『日本書紀』の封印を解く
2024.01.31
[建国記念の日特別編3:古代史解明13] ― 饒速日命と瀬織津姫 ―
◆ 魚宮の日本的霊性と水瓶宮の“和”の精神の発動
かつて連載した「日本の原点」(2013-2016)シリーズでも触れておきました。
古代オリエント(古代イスラエル)の影響が古代日本に3度あります。
そのうえで、統一大和が成立した6世紀末は緊迫度を増してきた東アジア情勢に対応するため、早急に国家体制を整える必要がありました。
われ知らずとも「日本書紀史観」を信じ込んでおられ方は信じられないと存じますが、大陸の冊封下にあった九州倭国は、倭の五王の半島の支配権を認めてもらえず、結局、畿内国との合併によって冊封下から離れ、6世紀末に独立統一国家「大倭」(おおやまと)を建国します。
しかし、7世紀の紆余曲折を経て、九州倭国は排除され、万世一系を記した『日本書紀』の完成とともに新たに天皇のもとに「大和」として、「水瓶宮」に象徴される“和”の国体による統一国家を築いていきます。
《 つくられた日本書紀史観 》
“紀元前660年辛酉の年、初代「神武天皇」のご即位にはじまる万世一系”の日本書紀史観は額面どおりではなく創作神話です。
ただし、『日本書紀』が編纂されたした当時の国内外事情から、そうせざるをえない深い事由がありました。
初代「神武天皇」による神代からの独立統一国家「大和」を描いた理由は、万世一系を定着させ、早急に統一国家体制を築かなければならなかったからです。
従来の「ヤマト王権」や「九州倭国」ではなく、7世紀後半以降の「天皇」による大和政権が正統であると、プロパガンダ(政治宣伝)を展開する必要がありました。
当時の緊迫度を増す東アジアの情勢もあり、“統一大和”を早急に築かざるをえなかったこともあり悪いことではありません。
正当な理由や大義名分があったがゆえ、6世紀以前に畿内国を治めていた“ヤマト王権”の渡来系王族や日本各地の豪族たちも、「天皇」を受け入れて協力しています。
それはそれ、一方で豪族たちは、自分たちの“正しい歴史”や正当性を方便の多い『日本書紀』にならって「家伝」や「古史古伝」あるいは門外秘の口伝として残しています。
それらがオープンになった今日、逆に混乱して古代史の本筋が見えず、あれやこれやと混迷した見解が乱立状態です。
いずれでもいいのですが、720年に『日本書紀』が成立した事情を含め、「天運」が日本に働く歴史的意義をご理解しておくことは、今後の宝瓶宮時代を生きるのに重要です。
【One Point】 アストロロジカルに申し上げますと、日本人の民族性は「魚宮」で象わされ、国体は「水瓶宮」で象わされます。
これゆえ日本は時代の流れとともにある「天運」に守られ、今後の宝瓶宮時代に世界的な責務を持つのです。
【ご参考:超科学的な「共鳴関係論」】
●双魚宮時代のメイン・ストリームは宗教信仰でした。
宝瓶宮時代の影響圏(1630)に入ると、近代物理科学が発祥します。
宗教だけで人は生きられませんし、また科学だけでも生きる意味はありません。
今後の宝瓶宮時代は、宗教だとか科学だとかを超えた超科学「共鳴関係論」を歴史パラダイムとしていきます。
ということで、『日本書紀』が封印した古代史の要諦をご紹介いたします。
《 『日本書紀』の編纂意図 》
『日本書紀』の最後は、次のような一文で締めくくられています。
●『日本書紀』 最終巻「持統天皇紀」より抜粋
原文:「八月乙丑朔 天皇 定策禁中 禪天皇位於皇太子」
読み:「8月1日、天皇は宮中での策(みはかりごと)を決定され、皇太子(ひつぎのみこ)に天皇の位をお譲りになられた」
すごい一文です。
「あ、そう」と読み飛ばされそうですが、この一文に『日本書紀』の編纂意図のすべてが集約されています。
男系による「万世一系」の皇統が、名実ともに定着していくことになったためです。
当初からの“万世一系”で統一大和だったとする日本書紀史観に我知らず洗脳されていると首肯できないでしょう。
信用してもらえないかもしれませんが、6世紀以前の「ヤマト王権」と、7世紀後半以降の「統一大和政権」は同じように畿内国が舞台ですが異なります。
そのため、阿波も九州も出雲も協力していますので、まったく無関係ではありませんが、いずれも排斥された側なので“我こそがルーツ”と声高に主張すると間違います。
6世紀以前のヤマト王権は、“万世一系の皇統”だったかのように『日本書紀』に組み込まれてしまいましたが実情は異なります。
【One Point】 壬申の乱(672年)に勝利し『日本書紀』の編纂を発意された第40代「天武天皇」は、草壁皇子への皇位継承を願ったものの皇子は即位することなく薨られます。
妃の持統天皇がリリーフで即位し、孫の珂瑠皇子(かるのみこ)への皇位継承に命がけで取り組むことになります。
【ご参考:双魚宮時代と宝瓶宮時代】
●双魚宮時代や宝瓶宮時代というのは、「春分点歳差」に基づく“アストロロジカル・エイジ”の一つです。
アストロロジカル・エイジというのは、「春分点」が黄道上を逆回りに1周する「プラトン年」(グレート・イヤー=約25,920年:計算値)を12等分した「プラトン月」(グレート・マンス=約2,160年:計算値)のことです。
「春分点歳差」が発見されたのは、古代ギリシャ時代の末期(紀元前2世紀)で、そこが“春分原点”になります。
そこから約2,160年(計算値)におよぶ双魚宮時代がはじまり、今日、宝瓶宮に「春分点」が移動(1989年)したため、現在は「宝瓶宮時代」の緒にあって双魚宮時代から宝瓶宮時代へ「パラダイム・シフト」が起きる混乱期にあります。
今年2024年は、その“分水嶺”のピークのときです。
《 イスラエルとアストロロジーの起源 》
『旧約聖書』を知っている人が『日本書紀』を読むと、何となく類似性に気づきます。
創世記にはじまる『旧約聖書』は、ユダヤ教やキリスト教の正典です。
そこには信仰の祖「アブラハム」の孫「ヤコブ」にはじまる古代イスラエルの12氏族の歴史が記されています。
その中の2氏族、南ユダ王国のユダ族と祭祀を司るレビ族によって、後年「ユダヤ教」と呼ばれるようになります。
聖書によれば、信仰の祖「アブラハム」は、カルデアのウル(ハランとも)から神が示した約束の地カナン(現在のイスラエル界隈)を目指すことになります。
ちなみに、イスラム教も「アブラハム」を信仰の祖とすることから、カナンの地は「パレスチナ問題」を抱えています。
それはともかく、アブラハムが旅立った「カルデア」は、当時から東の地平線上に昇る天体観測を行ないホロスコポスと呼ばれ、「アストロロジー」(天体の学問、星の学)の原点となった知的集団でもありました。
彼らはのちに「カルデア王国」(新バビロニア:前7世紀)を建国しています。
【One Point】 カルデア人の天体観測は、古代ギリシャに伝わります。
双魚宮時代の影響圏(前6世紀~前2世紀)に入ると、当時の世界観「四大元素説」(熱冷乾湿/火土風水)によって解釈された四角いホロスコープの発祥とともに、古典アストロロジーが誕生していきます。
【ご参考:“ヤマト王権”と新天皇による大和】
●6世紀以前の畿内国は、カタカナで“ヤマト”(王権)と記しています。
九州倭国と畿内国との合併による「大倭」(おおやまと)以前です。
7世紀の「乙巳の変」(645)によって、蘇我本宗家は滅ぼされ、大倭の名称を引き継ぐかたちで7世紀後半以降にはじまったのが「統一大和」です。
皇親政治を行なった第40代「天武天皇」を含めてもいいのですが、8世紀になると藤原摂関家による大和朝廷の時代へと移っていきます。
《 ヤマト王権を改ざんした『日本書紀』 》
連載「日本の原点」でも触れたとおりです。
「日ユ同祖論」は間違いですが、古代日本の国づくりには、古代イスラエルをはじめとした古代オリエントの一団がかかわっています。
しかし、『日本書紀』が、初代「神武天皇」から万世一系の独立統一国家「大和」としたため封印され、彼らをはじめ“ヤマト王権”は、創作された万世一系の皇統の中に巧妙に組み込まれていきます。
日本国の維持存続のため必要だったので、彼らは“和”をもって協力し、統一大和へと進んでいきます。
キッカケとなったのは、6世紀末の「九州倭国」と「畿内国」の合併による「大倭」の成立です。
それまで畿内国「ヤマト」を治めていたのは、海人族の物部氏、出雲系の“大国主”、また大王“大物主”をはじめ“八咫烏”(やたがらす)と称される古代オリエント系の人々でした。
結局、“八咫烏”は国づくりの功績もあって、『日本書紀』神話では、紀元前7世紀の神武東征を助けたと記されます。
年代はウソですが、統一大和に至るまで秦氏や賀茂(鴨)氏が国づくりに大きく貢献してきたのは事実です。
それゆえ、秦氏とも縁が深い宇佐八幡宮(宇佐神宮)より、第38代「称徳天皇」に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣が下され、本当かどうか確認するという「宇佐八幡宮神託事件」(769年)が起きています。
隠されていますが秦氏と縁が深い「宇佐八幡宮」(左)と 賀茂御祖神社こと「下賀茂神社」(右)
【One Point】 6世紀後期の「丁未の乱」(ていびのらん:587年)は、仏教の導入を推める蘇我氏と神道を維持する物部+中臣連合の戦いのように矮小化して『日本書紀』に記されています。
実際は九州倭国王「阿毎多利思比孤」系と畿内国「ヤマト王権」との戦いのようです。
【ご参考:独立統一国家「大和」の成立】
●九州倭国系の蘇我氏による「丁未の乱」は事実上の東征です。
勝利した九州倭国王「阿毎多利思比孤」(あめのたりしひこ)は、倭国の首都を大宰府から、より安全な内陸の畿内ヤマトに移します。
一方、『日本書紀』に記されることは決してありませんが、隋の高祖文帝に第1次「遣隋使」を派遣し、『隋書』に残されるように“日が昇れば弟に政務を譲る”(よろしく)と、冊封下から離れる旨、仁義をきっています。
このときの文帝の言葉は「はなはだ義理無し」です。
これは、1世紀の奴国の時代、3世紀の卑弥呼の時代、また今日まで冊封下にあって恩義を受けておきながら、義理がないではないかという意味です。
「丁未の乱」に勝利し九州倭国優位で合併したのち、第2次「遣隋使」を派遣したとき、国書に記されたのが有名な「日出ずる処の天子」です。
独立統一国家「大倭」(のちの大和)の成立によって、阿毎多利思北孤大王(おおきみ)から、対等の立場で隋王にご挨拶したもので事実上の独立宣言です。
こののち仏教寺院のいくつかが、九州倭国から大和に移されています。
《 隠された饒速日命と瀬織津姫 》
もう一つ書いておきます。
神武からの万世一系による統一大和を創作したため、事実上の古代国づくりをした“大国主”の一人「饒速日尊」(にぎはやひのみこと)と「瀬織津姫」(せおりつひめ)の存在は封印されることになります。
夫の天武天皇の依頼を受けて、7世紀に持統天皇が伊勢の祠を今日のように神宮として立派にし式年遷宮を定めます。
当初、男性神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)こと天照大御神の正宮と並んで、荒祭宮に祀られていたご祭神は「八十枉津日神」(やそまがつひのかみ)こと一名「瀬織津姫」でした。
ですが、8世紀720年に完成した『日本書紀』の編纂にあたって、藤原不比等の発案によって「持統天皇」を女性神「天照大御神」になぞらえ、孫の「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)への天孫降臨を創出します。
天武と持統の孫、第42代「文武天皇」への皇位継承による万世一系を定着させるためです。
そのあおりを受けたかっこうで、饒速日命を助けて共に国づくりをし荒祭宮に祀られていた正妃「瀬織津姫」がいては都合が悪いことこのうえありません。
そのため、ご祭神を「天照大御神荒御魂」(あまてらすおおみかみ あらみたま)に変えられ記録から消されてしまいます。
【One Point】 唯一、中臣神道の祝詞「大祓詞」(おおはらえのことば)の中に、祓戸大神(はらえどのおおかみ:祓戸四神)の筆頭に瀬織津姫の名前が残されています。
「さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬にます瀬織津姫という神、大海原に持ち出でなむ」。まるでレムリアのごとく、津波とともに海に消えた生命を暗示するかのようです。
◆ 魚宮の日本的霊性と水瓶宮の“和”の精神の発動
かつて連載した「日本の原点」(2013-2016)シリーズでも触れておきました。
古代オリエント(古代イスラエル)の影響が古代日本に3度あります。
そのうえで、統一大和が成立した6世紀末は緊迫度を増してきた東アジア情勢に対応するため、早急に国家体制を整える必要がありました。
われ知らずとも「日本書紀史観」を信じ込んでおられ方は信じられないと存じますが、大陸の冊封下にあった九州倭国は、倭の五王の半島の支配権を認めてもらえず、結局、畿内国との合併によって冊封下から離れ、6世紀末に独立統一国家「大倭」(おおやまと)を建国します。
しかし、7世紀の紆余曲折を経て、九州倭国は排除され、万世一系を記した『日本書紀』の完成とともに新たに天皇のもとに「大和」として、「水瓶宮」に象徴される“和”の国体による統一国家を築いていきます。
《 つくられた日本書紀史観 》
“紀元前660年辛酉の年、初代「神武天皇」のご即位にはじまる万世一系”の日本書紀史観は額面どおりではなく創作神話です。
ただし、『日本書紀』が編纂されたした当時の国内外事情から、そうせざるをえない深い事由がありました。
初代「神武天皇」による神代からの独立統一国家「大和」を描いた理由は、万世一系を定着させ、早急に統一国家体制を築かなければならなかったからです。
従来の「ヤマト王権」や「九州倭国」ではなく、7世紀後半以降の「天皇」による大和政権が正統であると、プロパガンダ(政治宣伝)を展開する必要がありました。
当時の緊迫度を増す東アジアの情勢もあり、“統一大和”を早急に築かざるをえなかったこともあり悪いことではありません。
正当な理由や大義名分があったがゆえ、6世紀以前に畿内国を治めていた“ヤマト王権”の渡来系王族や日本各地の豪族たちも、「天皇」を受け入れて協力しています。
