物部氏は古代オリエント族?
2022.05.09
 
[大胆仮説] 物部氏は古代オリエント族の末裔か?
[饒速日命を祖にもつ意味]
― なぜ神武以前にヤマトにいたのか ―



◆「最初に日本をまとめた大国主命または饒速日命の国譲り◆ 



古代日本を成立させた物部氏(もののべうじ)に関する大胆仮説です。

宝瓶宮占星学サイトに連載した「日本の原点」に関連して、どうしても納得のいかない点がありました。

国譲りをおこなったとされる「出雲族」と、国づくりを行なった「大国主命」(おおくにぬし の みこと)、そして「饒速日命」(にぎはやひ の みこと)を祖とする古代の豪族「物部氏」の正体とその関係です。

大胆仮説となるのを承知で申し上げますと、これらは同一か錯綜した類似関係にあります。

さらにいえば、饒速日命は紀元前7~8世紀頃に日本に来た古代オリエント族にもかかわり末裔かのようです。



≪統一独立国家建設≫

『日本書紀』は、史実をベースとしながらも、明らかに作為された記述が散見できます。

天孫族を正統とした「神代」(かみよ)の記述や、各地の豪族を赤子(せきし)に組み込んで、統一独立国家「日本」(大和)を建国することが急務だった7世紀の影響が色濃くあらわれています。

『日本書紀』編纂の総裁だった「舎人親王」(とねり しんのう)は歌人で、“舎人”と称されているように名目上の責任者でしょう。

舎人親王は、『日本書紀』の編纂を勅命された天武天皇(???-686)の皇子だからです。

実質は、抜群に頭もよく策謀家で、万世一系の定着に貢献した「藤原不比等」(ふじわら の ふひと)によるアイデアが満載で、一定の史実をベースに、そこには天皇と藤原氏また大和朝廷による「統一独立国家」建設の意図を盛り込んだ「プロパガンダ」(政治宣伝)の書になっています。

天才というのは、彼のような人を言うのかもしれません。

おかげで第40代「天武天皇」(てんむ てんのう)、その妃で第41代「持統天皇」(じとう てんのう)、両天皇の孫で第42代「文武天皇」(もんむ てんのう)と、『日本書紀』の天孫降臨神話どおりの皇位継承に成功し、事実上の万世一系がはじまり、今日も続いています。

揺らぐことなく歴代天皇のもと統一独立国家として1,300年のちも「国体」が保たれていることへの彼の功績は大きいのです。



≪神武以前のヤマト国≫

そういった『日本書紀』ですが、初代「神武天皇」への「国譲り」のお話が描かれている以上、東征以前にヤマトに譲るべき国らしきものがあったと考えるほかありません。

当然、出雲や大国主命また饒速日命にかかわる国です。

“大国主”という名前は、最初(大)に国の主(あるじ)となった人物を意味します。

現在の出雲大社(いずも おおやしろ)の主祭神です。

古代出雲を治めたとされる素戔嗚命(すさのお の みこと)の子孫が大国主命であることを知ればおかしくありません。

さらに、「神武天皇紀」に記されているように、物部氏の祖とされる「饒速日命」(にぎはやひ の みこと)は、神武以前にヤマトにいて主(あるじ)でした。

“饒速日”という名前は、先に和(饒)をもたらし国づくりをしていた人物(ひ:霊)であることが読めるのです。

結局、出雲族、大国主命、饒速日命は、どこか一つにつながってしまいます。




≪饒速日命も天孫族だった≫

饒速日命から物部氏の初代となる「宇摩志麻遅命」(うましまじ の みこと)が生まれています。

物部氏は、天皇を支える古代豪族でありながら、「天孫系」で特別氏族とされます。

『日本書紀』には、神武天皇がヤマト入りをしたときに天皇が長髄彦(ながすねひこ)に、「主(あるじ)の饒速日命が天津神(天孫族)なら表(しるし)があるだろう」と問うと、長髄彦は天羽羽矢(あまの ははや)と歩靭(かちゆき)を天皇に示したとされます。

すると天皇は「偽りではない」と認められているのです。

ご存じのように天孫降臨した「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)から天孫族の皇統がはじまり、彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえず の みこと)、そして初代「神武天皇」へと続きます。

