本物の「金正恩」を見抜く
2020.05.05
マスコミが垂れ流すフェイク画像に見慣れてしまうと、どれが本物の金正恩か分からなくなります。

本物を見抜く確実な方法は、理論的なデータもそうなのですが、古美術や骨董の世界でもいわれているように、まず本物のみを見ること、本物に触れて本物しかもちえない気品や風格を感じとれるようになることです。

そこで、本物の金正恩の画像をいくつかピックアップして掲載してみました。

人は接する相手や置かれた状況によって少なからず表情が変わります。

また立場や経験、健康状態など年月によっても顔や体格などは変わります。

そのあたりもふくめて、真顔のとき、緊張しているとき、笑顔のとき、どのような表情になるのかを考慮されつつ、その根底にあるその人しか持ちえない“人柄”や“風格”を感じとっていただければ、本物を見抜くご参考になるでしょう。


まず、父の金正日国家主席との比較的若いときの画像です。




次に幹部らが集う会場で、妻の李雪主とリラックスした少し前の金正恩です。




以上の画像からは、想ったより品のある案外といい男であることがわかると存じます。

次は、肥満体となり、ストレスを抱えたり、国内では命を狙われるなど厳しい環境の中にあるなか、昨年2019年にロシアを訪問したときの金正恩の画像3連発です。








やはり、この貫禄はニセモノには出ません。

もっともロシアは、“味方”とはいえ気を抜けない相手なので、相応に緊張した金正恩です。

最後に、同じく昨年2019年に“仲間”のベトナムを訪れたときの画像を掲載しておきます。

終始、どこかこわばったロシア訪問とは異なり、笑顔が多くみられたベトナム訪問でした。そのメインとなる1枚の写真です。




いかがでしたでしょうか。

ホクロなどは、どうにでもなりますし、耳の形も少しは参考になるものの、やはり角度によって見え方が異なります。

彼の顔の特徴は、鼻先(鼻中)が引っ込んでいるといった鼻の形があるのですが、写真の角度では判別しずらいし、顔はもちろん顔の横におできみたいなものができていたり、治ったりすることもあります。

そういったこともあって、結局は国家を背負ったTOPがもつ“強さ”や“凄さ”などから判断されるのがベースになると存じます。

ちなみに、右手のひらを向けて手をふるときの“手相”は、上のロシア訪問とベトナム訪問のときの画像は同一人物でした。

さすがに「替え玉」も鼻のホクロはともかく、“手相”までは整形できないので、見抜く決め手になるのではないでしょうか。


もちろん、ご判断は皆様のご自由です。








金正恩ニセモノ説の真贋
2020.05.03
20日ぶりに姿を現わしたとされる「金正恩」の画像に対して、“ニセモノ”説が上がっています。

もっとも、だからといって金正恩が“死亡”しているかは今現在、確定していません。

さらには、“病み上がり”だから精彩を欠いた表情だともとれますが、それにしても低レベルの「替え玉」です。

というか、「金正恩」とされる画像の多くは、北朝鮮国内のものを含めて、だいたいは“ニセモノ”です。


さて問題です。

次の画像をのなかで“ホンモノ”はどれでしょう?