それはそれ、一方で豪族たちは、自分たちの“正しい歴史”や正当性を方便の多い『日本書紀』にならって「家伝」や「古史古伝」あるいは門外秘の口伝として残しています。
それらがオープンになった今日、逆に混乱して古代史の本筋が見えず、あれやこれやと混迷した見解が乱立状態です。
いずれでもいいのですが、720年に『日本書紀』が成立した事情を含め、「天運」が日本に働く歴史的意義をご理解しておくことは、今後の宝瓶宮時代を生きるのに重要です。
【One Point】 アストロロジカルに申し上げますと、日本人の民族性は「魚宮」で象わされ、国体は「水瓶宮」で象わされます。
これゆえ日本は時代の流れとともにある「天運」に守られ、今後の宝瓶宮時代に世界的な責務を持つのです。
【ご参考:超科学的な「共鳴関係論」】
●双魚宮時代のメイン・ストリームは宗教信仰でした。
宝瓶宮時代の影響圏(1630)に入ると、近代物理科学が発祥します。
宗教だけで人は生きられませんし、また科学だけでも生きる意味はありません。
今後の宝瓶宮時代は、宗教だとか科学だとかを超えた超科学「共鳴関係論」を歴史パラダイムとしていきます。
ということで、『日本書紀』が封印した古代史の要諦をご紹介いたします。
《 『日本書紀』の編纂意図 》
『日本書紀』の最後は、次のような一文で締めくくられています。
●『日本書紀』 最終巻「持統天皇紀」より抜粋
原文:「八月乙丑朔 天皇 定策禁中 禪天皇位於皇太子」
読み:「8月1日、天皇は宮中での策(みはかりごと)を決定され、皇太子(ひつぎのみこ)に天皇の位をお譲りになられた」
すごい一文です。
「あ、そう」と読み飛ばされそうですが、この一文に『日本書紀』の編纂意図のすべてが集約されています。
男系による「万世一系」の皇統が、名実ともに定着していくことになったためです。
当初からの“万世一系”で統一大和だったとする日本書紀史観に我知らず洗脳されていると首肯できないでしょう。
信用してもらえないかもしれませんが、6世紀以前の「ヤマト王権」と、7世紀後半以降の「統一大和政権」は同じように畿内国が舞台ですが異なります。
そのため、阿波も九州も出雲も協力していますので、まったく無関係ではありませんが、いずれも排斥された側なので“我こそがルーツ”と声高に主張すると間違います。
6世紀以前のヤマト王権は、“万世一系の皇統”だったかのように『日本書紀』に組み込まれてしまいましたが実情は異なります。
【One Point】 壬申の乱(672年)に勝利し『日本書紀』の編纂を発意された第40代「天武天皇」は、草壁皇子への皇位継承を願ったものの皇子は即位することなく薨られます。
妃の持統天皇がリリーフで即位し、孫の珂瑠皇子(かるのみこ)への皇位継承に命がけで取り組むことになります。
【ご参考:双魚宮時代と宝瓶宮時代】
●双魚宮時代や宝瓶宮時代というのは、「春分点歳差」に基づく“アストロロジカル・エイジ”の一つです。
アストロロジカル・エイジというのは、「春分点」が黄道上を逆回りに1周する「プラトン年」(グレート・イヤー=約25,920年:計算値)を12等分した「プラトン月」(グレート・マンス=約2,160年:計算値)のことです。
「春分点歳差」が発見されたのは、古代ギリシャ時代の末期(紀元前2世紀)で、そこが“春分原点”になります。
そこから約2,160年(計算値)におよぶ双魚宮時代がはじまり、今日、宝瓶宮に「春分点」が移動(1989年)したため、現在は「宝瓶宮時代」の緒にあって双魚宮時代から宝瓶宮時代へ「パラダイム・シフト」が起きる混乱期にあります。
今年2024年は、その“分水嶺”のピークのときです。
《 イスラエルとアストロロジーの起源 》
『旧約聖書』を知っている人が『日本書紀』を読むと、何となく類似性に気づきます。
創世記にはじまる『旧約聖書』は、ユダヤ教やキリスト教の正典です。
そこには信仰の祖「アブラハム」の孫「ヤコブ」にはじまる古代イスラエルの12氏族の歴史が記されています。
その中の2氏族、南ユダ王国のユダ族と祭祀を司るレビ族によって、後年「ユダヤ教」と呼ばれるようになります。
聖書によれば、信仰の祖「アブラハム」は、カルデアのウル(ハランとも)から神が示した約束の地カナン(現在のイスラエル界隈)を目指すことになります。
ちなみに、イスラム教も「アブラハム」を信仰の祖とすることから、カナンの地は「パレスチナ問題」を抱えています。
それはともかく、アブラハムが旅立った「カルデア」は、当時から東の地平線上に昇る天体観測を行ないホロスコポスと呼ばれ、「アストロロジー」(天体の学問、星の学)の原点となった知的集団でもありました。
彼らはのちに「カルデア王国」(新バビロニア:前7世紀)を建国しています。
【One Point】 カルデア人の天体観測は、古代ギリシャに伝わります。
双魚宮時代の影響圏(前6世紀~前2世紀)に入ると、当時の世界観「四大元素説」(熱冷乾湿/火土風水)によって解釈された四角いホロスコープの発祥とともに、古典アストロロジーが誕生していきます。
【ご参考:“ヤマト王権”と新天皇による大和】
●6世紀以前の畿内国は、カタカナで“ヤマト”(王権)と記しています。
九州倭国と畿内国との合併による「大倭」(おおやまと)以前です。
7世紀の「乙巳の変」(645)によって、蘇我本宗家は滅ぼされ、大倭の名称を引き継ぐかたちで7世紀後半以降にはじまったのが「統一大和」です。
皇親政治を行なった第40代「天武天皇」を含めてもいいのですが、8世紀になると藤原摂関家による大和朝廷の時代へと移っていきます。
《 ヤマト王権を改ざんした『日本書紀』 》
連載「日本の原点」でも触れたとおりです。
「日ユ同祖論」は間違いですが、古代日本の国づくりには、古代イスラエルをはじめとした古代オリエントの一団がかかわっています。
しかし、『日本書紀』が、初代「神武天皇」から万世一系の独立統一国家「大和」としたため封印され、彼らをはじめ“ヤマト王権”は、創作された万世一系の皇統の中に巧妙に組み込まれていきます。
日本国の維持存続のため必要だったので、彼らは“和”をもって協力し、統一大和へと進んでいきます。
キッカケとなったのは、6世紀末の「九州倭国」と「畿内国」の合併による「大倭」の成立です。
それまで畿内国「ヤマト」を治めていたのは、海人族の物部氏、出雲系の“大国主”、また大王“大物主”をはじめ“八咫烏”(やたがらす)と称される古代オリエント系の人々でした。
結局、“八咫烏”は国づくりの功績もあって、『日本書紀』神話では、紀元前7世紀の神武東征を助けたと記されます。
年代はウソですが、統一大和に至るまで秦氏や賀茂(鴨)氏が国づくりに大きく貢献してきたのは事実です。
それゆえ、秦氏とも縁が深い宇佐八幡宮(宇佐神宮)より、第38代「称徳天皇」に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣が下され、本当かどうか確認するという「宇佐八幡宮神託事件」(769年)が起きています。
隠されていますが秦氏と縁が深い「宇佐八幡宮」(左)と 賀茂御祖神社こと「下賀茂神社」(右)
【One Point】 6世紀後期の「丁未の乱」(ていびのらん:587年)は、仏教の導入を推める蘇我氏と神道を維持する物部+中臣連合の戦いのように矮小化して『日本書紀』に記されています。
実際は九州倭国王「阿毎多利思比孤」系と畿内国「ヤマト王権」との戦いのようです。
【ご参考:独立統一国家「大和」の成立】
●九州倭国系の蘇我氏による「丁未の乱」は事実上の東征です。
勝利した九州倭国王「阿毎多利思比孤」(あめのたりしひこ)は、倭国の首都を大宰府から、より安全な内陸の畿内ヤマトに移します。
一方、『日本書紀』に記されることは決してありませんが、隋の高祖文帝に第1次「遣隋使」を派遣し、『隋書』に残されるように“日が昇れば弟に政務を譲る”(よろしく)と、冊封下から離れる旨、仁義をきっています。
このときの文帝の言葉は「はなはだ義理無し」です。
これは、1世紀の奴国の時代、3世紀の卑弥呼の時代、また今日まで冊封下にあって恩義を受けておきながら、義理がないではないかという意味です。
「丁未の乱」に勝利し九州倭国優位で合併したのち、第2次「遣隋使」を派遣したとき、国書に記されたのが有名な「日出ずる処の天子」です。
独立統一国家「大倭」(のちの大和)の成立によって、阿毎多利思北孤大王(おおきみ)から、対等の立場で隋王にご挨拶したもので事実上の独立宣言です。
こののち仏教寺院のいくつかが、九州倭国から大和に移されています。
《 隠された饒速日命と瀬織津姫 》
もう一つ書いておきます。
神武からの万世一系による統一大和を創作したため、事実上の古代国づくりをした“大国主”の一人「饒速日尊」(にぎはやひのみこと)と「瀬織津姫」(せおりつひめ)の存在は封印されることになります。
夫の天武天皇の依頼を受けて、7世紀に持統天皇が伊勢の祠を今日のように神宮として立派にし式年遷宮を定めます。
当初、男性神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)こと天照大御神の正宮と並んで、荒祭宮に祀られていたご祭神は「八十枉津日神」(やそまがつひのかみ)こと一名「瀬織津姫」でした。
ですが、8世紀720年に完成した『日本書紀』の編纂にあたって、藤原不比等の発案によって「持統天皇」を女性神「天照大御神」になぞらえ、孫の「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)への天孫降臨を創出します。
天武と持統の孫、第42代「文武天皇」への皇位継承による万世一系を定着させるためです。
そのあおりを受けたかっこうで、饒速日命を助けて共に国づくりをし荒祭宮に祀られていた正妃「瀬織津姫」がいては都合が悪いことこのうえありません。
そのため、ご祭神を「天照大御神荒御魂」(あまてらすおおみかみ あらみたま)に変えられ記録から消されてしまいます。
【One Point】 唯一、中臣神道の祝詞「大祓詞」(おおはらえのことば)の中に、祓戸大神(はらえどのおおかみ:祓戸四神)の筆頭に瀬織津姫の名前が残されています。
「さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬にます瀬織津姫という神、大海原に持ち出でなむ」。まるでレムリアのごとく、津波とともに海に消えた生命を暗示するかのようです。
深層の精神意識の時代
2024.01.28
[ガリレオの果てに] ― 冥王星の水瓶宮入宮の天意 ―
◆ 近代物理科学の発達と精神意識の変革の黎明
過去の双魚宮時代にあって、宝瓶宮時代の影響圏に入った1630年は、ガリレオ(1564-1642)の生存中でした。
双魚宮時代の25度にあたる時代で、以降360年以上が経ち、宝瓶宮時代の0度にあたる今日、今年2024年1月21日に冥王星が水瓶宮に入宮し、「深層の精神意識の変革」のデレクションの本格的なスタートの時代を迎えました。
「深層の精神意識」というのは、いわば“霊性”や“深層心理”のことですが、ガリレオがひらいた「近代物理科学」とどうかかわり、何の関係があるの? と疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
宝瓶宮時代は、1989年に起きた宇宙波動の変化「宝瓶宮時代のビッグバン」によって波動的ながら正式にはじまりました。
その本格的なスタートが「深層の精神意識の変革」のディレクションです。
宇宙を“空間域”とする共鳴星「天王星」によって「最先端物理科学」と「深層の精神意識」は深くかかわっていきます。
《 宝瓶宮時代の本格的なはじまり 》
科学的合理思考が強い方から「ちょっと待て!」という声が聞こえてきそうです。
主観的な“信じる/信じない”による中世の宗教信仰の時代から、客観的な実験による近代科学思考の時代を切り拓いたガリレオです。
それが宝瓶宮時代の影響圏のはじまりだというのなら、科学とは正反対に「深層の精神意識」(霊性、深層心理)の変革が、なぜ宝瓶宮時代の本格的なスタートになるのか、おかしいではないかという疑義です。
まったくおかしくありません。
「メビウスの輪」のような一面を持つ人類歴史の発展の経緯を知れば、当然の流れです。
また、今後の宝瓶宮時代は双魚宮時代の古い社会通念ではとらえることができない社会が築かれていくことをみても、そういえます。
【One Point】 最先端科学の「量子論」(量子力学)をみてもお分かりのとおりです。
これまでの常識「ニュートン力学」(古典力学)が通用しないのです。なぜなら、宝瓶宮時代は科学であって科学を超えた共鳴波動科学「共鳴関係論」を歴史パラダイムとしていくためです。
《 実在宇宙(クオリアル・ワールド) 》
知性が発達した現代人のモデル、“科学的合理思考”の先駆けとなったのはガリレオです。
ただし、宗教信仰もそうですが、科学思考のみが宇宙この世界のすべてではありません。
現代の科学文明に留まらず、今後の宝瓶宮時代はかつて人類が体験したことのない世界に進みます。
身近な一例を挙げますと、IT化やAIといった先端技術と並行しつつ、それらを超えた「共鳴関係論」による宇宙的な次元に進んでいきます。
宝瓶宮時代の共鳴星「天王星」は“宇宙”を空間域とする象意を持つためです。
ここでいう宇宙は、「共鳴関係論」を含み「物理宇宙」に留まりません。
信じられない方も多いと存じますが、“和、絆、民度”といった心性面や霊性面にかかわる“波動エネルギー”を伴なった“宇宙”も意味します。
本来の実在宇宙、クオリアル・ワールドです。
【One Point】 通称:宝瓶宮占星学の真髄をお伝えする「伝授講座」こと“宝瓶宮時代の新しい宇宙観”「数理法則とクオリアル・ワールド」を2012年にはじめました。
その「今後30年間の星のディレクション」の中で、「深層の精神意識の変革」のデレクションもご紹介しています。
《 単純労働からの解き放ち 》
「近代物理科学」の発祥は、快適な生活を享受できる科学技術の発展をもたらしました。