このどこかに饒速日命がいたことになりますが記されていません。

どこまでが史実なのかはともかく、意図的に省くといった『日本書紀』の記述の在り方が読めます。

そういった『日本書紀』なので、出雲族、大国主命、饒速日命がどこかでつながっていてもおかしくないのです。

古代ヤマト(奈良)で国譲りが行なわれ、ヤマトの地に大国主命の別名「大物主大神」(おおものぬし の おおかみ)を祀る「大神神社」(おおみわ じんじゃ=おんが さま)が実際にあるのです。

出雲大社の主祭神でもある大国主命が、名前を変えて大神神社の主祭神として祀られている以上、もともとはヤマトにいたことが、その規模やご神体の三輪山からわかります。

ちなみに、かえって混乱するかもしれませんが、史実としては、古代ヤマトは卑弥呼の邪馬台国などではなく、出雲族や大国主命また饒速日命にかかわる集会地や祭祀上の国だったとすれば、三輪山のふもとに箸墓古墳(はしはか こふん)があることのつじつまがあいます。



≪九州北部からの東征≫

さて、ここまで推測できれば、お話は簡単です。

古代日本の弥生時代におけるコメ作り、また土器は北部九州や遠賀川(おんががわ)流域から全国に広がりました。

広めたのは、おんがさま(大神様)こと大国主命(大物主神)すなわち饒速日命です。

大国主命は一人とはかぎらず、各地にいてもおかしくありません。

そのなかで各地に医薬などの道を教え広めて、ゆるやかな大国主連合を築いていった代表が『日本書紀』に記され、大神神社や出雲大社に祀られる大物主大神こと大国主大神でしょう。

そのように考えると、年代は未定ですが北部九州の遠賀川上流域をさらにのぼった「朝倉」周辺の地名が、ヤマトこと現在の奈良県や近畿に、方向や位置関係も一致して多くあることもうなづけてしまいます。

また、東征の上陸地大阪をみても同様です。

福岡市の屋台ラーメンで有名な長浜に隣接する草ヶ江は、古代は入り江となっていた「草ヶ江湾」(くさがえ わん)でした。

同じように大阪府の東部にあった古代の河内湖の古称は「日下江」(くさかえ)です。

さらには、住吉大社は今でこそ総本社として大阪にありますが、日本第一宮住吉神社が今も博多駅近くに残っています。

古代の入り江「草ヶ江湾」また「冷泉津」(湾、港)を抱えていた古代の“博多湾”に流れ込む那賀川(なかがわ)の河口に古代から住吉神社はあって、現在は土砂の流出や埋め立てによって内陸部になっています。

住吉神社は、海人族(あまぞく)の住吉三神をご祭神とし住吉大神らしき武内宿禰(たけの うちの すくね)ゆかりのようです。



≪古代オリエント族≫

さらに、大胆仮説を申し上げます。

神武東征とされる紀元前7世紀頃は、古代イスラエルのソロモン王の船団が、交易集団フェニキアの力を借りて世界各地に鉄や宝石また珍物を求めて3年間ほどのスパンで航海を続けていた時代です。


※ Phoenician Ship : フェニキアの二段櫂船

海に囲まれ大自然が豊かな火山地帯である古代の日本は、山海の食糧だけでなく、砂鉄や宝石類も多かったために、ソロモン王の船団も来ていたようです。

淡路島には古代イスラエルの物証が残っているとか。

日本列島には以前から原住縄文人がいましたので、日ユ同祖論は明らかな誤りですが、古代イスラエルの影響が副次的にあったことまでは否めません。

上述の紀元前7~8世紀頃をはじめ、史実からみても3世紀、5世紀、7世紀など日本のはじまりとされる時代に古代オリエント系の影響があったようです。

物部氏が鉄器と兵器の製造や管理をしていたというのも、温和な縄文系の古代日本民族では特殊で、戦いを常とし鉄器文化を開いた古代オリエントのヒッタイトにゆかりがある可能性も残されています。

なぜなら、古代イスラエルのダビデ王の妻バド・シェバ(バテシバ)の元夫はヒッタイト人で、彼女はソロモン王の母親でもあるからです。

ソロモンの船団には、古代イスラエル人を雇用主に、フェニキア人の操船者と、ヒッタイト人の技師らが乗っていたことでしょう。

彼らは古代イスラエルが紀元前931年に南北に分裂したのち、北イスラエルも紀元前721年に滅亡したため、帰る場所を失い、食料が豊かでキレイな水にも恵まれ気候も温暖な日本に居つくか舞い戻ってきたのではないでしょうか。

そして、古代国づくりを援助したのですが、原住ではないことから“神武天皇への国譲り”に至ったことが推測できます。









ヨハネの黙示録12の門
2022.05.07
 
ヨハネの黙示録12の門
― アストロロジーとの共通性 ―



◆「東西南北それぞれ3つの門は四大元素説と同じ



現代の西洋占星術は、アストロロジーでしょうか?

