万世一系の皇統をつなぐ
2019.10.23
皇位継承の“認識”は、かつて“女性天皇”ならぬ“女系天皇”が取りざたされたことがありますが、良識者のあいだでは、ほぼ“コンセンサス”が整いつつあります。

万世一系の皇統は、約1,300年前の『古事記』や『日本書紀』によって明文化され、今日まで続いてきました。

中大兄(のちの天智天皇)による唐羅連合との海戦「白村江の戦い」の敗北と、天智天皇の皇子、大友皇子(追諡:弘文天皇)と大海人皇子(のちの天武天皇)との内戦によって、「二度と皇位争いを起こさない」と誓った天武天皇は、『古事記』と『日本書紀』の編纂を命じ、一千年の大計として万世一系の皇統を明らかにしました。

それゆえ「皇位継承」が両書には記されています。

すでに周知のとおり、歴史上、女性天皇が“リリーフ”で即位されたことはあっても、“女系天皇”は一人としていません。

歴史上の女性天皇というのは、父親が「天皇」で、皇女が即位されたケースをさします。

一方、“女系天皇”は、いまだ例がないのですが、母親が「天皇」で、父親は天皇ではなく、皇族や貴族また豪族や一般人などの場合をいいます。

万世一系を定め、皇位争いによる内乱をなくそうとされた天武天皇は、『古事記』と『日本書紀』にその精神(ルール)を記しました。

『古事記』にいわく、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の国生みに示唆されています。

●『古事記』より抜粋
その妹に告げて、「女人先に言えるは良からず」と曰(の)りたまひき。
現代語訳「女神(伊邪那美命)に告げて、女が先に言葉を発したのは良くない」と仰せられた。

また、『日本書紀』には次のように記されています。

●『日本書紀』神代(上)現代語訳より抜粋
天地が開けた始めに、あるものが生じた。
それが神となった。国常立尊(くにとこたちのみこと)と申し上げる。
次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)。
全部で三柱の神は、ひとりでに生じられた。
だから純粋な男性神であった、と。

このほかにも、女性神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は日本から「黄泉の国」に行ってしまいますが、男性神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は伊弉冉尊と別れて、筑紫で祓ぎはらいをし、「天照大神」「月読尊」「素戔嗚尊」の三貴神(みはしらのうずのみこ)を生みます。

なぜ、このようなお話を、『古事記』や『日本書紀』は最初に記したのかというと、皇統は男性神によってはじまり引き継がれることを定め、皇位争いが起こらないように記したからです。

明治以降、“皇祖”は女性神「天照大神」のように考えられていますが、本来の天照大神は“男性神”ですし、『日本書紀』の「神代」(下)の最初に「皇祖の高皇産霊尊は…」と、ほんとうは男性神の「高皇産霊尊」(たかみむすひのみこと)が皇祖であることがはっきりと記されています。

なぜ、このように男系を「天皇」として定めたのでしょうか。

それは、血統か明確で皇位争いを起こしにくいからです。

歴史をみても、藤原氏は数多くの娘たちを天皇に輿入れさせました。

もし、女系天皇の場合、藤原一族が実質の“天皇家”になることができます。
それは、ほかの豪族や一般人であっても同様で、そうなるともう「皇統」はメチャメチャになります。

また、もし女系天皇が、どこの誰の子かわからない“皇子”(皇女)を生めば、その子が天皇になる可能性が生じ、いずれも皇統はゴチャゴチャになってしまうのです。

そこには、必ず陰湿な皇統(出産)争いが起きるのです。

そういったことまで考慮して、天武天皇は、二度と皇位争いが起こり日本人どうしで戦わないように、皇位継承を男系に定めたのです。

事実、天武天皇(古事記、日本書紀)から1300年以上が経った現在も、世界で唯一皇統が続き、皇位を巡る臣民の争いがわずかに認められても、内乱に発展することはなく、皇統が維持され続けて天皇の存在は世界の奇跡となっています。

これは「男尊女卑」といった前近代的な代物ではなく、「数理法則」からみても「皇統」という名の日本の国体をつなぐ“霊統”となっているのです。

それゆえ、共産党や日本を潰そうとする反日勢力は、「反天皇制」を主張するのみならず「女系天皇」の容認を唱え、日本の“天運”を失くそうとする動きを我知らずともみせています。








- CafeNote -