“やまとごころ”と「優しさ」
2018.04.14
以前、宝瓶宮占星学サイトの「建国記念の日 特別編」に次のように書きました。
「日本の霊性」は、“やまとごころ”だといえます。

そして、有名な次のうたを一例に解説をいたしました。
「しきしまの やまとごころを ひととわば 朝日に匂う 山桜花」

ネットでは、その歌意を問われて、次のように回答されていたりします。

『(前略) 直訳すると、「大和心(日本人の心)とは何かと人が尋ねたなら、朝日に照り映える山桜の花のようなものだと答えよう」です。
戦争中は軍国主義を煽るような意味合いで使われたりもしたようですが、本来の意味は、日本人の心を、一瞬に凝縮された山桜の美しさにたとえたものでしょう。(後略)』

これだと、肝心の朝日に“匂う”が抜けていますので、“やまとごころ”の説明になりません。

かつて、山本七平氏(故人)が『空気の研究』という日本独特の“空気”(pneuma:ニューマ=気息、魂)について書いています。

“朝日に匂う”というのは、そのような“空気”(気息、霊魂)を意味するもので、明け方ゆえに“清廉なる霊性”を象わすものだといえます。

“山桜花”というのは、「山桜の花」といった単純なものではなく、一見、山桜をイメージさせてはいるのですが、むしろ朝日に匂うである以上、白々と明けていく「山」も意味しており、また、ほのかに匂う淡い色の「桜」でもあり、さらには、いさぎよく散っていく可憐な「花」びらでもあるというのが、この「山・桜・花」の意味です。

つまり、これらが渾然一体となった「山桜花」で、いわゆる含み言葉として“八百万の神”といった大自然への崇敬(やさしさ)を象わしています。

なぜかというと、中国から「漢字」が入ってきたとき、日本人は“大和言葉”とミックスさせました。
「中国語」をそのままもちいるのではなく、漢字を“日本語化”してしまったのです。

たとえば、「優」という中国の漢字には“優劣”といった意味しかないと、日本に帰化した文化人の石平氏はいっています。

日本人は、その「優」の字の意をもちいて、“すぐれている”という大和言葉にあてて、“優れている”と書きあらわしましたが、その一方で、同時に、「優」の字をもちいて、“やさしい”という大和言葉に日本人はあてはめました。

つまり、中国に「やさしいことは優秀」といった発想や文化はありません。
なので、“やさしい”ことは“優れている”ことだとする日本人の“精神意識”(霊性)が、“優しい”という日本語を生んだことを意味しています。

そこには、「優/劣」といった“陰陽二元論”(吉凶解釈)の中国の考え方や文化ではなく、山川草木をふくめて生きとし生けるものを大事にしていく“やさしさ”の精神文化、すなわち日本的霊性がかいまみえます。

お話をもどしますと、それゆえ“朝日に匂う山桜花”なのです。

このように日本語のウラには“霊性”(言霊、魂)があります。

ほかにも、日本生まれの「漢字熟語」が数多く現代中国に波及し、一見「中国語」かのように使われているのは、近年、よく知られてきたお話です。



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