産業分野では、人力による労働から、蒸気機関(外燃機関)による機械化にはじまり、ガソリンや電気エネルギーによるオートメーション化や大量生産、また単調な労働からの解放などをもたらしたのです。
現代では、1989年の「宝瓶宮時代のビックバン」とともに、ワールド・ワイド・ウエブ(ネット)やパソコンなどIT(情報技術)がもたらされ、今ではAI(人工知能)が日常生活化しつつあります。
賛否は多々あると存じますが、人類を単純労働からますます解き放ち、日常的に手間暇がかかる案外と重労働だったりする家事からの解放も相応にもたらされています。
戦後復興期に電化製品の“三種の神器”と言われた「白黒テレビ/洗濯機/冷蔵庫」などもそうですが、今日ではIT化が進んだことでさらに便利になっています。
【One Point】 近ごろは電話オペレーターもIT化やAI技術の導入が進んでいます。
スーパーのレジ打ちなども、コロナの影響もあって今や客自身が商品の読み取りから支払いまでセルフで行なうありさまです。
《 深層の精神意識の重要度 》
科学技術文明の発展は、産業構造はもちろん消費行動や職業選択にも大きな変化をもたらします。
ただし、いつの世も社会の変化によって職を失うことは起こります。
このようなIT化やAI技術の時代に、人間に求められるスキルは機械でやれることはますます機械化(IT化)が進んでいくことから、創造性(想像性)やハートフルなサービスなど、機械にはできない精神意識面が重要度を増していくのは自明です。
「深層の精神意識の変革」のデレクションは、ここにもかかわり、“分水嶺”のピークの今年2024年1月に正式にスタートしました。
ただし、2025年までは「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが続きますので、当面は心理的精神性やお花畑スピリチュアリズムといった残滓がみられます。
人々が気づかないうちにシームレスに「深層の精神意識」が重要度を増していきます。
「深層の精神意識」については順次、述べていくことになると存じますが、まずは“宇宙波動エネルギー”の受容体となっている「深層の精神意識の変革」のディレクションが正式にはじまったことをご承知していただければと存じます。
【One Point】 誰もが生まれながらに持っている「深層の精神意識」です。
双魚宮時代末期の科学的合理思考が強いと、人によっては知らずに封印していることもあるでしょう。それはそれでいいのですが、それでも「深層の精神意識」の変革は個々に生じてまいります。
【ご参考:ディレクションの共時性(シンクロ)】
ディレクション・リーディングではよく体験します。
冥王星の「深層の精神意識の変革」のディレクションと、ほぼ同時期に始まる海王星による「新しい霊性意識の目覚め」(覚醒)のディレクションもそうです。
従来の“ホロスコープ占い”による未来予測では決して見えてきません。
宇宙の根幹法則「基本三数」によるディレクション・リーディングによって、シンクロニシティー(共時性)に気づけます。
宇宙意志波動による人類歴史の方向性が分かるためです。
また「春分点歳差」による宇宙的な時代区分「アストロロジカル・エイジ」によって、宝瓶宮時代への流れがリーディングできます。
いずれも、人の主観によらず、宇宙の根幹法則によって時代の流れや天運の方向性が読めるためです。
《 2043年頃まで約24年間続く 》
ご参考です。
「深層の精神意識の変革」のデレクションをもたらす冥王星のディレクションは、ふだんは深く静かに潜行して働きます。
そのため気づかないことも多いのですが、あるとき火山の噴火や地震のように、突如として表層化し、人生を一変させていくことが起こります。
「星のデレクション」(運勢変化、時代変化)は、順行と逆行を繰り返してもたらされるために若干時期が前後して生じますが、「深層の精神意識の変革」のデレクションは、2022年からの影響圏を含めて、今から約20年後の2043年まで、約24年間続きます。
星のディレクションを促す“宇宙波動エネルギー”は強制力を持ちませんので、これだけだと不確実になりますが、類似ディレクションも並行してもたらされるために、確実に促されていくことが起こります。
何度かお伝えしてまいりました、今年2024年1月に魚宮25度を越えて正式に影響圏入りした、海王星による「新しい霊性意識の目覚め」(覚醒)のディレクションがそれです。
【One Point】 海王星の当該ディレクションは、双魚宮時代が完全終了する2026年1月から本格的にスタートします。
宝瓶宮時代は、過去の常識ではとらえることができない前人未到の時代になっていきますが、今年2024年はそこに至る“分水嶺”のピークとなっています。
◆ 近代物理科学の発達と精神意識の変革の黎明
過去の双魚宮時代にあって、宝瓶宮時代の影響圏に入った1630年は、ガリレオ(1564-1642)の生存中でした。
双魚宮時代の25度にあたる時代で、以降360年以上が経ち、宝瓶宮時代の0度にあたる今日、今年2024年1月21日に冥王星が水瓶宮に入宮し、「深層の精神意識の変革」のデレクションの本格的なスタートの時代を迎えました。
「深層の精神意識」というのは、いわば“霊性”や“深層心理”のことですが、ガリレオがひらいた「近代物理科学」とどうかかわり、何の関係があるの? と疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
宝瓶宮時代は、1989年に起きた宇宙波動の変化「宝瓶宮時代のビッグバン」によって波動的ながら正式にはじまりました。
その本格的なスタートが「深層の精神意識の変革」のディレクションです。
宇宙を“空間域”とする共鳴星「天王星」によって「最先端物理科学」と「深層の精神意識」は深くかかわっていきます。
《 宝瓶宮時代の本格的なはじまり 》
科学的合理思考が強い方から「ちょっと待て!」という声が聞こえてきそうです。
主観的な“信じる/信じない”による中世の宗教信仰の時代から、客観的な実験による近代科学思考の時代を切り拓いたガリレオです。
それが宝瓶宮時代の影響圏のはじまりだというのなら、科学とは正反対に「深層の精神意識」(霊性、深層心理)の変革が、なぜ宝瓶宮時代の本格的なスタートになるのか、おかしいではないかという疑義です。
まったくおかしくありません。
「メビウスの輪」のような一面を持つ人類歴史の発展の経緯を知れば、当然の流れです。
また、今後の宝瓶宮時代は双魚宮時代の古い社会通念ではとらえることができない社会が築かれていくことをみても、そういえます。
【One Point】 最先端科学の「量子論」(量子力学)をみてもお分かりのとおりです。
これまでの常識「ニュートン力学」(古典力学)が通用しないのです。なぜなら、宝瓶宮時代は科学であって科学を超えた共鳴波動科学「共鳴関係論」を歴史パラダイムとしていくためです。
《 実在宇宙(クオリアル・ワールド) 》
知性が発達した現代人のモデル、“科学的合理思考”の先駆けとなったのはガリレオです。
ただし、宗教信仰もそうですが、科学思考のみが宇宙この世界のすべてではありません。
現代の科学文明に留まらず、今後の宝瓶宮時代はかつて人類が体験したことのない世界に進みます。
身近な一例を挙げますと、IT化やAIといった先端技術と並行しつつ、それらを超えた「共鳴関係論」による宇宙的な次元に進んでいきます。
宝瓶宮時代の共鳴星「天王星」は“宇宙”を空間域とする象意を持つためです。
ここでいう宇宙は、「共鳴関係論」を含み「物理宇宙」に留まりません。
信じられない方も多いと存じますが、“和、絆、民度”といった心性面や霊性面にかかわる“波動エネルギー”を伴なった“宇宙”も意味します。
本来の実在宇宙、クオリアル・ワールドです。
【One Point】 通称:宝瓶宮占星学の真髄をお伝えする「伝授講座」こと“宝瓶宮時代の新しい宇宙観”「数理法則とクオリアル・ワールド」を2012年にはじめました。
その「今後30年間の星のディレクション」の中で、「深層の精神意識の変革」のデレクションもご紹介しています。
《 単純労働からの解き放ち 》
「近代物理科学」の発祥は、快適な生活を享受できる科学技術の発展をもたらしました。
産業分野では、人力による労働から、蒸気機関(外燃機関)による機械化にはじまり、ガソリンや電気エネルギーによるオートメーション化や大量生産、また単調な労働からの解放などをもたらしたのです。
現代では、1989年の「宝瓶宮時代のビックバン」とともに、ワールド・ワイド・ウエブ(ネット)やパソコンなどIT(情報技術)がもたらされ、今ではAI(人工知能)が日常生活化しつつあります。
賛否は多々あると存じますが、人類を単純労働からますます解き放ち、日常的に手間暇がかかる案外と重労働だったりする家事からの解放も相応にもたらされています。
戦後復興期に電化製品の“三種の神器”と言われた「白黒テレビ/洗濯機/冷蔵庫」などもそうですが、今日ではIT化が進んだことでさらに便利になっています。
【One Point】 近ごろは電話オペレーターもIT化やAI技術の導入が進んでいます。
スーパーのレジ打ちなども、コロナの影響もあって今や客自身が商品の読み取りから支払いまでセルフで行なうありさまです。
《 深層の精神意識の重要度 》
科学技術文明の発展は、産業構造はもちろん消費行動や職業選択にも大きな変化をもたらします。
ただし、いつの世も社会の変化によって職を失うことは起こります。
このようなIT化やAI技術の時代に、人間に求められるスキルは機械でやれることはますます機械化(IT化)が進んでいくことから、創造性(想像性)やハートフルなサービスなど、機械にはできない精神意識面が重要度を増していくのは自明です。
「深層の精神意識の変革」のデレクションは、ここにもかかわり、“分水嶺”のピークの今年2024年1月に正式にスタートしました。
ただし、2025年までは「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが続きますので、当面は心理的精神性やお花畑スピリチュアリズムといった残滓がみられます。
人々が気づかないうちにシームレスに「深層の精神意識」が重要度を増していきます。
「深層の精神意識」については順次、述べていくことになると存じますが、まずは“宇宙波動エネルギー”の受容体となっている「深層の精神意識の変革」のディレクションが正式にはじまったことをご承知していただければと存じます。
【One Point】 誰もが生まれながらに持っている「深層の精神意識」です。
双魚宮時代末期の科学的合理思考が強いと、人によっては知らずに封印していることもあるでしょう。それはそれでいいのですが、それでも「深層の精神意識」の変革は個々に生じてまいります。
【ご参考:ディレクションの共時性(シンクロ)】
ディレクション・リーディングではよく体験します。
冥王星の「深層の精神意識の変革」のディレクションと、ほぼ同時期に始まる海王星による「新しい霊性意識の目覚め」(覚醒)のディレクションもそうです。
従来の“ホロスコープ占い”による未来予測では決して見えてきません。
宇宙の根幹法則「基本三数」によるディレクション・リーディングによって、シンクロニシティー(共時性)に気づけます。
宇宙意志波動による人類歴史の方向性が分かるためです。
また「春分点歳差」による宇宙的な時代区分「アストロロジカル・エイジ」によって、宝瓶宮時代への流れがリーディングできます。
いずれも、人の主観によらず、宇宙の根幹法則によって時代の流れや天運の方向性が読めるためです。
《 2043年頃まで約24年間続く 》
ご参考です。
「深層の精神意識の変革」のデレクションをもたらす冥王星のディレクションは、ふだんは深く静かに潜行して働きます。
そのため気づかないことも多いのですが、あるとき火山の噴火や地震のように、突如として表層化し、人生を一変させていくことが起こります。
「星のデレクション」(運勢変化、時代変化)は、順行と逆行を繰り返してもたらされるために若干時期が前後して生じますが、「深層の精神意識の変革」のデレクションは、2022年からの影響圏を含めて、今から約20年後の2043年まで、約24年間続きます。
星のディレクションを促す“宇宙波動エネルギー”は強制力を持ちませんので、これだけだと不確実になりますが、類似ディレクションも並行してもたらされるために、確実に促されていくことが起こります。
何度かお伝えしてまいりました、今年2024年1月に魚宮25度を越えて正式に影響圏入りした、海王星による「新しい霊性意識の目覚め」(覚醒)のディレクションがそれです。
【One Point】 海王星の当該ディレクションは、双魚宮時代が完全終了する2026年1月から本格的にスタートします。
宝瓶宮時代は、過去の常識ではとらえることができない前人未到の時代になっていきますが、今年2024年はそこに至る“分水嶺”のピークとなっています。
日本の歴史的な天運
2024.01.23
[建国記念の日特別編2:古代史解明12] ― 日本を救った神剣「草薙剣」 ―
◆ 時代の流れとともにある「天運」に守られてきた事例
どなたでも知っている日本の歴史的な経緯をご紹介するだけです。
現在の支那大陸の国家「中華人民共和国」は1949年に建国したばかりで、まだ74年の歴史しかありません。
支那大陸で最も長く続いた国家でも、約300年程度です。
ひるがえって日本は、確実なところをみても7世紀の第38代「天智天皇」(在位668-672)もしくは第40代「天武天皇」(在位673-686)から、約1,400年近い皇統が続く世界最長の国家になっています。
何度が存亡の危機はありましたが、日本は民族性が「魚宮」、国体は「水瓶宮」で象徴されるため、双魚宮時代から宝瓶宮時代へ時代の流れとともにある「天運」によって守られてきました。
その出来事の一例となるご紹介です。
《 壊滅的な大敗北と日本の危機 》
建国記念の日特別編「九州倭国と統一の大倭」に続く第2弾「日本の歴史的な天運」です。
長いのでポイントのみをお届けいたします。
7世紀にはじまった統一大和の最初の危機は、のちに天智天皇(てんじ てんのう)となる「中大兄」(なかのおおえ)による「白村江の戦い」(663:はくすきのえ の たたかい)でした。
