注目される「縄文時代」2
2017.09.06
「古代文明」の“世界標準”とされる観点からみたとき、かつての縄文時代(新石器時代)の日本に「縄文文明」が栄えることは論外でした。

なぜなら、狭い日本列島には“大河”がないからです。

文明というのは、たとえばですが「メソポタミア文明」のように、チグリス・ユーフラテス両河がもたらす肥沃な三日月地帯に、小麦など穀物の栽培が可能になって生じると一部では考えられていたからです。

それは定期的に収穫できる穀物の栽培が可能になることによって、人々の定住生活が保証され、食生活の心配がなくなり、平和な時期が続くことから、芸術や学問や文化といった文明が生まれていきます。

もし文明を、大河がもたらす穀物栽培によってのみ生じると理解すれば、日本、中国、韓国人などが信じているように、「世界四大文明」といった誤まった理解になっていきます。

そうではなく、“大河”がなくても文明の発祥が可能な地域がありました。
それが日本列島で、世界最古の文明ともいえる「縄文文明」です。

本当でしょうか。

答えは、日本という世界で唯一の地理環境をみればわかります。
もっと平たくいえば、“四季折々”の季節がなぜ生じるのかということに答えがあります。

日本列島は、4つものプレートが交わるその縁に位置します。
4つのプレートというのは、東に「ユーラシア・プレート」、西に「太平洋プレート」、南に「フィリピン海プレート」、北に「北アメリカ・プレート」のことで、地理的に4つのプレートがせめぎあい、噴火や縁にあるゆえの隆起によって細長い国土のなかに、そのわりには高い山々が背骨のようにそびえる地形ができあがりました。

そういった地形だけではありません。
南東からは、暖かい「黒潮」が流れ込み、北西からは、冷たい「親潮」が流れ込んで、これらが交わる中間に日本列島が位置していることもそのひとつです。

では、このような地理や海流の交差が、なにをもたらすのでしょうか。

大河に匹敵する水量です。

大陸からの冷たい風は、日本の山々にぶつかって上昇気流となり雲を生じさせると、大量の雨やときに大雪をもたらします。
一方、南からの湿った海風も同様で、大量の雨を日本にもたらすのです。

その水は、長い流域をもつこともあって「千年澄まない」といわれる黄河のような濁った水ではなく、山地や地下から湧き出すキレイな水であるのはもちろんのこと、四季折々に移り変わる森の木々からの豊かな栄養を河川にもたらします。

それらは、縄文時代から行なわれてきたカキの養殖はもちろん、プランクトンを生じ、それを求めて大小の魚介類が集うのはもちろん、黒潮と親潮の両方から豊富な種類の魚が日本の近海に訪れます。

その結果、人類が穀物栽培を行なう以前から、山海の食料が、豊かな水とともに日本列島には豊富でした。

それだけではありません。
東西南北から海流に乗って、多様な民族が日本列島に集まってきて、それぞれの習慣や風俗や技術(知恵)を集積できる位置にあったのです。

また、四方を荒海に囲まれながらも、ヨーロッパに文化をもたらした地中海のように、温暖なうち海の瀬戸内海があって比較的安全に魚介の採集も可能でした。

そういったことから古代縄文人は、食をめぐって争うこともなく、たしかに世界標準からは外れるのですが、他文明とは異なり平和に独自の「縄文文明」を築くことができたのです。



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