「邪馬台国」の誤解5
2017.03.10
●宝瓶宮占星学サイトに連載した「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていくシリーズで、今回は「邪馬台国編-その5」です。


「邪馬台国」から少し脱線しますが、卑弥呼について触れておきます。

卑弥呼もまた「魏志倭人伝」がもたらした大いなる幻想の一つです。

2~3世紀の当時の日本を記した文献が、「魏志倭人伝」しかないのでしかたないのですが、卑弥呼を共立することによって平和が訪れ、また日本人好みの“鬼道”といった衆を惑わす術を使ったこともあって、どこか神秘めいて“英雄”かのように思われています。

違います。

“鬼道”というのは、今でいう「いたこ」と同じです。
要は、死者の霊を自分の体に憑りつかせて、霊言を語る怪しげな自称“霊能者”や“霊媒者”と同じです。

古代には、そういったたぐいの、いわゆる「いたこ」がたくさんいました。
当時、卑弥呼ひとりが“鬼道”につかえていたわけではなく、『日本書紀』を読めば、“神がかり”による託宣のお話は、案外と多く出てきます。

さらにいえば、「卑弥呼=天照大神」とするのも間違いです。

『日本書紀』の性格(編集方針)からして、中国の冊封下にあった「邪馬台国」や、“親魏倭王”の金印を仮授された「卑弥呼」は、ぜったいに出てきません。

なぜなら、独立日本としての「統一大和」が保たれないためです。
この点からも、邪馬台国=畿内国(のちの大和)とするのは、7世紀の大和朝廷は“中国の冊封下”の延長線上にあると主張するのと同じで、明らかに間違いです。

冊封下だった「倭国」は、7世紀初頭に、弟国の「日本」に国をゆずっています。
また、7世紀後半の天武天皇は、「天皇」と号することによって、中国の「皇帝」よりも天神に近い立場に日本国(王)を位置づけました。

結局のところ、「邪馬台国」というのは、北部九州のごく一部にすぎず、女王や天皇を象徴とする和の統治形態は残ったものの、往時の邪馬台国そのものは、卑弥呼の代をもって終わり、男王の傀儡「台与」を立てた政権へと移っています。



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