「邪馬台国」の誤解2
2017.03.07
●宝瓶宮占星学サイトに連載した「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていくシリーズで、今回は「邪馬台国編-その2」です。


まず、根本問題に触れておきます。

「邪馬台国」か、「邪馬壱国」なのか、という問題です。

俗称「魏志倭人伝」には、たしかに女王が都するところ「邪馬壱国」(壱:原書は「壹」)と記されています。
なので、「やまい(ち)こく」です。

しかし、すこしややこしいのですが、「魏志倭人伝」のあとに書かれた『後漢書』は、魏志倭人伝の『三国志』の前の時代を記した正史ですが、その「倭」伝には、ちゃんと「邪馬台国」(台:原書は「臺」)と書かれています。
なので、「やまたいこく」に修正されています。

要は、当時の中国人は、陳寿が「魏志倭人伝」に記した「邪馬壱国」という国名表記を信じていないわけで、改めて「邪馬台国」と書き直しているわけです。

実際、陳寿が「魏志倭人伝」を書くために参考にした文献も、「邪馬台国」になっていました。
それを陳寿は勝手に、身びいきから「邪馬壱国」と書き換えたわけです。

古代史研究家の古田武彦氏の著書『「邪馬台国」はなかった』という題名も、陳寿の記録は「邪馬壱国」になっているということを言いたかったようですが、出版社(編集者)が「売る」ために、あえて誤解されるセンセーショナルなタイトルをつけたというお話です。

二流、三流の編集者は“タイトルマッチ”などといって、そういった“サギ”まがいのことを「陰謀論好きな人」、「都市伝説好きな人」、要は「信じやすい人」に向けて、売らんかなの商売のために行なうことがあります。
注意が必要です。

なので結論として、陳寿の魏志倭人伝はたしかに「邪馬壱国」と記されていますが、それは陳寿が意図的に「台」(臺:うてな)の字を東夷(東の野蛮人の意)の「倭国」に使うことを避けただけで、実際には「邪馬台国」だったわけです。

ただし、陳寿が浅はかなのは、「台」(臺:うてな)というは「皇帝」そのものではなく、その配下の府(役所)などを意味しますので、「邪馬台国」と書いても、ちゃんと皇帝の属下という意味になります。
なので中国人の尊大な意図からみても、「邪馬台国」でよいのです。

※「参考:「邪馬台国」と「邪馬壱国」」に書いたものを今回は要約しました。


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