天皇と「日本の天運」その1
2021.03.13
 
● 双魚宮時代と宝瓶宮時代の「天運」をもつ日本


“占星学”からみたときに、日本は「天運」を抱く国家で、アメリカは“世界の自由民主主義を守る”「天命」をもつ国家です。

なぜなら、日本の“民族性”は「魚宮」で、“国体”は「水瓶宮」だからです。

理由は、後述いたします。

一方、アメリカは、“民族性”は「射手宮」で“国体”は「水瓶宮」、現体制は「蟹宮」ゆえに、占星学からみると、否応なく自国を守るのと同時に世界の自由民主主義体制を必然的に守らざるをえない「天命」をもつ国家になっています。

今回は、天皇と「日本の天運」がテーマなので、アメリカのご説明は省略させていただきます。


ただ、実際のエピソードをひとつご紹介させていただきます。

シリアが毒ガス兵器か何かを使って自国民を虐殺していたときのお話です。

オバマ元米大統領は、そんなシリア問題に関して、結局「アメリカは世界の警察官ではない(との考えに同意する)」と発言しました。

たしかオバマ政権の第2期で2013年9月頃だったと存じます。

そのとき「宝瓶宮占星学サイト」に「オバマは“まぬけ”です」とすぐに書きました。

それは、建国以来の「天命」を放棄したとき、アメリカだけでなく自由民主主義世界の衰退がはじまるからです。


事実、「アメリカ弱し」(オバマは言うだけ番長)とみた中国は、その後、次第に「傍若無人」な態度をとりはじめ、東アジアをはじめ世界の自由民主主義の危機を引き起こし、一昨年のピークに至っています。

幸い、宝瓶宮時代の「天運」をもった日本は、第二次安倍政権が誕生し、地球儀外交やセキュリティー・ダイアモンド構想によって中国の封じ込めに動き、アメリカはトランプ政権が誕生し、世界の自由民主主義を守る「天命」を回復しつつあります。


それはともかく、宇宙的な「人類歴史区分」からみたとき、次のようにいえます。

約2,000年ほど前(厳密には紀元前171年頃)から「双魚宮時代」(そうぎょきゅうじだい)が正式にはじまりました。

双魚宮時代というのは、「魚宮」(木星→海王星)が共鳴サイン(宮)です。

それから約2,160年後(計算値)、今から32年ほど前の1989年に人知れず“宝瓶宮時代のビッグバン”が起こり、「歴史パラダイム」(宇宙波動)が大きく変わっていきました。

宝瓶宮占星学サイトや当ブログをご一瞥のかたならご存じのかたも多いと思いますが、かつての双魚宮時代の「対立二元論」から、宝瓶宮時代(ほうへいきゅうじだい)の「共鳴関係論」へと、人類の歴史パラダイムは変化し、正式に宝瓶宮時代がスタートしました。

現在の2021年は、宝瓶宮時代の“社会体制”に移行していく「イン・ジ・アクエリアス」の過渡期にあります。

ちなみに、宝瓶宮時代ののち、1989年から約2,160年後になりますが、「磨羯宮時代」(まかつきゅうじだい)にうつっていきます。

それまでは「水瓶宮」(天王星)を共鳴サイン(宮)とする時代が続きます。


さて、詳しいお話は省略させていただきますが、「魚宮」の“民族性”にともない、大自然のめぐみを受けて、“お天道さま”を拝し、巨岩や由緒ある山をご神体として崇める“古神道”の日本は、双魚宮時代と共鳴して「天運」をともなってきました。

その具体例は、後日、当シリーズで掲載することがあると存じます。

これが、建国以来、一度も日本が国を失うような侵略をされてこなかった理由です。

さらに、祭祀(女性)と同時に、為政者(男性)を立てた古代の「ヒメヒコ制」もそうですが、女王ヒミコを共立することによって、長い争い(倭国大乱)を終わらせ、平和的に“各国”(豪族ら)による“合議制”をとってきたのが日本列島の九州にあった「倭国」(北部九州連合:邪馬台国連合)です。

この“統治パターン”は、のちの東遷とともに、畿内国を中心とした“大和”(大倭)に踏襲され、女王の代わりに「天皇」による平和的な統治へと、「宝瓶宮時代」を先取りしたかのように全国規模で展開されていきます。