占星術は「ディビネイション」(divination:占い)ですよね。

世間一般的な見地からは、客観的な理論をもつ学問「~ロジー」とは異なります。

「ディビネイション」(divination)を直訳すればdivineは神なので、「神ごと」になります。

“信じる/信じない”といった宗教に近いのです。

そのため、“吉/凶”や“当たる/当たらない”といった占断によって他力本願の信心に陥ることさえあります。



≪ヨハネの黙示録の記述≫

調べものがあって「ヨハネの黙示録」を見ていたら、次のような一文を発見しました。

「都には、高い城壁と12の門があって(中略)、東に3つの門、北に3つの門、南に3つの門、西に3つの門があった」(第21章12-13節)。

ここで「都」というのは、それぞれの門を御使い(天使)が守る「聖なる都エルサレム」のことのようで、たぶん天の国の象徴でしょう。

黙示録の解釈はともかく、12の門は古代ギリシャのアストロロジーの「四大元素説」に基づいた四角いホロスコープを想起させます。

偶然なのか、はたまたヨハネさんが知っていたのか。

定かではありませんが当時、世界を席巻していた最先端の世界観が「四大元素説」なので、記憶の片隅にでもあったのかもしれません。


【One Point】 こんなことを書くと「聖なる都“天国”と占星術を一緒にするな!」って信者のかたから怒られそうですね。

しかし、初期のキリスト教神学は、社会への布教のために古代ギリシャの学問(哲学)を用いて構築されていった経緯があります。



≪四角いホロスコープ≫

古代ギリシャのアストロロジーは、日本では誤まって“古典占星学”と呼ばれています。

ですが、当時は、現在考えられているような「占い」ではなかったのです。

古代ギリシャをはじめ世界的に活用された最先端の“学問”だったので、「星学」と呼ぶならともかく“占星学”はヘンですよね。

医学者や科学者をはじめ、ローマ帝国の知識人たちに必須の教養の一つだったのが古代ギリシャのアストロロジーでした。

「四大元素説」をベースに、体系化されたホロスコープ解釈のアストロロジーという学問だったのです。

近世までホロスコープが四角だったのは、それが「四大元素説」にマッチしていたからです。

その4つの辺、東西南北に3つずつ、合計12のハウス(またはサイン)が配置されていました。

『聖書』の最後を飾る「ヨハネの黙示録」の12の門の記述とよく似ています。


【One Point】 「四大元素説」に基づいて「火/土/風/水」の四大元素が、根本の「熱/冷」「湿/乾」によって、それぞれ3つずつ割り当てられました。

この四角いホロスコープの中に、12のサイン(またハウス)があって、太陽~土星まで7つの星を配置していたのはご存じのかたも多いでしょう。



≪アストロロジーの誤訳≫

では、アストロロジーを「占い」だと勘違いしている最大の原因は何でしょうか。

大きく2つあります。

1つは、日本の占星術関係者が、古代ギリシャのアストロロジーを“古典占星学”と呼んでいるからです。

私も以前はそう思っていました。

もう1つは「アストロロジー」(Astrology)が“占星術”と誤訳されているからです。

後者は海外の事情や歴史的経緯がありますので仕方がありません。

近世になって「四大元素説」は疑似科学(迷信)として退けられました。

そのために400年ほど前の16世紀後半以降にアストロロジー理論を維持したまま「占い稼業」に転化していった経緯があります。

それは「古典占星術」と呼んで間違いありません。


【One Point】 現代の西洋占星術は、自身に“幻想”や“欺瞞”また“事実誤認”といった象意を、“夢”や“理想”などの美しい象意とともに持っています。

1846年に発見された「海王星」の影響を受けて成立しましたので、われ知らずともそのような“現実錯誤”をしやすい側面があることを、占術師ご自身も気づいておられないようです。



