「脱亜入欧」→「脱欧入亜」
2018.01.07
明治時代の日本は「脱亜入欧」がさけばれました。

1万円札の肖像や『学問のススメ』などで知られる福沢諭吉は、明治18年に「脱亜論」を執筆(当時は無署名)。

その概要は、「不幸なるは近隣に国あり」と、大陸“支那”や半島“朝鮮”といった旧体質の国家が、日本の隣にあることを不幸と表明し、「われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」と、“支那”や“朝鮮”とは関係をもたないとまで述べています。

だいたい歴史的にみても“小中華”を自負する半島(今の韓国、北朝鮮)とかかわると、日本はロクなことがありません。

明治時代の「日清戦争」や「日露戦争」も、勝ったからいいものの、未成熟な半島のイザコザや侵略危機に日本が“巻き込まれた”もので、もし朝鮮が精神的にも国家的にも自立した国であれば、日本は両戦争を戦う必要性がなかったといえます。

それはともかく、アメリカ抜きの11か国による「TPP」(環太平洋パートナーシップ協定)は、昨年2017年11月に大筋合意(カナダは否定)に至りました。

このTPPに先の国民投票でEU(欧州連合)離脱を決めたイギリスが、なんと参加を検討していることを、明治日本の「脱亜入欧」ならぬ、現代イギリスの「脱欧入亜」と表現した記事がありました。

産経のWEBニュース(読んではいない)なのですが、なかなかのいいセンスです。

福沢諭吉の「脱亜論」や、西洋から学ぶという「脱亜入欧」の時代、明治35年(1902年)に日本は「日英同盟」を結びます。
現在でいえば日米同盟にひってきするものといえるほど英国に国力があった時代です。

当時は、ロシア帝国の南下を警戒して西のイギリスと東の日本とで同じ「海洋国家」どうし、強力な艦隊をもって結んだ同盟です。

現在、日英共同で戦闘機の最新鋭ミサイルを開発していますが、中国の南シナ海侵出や海洋侵出を警戒して「日英同盟」の復活もとりざたされています。
そういったこともあって、今日のイギリスの動きを「脱欧入亜」と表現したものだといえます。

もちろん、先の政権で真っ先に中国のAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加表明したイギリスなので、そういったこともかかわっているかもしれませんが、今のメイ政権は、逆に中国を警戒していますので、南シナ海の交易ルートが中国によって閉ざされかねないことのほうが心配だといえます。

かつて、今はなき初代国連大使の加瀬俊一氏は、吉田茂元首相ら歴代外務大臣の秘書官をつとめたことでも知られますが、氏の晩年、お住まいの鎌倉のご自宅におうかがいしたとき、「日英同盟」を高く評価しておられました。

海人族の日本でもあり、海洋国家どうしが手を結ぶことは、理にかなっているとのことです。





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