「大物主神」は物部氏の祖神
2016.12.13
●宝瓶宮占星学サイトの連載「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていく第7弾です。


『日本書紀』には、どうしても書き記せない「歴史の真相」があります。

その代表が「大物主神」(おおものぬしのかみ)です。
なので大物主神にかぎりませんが、日本書紀は「神代」(神話)の登場人物の名前を工作して「暗喩」にしました。


大物主神は、ご存じのように三輪山に祀られており、大神神社(おおみわ じんじゃ)のご祭神です。
この神がどんなお方かというと、歴史の真相は、畿内国「大和」を最初に治められた“御肇国天皇”(はつくに しらす すめらみこと)ともいえる大和の本当の初代大王です。

またの名を、信じられないかもしれませんが元祖「天照大御神」と申し上げ、伊勢の内宮に祀られている「男神」です。

この元祖「天照大御神」や「素戔嗚尊」をはじめ「卑弥呼」や「持統天皇」など、複数の人物を日本書紀は「天照大神」の名のもとに習合させ、日本統合の象徴としています。

ここに大物主神が元祖「天照大御神」であることや、最初に大和を治めていた人物であることを記せない理由の一つがあります。

7世紀の「壬申の乱」において、伊勢を遥拝した「天武天皇」が、もし『日本書紀』が上奏されたときまで生きていたら、『日本書紀』にはその“事実”が正しく記されていたはずです。

しかし、皇統は天武系から天智系へと変わってしまいました。
天智の娘ながら天武天皇の正妃である「持統天皇」以外に、皇祖神であるはずの「天照大神」を祀る伊勢神宮を明治にいたるまで、だれ一人訪れた天皇がいなかったことが、その何よりの証拠です。

天皇の伊勢ご親拝は、1,000年後の明治天皇まで待たなければなりませんでした。
これをもって、本来の「万世一系」へと戻ったといえます。

さらに書いておきますと、「大物主神」は「物部氏」の祖神を暗喩しています。
「大」は元祖、「物」(もの)は、霊や魂を意味しますが物部氏の「物」なのです。

日本書紀は、物部氏が“神武天皇”に国譲りをし、神武が最初の天皇であると記す以上、大物主神が最初の「大和王」だったことを記せないのは当然です。
また、大物主の「主」は、物部氏の当主というだけではなく、大和の「主」でもあったために大和のご神体山「三輪山」に祀られています。


※付記:“御肇国天皇”である「崇神天皇」紀に「大物主神」が記されるのは上述ゆえです。
日本書紀では、「神代」(上)に1回、「神代」(下)に2回、大物主神は記されていますが、神武以降の人代になってからは、神武~10代までのほぼ架空の天皇を除けば、実際の初代となる第11代「崇神天皇」紀に、初めて大和を治められた「大物主神」が記されるのは、歴史の真相からいって当然なのです。




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