≪「木星」と現代の「海王星」≫

もう一つ、占星術関係者もご納得の観点から理由を述べてまいります。

「木星」と「海王星」は誰もが知ってのとおり別の星です。

両星の象意には似た部分がありますが、“学問的”(アカデミック)な象意をもつ「木星」と、“神秘的”(オカルトチック)な象意をもつ「海王星」なので正反対です。

「双魚宮時代」や「魚宮」の“支配星”の変遷からみても、19世紀の海王星の発見までは木星が“支配星”でした。

そのため、古代ギリシャの「アストロロジー」は木星の象意を受けた“学問”だったのです。

ところが、双魚宮時代末期、19世紀に海王星が発見されてのち、魚宮また双魚宮時代の“支配星”は海王星に変わっていきました。

それゆえ19世紀後半にアラン・レオらの星占いによって萌芽し変容していった現代の西洋占星術は、海王星の象意を受けた“神秘的”(オカルトチック)な占いに変わったのです。

古代ギリシャのアストロロジーとは似て非なるものになってしまいました。


【One Point】 いわゆる「秘教占星術」(神秘占星術)です。

「火/土/風/水」といった言葉をもちいてはいますが、理論は捨ててありません。

根拠としていた「四大元素説」も、400年も前の近代科学によって“疑似科学”(迷信)とされ理論破綻していて、もはや使えないので当然なのです。



≪現代占星術の成立≫

「四大元素説」の用語「火/土/風/水」を用いているからといって、理論までは踏襲していないということです。

四大元素を成している、より本質的な「熱/冷」「湿/乾」といった根本の理論は、言葉すら現代占星術には見当たらないので表層的に利用しているにすぎません。

理由は、アラン・レオ(1860-1917)がはじめた理論なき星占いが当時の心霊ブーム(近代スピリチュアリズム)のさなか、大人気をはくしたからです。

理論がない単純な“当たる/当たらない”の「占い」ゆえに、非科学的な心霊ブームのさなかにあった当時の大衆に受け入れられたのです。

面白くないのは、パクられた側の古典占星術師らです。

アラン・レオらを非難し、結果的に「火/土/風/水」といった用語だけを踏襲して「ホロスコープ占い」に変容させました。

それが今日の現代西洋占星術のはじまりです。


【One Point】 古代ギリシャのアストロロジーも、近世の古典占星術も、現代の西洋占星術も、ホロスコープを用いるのは同じです。

なので、みんな「占い」だと勘違いしています。

ですが理論解釈があると、中身がまるで異なってきます。

理論がなく、古い象意解釈を参考にするしかない現代占星術とは正反対だということに気づかなければなりません。









占星学的な時代区分とは
2022.05.04
 
[宝瓶星学] 占星学的な時代区分とは
― 宇宙波動による歴史変化を読む ―



◆「宝瓶宮時代のアストロロジーの誕生と宇宙的根拠



「占星学的な時代区分」についてご説明いたします。

「占星学的な時代区分? なんの話? 初めて聞いた」というかたもいらっしゃるでしょう。

必要があって勝手にそのように名付けましたので、知らないかたがいて当然です。

ですが、「プラトン月」(グレート・マンス)といえば、耳にされたかたもいると思います。

実は、占星学的な時代区分ことプラトン月によって人類歴史は規定され、進化発展していますので、思ったよりも重要な概念です。



≪人類歴史のアウトライン≫

これまでの人類歴史を約2,000年ごとに大まかに区分してみると、その一端が見えてきます。

太古に「文字」の発明による文明の発祥がありました。

発見した記録を文字によって後世に残したり、より正確な情報伝達が遠隔地へと可能になることによって、豊かさを求めた「物質文明」が栄えました。

次に、その物質的な富や領土をめぐって、戦いや闘争が起き、戦国乱世の時代によって大帝国が築かれていきました。

しかし、それは人間の本質ではなかったのです。

そのため、仏陀やイエスがあらわれて、慈悲や愛を説く精神や霊性を重視した「宗教の時代」がはじまりました。

そのような精神性をベースに、今日、新しい宝瓶宮時代(Ege of Aquarius)がはじまっています。



【One Point】 アバウトで人類歴史を俯瞰してみました。

当サイトをすみずみまでお読みのかたや、数理法則とクオリアル・ワールド「伝授講座」をご受講されたかたなら、12サイン(宮)との関係性までもご理解できるでしょう。



≪12サイン(宮)を逆順に進む≫

簡単にご説明いたします。

古代オリエントにおける文字(情報)による文明の発祥は、占星学的な時代区分(プラトン月)でいえば「双児宮時代」(そうじ[ふたご]きゅう じだい:双子宮の象意による時代)に該当します。

