明治神宮鎮座百年
2019.11.12
明治大帝(明治天皇)が明治45年(1912年)崩御されてから8年後、大正9年(1920年)11月1日に現在の代々木公園に隣接する「明治神宮」(正式名称:明治神宫)が創建されました。

ご祭神は、第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后です。

これは明治大帝の御誕生日とされる11月3日を2日後にひかえてのことでした。

創建から、来年令和2年(2020年)は、ちょうど100年になることから、「明治神宮鎮座百年大祭」が催されます。


来年の大祭を前に、今年令和元年(2019年)に「本殿修復工事」が竣功し、9月からは銅板の屋根が輝き、金飾も鮮やかな御本殿をご参拝できるようになりました。

また、本殿南神門前の白木(素木)の「三ノ鳥居」(正式名称:南玉垣鳥居)も、それまでの台湾産の桧にかわって、今回は木曽産の桧がもちいられ、用材調達から6年間の歳月をかけて建て替えられました。

今上天皇が本年5月1日に即位された直後、12日に明治神宮に訪れたときには、本殿も内拝殿も幕に覆われていて工事中でしたが、外拝殿(げはいでん)は改装済みでした。

まだ暑い盛りの9月上旬、時間が余ったついでに、“おのぼりさん”よろしく「靖国神社」から、武道館をとおって「皇居」に、そして東京に住んでいたころよく行っていた「明治神宮」を巡ってきました。

このときも真新しい拝殿の後方にクレーンが立っていて、やはり本殿には幕がかかっていました。

そして、今上陛下の祝賀パレードが今月11月10日に行なわれた翌日、11月11日に日帰りながら、今年三度めの明治神宮ご参拝となりました。


明治大帝は、廃仏毀釈などをすすめた明治元年(1868年)の「神仏分離令」によって、天智系天皇による、それまでのシナ式や仏式を一部にとりいれた様式を排して、天武天皇(正妃:持統天皇)による日本本来の神道様式に“戻し”て即位された近代の祖となる天皇です。

それゆえ“大帝”と表記しているのですが、今日に至る近代国家「日本」の新しい礎はここから築かれていったのです。

歴代天皇にかかわる詳しいお話は、「数理法則とクオリアル・ワールド 伝授講座」応用編で「基本三数」にもとづいてお伝えする予定です。

かんたんに近代のみ申し挙げておきます。

明治の御一新(明治維新)以降、明治、大正、昭和(戦前、戦後)と「基本三数」の天皇を経て、昭和天皇が崩御された1989年から、約2,160年続く新たな「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい)がはじまりました。

現在の上皇(平成の天皇)は、その初代にあたり、今年2019年5月1日に即位された今上天皇は、「数理法則」から申し上げますと、日本的霊性をそなえた“精神性”と“自立”など「実体(現実)の国家」に今後、日本なっていくことを意味します。

19世紀に、近隣アジアへの西洋の植民地化が進むなか、日本は明治大帝のもと“殖産興業”と“富国強兵”といった文明開化を成し遂げ、日本が植民地化されることを防ぎ列強に負けない近代国家建設をめざし成功しました。

世界のだれもが「白人には勝てない」と思っていた時代に、明治大帝のもと“皇国の興廃”をかけた「日露戦争」に勝利し、アジアやアフリカなどの有色人種に希望をあたえたことは有名です。

それは、当時のロシア帝国に苦しめられていた北欧近隣諸国にも同様でした。

欧米には“イエロー・モンキー”でも、日本は世界の“希望”となったのです。


そして今日、当時と同じように、“資本侵出型国家”で一党独裁の共産主義「中国」が、アジアやアフリカはもちろん、日本をふくむ太平洋の西半分を領土にしようと、世界覇権の野望をむきだしにしてします。

詳しいお話は省きますが、日本に対するその手はじめが、NHKをはじめとする大手マスコミ、また琉球新報や沖縄タイムズなどの反日マスコミへの浸透工作です。

同時に、アメリカの“ポリティカル・コレクトネス”戦略を日本向けに活用した、沖縄こと“琉球”や北海道の“アイヌ”などをクローズアップさせた日本民族分断化工作です。

アイヌ民族を“先住民”とする「アイヌ新法」など、中国は、北海道の土地を買いあさっていますが、そのうち“アイヌ”だと偽って広大な北海道に、犯罪者的中国人民を送りこみ、拠点を築かせることにもなりかねません。

私たちは今、日本国の振興、発展、独立(自立)をつらぬいた「明治の精神」を新たにすべきときにあります。








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