九州の海人族をメインに、大挙して朝鮮半島に出向いた日本軍でしたが、唐羅連合の前に壊滅的な大敗北を喫します。
敗因は、元九州倭国のトップが弑逆(しいぎゃく)された「乙巳の変」(645)の首謀者の一人中大兄の思惑に駆り出され、直接には関係のない戦いでもあり、コンセンサスはもちろん大義名分が弱く士気に欠け、指揮系統もあいまいだったからです。
【One Point】 敗戦後“中大兄政権”は、唐と新羅による日本への侵攻を恐れて、防人(さきもり)を配し、また北部九州や瀬戸内海沿いに山城を築きます。
福岡県太宰府には幅60メートルの外堀を持った高さ9m、上部幅25m、全長1.2kmにも及ぶ防塁「水城」(みずき)を築いています。
【ご参考:今も残る史跡「水城跡」】
水城は膨大だったため、約1,400年が経った今でも残滓が残っています。
福岡市から大宰府市を通って日田市(大分県)に至る古代に栄えた「朝倉街道」沿いの史跡がそれです。
西側の一角は、JR鹿児島本線や九州高速道路が通り、東端が朝倉街道です。
大きいので知っていれば一目で分かります。
畑となったお堀跡には、春は菜の花が咲き誇る「水城跡」になっています。
《 戦勝国、唐羅連合の仲互い 》
戦いを主導した中大兄自身はどうかというと、畿内に戻ると、周囲からの怨嗟の中、いつでも逃げられるように琵琶湖畔に“近江京”こと大津宮(おおつのみや)を築いて移っています。
その後、「天皇」(当時は「大王」おおきみ)に就き、権力でもって怨嗟を封殺したかたちです。
それはそれ、日本国には「天運」が働いていたため侵略を免れています。
白村江の戦いに完勝した唐と新羅は、その後、半島支配をめぐって仲間割れを起こし、ついには7年後に「唐・新羅戦争」(670-676)に至る仲たがいをはじめたからです。
日本侵攻どころではなくなっていました。
ちょうど同じころ、日本国内を二分した古代史最大の内戦「壬申の乱」(672)が起きています。
天智亡き後、大友皇子(追諡:弘文天皇:第39代)と、『日本書紀』には中大兄と“兄弟”と記される大海人皇子(おおあま の おうじ)との戦いです。
【One Point】 結果的に皇位をめぐる争いとなった「壬申の乱」ですが、権力亡者の天智やその子:大友皇子よりも、正統な大海人皇子に人心はありました。
大分君(おきだのきみ)らの命をかけた戦いによって、大海人皇子が勝利すると第40代「天武天皇」として即位しています。
《 「草薙剣」のご神威による武家政権 》
天武系の皇統は第48代「称徳天皇」(在位764-770、重祚:第46代孝謙天皇)まで続きます。
天武系天皇の“大権”を面白く思わない藤原摂関家は、「乙巳の変」の首謀コンビの子孫による復活となる天智系皇統を画策し成功しています。
天智天皇の孫にあたる62歳の御しやすい第49代光仁天皇(在位770-781)で、以降、彼らにとって“望月の世”となる平安時代(794-1185)を謳歌しています。
天皇をないがしろにした藤原摂関家は、血の汚れを忌み嫌う「公家政権」でした。
しかし、公家政治も平家の台頭によって終盤を迎え、さらに源頼朝による武家政権「鎌倉幕府」の開幕(1185)によって、以降、日本の独立は堅持されていくことになります。
もし、平安時代のまま公家政権が続いていたら、ヨーロッパにまで攻め込み大モンゴル帝国を築いた「元」によって、日本は滅んでいたでしょう。
【One Point】 鎌倉幕府、第8代執権「北条時宗」(在職1268-1284)の時代に、二度にわたる高麗連合軍による蒙古襲来「元寇」がそれです。
武家政権に移って90年近くが経っていたことから、もともと“武”で象わされることがある九州にも基盤はできていました。
【ご参考:義経が失った「天運」】
平家が滅びたことで、源頼朝による鎌倉幕府が1185年に成立します。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした功績は、鞍馬山で育った源義経にあります。
しかし、彼は兄頼朝の真意に気づくことも、天意を知ることもできませんでした。
戦功や目先の勝敗にこだわる義経は、平家を滅ぼしたとき、幼帝「安徳天皇」の入水とともに、「三種の神器」も壇ノ浦の海に没することを許してしまったのです。
海上に浮かぶ「八咫鏡」と「勾玉」は回収できたものの、肝心の「草薙剣」は見つけることができませんでした。
そればかりか、京に凱旋したとき、神器なしで即位されていた後鳥羽天皇に「八咫鏡」と「勾玉」を渡してしまいます。
当然、天皇は大喜びしますが、これから武家の世を築こうとする頼朝にとって、神剣を失ったうえに“裏切り”でしかありませんでした。
また義経は、武家政権へ新しい時代の「天運」の流れを知るよしもなかったのです。
古い社会通念による“常識”のまま、宝鏡と勾玉を天皇に渡したことが、義経の“運命”を決めることになります。
《 古代「日本」の根底に海人族 》
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、神剣「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)が奉斎される熱田神宮の神官(大宮司)の娘:由良御前を母親とします。
“勾玉”で象徴される公家政権から“神剣”のご神威による武家政権の世に移ったことで日本の独立が守られていきます。
戦国乱世の英雄「織田信長」をみても同様です。
2~4万もの兵による今川軍の侵攻を受けて、織田軍はわずか3,000余。
彼が熱田神宮で戦勝を祈願し、桶狭間山で奇跡の勝利をあげたのはご存じのとおりです。
織田家は熱田港を拠点とする貿易で財を築き、のし上がっています。
美濃(岐阜)また尾張(名古屋)は、大海人皇子所縁の地で、海部氏や尾張氏など古代海人族の拠点の一つです。
奈辺に信長が居城とした清洲城もあります。
天運を伴なう古代日本の根底には常に海人族が関わっています。
戦国乱世は、刀鍛冶による鉄の加工技術を発達させ、このことは種子島に伝わった火縄銃の複製はもちろん、西洋を超えた高性能と大量生産を可能にし、植民地支配から日本の独立を守っています。
【One Point】 第14代島主「種子島時堯」(たねがしま ときたか)は、漂着したポルトガル商人から2丁の火縄銃を約2億円で購入しました。
大儲けした彼らが大量の鉄砲を持って再び日本を訪れたとき、高性能な日本製火縄銃に驚き、逆に買って帰ったほどです。
《 新時代のプロトタイプ(原型) 》
世界が武器や軍事技術を高めていった時代に、日本がもし武家政権でなく戦国乱世も訪れず刀鍛冶の技術が発達していなければ。
モンゴル高麗連合軍の襲来「元寇」によって滅ぼされ、またスペインやポルトガルによってインカ帝国や南米をみても分かるように、男性は殺され彼らのDNAが残る植民地となって、皇統も影もカタチもなくなっていたでしょう。
そうならなかったのは、民族性「魚宮」により日本的霊性はもちろん双魚宮時代の宇宙波動による「天運」を伴なっていたからです。
それだけではありません。
天皇のもと国体「水瓶宮」によって、来るべき宝瓶宮時代に向けて世界の模範の民となるべく、「天運」によって守られ文化的にもはぐくまれてきたからです。
今日、冥王星が水瓶宮に本格入宮していくことで、「深層の精神意識の変革」のデレクションとともに、新しい友愛精神(和、絆、民度)を伴ないつつ“ふつう”にすればいいのですが、新時代のプロトタイプ(原型)となっていく時代を迎えています。
【One Point】 「星のディレクション」(運勢変化、時代変化)は、主に「人類歴史」に働いてきました。
しかし、2022年以降は「個々人」がメインで、「深層の精神意識」(霊性、深層心理)の次元拡張(上昇)がお一人ひとり主体的に重要になっていく時代を迎えています。
◆ 時代の流れとともにある「天運」に守られてきた事例
どなたでも知っている日本の歴史的な経緯をご紹介するだけです。
現在の支那大陸の国家「中華人民共和国」は1949年に建国したばかりで、まだ74年の歴史しかありません。
支那大陸で最も長く続いた国家でも、約300年程度です。
ひるがえって日本は、確実なところをみても7世紀の第38代「天智天皇」(在位668-672)もしくは第40代「天武天皇」(在位673-686)から、約1,400年近い皇統が続く世界最長の国家になっています。
何度が存亡の危機はありましたが、日本は民族性が「魚宮」、国体は「水瓶宮」で象徴されるため、双魚宮時代から宝瓶宮時代へ時代の流れとともにある「天運」によって守られてきました。
その出来事の一例となるご紹介です。
《 壊滅的な大敗北と日本の危機 》
建国記念の日特別編「九州倭国と統一の大倭」に続く第2弾「日本の歴史的な天運」です。
長いのでポイントのみをお届けいたします。
7世紀にはじまった統一大和の最初の危機は、のちに天智天皇(てんじ てんのう)となる「中大兄」(なかのおおえ)による「白村江の戦い」(663:はくすきのえ の たたかい)でした。
九州の海人族をメインに、大挙して朝鮮半島に出向いた日本軍でしたが、唐羅連合の前に壊滅的な大敗北を喫します。
敗因は、元九州倭国のトップが弑逆(しいぎゃく)された「乙巳の変」(645)の首謀者の一人中大兄の思惑に駆り出され、直接には関係のない戦いでもあり、コンセンサスはもちろん大義名分が弱く士気に欠け、指揮系統もあいまいだったからです。
【One Point】 敗戦後“中大兄政権”は、唐と新羅による日本への侵攻を恐れて、防人(さきもり)を配し、また北部九州や瀬戸内海沿いに山城を築きます。
福岡県太宰府には幅60メートルの外堀を持った高さ9m、上部幅25m、全長1.2kmにも及ぶ防塁「水城」(みずき)を築いています。
【ご参考:今も残る史跡「水城跡」】
水城は膨大だったため、約1,400年が経った今でも残滓が残っています。
福岡市から大宰府市を通って日田市(大分県)に至る古代に栄えた「朝倉街道」沿いの史跡がそれです。
西側の一角は、JR鹿児島本線や九州高速道路が通り、東端が朝倉街道です。
大きいので知っていれば一目で分かります。
畑となったお堀跡には、春は菜の花が咲き誇る「水城跡」になっています。
《 戦勝国、唐羅連合の仲互い 》
戦いを主導した中大兄自身はどうかというと、畿内に戻ると、周囲からの怨嗟の中、いつでも逃げられるように琵琶湖畔に“近江京”こと大津宮(おおつのみや)を築いて移っています。
その後、「天皇」(当時は「大王」おおきみ)に就き、権力でもって怨嗟を封殺したかたちです。
それはそれ、日本国には「天運」が働いていたため侵略を免れています。
白村江の戦いに完勝した唐と新羅は、その後、半島支配をめぐって仲間割れを起こし、ついには7年後に「唐・新羅戦争」(670-676)に至る仲たがいをはじめたからです。
日本侵攻どころではなくなっていました。
ちょうど同じころ、日本国内を二分した古代史最大の内戦「壬申の乱」(672)が起きています。
天智亡き後、大友皇子(追諡:弘文天皇:第39代)と、『日本書紀』には中大兄と“兄弟”と記される大海人皇子(おおあま の おうじ)との戦いです。
【One Point】 結果的に皇位をめぐる争いとなった「壬申の乱」ですが、権力亡者の天智やその子:大友皇子よりも、正統な大海人皇子に人心はありました。
大分君(おきだのきみ)らの命をかけた戦いによって、大海人皇子が勝利すると第40代「天武天皇」として即位しています。
《 「草薙剣」のご神威による武家政権 》
天武系の皇統は第48代「称徳天皇」(在位764-770、重祚:第46代孝謙天皇)まで続きます。
天武系天皇の“大権”を面白く思わない藤原摂関家は、「乙巳の変」の首謀コンビの子孫による復活となる天智系皇統を画策し成功しています。
天智天皇の孫にあたる62歳の御しやすい第49代光仁天皇(在位770-781)で、以降、彼らにとって“望月の世”となる平安時代(794-1185)を謳歌しています。
天皇をないがしろにした藤原摂関家は、血の汚れを忌み嫌う「公家政権」でした。
しかし、公家政治も平家の台頭によって終盤を迎え、さらに源頼朝による武家政権「鎌倉幕府」の開幕(1185)によって、以降、日本の独立は堅持されていくことになります。
もし、平安時代のまま公家政権が続いていたら、ヨーロッパにまで攻め込み大モンゴル帝国を築いた「元」によって、日本は滅んでいたでしょう。
【One Point】 鎌倉幕府、第8代執権「北条時宗」(在職1268-1284)の時代に、二度にわたる高麗連合軍による蒙古襲来「元寇」がそれです。
武家政権に移って90年近くが経っていたことから、もともと“武”で象わされることがある九州にも基盤はできていました。
【ご参考:義経が失った「天運」】
平家が滅びたことで、源頼朝による鎌倉幕府が1185年に成立します。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした功績は、鞍馬山で育った源義経にあります。
しかし、彼は兄頼朝の真意に気づくことも、天意を知ることもできませんでした。
戦功や目先の勝敗にこだわる義経は、平家を滅ぼしたとき、幼帝「安徳天皇」の入水とともに、「三種の神器」も壇ノ浦の海に没することを許してしまったのです。
海上に浮かぶ「八咫鏡」と「勾玉」は回収できたものの、肝心の「草薙剣」は見つけることができませんでした。
そればかりか、京に凱旋したとき、神器なしで即位されていた後鳥羽天皇に「八咫鏡」と「勾玉」を渡してしまいます。
当然、天皇は大喜びしますが、これから武家の世を築こうとする頼朝にとって、神剣を失ったうえに“裏切り”でしかありませんでした。
また義経は、武家政権へ新しい時代の「天運」の流れを知るよしもなかったのです。
古い社会通念による“常識”のまま、宝鏡と勾玉を天皇に渡したことが、義経の“運命”を決めることになります。
《 古代「日本」の根底に海人族 》
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、神剣「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)が奉斎される熱田神宮の神官(大宮司)の娘:由良御前を母親とします。