次のエジプト文明に連なる物質文明の時代は「金牛宮時代」(きんぎゅうきゅう じだい:牡牛宮の象意の時代)です。

その次の西アジア統一やローマ帝国建国に至る戦いや闘争による戦国乱世の時代は、「白羊宮時代」(はくようきゅう じだい:牡羊宮の象意による出来事)です。

そして、先頃の仏教やキリスト教による宗教の時代は、「双魚宮時代」(そうぎょきゅう じだい:魚宮の象意の時代)でした。

双魚宮時代は紀元前6世紀頃、ちょうどブッダが生誕したあたりから影響圏に入り、正式には紀元前2世紀(BC170年頃)~20世紀末(1989年)まで、約2,160年間(計算値)続きました。

そして今日は「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい:水瓶宮の象意の時代)の緒にあるのは、ご存じのかたも多いでしょう。



【One Point】 ホロスコープに詳しいかたなら12サイン(宮)とその象意はご存じでしょう。

紀元前2世紀頃までの古代ギリシャ時代からあるプラトン月(占星学的な時代区分)なので、12サイン(宮)の古典的な名称で上述のように呼ばれています。

「春分点」の移動にともなって12サイン(宮)を逆順に進みます。



≪各時代の歴史パラダイム≫

人類歴史は約2,160年(計算値)の占星学的な時代区分の変遷によって、「歴史パラダイム」を変えながら進化発展してきました。

「歴史パラダイム」というのは12サイン(宮)の象意に基づいて、当該時代を規定していく大きな時代的枠組みのことです。

たとえば、双児宮時代という場合、双子宮の象意による「知識」(情報、文字)による文明発祥の時代でした。

次の金牛宮時代は、牡牛宮に共鳴する「物質」による文明の時代で、白羊宮時代は牡羊宮の象意に共鳴する「戦い」の時代だったのです。

そして、先頃の双魚宮時代は、魚宮の象意に共鳴する「宗教」(信仰)の時代で、今後の宝瓶宮時代は水瓶宮の象意に共鳴し、これまでにないまったく新しい時代が今後は漸次、築かれていくことになります。


【One Point】 占星学的な時代区分を別の一般的な呼び名で表現すると「プラトン月」(グレート・マンス)です。

地球の「歳差運動」(春分点歳差)にともない、約25,920年(計算値)の周期をもった「プラトン年」(グレート・イヤー)を12等分した約2,160年間(計算値)ごとの歴史期間にあたります。



≪宝瓶宮占星学の根拠≫

いずれにしましても、あまり聞かない呼び名ですよね。

約2,160年(計算値)ごとにしか変わりませんので、馴染みがうすいし学校でも習いませんのでしかたがありません。

ですが、プラトン年(グレート・イヤー)は、アストロロジーにとっても、天文学者であり数学者であったヒッパルコス(BC190頃-BC120頃)によって古代ギリシャ時代に発見された重要な概念です。

占術師の一部が誤って呼んでいる“風の時代”といったあいまいな表現をすると、「双児宮時代」なのか「天秤宮時代」なのか「宝瓶宮時代」なのか、正しい「歴史パラダイム」が分からなくなり、“混乱”が生じてしまいます。

知ってる人は知ってのとおり、現代の占星術は19世紀に発見された海王星の影響を強く受けて成り立ちましたので、何かと勘違いや誤認を起こしやすいのは無理ないことなのです。

なぜなら、海王星は、“善意”や“奉仕”といった美しい象意の一方で、“混乱”や“欺瞞”また現実から離れた“妄想”や“イメージ”といった象意をもつために、勘違いや事実誤認といったことが起こりやすいためです。

そのような海王星発見直後の19世紀後半の象意を受けながら神秘的(オカルトチック、ミステリアス)な心霊ブーム(近代スピリチュアリズム)のさなか、現代西洋占星術に変容しつつ今日のように成立していったのが、アストロロジーまがいの今ある「ホロスコープ占い」ということがわかれば、簡単に首肯できるのです。