【答え】
後半はほとんど全部が“ニセモノ”です。

若い頃の画像のなかに比較的本物がありそうです。


ここ数年は、暗殺をおそれるために北朝鮮国内の公式行事でも当人が姿を現わすことはほとんどないといえます。

当然、その画像も“ニセモノ”です。

そのため、ネットやマスコミで私たちが見る「金正恩」の近影は大半が“ニセモノ”です。

画像のどれかが“ホンモノ”ではないかと考えること自体が、すでに誤魔化されている可能性が高いのです。

たとえば、次のようなことを考えてみてください。


一般人とは際立って異なる服装や髪型などの特徴があると、それに目を奪われて“同一人物”だと認識しやすくなります。

「金正恩」の場合、それが“黒電話”のヘアースタイルです。

そういった髪型で風貌が似ていると、「金正恩」? と思い込みやすくなります。

北朝鮮は、そういった人間心理を利用して、“黒電話”を特徴にした「替え玉」を準備しているといえます。

その人数は、10数人~一説では60人ほどもいるといわれます。

逆に申し上げますと、本物の金正恩は、ふだんはですが、そこまでキッカリと固めたヘアースタイルはしていません。

なので、各国との首脳会談の「金正恩」の画像もだいたいは“ニセモノ”です。


文在寅との「南北首脳会談」にしても、習近平との「中朝首脳会談」にしても、またトランプとの「米朝首脳会談」にしても、ほぼ同様だと考えられます。

なぜなら北朝鮮は、もともと“韓国”とは休戦中ですし、“中国”は信用できず、“アメリカ”も敵対関係にある国家だからです。

中国が入っていることに意外だと思われる方がいるかもしれませんが、同じ“共産主義”ゆえに最も警戒していて、父の金正日が金正恩を後継者にするさいに、「中国を信用するな」と言いおくったほどです。

そういうこともあってナンバー2だった叔父の「張成沢」は、中国とのパイプ役ゆえに粛清されました。


占星学からみても金正恩は、山羊宮生まれ(太陽)なのです。

山羊宮の本質は、“用心深く”また“慎重”なので、“計算高い”タイプです。

ときに、石橋を叩いても渡らないほどで、近年の北朝鮮はそうでもないと、いつ暗殺されるかわかりません。

そのような山羊宮の性質の反面、金正恩は、激高するとなにをするかわからない闘争的な星まわりを生まれもっています。


さて、そろそろ結論を述べなければなりません。

本物の金正恩についてです。

その“タネ明かし”となるお答えは、ロシアを訪れたときの金正恩が本物です。

なぜなら、北朝鮮はもともと旧ソ連が祖父の金日成(初代国家主席)を立てて、建国した共産主義国家だからです。

そのため、旧ソ連だった現在のロシアは、比較的ながら他国よりも安全で、万が一のさいの亡命にあたっては、ロシア経由が準備されているほどです。

また、ロシアを訪れた金正恩が本物である理由は、元“KGB”出身の現ロシアのプーチンの前では、「替え玉」などすぐに見破られて通用しないためです。


ということで、ロシアとの関係をつないでおくためにも、金正恩本人がプーチンとの会談に臨んでいます。

そう考えて他の画像とみくらべてみると、ふだんの“黒電話”の「金正恩」とは異なり、凄みだったり、威風さえ相応ながも感じられます。



↑ 2019年 ロシアを訪問したときの金正恩







【現実版】戦国武将ベスト5
2020.05.01
この前、国民10万人が投票「戦国武将総選挙」が放送されていましたよね。

これは“日本人に愛される戦国武将 ベスト30”という副題のとおり、各自が“好き”だったり“尊敬できる”または“強そう”など、それぞれの自由な判断基準をもって、いわば“イメージ”で選んだものです。

なぜ、“イメージ”?

まず「戦国武将」の実際の姿を知っているわけではありませんよね。

だいたいは「小説」や「ドラマ」また「ゲーム」などで描かれた“フィクション”に影響されつつ、一部にノンフィクションの部分的な「実録」をまじえた“イメージ”によって、ご判断されているからです。

江戸時代の「太閤記」や近年の「司馬文学」などは、フィクションの代表例です。

歴史家のあいだでは、事実とは違うことが知られていますが、読者としては「なるほど、そうだったのか」と思い、イキイキと描かれた胸躍る戦国武将の活躍の姿に、つい“事実”だと信じてしまいます。

そういった後年、当時の人によって書かれた戦記物をふくめ、ドラマと実際の戦国武将の姿はかなり違いがあります。

およそTOPに立つ人間は、遠くから客観的にみるぶんには“カッコイイ”のですが、実際にそばでリアルに接すると考えの違いがあることなどから理解できなかったり、接し方に苦労することも多くイメージがガラリと変わることがあるからです。