“勾玉”で象徴される公家政権から“神剣”のご神威による武家政権の世に移ったことで日本の独立が守られていきます。
戦国乱世の英雄「織田信長」をみても同様です。
2~4万もの兵による今川軍の侵攻を受けて、織田軍はわずか3,000余。
彼が熱田神宮で戦勝を祈願し、桶狭間山で奇跡の勝利をあげたのはご存じのとおりです。
織田家は熱田港を拠点とする貿易で財を築き、のし上がっています。
美濃(岐阜)また尾張(名古屋)は、大海人皇子所縁の地で、海部氏や尾張氏など古代海人族の拠点の一つです。
奈辺に信長が居城とした清洲城もあります。
天運を伴なう古代日本の根底には常に海人族が関わっています。
戦国乱世は、刀鍛冶による鉄の加工技術を発達させ、このことは種子島に伝わった火縄銃の複製はもちろん、西洋を超えた高性能と大量生産を可能にし、植民地支配から日本の独立を守っています。
【One Point】 第14代島主「種子島時堯」(たねがしま ときたか)は、漂着したポルトガル商人から2丁の火縄銃を約2億円で購入しました。
大儲けした彼らが大量の鉄砲を持って再び日本を訪れたとき、高性能な日本製火縄銃に驚き、逆に買って帰ったほどです。
《 新時代のプロトタイプ(原型) 》
世界が武器や軍事技術を高めていった時代に、日本がもし武家政権でなく戦国乱世も訪れず刀鍛冶の技術が発達していなければ。
モンゴル高麗連合軍の襲来「元寇」によって滅ぼされ、またスペインやポルトガルによってインカ帝国や南米をみても分かるように、男性は殺され彼らのDNAが残る植民地となって、皇統も影もカタチもなくなっていたでしょう。
そうならなかったのは、民族性「魚宮」により日本的霊性はもちろん双魚宮時代の宇宙波動による「天運」を伴なっていたからです。
それだけではありません。
天皇のもと国体「水瓶宮」によって、来るべき宝瓶宮時代に向けて世界の模範の民となるべく、「天運」によって守られ文化的にもはぐくまれてきたからです。
今日、冥王星が水瓶宮に本格入宮していくことで、「深層の精神意識の変革」のデレクションとともに、新しい友愛精神(和、絆、民度)を伴ないつつ“ふつう”にすればいいのですが、新時代のプロトタイプ(原型)となっていく時代を迎えています。
【One Point】 「星のディレクション」(運勢変化、時代変化)は、主に「人類歴史」に働いてきました。
しかし、2022年以降は「個々人」がメインで、「深層の精神意識」(霊性、深層心理)の次元拡張(上昇)がお一人ひとり主体的に重要になっていく時代を迎えています。
相性 堂本剛 百田かな?
2024.01.18
[仮説相性] ― 牡羊宮と蟹宮の「太陽」だけど ―
◆ 公式の誕生日による相性ではなく1年早めた“仮説”です
ご参考になるのかどうか“仮説”による相性のリーディングです。
先日1月11日に堂本剛氏と15歳年下の百田夏菜子さんのご結婚が発表されました。
ですが、ここで取り上げた相性は「百田夏菜子」さんの公式の生年とは異なります。
公式の生年月日のうち年だけを1歳年上に仮説した場合、堂本剛氏との結婚相性はどうなる? という設定での相性リーディングです。
一例としてお楽しみください。
《 お二人のシナストリー・ホロスコープ 》
出生時間が不明なので「ソーラーチャート」での相性です。
相性のリーディングは、「関係性」を象わす構成要素「アスペクト」(位相、座相、局面)の象意解釈が90パーセント以上を占めますので、ソーラーチャートでも問題はありません。
【One Point】 「出生時間」によって明確になる「ASC」(Ascendant:アセンダント=上昇点)を含めて、重要になる恋愛相性のカップルもあります。
ただし、結婚相性の場合、全人的に全体をリーディングすることが必要なため、初恋などの相性でないかぎり重要度は下がります。
《 90度の「太陽サイン(宮)」のカップル 》
“太陽星座”こと、正確には「太陽サイン:宮」のみによる「星占い」の場合、“おひつじ座”(牡羊宮)生まれの堂本氏と、“かに座”(蟹宮)生まれのの百田夏菜子さんの相性はかなり“悪い”とされます。
上掲のホロスコープは生年を1年早めただけなので、“生月日”や出生地はそのままゆえ蟹宮生まれ(太陽)の女性との相性に変わりはありません。
1994年生まれの場合、蟹宮18度の「太陽」なのに対して、1年早めた1993年生まれの場合は蟹宮19度になります。
堂本氏の牡羊宮19度の「太陽」に対して、蟹宮19度の「太陽」は、現代占星術では“タイト”という表現を用いることがありますが、ふつうにジャストの矩(スクエア=90度)の相性になります。
矩=90度は良し悪しには関係がなく“考え”や“価値観”また“スタンス”などが異なる「自他」の相性であることを宝瓶宮時代の新しいアストロロジーでは理解しています。
双魚宮時代の「対立二元論」で解釈する“ホロスコープ占い”こと現代占星術の従来の占断では“相性が悪い”ことになります。
では、「共鳴関係論」による宝瓶宮時代の新しいアストロロジーではどうでしょうか。
ご当人たち次第で、もし視野が狭く自己本位であれば、お互いに否定したり反発が起こりやすくなる相性アスペクトです。
逆に、自分と違う考えや価値観を受け入れることができる人、また強い精神力を持っている人、さらには「太陽」以外の相性が良いケースの場合ほど“災い転じて福となす”といえる、えもいわれぬ関係性を結婚生活を続けるほどに築いていくことができる相性です。
【One Point】 出生時の「太陽」を矩=90度とするカップルは案外と多くいます。
代表的には今上陛下(魚宮)と雅子妃(射手宮)がそうです。
また、元テニス・プレイヤーの松岡修造氏(蠍宮)と、元テレ東の人気アナウンサー田口惠美子さん(水瓶宮)のケースももそうです。
【ご参考:YODに働く相性】
●堂本氏の「天王星」に彼女さんの「冥王星」が合=0度です。
堂本氏がお持ちのYOD=150/150/60度からみて、運命的に強い情動を伴ない惹かれることが起こります。
彼の出生時の「太陽」は、ご自身の「冥王星」を衝(オポジション=180度)として“目標”や“ターゲット”や“理想/憧憬”としているためです。
当該YODは、“妻”などを象わす「月」と“個性”(キャラ)などを象わす「天王星」を底辺として、“自分自身”や“夫”を象わす「太陽」を頂点としていることから、いくぶん“秘密主義”の側面が出てきますが、堂本氏にとって“シャスト・ミート!”のお相手ともなります。
こうなると右の本文に書いたベストの結婚相性が2つもあることから、もはや結ばれるのは“運命的”とさえいえるものになります。
《 夫唱婦随の結婚相性 》
上掲の相性ホロスコープには、一目で相性度が分かるように「◎」や「■」など“相性マーク”を付けています。
牡羊宮の「太陽」と蟹宮の「太陽」のお二人に対しては、仮説ですし、人格レベルまでは不明ですので「□」を付けています。
であっても、百田さんの公式の生年月日を1年繰り上げた仮説の相性の場合、堂本氏の牡羊宮の「太陽」に彼女さんの同じく牡羊宮で“妻”などを象わす「月」が合(コンジャクション=0度)をとる“夫唱婦随”のベストの夫婦相性がみられます。
「太陽」どうしの相性では“自分と違う”と感じながらも、「月」との相性では奥深い感受性の部分でなぜか“旦那さんになる人”などとしぜんと感じて惹かれることが起こります。
といったことがら、男性の「太陽」と女性の「月」の合=0度の結婚相性は「◎」です。
【One Point】 ご参考に左の欄外でYOD=150/150/60度に絡む相性のケースに触れておきました。
先月12月にお送りいたしました「アスペクト完璧講座」第8回のテーマ「YOD=150/150/60度」の結婚相性の部分でご説明を差し上げましたので、その実例にもなると存じます。
《 違いが気にならない相性 》
二重丸(◎)の相性は複数あるのですが、ご結婚には是非とも必要な「◎」相性がもう一つあります。
彼女さんの出生時の蟹宮19度の「太陽」に、宝瓶宮時代のアストロロジーがとる太陽の許容度数(オーブ)10度でギリギリですが、堂本氏の蟹宮29度の「木星」が合=0度をとっている部分です。
結婚にはぜひともほしい相性で、堂本氏にとって自分の考えや価値観と異なる蟹宮(太陽)の彼女がさほど気にならなくなる相性です。
「ああ、そうなんや」とスルーしてしまい、彼女さんから見れば、自分と考えや価値観が異なる男性なのに、“寛容な人だな”と感じてしまいます。
そうなりやすいのは他にも、お互いの「月」がお互いに相手の「海王星」と三分(トライン=120度)をとっているために、夢から醒めて現実をご認識するまではお互いに“理想のタイプ”などのように“美しい誤解”をしやすいからです。
【One Point】 “好き/嫌い”で推し量れる恋愛相性は、双魚宮時代の「対立二元論」による“吉凶解釈”で案外と通用します。
一方、全人的な結婚相性の場合は、そこまで単純ではないのですが、それでも魚宮の初期の共鳴星(支配星)「木星」は相性においては良いほうに作用します。
《 ときに口うるさく感じる■の相性 》
最後に唯一「■」が付いた相性の部分に触れておきます。
黒四角(■)のマークは、ご結婚には気をつけなければならない課題をもたらすことがある相性です。
堂本氏の「土星」と彼女さんの「火星」は合=0度なので、離れがたい二重丸(◎)の相性になりますが、一方で堂本氏の「土星」は、彼女さんの「金星&ドラゴンテール」と「ドラゴンヘッド」の軸となって、T矩(Tスクエア=90/90/180度)を形成しています。
「火星」との合=0度は、まれに「束縛」を感じることがあっても「離さない」「離れられない」といった関係の持続性をもたらします。
ですが、彼女さんの双子宮の「金星&ドラゴンテール」を含めたT矩(Tスクエア=90/90/180度)となると、束縛感のみならず、息苦しさや堅苦しさを感じることになります。
乙女宮の「月」また「土星」の堂本氏であるゆえに、なおさらで、よく言えば“完璧主義”ですが、双子宮の「金星」の彼女さんから見れば、“愛情よりも技術的に些細なことにこだわる”といった細かさを感じることが起こります。
もっとも、それ以上に良い相性が多いお二人なので、ふだんは問題がありませんが、相性もそのときどきによって「運勢変化」がもたらされますので、一応はご注意はされておかれるとよい部分です。
【One Point】 早ければ、2026年以降からご注意が必要になります。
2年後の2028年からは、上述の■の相性がさらに強まっていきますのでダブルでのご注意が必要です。
そのときまでにいろいろとトラブルを体験されて、関係改善の方途を身につけておくなど乗り越えられる状況を築いておかれるとよいでしょう。
◆ 公式の誕生日による相性ではなく1年早めた“仮説”です
ご参考になるのかどうか“仮説”による相性のリーディングです。
先日1月11日に堂本剛氏と15歳年下の百田夏菜子さんのご結婚が発表されました。
ですが、ここで取り上げた相性は「百田夏菜子」さんの公式の生年とは異なります。
公式の生年月日のうち年だけを1歳年上に仮説した場合、堂本剛氏との結婚相性はどうなる? という設定での相性リーディングです。
一例としてお楽しみください。
《 お二人のシナストリー・ホロスコープ 》
出生時間が不明なので「ソーラーチャート」での相性です。
相性のリーディングは、「関係性」を象わす構成要素「アスペクト」(位相、座相、局面)の象意解釈が90パーセント以上を占めますので、ソーラーチャートでも問題はありません。
【One Point】 「出生時間」によって明確になる「ASC」(Ascendant:アセンダント=上昇点)を含めて、重要になる恋愛相性のカップルもあります。
ただし、結婚相性の場合、全人的に全体をリーディングすることが必要なため、初恋などの相性でないかぎり重要度は下がります。
《 90度の「太陽サイン(宮)」のカップル 》
“太陽星座”こと、正確には「太陽サイン:宮」のみによる「星占い」の場合、“おひつじ座”(牡羊宮)生まれの堂本氏と、“かに座”(蟹宮)生まれのの百田夏菜子さんの相性はかなり“悪い”とされます。
上掲のホロスコープは生年を1年早めただけなので、“生月日”や出生地はそのままゆえ蟹宮生まれ(太陽)の女性との相性に変わりはありません。
1994年生まれの場合、蟹宮18度の「太陽」なのに対して、1年早めた1993年生まれの場合は蟹宮19度になります。
堂本氏の牡羊宮19度の「太陽」に対して、蟹宮19度の「太陽」は、現代占星術では“タイト”という表現を用いることがありますが、ふつうにジャストの矩(スクエア=90度)の相性になります。
矩=90度は良し悪しには関係がなく“考え”や“価値観”また“スタンス”などが異なる「自他」の相性であることを宝瓶宮時代の新しいアストロロジーでは理解しています。
双魚宮時代の「対立二元論」で解釈する“ホロスコープ占い”こと現代占星術の従来の占断では“相性が悪い”ことになります。
では、「共鳴関係論」による宝瓶宮時代の新しいアストロロジーではどうでしょうか。
ご当人たち次第で、もし視野が狭く自己本位であれば、お互いに否定したり反発が起こりやすくなる相性アスペクトです。
逆に、自分と違う考えや価値観を受け入れることができる人、また強い精神力を持っている人、さらには「太陽」以外の相性が良いケースの場合ほど“災い転じて福となす”といえる、えもいわれぬ関係性を結婚生活を続けるほどに築いていくことができる相性です。
【One Point】 出生時の「太陽」を矩=90度とするカップルは案外と多くいます。
代表的には今上陛下(魚宮)と雅子妃(射手宮)がそうです。
また、元テニス・プレイヤーの松岡修造氏(蠍宮)と、元テレ東の人気アナウンサー田口惠美子さん(水瓶宮)のケースももそうです。
【ご参考:YODに働く相性】
●堂本氏の「天王星」に彼女さんの「冥王星」が合=0度です。
堂本氏がお持ちのYOD=150/150/60度からみて、運命的に強い情動を伴ない惹かれることが起こります。
彼の出生時の「太陽」は、ご自身の「冥王星」を衝(オポジション=180度)として“目標”や“ターゲット”や“理想/憧憬”としているためです。