それはそうと、他者に危害を加えない以上、“信じる/信じない”は占星術にも保障されています。

信教の自由の現代なので、宗教と同様に信じるのはご自由なのです。

重要なことは、占星学的な時代区分が、人類歴史の変遷を象わすだけでなく、その時代のアストロロジーを逐次、誕生させていることです。


【One Point】 白羊宮時代のアストロロジーは「天体観測」(ホロスコポス)で季節の到来を告げるものでした。

双魚宮時代はホロスコープとともに発祥した古代ギリシャのアストロロジー(通称:古典占星学)の時代です。

昨今、新たにはじまった宝瓶宮時代は「宝瓶星学」(通称:宝瓶宮占星学)になります。



≪プラトン年とは?≫

では、占星学的な時代区分ことプラトン月は、どのように定まっているのか実際をみてみましょう。

約25,920年(計算値)の周期をもつ「プラトン年」(グレート・イヤー)が、そのベースです。

地球が23.4度の自転軸の傾きを保ったまま、ゆっくりと首を振るように約25,920年をかけて、ぐるっと1回りする「歳差運動」(春分点歳差)に依拠します。

その動きによって、地球の赤道面を延長した天の「赤道」と太陽の「黄道」との交点が「春分点」(反対側は「秋分点」)で、約72年に1度ずつ黄道上を少しずつ移動していきます。

この「春分点」を起点に30度ずつ、均等に12サイン(宮)が定められたのがホロスコープです。

位置も幅もまばらな空の星座は、アストロロジーやホロスコープとは関係がありませんのでお間違えなく。

詳しいご説明は省略いたしますが、古代ギリシャ時代の天文学者であり数学者のヒッパルコス(BC190頃~BC120頃)が生存当時の「春分点」の位置を“春分原点”として、そこから移動していく「春分点」のある古典的な名称の12サイン(宮)が占星学的な時代区分「プラトン月」になります。

計算上は約2,160年ごとになりますが、実際はもう少し短く、1989年以降の現在は「宝瓶宮」の端緒にありますので「宝瓶宮時代」に入りました。


【One Point】 にもかかわらず、昨今は2009年から続く「双魚宮時代のリバイバル」のデレクション(運勢変化、時代変化)の末期にあります。

そのため、両時代の影響が入り混じった歴史の混乱期になっています。

それゆえにこそ、宇宙波動エネルギーによる「歴史パラダイム」とその方向性を正しく見極めつつ、ご対応されることが必要な昨今になっていることを、ご認識されておかれるとよいのです。









随感15 水星逆行の意味
2022.05.01
 
ホロスコープ随感15 水星の逆行に意味はあるか
― 今年2022年5~6月のケース ―



◆「ケース・バイ・ケースでの逆行のとらえ方



水星の逆行には、どんな意味があるのでしょうか?

今年2022年5月~6月前半のケースを見てみましょう。

4月30日に双子宮に入宮した水星は、双子宮5度の直前で逆行に転じると、牡牛宮に逆入宮したあと25度付近で順行に戻り、6月中ごろに双子宮に再入宮します。

以前、「ホロスコープ随感6 逆行についての考察」で、逆行に触れて意味があるものとないものがあると書いておきました。

今回の双子宮での水星の逆行に触れておきます。



≪逆行する星は複数あるけど≫

以前の記事に書いたとおり、水星の逆行についてよくトピが立てられます。

以下に述べる理由で、これまでは興味を示しませんでした。

逆行する星は水星にかぎりません。

太陽と月またその交点のドラゴンヘッド&ドラゴンテールをのぞいて、惑星はすべて逆行するからです。

なのに、なぜ水星のみ逆行に関して頻繁にトピが立てられるのでしょうか?


