「和魂」と「荒魂」は別の神?
2016.12.16
●宝瓶宮占星学サイトの連載「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていく第8弾です。


今回は「問題提起」です。

古代の神々や神社について調べていくと、よく「和魂」「荒魂」という表現を目にします。

さらにみていくと、「幸魂」「奇魂」というのもあって、これら4つの魂を総称して「一霊四魂」というそうです。
1柱の神は4つの魂をもつという説ですが、「和魂」と「荒魂」は、だいたい別の社に祀られています。

ところが、「一霊四魂」という概念は江戸時代にできたものです。

幸魂と奇魂は「和魂」の中の2つの魂なので、実質は「和魂」と「荒魂」の2つです。
ものの本には、「荒魂は、神の荒々しい側面で荒ぶる魂であり、和魂は、雨や日光の恵みなど神の優しく平和的な側面である」などと1柱の神の両面の性質として説明されていたりします。

では、1柱の神をわざわざ「和魂」と「荒魂」にわけて祀る必要はあるのでしょうか?

たとえば、伊勢の外宮の第一別宮「多賀宮」は外削ぎの「男千木」で、鰹木も男性を象わす奇数の5本ですが、もともとは伊勢内宮の第一摂神だった「荒魂多賀宮」を、外宮整備にさいして移したものと記されています。

内宮はご存じのように、『日本書紀』でいう「天照大神」を祀り、内削ぎの「女千木」ですが、そこにあった男千木の「荒魂多賀宮」を外宮に移し、今は天照大神の「荒魂」は内宮の「荒祭宮」に祀られています。

「多賀宮」は、今は外宮「豊受大神」の「荒魂」とされます。

どうも、お話が混乱して筋がみえないのですが、実は、もともとは、「和魂」と「荒魂」は別々の神ではないかという問題提起です。

単純にいえば伊勢の場合、「荒魂」は本来の大和の神で、「和魂」はあとから祀られるようになったいわゆる征服者(日本書紀)の神ではないでしょうか。

それゆえ内宮も外宮もそうですが、正宮には鳥居があって「和魂」を祀りますが、いずれも「荒魂」を祀る「多賀宮」や「荒祭宮」には鳥居がなく、「多賀宮」は一段高い丘の上にまつりあげられて、地上から遠ざけるかたちになっています。

そう考えれば、国譲りの神を祀る出雲の神殿(大社:おおやしろ)が高かったのも道理です。





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