当該YODは、“妻”などを象わす「月」と“個性”(キャラ)などを象わす「天王星」を底辺として、“自分自身”や“夫”を象わす「太陽」を頂点としていることから、いくぶん“秘密主義”の側面が出てきますが、堂本氏にとって“シャスト・ミート!”のお相手ともなります。
こうなると右の本文に書いたベストの結婚相性が2つもあることから、もはや結ばれるのは“運命的”とさえいえるものになります。
《 夫唱婦随の結婚相性 》
上掲の相性ホロスコープには、一目で相性度が分かるように「◎」や「■」など“相性マーク”を付けています。
牡羊宮の「太陽」と蟹宮の「太陽」のお二人に対しては、仮説ですし、人格レベルまでは不明ですので「□」を付けています。
であっても、百田さんの公式の生年月日を1年繰り上げた仮説の相性の場合、堂本氏の牡羊宮の「太陽」に彼女さんの同じく牡羊宮で“妻”などを象わす「月」が合(コンジャクション=0度)をとる“夫唱婦随”のベストの夫婦相性がみられます。
「太陽」どうしの相性では“自分と違う”と感じながらも、「月」との相性では奥深い感受性の部分でなぜか“旦那さんになる人”などとしぜんと感じて惹かれることが起こります。
といったことがら、男性の「太陽」と女性の「月」の合=0度の結婚相性は「◎」です。
【One Point】 ご参考に左の欄外でYOD=150/150/60度に絡む相性のケースに触れておきました。
先月12月にお送りいたしました「アスペクト完璧講座」第8回のテーマ「YOD=150/150/60度」の結婚相性の部分でご説明を差し上げましたので、その実例にもなると存じます。
《 違いが気にならない相性 》
二重丸(◎)の相性は複数あるのですが、ご結婚には是非とも必要な「◎」相性がもう一つあります。
彼女さんの出生時の蟹宮19度の「太陽」に、宝瓶宮時代のアストロロジーがとる太陽の許容度数(オーブ)10度でギリギリですが、堂本氏の蟹宮29度の「木星」が合=0度をとっている部分です。
結婚にはぜひともほしい相性で、堂本氏にとって自分の考えや価値観と異なる蟹宮(太陽)の彼女がさほど気にならなくなる相性です。
「ああ、そうなんや」とスルーしてしまい、彼女さんから見れば、自分と考えや価値観が異なる男性なのに、“寛容な人だな”と感じてしまいます。
そうなりやすいのは他にも、お互いの「月」がお互いに相手の「海王星」と三分(トライン=120度)をとっているために、夢から醒めて現実をご認識するまではお互いに“理想のタイプ”などのように“美しい誤解”をしやすいからです。
【One Point】 “好き/嫌い”で推し量れる恋愛相性は、双魚宮時代の「対立二元論」による“吉凶解釈”で案外と通用します。
一方、全人的な結婚相性の場合は、そこまで単純ではないのですが、それでも魚宮の初期の共鳴星(支配星)「木星」は相性においては良いほうに作用します。
《 ときに口うるさく感じる■の相性 》
最後に唯一「■」が付いた相性の部分に触れておきます。
黒四角(■)のマークは、ご結婚には気をつけなければならない課題をもたらすことがある相性です。
堂本氏の「土星」と彼女さんの「火星」は合=0度なので、離れがたい二重丸(◎)の相性になりますが、一方で堂本氏の「土星」は、彼女さんの「金星&ドラゴンテール」と「ドラゴンヘッド」の軸となって、T矩(Tスクエア=90/90/180度)を形成しています。
「火星」との合=0度は、まれに「束縛」を感じることがあっても「離さない」「離れられない」といった関係の持続性をもたらします。
ですが、彼女さんの双子宮の「金星&ドラゴンテール」を含めたT矩(Tスクエア=90/90/180度)となると、束縛感のみならず、息苦しさや堅苦しさを感じることになります。
乙女宮の「月」また「土星」の堂本氏であるゆえに、なおさらで、よく言えば“完璧主義”ですが、双子宮の「金星」の彼女さんから見れば、“愛情よりも技術的に些細なことにこだわる”といった細かさを感じることが起こります。
もっとも、それ以上に良い相性が多いお二人なので、ふだんは問題がありませんが、相性もそのときどきによって「運勢変化」がもたらされますので、一応はご注意はされておかれるとよい部分です。
【One Point】 早ければ、2026年以降からご注意が必要になります。
2年後の2028年からは、上述の■の相性がさらに強まっていきますのでダブルでのご注意が必要です。
そのときまでにいろいろとトラブルを体験されて、関係改善の方途を身につけておくなど乗り越えられる状況を築いておかれるとよいでしょう。
九州倭国と統一の大倭
2024.01.15
[建国記念の日特別編:古代史解明11] ― 阿波起源説の誤謬 ―
◆ 当初からの統一大和だったとする「日本書紀史観」にご注意
日本古代史の事実を知りたい方も多いと存じますので、建国記念の日特別編として書いておきます。
悪い意味ではなく、7世紀につくられた「日本書紀史観」と、実際の「日本の歴史の真実」と、皆さまはどちらがお好みでしょうか?
日本書紀史観というのは、『日本書紀』の記述にのっとって、今から約2,700年ほど前の皇紀元年から万世一系の皇統で、現在の奈良を都とする統一大和政権がはじまったとする皇国史観です。
信じるのは悪いことではありませんし、タテマエとしてそう明言されておられる方も多いようですが、どう考えても古代日本の事実ではないことは明白です。
“勘違い”や“幻想”の「双魚宮時代」ということもあり、当初からの「大和」だったと考えて古代史を考察すると間違います。
《 噴飯物の“阿波起源説” 》
一例ですが、「邪馬台国畿内説」などはカワイイもので、「邪馬台国阿波徳島説」といった噴飯物の“勘違い”を散見します。
史実からいえば、大和は阿波が起源というのは譲歩して、半分は本当、半分はウソの“事実誤認”です。
阿波が古代畿内国(大和)の起源にかかわっていたのは事実ですが、全部ではないしごく一部にすぎません。
さらには大前提として畿内国(大和)そのものが、実は「統一大和」ではなかったという驚愕の史実があります。
大和朝廷の場所は、今日の奈良で間違いはないのです。
ただし、「統一大和」の発祥は、畿内国また阿波国が無関係とまではいえませんが、6世紀末~7世紀初頭に“国譲り神話”を地でいくような隠匿された出来事が起きています。
当初から万世一系で大和一国の歴史だったとする『日本書紀』が、絶対に明らかにできない史実です。
「九州倭国」主導の吸収合併による「統一大和」こと大倭(おおやまと)の誕生がそれで、半世紀後の「乙巳の変」(いっしのへん:645年)の遠因になっています。
統一大和の誕生によって、畿内国はもちろん阿波徳島の勢力は従属下におかれ、一部は出雲に封じられた格好です。
【One Point】 「卑弥呼」を女王に共立して、平和をもたらした北部九州「倭国」の統治システムは、統一大和にも受け継がれています。
この事実だけをみると、阿波徳島が“邪馬台国”かのように勘違いしてしまうのですが、古代史の流れは、そんなに単純なものではありません。
【ご参考:「邪馬台国」への道のり】
●通称「魏志倭人伝」に記された倭の女王「卑弥呼」が都とした「邪馬台国」までの行程は次のように記されています。
朝鮮半島の現在の平城とソウルの間にあった出発地「帯方郡」から邪馬台国まで、12,000余里という里程表記、は3世紀の記録です。
一方、投馬国を経て邪馬台国まで、2か月間という日程表記は1世紀の記録と考えられます。
表記単位の異なる里程と日程は、直列ではなく併記したものです。
ちなみに、陳寿が記した「邪馬壹国」(やまいこく)や「壹与」(いよ)は意図的な誤表記ということが明らかになっています。
なぜなら、陳寿が参考にした原文の記録は「馬台(臺)」(またい)と記されているからです。
《 “旅行記”ではなく「軍事偵察記」 》
お話は少々それますが、「魏志倭人伝」は“観光旅行”の記録をベースにした歴史書ではなく、「軍事偵察記」をもとに、著作郎「陳寿」(233?-297)によって編纂されたものです。
里程や日程などの行程、さらに方角が大きく間違うことはありません。
ただし陳寿は、3世紀の倭国の記録だけでなく、1世紀の奴国の記録も参考にして繋げたたため記述には若干の混乱が見られます。
それに輪をかけて、漢文のニュアンスを読みとれない日本人が読み下し、邪馬台国の比定地を解釈するために混迷が生じています。
詳細は、「 古代史解明1:邪馬台国への行程ミス」をご参照ください。
結論は簡単です。
帯方郡(現ソウルの北)から邪馬台国まで計1万2,000余里と記されています。
福岡市近隣に位置したことで合意が得られている「不弥国」(ふみこく)までの記録を合計すると1万700里。
なので、福岡近郊の不弥国から残り1,300余里以内の場所に「邪馬台国」はあります。
【One Point】 現代日本の1里=4kmではなく、当時、大陸で用いられていた「里」(短里)です。
福岡市から約65kmも離れない場所に「邪馬台国」は位置していました。
事実、漢文を母国語とする台湾や中国の学者研究家が原文を読んだ結果、いずれも「邪馬台国は九州」としていす。
《 “大倭”こと統一独立国家「大和」の誕生 》
7世紀に編纂された『日本書紀』は、当時の正当なワケがあって、最初から万世一系の皇統で統一大和だったと統治の正統性を主張し、ポイントポイントで意図的に記されています。
実際は次のとおりです。
“大国主命”(複数)とも記される東征した物部の祖「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(にぎはやひのみこと)が国づくりを行ない、畿内国にも拠点を置きます。
6世紀末になると邪馬台国の流れをくみ、鉄器や文化ともに当時の最先端だった「九州倭国」が優勢な立場で、自ら「畿内国」に吸収合併されたカタチをとることで、隋(大陸)の冊封下から離れ、独立統一国家「大和」を誕生させています。
これが“大倭”(おおやまと)です。
九州倭国と畿内国の合併ゆえで、「大和」と書いて“やまと”と読む由縁です。
しかし、合併の立役者だった「九州倭国」の蘇我本宗家は、三代目の入鹿の時代に「乙巳の変」で滅ぼされ、新たな政権に移っていきます。
これによって、「九州倭国」の歴史は完全に抹殺され、当初からの統一大和として『日本書紀』に記録されます。
新政権はそのまま「大和」(やまと)を名乗り、『日本書紀』をプロパガンダ(政治宣伝)の書として律令制度による統一大和を形成していきます。
【One Point】 阿波国の忌部氏は、藤原氏によって表舞台から遠ざけられます。
そういった恨みや無念さが阿波四国には残っていて、「双魚宮時代」の終末を迎えた今日、過剰にアピールしはじめています。
宝瓶宮時代は真実が明らかになっていく時代でもあるからです。
《 古代日本の文化状況の違い 》
古代と現代とでは、表日本と裏日本とが逆転しています。
古代は大陸に近い日本海側がオモテ日本で先進地域でした。
とくに、フィリピン沖を通過した暖流黒潮が日本列島にぶつかる大陸に近い北部九州は、“鉄器”や“仏教”など文化の最先端でした。
「魏志倭人伝」に記される倭の女王「卑弥呼」を共立して、倭国大乱を治めた「九州倭国」です。
畿内国や四国は淡路島をみても分かるとおり、縄文系の青銅器祭祀文化圏です。
「乙巳の変」によって、九州倭国の蘇我本宗家から政権奪取に成功した彼らは、そのまま仏教を受け入れつつ、縄文古来からの神道との「神仏習合」による当時の天皇祭祀と、藤原氏を筆頭とした公家政権運営を確立していきます。
といったことから、阿波徳島というのは当時のオモテ日本(日本海側)から見れば、ウラ日本もウラの辺境の地にすぎません。
ただし、記紀神話に神武天皇が東征したと記されるはるか紀元前の昔、ソロモン王に依頼されたフェニキア船団は古代イスラエルとともに、鉄や宝石や珍物を求めて、諏訪から伊勢紀伊を通り四国を横断する「日本列島構造線」沿いに拠点(古来からの神社が多い)を築いてきたこともあって、その影響を色濃く受けた地域の一つになっています。
【One Point】 有名なところでは、兵庫県淡路島の南端の古代イスラエルの痕跡があります。
当時のフェニキアの航海術は想像以上で、冒険好きの気質も手伝って日本国内はもとより、世界各地のペトログリフ(石刻文字)などに見られるように痕跡を残しています。
《 阿波は統一大和の起源ではない 》
さて、『日本書紀』によれば、初代神武天皇が古代大和こと畿内に東征したとき、すでに饒速日命(にぎはやひのみこと)が国を築いていて、同じ天孫系ということもあって、国を譲り受けたというお話になっています。
饒速日命は、古代海人族の系図に記される物部氏の祖で、物部氏には古代オリエントとの関連がうかがえます。
一方、『古事記』では、「大国主命」というネーミングのとおり最初に国づくりを行ない主(あるじ)になった人物大国主命、また大物主命、さらに饒速日命は、必ずしも同一人物とはかぎりませんが、初期に国づくりを行ない国譲りをした側の代表になります。
阿波徳島も全部ではありませんがここにかかわり、結局、統一大和において出雲に流され祀られたカタチになっています。
同じ蘇我氏であっても、乙巳の変で滅ぼされた蘇我本宗家がある一方で、逆に本宗家を滅ぼした側の中大兄や中臣鎌子(藤原鎌足)に加担した蘇我一族の長老:蘇我倉山田石川麻呂がいるように、阿波徳島もいろいろな立場があるのです。
いずれにしても、『日本書紀』が記すような当初からの統一独立国家「大和」ではないため、阿波徳島が統一大和の起源となっていない側面は大きいのです。
【One Point】 古い歴史を阿波徳島や四国は一部に持つものの、統一大和の建国に当たっては排除された側であるために、双魚宮時代の大和に恨みを残すこともあり、“自分たちこそ日本の起源んだ”と知らずに怨念波動を受けて、“針小棒大”に誤った歴史解釈を喧伝することになりかねません。
◆ 当初からの統一大和だったとする「日本書紀史観」にご注意
日本古代史の事実を知りたい方も多いと存じますので、建国記念の日特別編として書いておきます。
悪い意味ではなく、7世紀につくられた「日本書紀史観」と、実際の「日本の歴史の真実」と、皆さまはどちらがお好みでしょうか?