例外はありますが、天皇は「君臨すれども統治せず」という“祭祀”(祈り)と“権威”の存在であって、西洋の“専制君主”のように「権力」をもって国民を押さえ込む存在ではないからです。

このあたりの「天皇」と「国民(国家)」の関係は、“一神教”の西洋人には理解しにくいかもしれません。

今後の「宝瓶宮時代」は、個人の「自由」や「個性」(才能)や「友愛精神」(和、絆、民度)が、漸次、世界的に発揮されていく社会に移行していきます。

それは、古来より、日本人が“モットー”としてきた形態でもありました。

このことが双魚宮時代の影響圏がはじまった縄文時代末期から、正式に双魚宮時代に入った弥生時代にかけて2,000年以上も前に“国づくり”が行なわれ、天皇(祭祀長)をシンボルとした合議制(稟議制)ゆえに、“国体”を「水瓶宮」とするゆえんです。

ちなみに、初代「神武天皇」のご即位(旧暦1月1日)を現在のグレゴリオ暦になおすと、2月11日(建国記念の日:水瓶宮)になります。

その真偽は不明だとしても、“和の象徴”たる「天皇」のもとに、だれもが“平等”という形態こそが日本の“国体”「水瓶宮」の原点になっています。


厳密には、多々ご意見があると存じますが、“支配/被支配”の対立二元論の「双魚宮時代」にあって、その影響はのがれえませんが、比較的ながら日本は庶民の自由が“国体”の「水瓶宮」によって守られてきた国家です。

ちなみに、「魚宮」の“民族性”は、お上(かみ)を尊(たっと)び、敬いしたがう国民性をもたらしています。


信長秀吉の安土桃山時代も徳川政権下の江戸時代も、商人をはじめ庶民主導の文化が花開いてきたことは、お上から“百姓は国の宝”とされ、第一次産業従事者や商人がとうとばれてきたことからもそれがいえます。

もっとも、そのような真の歴史を隠して、“支配層による搾取の歴史だった”と教えるのがマルクス史観(共産主義史観)の歴史学界や学校教育またそれに汚染されたマスコミです。


さて、日本の「天運」を支える天皇は、確実にいうなら『日本書紀』に記される7世紀の第40代「天武天皇」が壬申の乱を経て決意された「1,000年後も皇位争いをなくそう」とされた“意志”を基本に、その正妃の第41代「持統天皇」、そして孫の第42代「文武天皇」への“譲位”による三代の継承によって、藤原不比等の尽力とともに“万世一系”は定着していきます。

大海人皇子(おおあまのおうじ)こと「天武天皇」のご即位は、673年です。

以後、天智天皇の皇女であり、天武天皇の正妃となった鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)こと「持統天皇」、そしてその皇子「草壁皇子」の子「文武天皇」へと天武系の皇統は第48代「称徳天皇」(しょうとくてんのう)までつづきます。

それ以降は、天智系へと皇統が変わります。

日本の「天運」継承は、ここで分散されますが、それもまた結果的に日本の“天運”だったといえます。

詳細は後述いたします。


このことをひもとき、現在の「天皇」を語るには、どうしても天智系皇統の原点、中大兄(なかのおえ)こと「天智天皇」に触れなければなりません。

はっきりと書きますと、正統だった大海人皇子(天武天皇)に対して、『日本書紀』からみえてくる中大兄(天智天皇)は、“兄弟”であっても「義兄弟」です。

当時の出自は、正統性が疑える立場だったことが読みとれます。

その証拠のひとつに、7世紀前半、実質上の“大王”(天皇)だった蘇我家を倒した「乙巳の変」(645年)以降、668年まで23年の長きにわたって中大兄は、天皇につくことができませんでした。

結局は、母の「斉明天皇」がご即位されてのち、その崩御によってようやく「天皇」にご即位される道が開かれたのです。

それゆえ、『日本書紀』に記される中大兄の諡号(しごう)は、「天命開別天皇」(あめみこと ひらかすわけの すめらみこと)と申し上げます。

早いお話が、“天皇への道を開いた別系統”の天皇といえる諡号です。

このあたりの事情と日本の「天運」の変遷の秘密は、次回以降、お届けいたします。













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