日本の“奇妙”な「成功」
2020.05.28
まだ、結果がでたわけではありませんが、感染者数を隠している中国をはじめ、世界中で感染拡大が見られるなか、当初の批判にもかかわらず、日本はうまく対処できています。

むろん“武漢ウイルス”のお話です。


このまま終息に向かうのか、それとも第2波がくるのかはともかく、「ロックダウン」(都市封鎖)もせずに「緊急事態宣言」が解除され抑え込んでいるのは、海外から“奇妙”な「成功」だといった声があがっています。

もっとも、なんでもかんでも安倍政権のせいにしたい「マスコミ」は、日本の対応を評価する海外の賛辞の声をあまり取り上げようとしないのはいつものことで、素直に信じるとバカをみます。

それはともかく、海岸沿いの狭い平野部をメインに、1億人もの密集人口をかかえ、全国的に感染が拡大しやすいのが日本です。

そんな日本にもかかわらず、精度の低いPCR検査数はともかく、“武漢ウイルス”の死亡者数は、結果的に平年の死者数とさほど変わらないという驚異的な状況にあるのです。


これらは、現場の医療従事者の懸命な活動と、正体がよくわからない未知のウイルスに対して、テレビでは見当違いの“ウソ”をならべた専門家やコメンテイターが多かったにもかかわらず、YouTubeなどをみても分かるように、“ウイルス”にかんする動画投稿には、「内閣官房室」が直リンクを自動的に張るなどして“喚起”し、国民に直接の情報共有を広くうながしてきたことの効果も大きいといえます。

政治は、「国民の安全」が現実に保証される結果責任が問われます。

どこまで正しいかわからない観念的な“理論理屈”や“主義主張”や“非難”などではなく、国土や国民主権や国民生活の維持存続が政治の結果としては重要で、現状の“結果”に対して海外からの評価は高いのは事実です。

“武漢ウイルス”の震源地中国などに対する「渡航禁止」は、アメリカよりも1か月以上も日本は遅れ、感染拡大に際しては、海外のように「都市封鎖」もせずに、“ぬるい対処”だと非難されたにもかかわらず、緊急事態宣言からわずか1か月あまりで感染数減少の結果を出したことで、“アンビリバボー”といった驚嘆の声があがっているのです。


今回の記事のテーマは、その理由です。

巷間言われているように、「握手やハグの習慣がない」、「玄関で靴を脱ぐ」、「マスクをする」、{もともと清潔な国民」など、分析がてらさまざまな推測がなされています。

そういった世間一般的な理由はともかく、ここでは根幹の理由についてです。

それは日本人が“遺伝子”としてもっている、国体“水瓶宮”の精神です。

大半の日本人は、「大災害」や「国難」にさいしては、“和、絆、民度”をもって協力し合います。

海外のように暴動を起こしたり、略奪に走ったり、治安を乱すなど、自分のことしか考えないことが日本では起こらないことに、海外の友好国は“称賛”し、敵対大国は“恐怖”をいだきます。

今般の“武漢ウイルス”においても、医療関係者は、“家族や地域のため”に我が身をかえりみずに治療に従事し活動を続けてくれました。

また、非難があるのは承知ですが、先の戦争でも、“国を守るため”また“家族を守るため”、自ら志願して散っていった若者がいたことも事実です。


なぜ、このような奉仕と犠牲の精神すなわち、“和、絆、民度”をもつに至ったのでしょうか。

まず、おテントーさまや大自然を尊ぶ民族性“魚宮”による日本的霊性(古神道)を根底にもつことが挙げられます。

同時に、それを方向づける国体“水瓶宮”によって、“天皇のもとに一つの国家”(統一独立国家)という、いわゆる「天皇制」の“遺伝子”が古来よりあるからです。

近代個人主義によって、ふだんは「そんなの関係ない」とばかりに生活することも多いのですが、「大災害」や今般の“武漢ウイルス”のような未曾有の「国難」に際しては、我知らずとも秘めた“遺伝子”が動きだして危機に立ちむかうのが日本人です。


平時でも緊急時でも、国が滅ぶときは、“内部分裂”が最大の要因の一つとなっていることは歴史の定番です

各自が身勝手な自分の利益のみを追求して行動すれば、国がバラバラになり、危機は確実に増大し、最悪のケースは国もろとも自分も滅びます。

しかし、日本人は、『日本書紀』のバックボーンとなっている天皇のもとに国は一つ、またそこに記されている「以和為貴 無忤為宗」(和をもって貴しとなす、逆らうことなきをむねとなす)といった、いわゆる“和のこころ”を、国難にさいしては呼び覚まされて、我知らずとも発揮していく国民性をそなえています。


このような、“和、絆、民度”をもつことが、結局は、ほかの個人主義オンリーの先進国とは異なり、今般の“武漢ウイルス”の国難に打ち勝ちつつある今日の日本の特徴です。


以前、このブログでも、“武漢ウイルス”は、これからはじまる「精神意識の変革」のディレクションの“予行演習”になっていますと書きました。

ひらたくいえば、「宝瓶宮時代」の“精神意識”となっていく、日本の国体(水瓶宮)に基づいた“和、絆、民度”をこれからは世界の人々が相応ながらも身につけて、新しい時代のバックボーンとしていくことをうながす「星のディレクション」なのです。

そのとき、日本および日本人はその“先駆け”また“お手本”となる使命をもちます。

逆にいえば、そこに時代の流れとともにある“天運”が日本と世界にともなうようになっています。








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