とされた価値観です。

ですが双魚宮時代は終わりました。

今すぐとはなりませんが、今後の宝瓶宮時代は、漸次「共鳴関係論」の世界に移行していきます。
というか日本の官邸など、最先端の政治の世界では「共鳴関係論」の発想で動いています。

でないと国際ルールにのっとった世界秩序を保てないために当然です。

双魚宮時代最後の思想、「共産主義」は、労働者の共産主義社会を“理想”としました。
権力者や資本家(金持ち)は「悪」で、人民や労働者は「善」といった対立二元論にもとづいて、必ず「共産主義社会」は“訪れる”と本人たちいわく「科学的」(弁証論)という名の“幻想”を抱いていました。

死後の世界に「天国」や「浄土」といった理想をいだいた“信仰”と同じで、それが死後ではなく「現実社会」の20世紀に実現できると“信じた”のです。

一方、そういった権威的宗教また共産主義に対して、絶対的な「真理」や「真実」はない、個々人の「自由」だとしたのが「自由民主主義体制」です。

自由民主主義体制では、どの宗教を信じても自由ですし、逆に宗教を信じなくても自由です。
また、共産主義思想を信じても、それは自由です。
暴力や違法な行為によって、人の権利や自由を不当に侵害しなければ、自由と存続が保障される社会体制です。

そういった自由民主主義をベースとして、さらに発展的な社会に移行していくのが、今後約2,160年つづく「宝瓶宮時代」です。
なので、「共鳴関係論」の世界では、双魚宮時代のような宗教的「真理」や社会的「真実」は存在しません。

こう書くと、過去の「対立二元論」の観念から、「おかしい」「間違いだ!」「そんなことはない」といった声が聞こえてきそうです。
ですが、事実は逆なのです。

「真理」や「真実」が定まると、現実的にはそこで発展や世界は終わります。
そうではなく“真理”や“真実”を抱くのは自由ですが、常に、次の、あるいはより発展した“真理”や“真実”を次々に目指して試行錯誤しながら、人類歴史は発展し存続し続けていくというのが、宇宙この世界の事実です。

そこに“真理”や“真実”といった「限界」はありません。

各員各自が相手を否定せずに、共鳴的な対応で次々と、人の数ほど発展していくのが「共鳴関係論」の世界です。

一例ですが、スピ系などで、自分の「感性」や「感覚」を正しい、絶対だと思うのは自由ですが、それでもって相手を“否定”すれば、結局のところ、みえないスピの世界では、自分を「否定」したことになるという「共鳴関係論」の世界があります。

宝瓶宮時代の新しい概念なので、理解や納得に時間がかかるかと存じますが、それが「当たり前」になるクオリアルな時代へと移行しはじめています。

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