高祖山・クシフル岳に登頂
2019.03.23
邪馬台国が記された“魏志倭人伝”(倭人条)に出てくる古代倭国の王都「伊都国」(いとこく、現福岡県糸島市)にある「高祖山」(たかす やま)に登ってきました。

標高は416メートル。

神楽が年2回奉納される由緒あるふもとの「高祖神社」(たかす じんじゃ)から、直登コースを選び、後半、急な斜面をふくめて、約1時間ほどの山頂を目指す登山です。

天気予報では当日のみ100%の降水率でしたが、朝の出発までにはあがり、登頂は曇りときどき晴れに恵まれました。

実は、高祖山の南東に連なる「クシフル山」(クシフル岳、槵触峯)が“目的”です。

記紀に詳しいかたならご存じのように、瓊瓊杵尊(ににぎの みこと)が“天孫降臨”したと記述されている山です。

●『日本書紀』神代(下)一書より抜粋

皇孫(瓊瓊杵尊)を筑紫の日向の高千穂の槵触峯(くしふるたけ)にお届けした。

●『古事記』(上)より抜粋

(邇邇芸命:ににぎのみこと) 竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂のくしふるたけに天降(あまくだ)りましき。(中略) 
「此地(ここ)は韓国(からくに)に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)に真来(まき)通りて、朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照る国なり、かれ、此地はいと吉(よ)き地(ところ)」と詔りたまひ…。
(以下略)

天孫降臨の地は、一般に宮崎県の高千穂とされますが、それは理由あって、記紀編纂後、今の宮崎県を「日向」とのちに命名し、筑紫の日向の伊都国が実際の“天孫降臨”の地だと知られないようにしたためです。

その理由は、宝瓶宮占星学サイトにも書いた記憶がありますので、ここでは省略いたします。

誰もがわかる理由を書きますと、宮崎の高千穂からだと、上述の『古事記』に記されているような「韓国」(からくに:唐国、半島や大陸)は臨めません。
(霧島山群の最高峰「韓国岳」では何の意味もありません)

しかし、標高416メートルの高祖山(くしふる山)からは、北に玄界灘を臨み、天気がよければ壱岐や対馬を見ることができますし、近くの背振山であれば、韓半島南部の山頂部をぎりぎりながら臨めます。

さらに、「笠沙の御前」(かささのみさき)というのは、現在の「糸島半島」のことで、当時は半島の付け根両脇が糸島水道(入江、港)になっていたので、高祖山(くしふる山)から見ると、ちょうどキノコの“かさ”のように見えることから、“笠沙のみさき”と呼んだようです。

大陸方面(韓国)と糸島半島(笠沙の岬)の延長線上の南に高祖山(くしふる山)がありますので(下図ご参照)、「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前に真来通りて…」という表現はピッタリです。

また、高祖山連峰の東西は平野部なので、「朝日の直さす国、夕日の日照る国」というのも納得です。

補足しておきますと、高祖山連峰の南端に「日向峠」の地名が今も残ります。

さらには、旧「伊都国」(糸島市、高祖山をふくめ西方面)には、天孫降臨した「瓊瓊杵尊」を祀る神社が10社ほどもあり、その子「彦火火出見命」(ひこほほでみの みこと=山幸彦)を祀る神社も6社ほど、さらに孫の「鵜茸草茸不合命」(うがやふきあえずの みこと)を祀る神社も同数ほどあるなど、10km圏内に密集しています。

高祖神社もまた山幸彦こと「彦火火出見命」(妻は豊玉姫)を主祭神に、玉依姫と息長足姫命(神功皇后)の三柱をお祀りしています。

ちなみに、「鵜茸草茸不合命」というのは、初代「神武天皇」の父親です。

神武天皇の実在はともかく、そのモデルとなった人物や出来事があったのは事実で、三種の神器「八咫鏡」(やたの かがみ)と同類ではないかとされる日本最大、直径46.5cmの「内行花文鏡」(ないこう かもん きょう)が発掘された「平原古墳」は、高祖山(くしふる山)の眼下、西の平野部で発見されました。

地図に「高祖山」は掲載されていますが、現在、「くしふる山」の名称は、地元の伝承に残るのみです。


●高祖山連峰


いちばん高い峰が「高祖山」(たかすやま)です。
その右側が「くしふる山」(クシフル岳)と呼ばれていました。


●高祖山と糸島半島の位置関係(古図)


標高416mの高祖山(くしふる山)から見ると、糸島半島は古代、付け根に入り江(湾)が両脇にあったために、高祖山(くしふる山)からだと「笠」のように見えます。
その先に“韓国”(からくに=大陸と半島)が位置しますので、「この地は韓国に向かい、笠沙の岬に真来(真っ直ぐ)とおりて」という表現はぴったりときます。





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