「八咫鏡」と「草薙剣」の秘密
2017.01.17
●宝瓶宮占星学サイトの連載「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていく第10弾です。


「三種の神器」シリーズの最初に書いたように、単なる「鏡・剣・玉」をもって三種の神器とはいいません。

天皇の神璽(みしるし)である「三種の神器」は、固有の「八咫鏡」と「草薙剣」をもって大和の「天皇」と認められるものです。

『日本書紀』前後以降は、これに「八尺瓊勾玉」が加わり、統一大和の「天皇」であることを証明する「三種の神器」になりました。

では、なぜ「八咫鏡」と「草薙剣」をもって、大和(倭)の天皇(大王)の神璽(みしるし)となりえるのでしょうか。
それは、両神璽が2つの「国」の権威(王位)を象徴するものだからです。

「鏡」(みかがみ)は、北部九州連合の倭国王(魏志倭人伝では「卑弥呼」)を象徴します。
一方、「剣」(みはかし)は、出雲をはじめ本州大国主連合の王(神武天皇紀では「饒速日命」)を象徴します。

要は、国譲りにさいして、出雲をはじめとした本州大国主連合の王権を示す「剣」を、九州から来た東征王に差し出すことで、結果、「鏡」と「剣」の両方を有したものが、大和(畿内国)の王(大王:のちの天皇)になり、その神璽(みしるし)になるわけです。

かつて、7世紀の統一大和において、実際には最初に「天皇」と号した天武天皇が病にかかったとき、占うと「草薙剣」の祟りと出て、直ちに熱田神宮に安置したことが『日本書紀』に記されています。
もともと東征王(天皇)側の所有物であれば、祟ることはありません。
なぜ祟ったのかといえば、要は国譲りをした(征服された)側の王位をあらわす神璽(みしるし)だったからです。

天武天皇にはじまり正妃の持統天皇は、伊勢神宮を今のように立派にします。
伊勢神宮に祀られるのが「八咫鏡」であることからも、そのことがわかります。
つまり、天武天皇こそが正統もしくは「鏡」を神璽(みしるし)とした九州倭国王の流れに関係します。


※この項、さらに続く。


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