淡路島 洲本市での1枚
2018.06.07
今回は、誤解や勘違いも多いので、説明はありません。

あまりよく知らないまま、何気に撮った1枚に、2つの場所が“偶然”にも一緒に写っていたという画像です。



いずれ「占星学からみた日本古代史」の続編をアップする予定にしていますが、紀元前10世紀にソロモン王の船団がヨーロッパやアフリカだけでなく、東アジアや日本に来ています。

当時、すでにアフリカ大陸を1周するなど、優れた航海術を持っていたフェニキア人は、ソロモン王の委託を受けて、古代イスラエル人やヒッタイトの製鉄技術を受け継いだ古代オリエントの人々を乗せて、「二段櫂船」(にだん かいせん:帆付き)で珍宝や鉱物資源を求め、数年単位での大航海を繰り返していました。

日本に来たのは、大陸の沿岸沿いに、北は壱岐・対馬や五島列島から、南は沖縄や奄美群島沿いに九州の沿岸地域や島に最初の拠点を築きます。

そこから瀬戸内海に入った一団は、瀬戸内の東端、国東半島(くにさき はんとう)に拠点を構えて、支那大陸よりも早い時期に古代の製鉄を行ない、縄文末期の人々に伝播することになります。

その後、ヒッタイト人の母をもつソロモン王の死とともに「北イスラエル」と「南ユダ」に分裂した古代イスラエルは、紀元前8世紀に北イスラエルの10支族がアッシリアに捕囚となり、南ユダも紀元前6世紀にはバビロニアに捕囚となって国を失います。

前者が俗にいう「失われた10支族」です。

ソロモン王の死や南北分裂また捕囚によって帰る場所を失った「船団」は、潤沢な「水」や「鉱物資源」また「山海の食物」に恵まれた古代日本を再び目指して出航し、なかには定住する一団もでてきます。

彼らは、その後、『古事記』や『日本書紀』に記された”日本神話”でいえば、大国主神(おおくにぬしのかみ)の国づくりを手助けした「少彦名命」(すくなひこなのみこと)や、また三輪山に祀られる「大物主神」(おおものぬしのかみ)に比定される活躍をすることになります。

詳しくは、いずれ宝瓶宮占星学サイトにアップしますが、アバウトではそういった流れです。




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