【One Point】 逆行の頻度はおよそ次のようになります。

動きの遅い木星から冥王星までのソーシャル・プラネットは年に1回、地球が追い越すときに約5か月ほど、見た目上ですが逆行しているように見えます。

小惑星帯のケレスも同様です。



≪水星の逆行トピの理由≫

水星の逆行について、トピが立てられる理由は次の2つです。

1、水星が「神経系統」を象わすため。

2、ほかの星に比べて逆行の頻度が高いため。

一般的には逆行そのものに深い意味はありません。

ただ水星の場合は、「神経系統」に強めに象意を受けている一部の人に、後述する特定の理由によって影響が出ることがあります。

たぶん、ご自分に影響が出ているので、ほかの人も同じだろうと思ってトピを立てることがあるようです。


【One Point】 若い人ほど、水星の逆行の時期にそうなることがあります。

ただし、水星の逆行がすべてそうだとはなりません。

年齢や人生経験を重ねていくほど影響を受けにくくなり、以前ほどは感じなくなっていくのがふつうです。



≪神経系統と若年齢ゆえ≫

つまり、水星は「神経系統」を象わし、「逆行の頻度」も比較的高いので、一部の人がナーバスになりトピが立てられるようです。

ホロスコープ(出生天球図)で水星の象意が突出していたり、逆行する位置によって「水星のデレクション」(運勢変化)を強く受けるときに、そうなりやすいのです。

水星が象わす年齢域は、社会人未満で学童や学生など若年層です。

そのため、人生経験が浅いのはもちろん、ホロスコープへの造詣も深くないことが多いため、逆行そのものに意味があるかのように勘違いしているのです。

すべてがそうだと断定はしませんが、そういった一部のかたのみです。


【One Point】 本来は「感受性」を象わす月も「神経系統」を象わす水星と同様です。

ですが、月は動きが早く「デレクション」の期間も1日前後と短いし、なによりも逆行をしないためにトピを立てる機会がありません。



≪双子宮での逆行のケース≫

さて、具体的なお話にうつりましょう。

今年2022年に水星は、水瓶宮、双子宮、天秤宮で逆行します。

4月30日に双子宮に入宮した水星は、5月12日に逆行に転じ、同月23日に牡牛宮に逆入宮すると、11日後の6月3日に順行に戻り、さらに11日後の6月14日に双子宮に再入宮します。




この前後、牡牛宮24度前後で土星に下方矩(ロウアー・スクエア=90度)をとり、牡牛宮28度あたりで冥王星に下三分(ロウアートライン=120度)をとって、それぞれ「星のデレクション」(運勢変化)をもたらすため、その影響を強く受けるかたがいます。

ご自分でも気づかず、神経が敏感になって洞察力が強まるなど、詮索を深めたりナーバスになることがあります。

適切に活かせれば、ウラ事情を見抜くなど発見や気づきによる方向転換が可能になりす。


【One Point】 その点では相応に意味のある逆行です。

水星の影響を受けやすい若年層のかたがメインですが、社会人でもホロスコープ(出生天球図)次第です。

それによっては影響を受けますので活かされてください。



≪留(ステーション)の時期≫

以上、ポイントのみお届けいたしました。

すべての人が水星の逆行の影響を受けるわけではなく、一部の若いかたが多く、しかも、ケース・バイ・ケースによる一時期のことなので、それもトピに関心を示さなかった理由です。

「星講座-水星編」を配信している手前ご説明いたしました。

水星にかぎらず「星の逆行にはどんな意味があるのか」といったご質問を受けることがあります。

その場合、逆行そのものには大きな意味はないので、通常どおりリーディングをすればよいとお答えしています。

そのさいに、逆行に転じるときや順行に戻る「留」(ステーション)の時期に、ほかの星との位置関係によっては長めにアスペクトをとることがあります。

その場合は当然、ホロスコープ(出生天球図)によっては、ふだん以上に「水星のデレクション」を受けることが起こります。


【One Point】 逆行に何が特別な象意があるかのように感じる根本原因は、現代占星術に基礎理論がないため、象意を丸暗記するしかなく、応用展開ができないためです。

それが”星読み”に挫折していく最大の原因になっています。



【付記:「星講座 Vol.4」の受付延長について】

次の「水星」の蟹宮への入宮は7月5日になります。

逆行によって、4月30日~7月5日まで2か月間ほど双子宮に留まるためです。

「星講座 水星編」はその間お休みなので、単発の期間限定メール講座「宝瓶宮時代を生きる星講座 Vol.4 水星編-双子宮」の受付期間をしばし延長します。

総集編的な意味合いの「水星(情報)特集」になっており、多くのかたにご受講いただきたい内容が含まれるためです。

「お名前」(匿名、WEBネーム可)と「メアド」をご記入いただき、「性別」と「星講座」にチェックを入れるだけです。

お申込み承り後、1両日中に受講料5,000円(税込)のお振込先を返信いたします。

→ 「講座お申込みフォーム









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