大阪お茶会で歴史のお話
2017.12.16
クリエイトスタートさんの主催による「お茶会」を12日、大阪で行なってきました。
テーマは「日本史の精神と歴史の真実」です。

なかなかにヘビーな内容なのですが、日本の場合、『日本書紀』に代表される「日本史の精神」いわゆる“日本書紀史観”が意識するとしないとにかかわらず、日本人の心に根付いていますので、それは無視できない「事実」となっています。

その一方で、『日本書紀』が書くことができなかった真実の歴史があるのもまた事実なので、その両者から「日本の歴史」は成り立っているという、歴然たる事実がまたあるわけです。

「日本史の精神」と「真実の歴史」のどちらが“良い”とか“悪い”とかいうのではなく、両方が日本の事実なので、日本史の精神をもって歴史の真実を受け入れていくことがベストだと考えています。

要は、『日本書紀』に書かれた古代史の一部が間違いだといっても精神的には正しいし、そこに記されない真実の歴史が、また古代日本はもちろん日本の精神をつくってきたのもまた歴史の事実だというわけです。

戦前の日本は、一部で“日本書紀史観”に流れた一面があるのは事実ですが、それゆえアジア植民地の解放につながったのも事実で、逆に、戦後日本の歴史認識や教育のほうが「歴史の真実」を歪めてしまい、真実の日本を見失わせてきたことのほうが重要です。

どこの国もそうですが自国の歴史認識は、その国の国民意識を造成しますので重要です。

たとえば、お隣の共産中国は「文化大革命」という美名のもとに、古来からの大陸文化を根絶やしにし、“共産主義文化”に植え替えようと大殺戮を行ないました。
そのように過去の支那(チャイナ)大陸の歴史を徹底して抹殺してきたので、まともな歴史が残っておらず、根無し草のような場当たり的な国民性になっています。

要は、“中国4000年の歴史”というのは真っ赤なウソで、大陸文化を否定した中国の歴史は70年足らずしかありません。

半島の国も反日をふくめた“夜郎自大”の歴史認識ゆえに、自国を正しく認識できず“ウリがいちばん”“ウリが正しい”と国際社会における認識のズレが、各国と摩擦を起こしていることに気づきにくくなっています。

その一方で、日本人も俗にいう戦後の“自虐史観”によって、日本の歴史を見失ったままだと、子孫への誇りはもちろん、これからのアジアや世界に対する大きな責任や使命を果たせなかったりすることが起こります。

安倍首相がかかげた「戦後体制からの脱却」はもちろん、宝瓶宮占星学がいう昨今の「組織運営変革の深化」のディレクションをともないつつ「日本史の精神と歴史の真実」を再認識していくことが必要になってきます。

それは、歴史に閉ざされたものの“解放”や「封印解除」の神事とも重なってきますが、「星のディレクション」(時代ディレクション)による「真実の歴史」をリーディングしていくことにつながっています。


※「お茶会」の具体的な内容は、後日、当ブログか宝瓶宮占星学サイトにアップしていくかもしれません。




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