日本書紀史観というのは、『日本書紀』の記述にのっとって、今から約2,700年ほど前の皇紀元年から万世一系の皇統で、現在の奈良を都とする統一大和政権がはじまったとする皇国史観です。
信じるのは悪いことではありませんし、タテマエとしてそう明言されておられる方も多いようですが、どう考えても古代日本の事実ではないことは明白です。
“勘違い”や“幻想”の「双魚宮時代」ということもあり、当初からの「大和」だったと考えて古代史を考察すると間違います。
《 噴飯物の“阿波起源説” 》
一例ですが、「邪馬台国畿内説」などはカワイイもので、「邪馬台国阿波徳島説」といった噴飯物の“勘違い”を散見します。
史実からいえば、大和は阿波が起源というのは譲歩して、半分は本当、半分はウソの“事実誤認”です。
阿波が古代畿内国(大和)の起源にかかわっていたのは事実ですが、全部ではないしごく一部にすぎません。
さらには大前提として畿内国(大和)そのものが、実は「統一大和」ではなかったという驚愕の史実があります。
大和朝廷の場所は、今日の奈良で間違いはないのです。
ただし、「統一大和」の発祥は、畿内国また阿波国が無関係とまではいえませんが、6世紀末~7世紀初頭に“国譲り神話”を地でいくような隠匿された出来事が起きています。
当初から万世一系で大和一国の歴史だったとする『日本書紀』が、絶対に明らかにできない史実です。
「九州倭国」主導の吸収合併による「統一大和」こと大倭(おおやまと)の誕生がそれで、半世紀後の「乙巳の変」(いっしのへん:645年)の遠因になっています。
統一大和の誕生によって、畿内国はもちろん阿波徳島の勢力は従属下におかれ、一部は出雲に封じられた格好です。
【One Point】 「卑弥呼」を女王に共立して、平和をもたらした北部九州「倭国」の統治システムは、統一大和にも受け継がれています。
この事実だけをみると、阿波徳島が“邪馬台国”かのように勘違いしてしまうのですが、古代史の流れは、そんなに単純なものではありません。
【ご参考:「邪馬台国」への道のり】
●通称「魏志倭人伝」に記された倭の女王「卑弥呼」が都とした「邪馬台国」までの行程は次のように記されています。
朝鮮半島の現在の平城とソウルの間にあった出発地「帯方郡」から邪馬台国まで、12,000余里という里程表記、は3世紀の記録です。
一方、投馬国を経て邪馬台国まで、2か月間という日程表記は1世紀の記録と考えられます。
表記単位の異なる里程と日程は、直列ではなく併記したものです。
ちなみに、陳寿が記した「邪馬壹国」(やまいこく)や「壹与」(いよ)は意図的な誤表記ということが明らかになっています。
なぜなら、陳寿が参考にした原文の記録は「馬台(臺)」(またい)と記されているからです。
《 “旅行記”ではなく「軍事偵察記」 》
お話は少々それますが、「魏志倭人伝」は“観光旅行”の記録をベースにした歴史書ではなく、「軍事偵察記」をもとに、著作郎「陳寿」(233?-297)によって編纂されたものです。
里程や日程などの行程、さらに方角が大きく間違うことはありません。
ただし陳寿は、3世紀の倭国の記録だけでなく、1世紀の奴国の記録も参考にして繋げたたため記述には若干の混乱が見られます。
それに輪をかけて、漢文のニュアンスを読みとれない日本人が読み下し、邪馬台国の比定地を解釈するために混迷が生じています。
詳細は、「 古代史解明1:邪馬台国への行程ミス」をご参照ください。
結論は簡単です。
帯方郡(現ソウルの北)から邪馬台国まで計1万2,000余里と記されています。
福岡市近隣に位置したことで合意が得られている「不弥国」(ふみこく)までの記録を合計すると1万700里。
なので、福岡近郊の不弥国から残り1,300余里以内の場所に「邪馬台国」はあります。
【One Point】 現代日本の1里=4kmではなく、当時、大陸で用いられていた「里」(短里)です。
福岡市から約65kmも離れない場所に「邪馬台国」は位置していました。
事実、漢文を母国語とする台湾や中国の学者研究家が原文を読んだ結果、いずれも「邪馬台国は九州」としていす。
《 “大倭”こと統一独立国家「大和」の誕生 》
7世紀に編纂された『日本書紀』は、当時の正当なワケがあって、最初から万世一系の皇統で統一大和だったと統治の正統性を主張し、ポイントポイントで意図的に記されています。
実際は次のとおりです。
“大国主命”(複数)とも記される東征した物部の祖「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(にぎはやひのみこと)が国づくりを行ない、畿内国にも拠点を置きます。
6世紀末になると邪馬台国の流れをくみ、鉄器や文化ともに当時の最先端だった「九州倭国」が優勢な立場で、自ら「畿内国」に吸収合併されたカタチをとることで、隋(大陸)の冊封下から離れ、独立統一国家「大和」を誕生させています。
これが“大倭”(おおやまと)です。
九州倭国と畿内国の合併ゆえで、「大和」と書いて“やまと”と読む由縁です。
しかし、合併の立役者だった「九州倭国」の蘇我本宗家は、三代目の入鹿の時代に「乙巳の変」で滅ぼされ、新たな政権に移っていきます。
これによって、「九州倭国」の歴史は完全に抹殺され、当初からの統一大和として『日本書紀』に記録されます。
新政権はそのまま「大和」(やまと)を名乗り、『日本書紀』をプロパガンダ(政治宣伝)の書として律令制度による統一大和を形成していきます。
【One Point】 阿波国の忌部氏は、藤原氏によって表舞台から遠ざけられます。
そういった恨みや無念さが阿波四国には残っていて、「双魚宮時代」の終末を迎えた今日、過剰にアピールしはじめています。
宝瓶宮時代は真実が明らかになっていく時代でもあるからです。
《 古代日本の文化状況の違い 》
古代と現代とでは、表日本と裏日本とが逆転しています。
古代は大陸に近い日本海側がオモテ日本で先進地域でした。
とくに、フィリピン沖を通過した暖流黒潮が日本列島にぶつかる大陸に近い北部九州は、“鉄器”や“仏教”など文化の最先端でした。
「魏志倭人伝」に記される倭の女王「卑弥呼」を共立して、倭国大乱を治めた「九州倭国」です。
畿内国や四国は淡路島をみても分かるとおり、縄文系の青銅器祭祀文化圏です。
「乙巳の変」によって、九州倭国の蘇我本宗家から政権奪取に成功した彼らは、そのまま仏教を受け入れつつ、縄文古来からの神道との「神仏習合」による当時の天皇祭祀と、藤原氏を筆頭とした公家政権運営を確立していきます。
といったことから、阿波徳島というのは当時のオモテ日本(日本海側)から見れば、ウラ日本もウラの辺境の地にすぎません。
ただし、記紀神話に神武天皇が東征したと記されるはるか紀元前の昔、ソロモン王に依頼されたフェニキア船団は古代イスラエルとともに、鉄や宝石や珍物を求めて、諏訪から伊勢紀伊を通り四国を横断する「日本列島構造線」沿いに拠点(古来からの神社が多い)を築いてきたこともあって、その影響を色濃く受けた地域の一つになっています。
【One Point】 有名なところでは、兵庫県淡路島の南端の古代イスラエルの痕跡があります。
当時のフェニキアの航海術は想像以上で、冒険好きの気質も手伝って日本国内はもとより、世界各地のペトログリフ(石刻文字)などに見られるように痕跡を残しています。
《 阿波は統一大和の起源ではない 》
さて、『日本書紀』によれば、初代神武天皇が古代大和こと畿内に東征したとき、すでに饒速日命(にぎはやひのみこと)が国を築いていて、同じ天孫系ということもあって、国を譲り受けたというお話になっています。
饒速日命は、古代海人族の系図に記される物部氏の祖で、物部氏には古代オリエントとの関連がうかがえます。
一方、『古事記』では、「大国主命」というネーミングのとおり最初に国づくりを行ない主(あるじ)になった人物大国主命、また大物主命、さらに饒速日命は、必ずしも同一人物とはかぎりませんが、初期に国づくりを行ない国譲りをした側の代表になります。
阿波徳島も全部ではありませんがここにかかわり、結局、統一大和において出雲に流され祀られたカタチになっています。
同じ蘇我氏であっても、乙巳の変で滅ぼされた蘇我本宗家がある一方で、逆に本宗家を滅ぼした側の中大兄や中臣鎌子(藤原鎌足)に加担した蘇我一族の長老:蘇我倉山田石川麻呂がいるように、阿波徳島もいろいろな立場があるのです。
いずれにしても、『日本書紀』が記すような当初からの統一独立国家「大和」ではないため、阿波徳島が統一大和の起源となっていない側面は大きいのです。
【One Point】 古い歴史を阿波徳島や四国は一部に持つものの、統一大和の建国に当たっては排除された側であるために、双魚宮時代の大和に恨みを残すこともあり、“自分たちこそ日本の起源んだ”と知らずに怨念波動を受けて、“針小棒大”に誤った歴史解釈を喧伝することになりかねません。
相性 安住紳一郎-西島まどか
2024.01.15
[現実婚] ― 獅子宮生まれどうしの結婚 ―
◆ “ラブラブ婚”ではなく現実重視の自立カップル
晩婚のほうが結婚生活が長続きする実生活重視のカップルです。
ちょっと斜めにとらえたニヒルなところのある安住紳一郎アナ(50)ご結婚だそうです。
お相手は一回り年下の同業者で元フリーアナウンサーの西島まどかさん(38)。
相性を見てみました。
多少は課題があっても大人のご結婚で、相性もベストの部分がありますのでベターハーフの“ハッピー・マリッジ”です。
《 “愛情”よりもステイタス重視 》
安住アナも西島まどかさんも獅子宮のお生まれ(太陽)です。
獅子宮の異性の好みの特徴としては、他人に自慢できる相手を選ぶこと。
地位や家柄やルックスなど、極論すれば“愛情”よりもステイタス、もとい尊敬できる部分があることが愛情につながります。
“独身貴族”だった安住紳一郎アナは、ホロスコープ(出生天球図)を拝見すると、異性運は良いとは言えないのですが、誤解されやすいタイプで抜群の資産運をお持ちです。
ここぞと惚れ込んだお相手には、過去には“美しい誤解”や“勘違い”も手伝って気前よく貢いだこともあったかもしれません。
ですが、若いころにそれで痛い目にあって“女性不振”に陥っていそうです。
そういったこともあって女性にはシビアで現実的なので、吝嗇家(りんしょくか)の傾向が出ることがあります。
【One Point】 50歳まで独身できた理由でしょう。
もし、若いときに彼が結婚していれば、妻運は決して良いとは言えませんので、離婚していたでしょう。
ところが、彼の妻運には“大逆転”の運勢も秘められていて晩婚のほうがいいのです。
《 お二人の相性ホロスコープ 》
下掲はお二人の相性ホロスコープです。
出生時間が不明なので、出生時の「太陽」をASC(Ascendant:アセンダント=上昇点)の位置におく「ソーラーチャート」です。
「相性」を見るには、ホロスコープの構成要素の中で“関係性”を象わす「アスペクト」(位相、座相:局面)が最も重要になります。
分かりやすいように「◎、〇、△、□、■」で相性レベルをマーキングしています。
「二重丸(◎)」はご結婚にはぜひとも必要な相性です。
「黒四角(■)」は、結婚には避けたほうが良い相性です。
【One Point】 二重丸(◎)がない夫婦カップルはいらっしゃいません。
一方、黒四角(■)をお持ちのカップルは少なくないのですが、それを上回る二重丸(◎)の相性を複数お持ちのケースがほとんどです。
さらに「星のディレクション」(運勢変化)によっても相性は変わってきます。
《 “嫌でも”一緒に暮らす相性 》