そこで、そういった“フィクション”や“ドラマ”のイメージを抜きにして、歴史に残る「実績」から、ほんとうに凄かった戦国武将はだれなのかベスト5にしてみました。

もちろん、好き嫌いの個人的な感情はぬきにしてです。


では、早速、発表~♪

ド、ド、ド、ド、ど~ん!同率 第4位。


◆「豊臣秀吉」と「前田利家」

【理由】
秀吉は、たしかに「天下」を獲りましたが、2人の軍師の突出した力が大きく、天下をとってのちは弟「秀長」のコーディネイトに負うところが大きかったからです。

もともと秀吉のイメージは、光秀を討ってのち自らのイメージアップ戦略によるもので、信長の覇権を自分の手柄かのように描いた「太閤記」などによるつくられた秀吉像です。

事実、秀吉が真の天下人たりえないのは、「淀姫」への接し方をはじめ、TOPとして最も重要な「後継者」づくりに失敗していることです。

逆に、利家は、秀吉側でありながら、徳川政権下で「後継者」への引継ぎに成功し、加賀100万石の礎を築いています。

また、賢妻「まつ」とともに、秀吉を上回る卓越した側面をもって生き残り、単純に比肩はできないものの結果、いい勝負だといえます。


第3位

◆「織田信長」

【理由】
個人的には、いちばん好きな戦国武将です。

過去にとらわれない合理的な判断や、数々の改革を推し進め、古い家柄や権威の時代から、実力で新しい時代のやり方に変えていったことは、やはり特筆に価します。

その点で秀吉は、信長の2番煎じの政策が多いことからも、信長が上位です。

減点せざるをえない部分は、ドラマチックな生涯は面白いのですが、「星のディレクション」の影響があるとはいえ、天下獲りが見えて“慢心”してしまったことが、戦国武将のTOPとしてはありえません。

事実、それが「本能寺の変」につながっています。


第2位

◆「伊達政宗」

【理由】
東北にありながらバテレン禁止のなか、広く海外にも目を向けて秘密裏に派遣した先見の明と胆力、また戦さの実力もありながら、「気長く心穏やかにして(中略)この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」と達観する精神性をそなえていたところです。

天下人の秀吉にも家康にもおそれられながらも高く評価され、重用されれる器をもっていたことや、家康なきあと、天下獲りの野望を捨て、三代将軍「家光」の“後見役”として、“外様”ながら仙台藩58万5千石(のちに62万石)の雄藩を築き、幕末まで続く礎を残したことです。

もし、信長と同時代に生まれていれば、どちらが天下を獲ったかわかりません。

少なくとも東北をはじめ関東以北は“伊達王国”になっていた可能性が高いからです。


第1位

◆「徳川家康」

【理由】
家康は、明治政府によって徹底して貶められました。

長州、薩摩などから、関ヶ原の“仇”(かたき)として、功績をないかのように評価されたのです。

そんな誤まったイメージが現在も残り、戦後、経済界のTOPなど組織存続の手本として評価を受けてそこそこの名誉を回復したものの、一般人にはおよびませんでした。

現代人は、明治政府によってイメージづけられた悪人“家康像”を心のどこかに植えつけられたまま、その実績に反して、かなり不当に評価されています。

というのも、天下のTOPたる最大の責務は、国家国民の安泰であり、その維持と継続だからです。

家康は、自身の後継者の育成とともに、それを見事に成し遂げています。

あの時代に、旗本や直参には石高を低くして地位を与え、外様には地方に封じたものの石高を高くして不満を抑えています。

また、檀家制度によって宗教を“戸籍係”や“葬式仏教”にして、維持運営はできるものの信仰的には骨抜きにするなど、300年近い太平の世を維持する“システム”を家康は築いています。

もはや、並みの戦国武将とはレベルが異なり、この右に出る戦国武将はいません。

義元、信長、秀吉に仕えながらも、信頼され、戦国時代を生き残った術(すべ)や精神性を含めた力量は、あまり喧伝されていませんが、並大抵のものではありません。

そういったいろんな立場を臨機応変にそつなくこなし、生き残り天下を掌中にしたのみならず、泰平の礎を築いた見識や実力また人格は、“三拍子”そろったナンバーワンというしかありません。


ちなみに、戦国武将以外では、1,000年のちをみて『日本書紀』をはじめ“万世一系”の「皇統」を定めた天武天皇とその定着に尽力した持統天皇(天武正妃)がいます。








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