「老子」と時代遅れの「孔子」
2021.02.18
 
ふと思いついて書いてみる、どうでもいいお話です。

よく対比されることがある“人気”の「孔子」と、“弱者の思想”などと勘違いされる難解な「老子」のお話です。

ちなみに“子”(し)というのは、「先生」というほどの意味で、「孔子」といえば“孔先生”、“老子”といえば“老先生”ということになります。

『孫子の兵法』で有名な「孫子」というときも同じです。

日本では、孔子の「儒教」の教えが案外と“ハートフル”に定着しています。

お隣の半島国も、「自分たちは儒教の国だ」と自慢することがあるのですが、単に身分や上下関係を明確にするための“型式”だけの儒教なので、中身はありません。

要は、どちらの年齢や学歴や身分や持ち物が立派で、上か下かといった“マウント”をとるためのものといってもあながち過言ではないのです。

もっとも、最近の若い世代の状況はよく知りません。


一方、儒教発祥の地「シナ」(中国)ではどうなのでしょうか。

どちらかというと、儒教は定着すらしておらず、最近になって“孔子”の名を悪用して「孔子学院」を日本やアメリカをはじめ世界で広めてきました。

中国語や中国文化を広めるといった名目なのですが、実状は“スパイ活動”の拠点の一つになっているのはもはや知られた事実になっています。

それでも“利権”に絡んでやめられないのが日本の大学なのかもしれません。


いずれにしても、かつて孔子は、自分の教えを王侯に伝え、仕官(しかん=雇ってもらうこと)しようとしたのですが、すべての王侯から相手にされませんでした。

生き馬の目を抜く支那(中国)においては、「忠孝」(君に忠、親に孝)といったようなことを説いても、前者は出世のための名目にすぎず、後者は当たり前すぎて「儒教」の教えは理想的な観念論(机上の空論)同様で、実用性がなかったといえます。


ところが、これに目をつけたのが、300年近い天下泰平の世を開いた「徳川家康」でした。

部下が主君を弑逆(しいぎゃく)してなりかわる「下克上」の乱世を終わらせ、天下を平らかに保つには、下克上は「悪」であり、一所懸命に主君に仕え殉ずることが美徳であるという、上下関係を固定する規範をとりいれることを家康は考えました。

そこで目をつけたのが「儒教」です。

儒教を推奨した家康は、寺子屋でも子どもの頃から「子曰く…」(先生がおっしゃるには…)などと、「五常」の“仁、義、礼、智、信”といった徳性や、「五倫」“父子、君臣、夫婦、長幼、朋友”の関係を維持し、社会ルールを守ることを教えてきました。

この“規範”によって、徳川将軍家には、だれも反抗できなくなり、天下泰平の世を築く“思想的バックボーン“となったのです。


もっとも、歴史は皮肉です。

天下の副将軍家「水戸藩」で編纂された『大日本史』によって、日本国の最高の君は「天皇」ということになりました。

これが広まると、幕末には水戸藩から養子に行った最後の将軍「徳川慶喜」さえ、天皇にはむかって“逆賊”になることを恐れ、「大政奉還」を行なうことになります。

日本には、“民族性”「魚宮」による日本的霊性のバックボーンがありました。

なので、本来、無駄な争いは好まず、儒教の規範を“ハートフル”に受け入れることができました。

なぜなら、徳川政権下の“現体制”は「武家諸法度」などによって、“役人”や“官僚制度”を象わす「乙女宮」だったからです。

「乙女宮」は、「魚宮」の対宮に位置し、要は“民族性”にない明確な規範(ルール)を徳川政権が“現体制”としてもたらしたので、宝瓶宮時代の影響圏に入っていた当時の「双魚宮時代」においては、うまくマッチしました。


しかし、宝瓶宮時代が正式にはじまると、儒教は長続きしません。

なぜなら、老若男女のだれもが自由で平等(対等)に、各自の個性を発揮できる社会に、漸次、なっていくからです。

若いからといって侮れないのです。

むしろ、既成概念にとらわれない若い感性や情熱ゆえに、“天才”とみまごう独自の個性の発揮が可能になるのが「宝瓶宮時代」です。

その点では、孔子の「儒教」は、もはや時代遅れです。


一方、ここで詳しく書く余地はありませんが、むしろ「老子」の本来の教えのほうが、今後の宝瓶宮時代にはふさわしいのです。

識者の中には、誤まって老子を“弱者の思想”と説く人がいます。

勘違いです。

彼は、宇宙この世界の道理を見抜いて「無為自然」を説きました。

それも、庶民に向けてではなく、王侯貴族に対して「無為自然」を説いたことを知らなければなりません。


「無為自然」というのは、やや極論になりますが、為政者(王侯貴族)は何もせずに自然のままに任せておけは、世の中は大乱なく治まっていくという天の道理を説いたものです。

身分や学歴や地位を重んじる「儒教」とは正反対です。

そういった、老子の教えに反して、支那はもちろん現状は、学歴はあっても私利私欲をもった日本の官僚や為政者(王侯貴族)が、あれやこれやと小賢しく、こまごまと対処するので、そこかしこに矛盾が生じるのです。

老子は、お酒の銘柄にも採用された「上善如水」で知られています。

この“上善は水の如し”という道理もそうですが、「大国を治むるは小鮮を煮るが如し」とも述べています。

“小鮮”というのは魚のことですが、小魚にかぎらず魚は何度もひっくり返して焼いたり、いじりまわすと、身が崩れて見た目も悪くなりますし、うまみもにげてしまいます。

同様に、あまりいじらないことが「国」を治めるコツだと説いたのです。


いわば、大和民族(縄文人)が古来から大事にしてきた大自然を敬うことです。

自然のまま大切にすれば、水や山海の食料に恵まれた豊かな日本列島では、争いが起きなかった“古神道”の時代に共通します。

老子の「無為自然」というのも似たような意味です。

ただ、庶民に対して「無為自然」を述べたのではなく「為政者」(王侯貴族)に対して述べました。

“無為”=あえて何かをしようとせず、“自然”=大衆の働きのままに農作や漁業に任せておけば、それがもっともよく世の中が治まる道だと。

そのように宇宙この世界の奥深い道理を“玄の玄”によって説いたのです。


これからはじまる「宝瓶宮時代」の“実体社会”もこれに類似しています。

国民の一人ひとりが“主人公”となり、自由な個性の発揮が可能となる友愛社会(和、絆、民度)の社会に、漸次、むかっていきます。

「宝瓶宮時代」は、かつての双魚宮時代のように「支配/被支配」の社会ではなく、「共鳴関係論」の世界になります。

なので、国民の主体性に任せて、お上は必要以上にやらないほうがよい時代になっていきます。

逆にいえば、国民一人ひとりの“自覚”が必要な時代です。

それが、今後の「精神意識の変革(覚醒)」のディレクションともなっています。












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