「三種の神器」のルーツ 1
2017.05.25
先回に続き「三種の神器」をとりあげます。

今回は、そのルーツは何かということですが、そのまえに「三種の神器」の意味についてひとこと書き添えておきます。

「三種の神器」といえば、今では天皇の“みしるし”として定番です。

しかし、7~8世紀の『日本書紀』の奏上まで、実際には「八咫の鏡」と「草薙の剣」の2種の神器でした。
それは、『日本書紀』に記された最後の天皇、持統天皇紀をみても明白で、持統天皇紀には、二種の神器しか記されていません。

その後、天武天皇と持統天皇の孫、文武天皇から「八尺瓊の勾玉」が加わり、当時の『日本書紀』の「神代」(下)に記されたように、瓊瓊杵尊の天孫降臨に際して「三種の神器」を賜ったとはじめて記され、以降、名実ともに「三種の神器」が定番となっていきます。

では、「三種の神器」とは、何を意味するのでしょうか。

正解は、それぞれの国(地域)また国を治めた者がもつ象徴です。
それゆえ、それら3つの神器を手にしたものが、統一日本、いわゆる7~8世紀にはじまった統一大和を統べる「天皇」の“みしるし”になります。

ご理解できますでしょうか。

ご納得できない方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら『日本書紀』の編集方針から読み解いていくと、それまでバラバラだった各国を一つにまとめた大和朝廷を統べる天皇としての“証明”が「三種の神器」になっていることは否めません。

それゆえ、平家にせよ源氏にせよ、天皇すなわち公家政権から、武家政権にとってかわるためには、その証明として「三種の神器」を手に入れることが第一義となっていました。

平家が滅亡した壇ノ浦の戦いで采配をふるった源義経が、戦いに勝ったにもかかわらず、兄の頼朝から激しく叱責されたのも、結局のところ「三種の神器」のうち「草薙の剣」を見失い、持ち帰ることができなかったためです。

武家でもあり、母が熱田神宮の出自でもある頼朝にとって、「草薙の剣」こそが、これからはじまる自らの武家政権にとってシンボルでした。

頼朝にとっては、平家に勝つことよりも、草薙の剣をはじめとした「三種の神器」を手に入れることが、天皇や公家や平家にかわって、日本を治める政権を奪取する名目だったのです。
ですが、そのことを理解できなかった、政治にうとい義経は、戦いの勝敗こそが本義だと思ってしまい、兄頼朝とのミゾを深めていきます。

結局のところ、「三種の神器」は統一日本を治めるものがもつ“みしるし”というのが、その本質に間違いはありません。




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