お互いに好きどうしで「夫婦相性」をお持ちでも、どうしても結婚できない相性やご結婚されても家庭内別居や単身赴任また離婚に至るなど、一つ屋根の下で一緒に暮らすことができない相性もあります。
お二人は真逆です。
さほど好きどうしではなくても行動を共にしたり、一緒に暮らしたり、ご結婚が可能な相性をお互いにお持ちです。
加えて、抜群の「夫婦相性」をお持ちですので、出合えばご結婚は“既定路線”となる相性になっています。
シナストリー・ホロスコープ(相性天球図)を拝見すると、ご注意されたほうがよい相性が一つあります。
ご結婚後、安住アナの好意が醒める相性です。
もともと生まれ持つ「異性運」や「結婚夫婦運」に課題を持つお二人で、唯一、課題となる相性部分になっていて安住アナの吝嗇が出ると西島さんは芸能界復帰など働かなければならなくなります。
さはさりながら、相手の欠点が目に入りにくいというご結婚にはベストな是非とも欲しい相性があります。
【One Point】 相手の言動を些細なことであげつらう相性もあれば、欠点を認知できずに面白いとスルーして気にならない相性もあります。
ビジネス・シーンでは要注意の相性ですが、ご夫婦カップルにはベストとなる相性です。
《 愛情よりも尊敬による結婚 》
お二人ともYOD(ヨッド=150/150/60度)をお持ちです。
安住アナは「ドラゴン・テール」を頂点とし、「木星」と「海王星」とを底辺とするYOD=150/150/60度で、社会に出てから“人の好さ”をもたらし、人気アナを運命づけています。
西島まどかさんは「天王星」を頂点とし「金星」と「ドラゴン・ヘッド」を底辺とするYOD=150/150/60度をお持ちで、安住アナとの相性に大きく作用し、彼の個性(キャラ)や才能を好ましく思い応援する良い相性になっています。
“居酒屋の女神”とまでニックネームがついた人気の番組をスッパリと辞めて、芸能界を引退したのは多忙な安住アナを支えるためという説があるのも、“美談”として首肯できなくはない相性の部分です。
人生をかけて退路を断ち安住アナを支える彼女に、獅子宮の男気もあってご結婚を決めた側面が垣間見えます。
彼女は「太陽&月&火星」(獅子宮)の三重合(トリプル・コンジャクション=0/0/0度)をお持ちですので、無視されたり怒ると雌獅子の咆哮に似て怖いのです。
【One Point】 安住アナのためのお嫁さんの一面を持ちます。
大人のご結婚ですので生活の問題も考えてのことです。
が、安住アナの人柄や人間性また才能に好意抱き、尊敬できる部分があってのご結婚になっています。
《 お互いの夫婦家庭運が課題 》
上掲のシナストリー・ホロスコープ(相性天球図)を見てお分かりのように、ご結婚に必要な「二重丸(◎)」の相性が5か所もあります。
ご結婚には避けたほうがよい「黒四角(■)」の相性は1か所あるのみで、相性的にはほぼ問題はないのですが、お二人ともに生まれ持つ「家庭夫婦運」に課題をお持ちです。
愛情がメインの“恋愛幻想”によるラブラブの夢見るご結婚ではなく、相手への尊敬を含めて現実的に世間体を配慮した大人のご結婚になっています。
通常のご結婚とは逆に、お互いに人格を高め結婚生活を続けていくうちに相手への配慮や情愛が培われていくカップルです。
奈辺がどちらに転ぶかによって、最後に人生を共にするご結婚生活の決め手になります。
【One Point】 プロのアナウンサーとして人間性や人格をお持ちであるほど、現実との折り合いをうまくつけていける相性です。
安住氏は情愛よりも家庭を持つこと自体に意義を見出したご結婚なので、現実の結婚生活は逆に継続可能でしょう。
◆ “ラブラブ婚”ではなく現実重視の自立カップル
晩婚のほうが結婚生活が長続きする実生活重視のカップルです。
ちょっと斜めにとらえたニヒルなところのある安住紳一郎アナ(50)ご結婚だそうです。
お相手は一回り年下の同業者で元フリーアナウンサーの西島まどかさん(38)。
相性を見てみました。
多少は課題があっても大人のご結婚で、相性もベストの部分がありますのでベターハーフの“ハッピー・マリッジ”です。
《 “愛情”よりもステイタス重視 》
安住アナも西島まどかさんも獅子宮のお生まれ(太陽)です。
獅子宮の異性の好みの特徴としては、他人に自慢できる相手を選ぶこと。
地位や家柄やルックスなど、極論すれば“愛情”よりもステイタス、もとい尊敬できる部分があることが愛情につながります。
“独身貴族”だった安住紳一郎アナは、ホロスコープ(出生天球図)を拝見すると、異性運は良いとは言えないのですが、誤解されやすいタイプで抜群の資産運をお持ちです。
ここぞと惚れ込んだお相手には、過去には“美しい誤解”や“勘違い”も手伝って気前よく貢いだこともあったかもしれません。
ですが、若いころにそれで痛い目にあって“女性不振”に陥っていそうです。
そういったこともあって女性にはシビアで現実的なので、吝嗇家(りんしょくか)の傾向が出ることがあります。
【One Point】 50歳まで独身できた理由でしょう。
もし、若いときに彼が結婚していれば、妻運は決して良いとは言えませんので、離婚していたでしょう。
ところが、彼の妻運には“大逆転”の運勢も秘められていて晩婚のほうがいいのです。
《 お二人の相性ホロスコープ 》
下掲はお二人の相性ホロスコープです。
出生時間が不明なので、出生時の「太陽」をASC(Ascendant:アセンダント=上昇点)の位置におく「ソーラーチャート」です。
「相性」を見るには、ホロスコープの構成要素の中で“関係性”を象わす「アスペクト」(位相、座相:局面)が最も重要になります。
分かりやすいように「◎、〇、△、□、■」で相性レベルをマーキングしています。
「二重丸(◎)」はご結婚にはぜひとも必要な相性です。
「黒四角(■)」は、結婚には避けたほうが良い相性です。
【One Point】 二重丸(◎)がない夫婦カップルはいらっしゃいません。
一方、黒四角(■)をお持ちのカップルは少なくないのですが、それを上回る二重丸(◎)の相性を複数お持ちのケースがほとんどです。
さらに「星のディレクション」(運勢変化)によっても相性は変わってきます。
《 “嫌でも”一緒に暮らす相性 》
お互いに好きどうしで「夫婦相性」をお持ちでも、どうしても結婚できない相性やご結婚されても家庭内別居や単身赴任また離婚に至るなど、一つ屋根の下で一緒に暮らすことができない相性もあります。
お二人は真逆です。
さほど好きどうしではなくても行動を共にしたり、一緒に暮らしたり、ご結婚が可能な相性をお互いにお持ちです。
加えて、抜群の「夫婦相性」をお持ちですので、出合えばご結婚は“既定路線”となる相性になっています。
シナストリー・ホロスコープ(相性天球図)を拝見すると、ご注意されたほうがよい相性が一つあります。
ご結婚後、安住アナの好意が醒める相性です。
もともと生まれ持つ「異性運」や「結婚夫婦運」に課題を持つお二人で、唯一、課題となる相性部分になっていて安住アナの吝嗇が出ると西島さんは芸能界復帰など働かなければならなくなります。
さはさりながら、相手の欠点が目に入りにくいというご結婚にはベストな是非とも欲しい相性があります。
【One Point】 相手の言動を些細なことであげつらう相性もあれば、欠点を認知できずに面白いとスルーして気にならない相性もあります。
ビジネス・シーンでは要注意の相性ですが、ご夫婦カップルにはベストとなる相性です。
《 愛情よりも尊敬による結婚 》
お二人ともYOD(ヨッド=150/150/60度)をお持ちです。
安住アナは「ドラゴン・テール」を頂点とし、「木星」と「海王星」とを底辺とするYOD=150/150/60度で、社会に出てから“人の好さ”をもたらし、人気アナを運命づけています。
西島まどかさんは「天王星」を頂点とし「金星」と「ドラゴン・ヘッド」を底辺とするYOD=150/150/60度をお持ちで、安住アナとの相性に大きく作用し、彼の個性(キャラ)や才能を好ましく思い応援する良い相性になっています。
“居酒屋の女神”とまでニックネームがついた人気の番組をスッパリと辞めて、芸能界を引退したのは多忙な安住アナを支えるためという説があるのも、“美談”として首肯できなくはない相性の部分です。
人生をかけて退路を断ち安住アナを支える彼女に、獅子宮の男気もあってご結婚を決めた側面が垣間見えます。
彼女は「太陽&月&火星」(獅子宮)の三重合(トリプル・コンジャクション=0/0/0度)をお持ちですので、無視されたり怒ると雌獅子の咆哮に似て怖いのです。
【One Point】 安住アナのためのお嫁さんの一面を持ちます。
大人のご結婚ですので生活の問題も考えてのことです。
が、安住アナの人柄や人間性また才能に好意抱き、尊敬できる部分があってのご結婚になっています。
《 お互いの夫婦家庭運が課題 》
上掲のシナストリー・ホロスコープ(相性天球図)を見てお分かりのように、ご結婚に必要な「二重丸(◎)」の相性が5か所もあります。
ご結婚には避けたほうがよい「黒四角(■)」の相性は1か所あるのみで、相性的にはほぼ問題はないのですが、お二人ともに生まれ持つ「家庭夫婦運」に課題をお持ちです。
愛情がメインの“恋愛幻想”によるラブラブの夢見るご結婚ではなく、相手への尊敬を含めて現実的に世間体を配慮した大人のご結婚になっています。
通常のご結婚とは逆に、お互いに人格を高め結婚生活を続けていくうちに相手への配慮や情愛が培われていくカップルです。
奈辺がどちらに転ぶかによって、最後に人生を共にするご結婚生活の決め手になります。
【One Point】 プロのアナウンサーとして人間性や人格をお持ちであるほど、現実との折り合いをうまくつけていける相性です。
安住氏は情愛よりも家庭を持つこと自体に意義を見出したご結婚なので、現実の結婚生活は逆に継続可能でしょう。
ホラリー:羽田空港衝突事故
2024.01.07
[ケアレス・ミス] ― 土星外惑星が絡んだ事故 ―
◆ 「土星外惑星」と「月」と「水星」が絡んだ運命的な事故
事故原因は、手前味噌ながら事実なので書いておきますと、当初リーディングしていたとおりの結果が、その後の調査によって明らかになりつつあります。
ご存じ「基本三数リーディング」による要点のご紹介です。
「快気御礼! スーパー講座」や「基本三数リーディング講座」をご受講くださった方へのアフターフォローともなる内容を心掛けたものです。
当該ホラリー・リーディングの一例です。
「基本三数リーディング」は“簡にして要”、プライベイトな実生活にも役立ちます。
《 超簡単な基本三数リーディング 》
何でも「陰暴論」によって解釈するのはいかがなものでしょうか。
マレに事実の一端を示唆することがあるのですが、アクセス数稼ぎに有効だとしても論拠は必要でしょう。
前日の1月1日に「能登半島地震」が起きたこともあって、当初「羽田空港衝突事故」はスルーしていました。
ですが事故原因はなんだったのか、急遽、見てみることにしました。
ポン、ポン、ポンと「基本三数」から要点のみをみれば、衝突事故の深層を含めた「真相」が見えてきます。
【One Point】 パソコンが普及する以前は、室項表や天文暦とにらめっこしながら手計算でホロスコープを作成していました。
それに比べれば「ホロスコープ作成ソフト」はラクなのですが、下図のように正しいホロスコープにハンドメイドで毎回、作成しなおしています。
《 羽田空港衝突t事故のホロスコープ 》
「羽田空港衝突事故」の瞬間のホロスコープは次のとおりです。
事故の現場は明らかなので、その部分は参考にとどめ、事故の“原因”と“理由”また“深層”は何か。
次項から、その他の要点を含めてご紹介いたします。
【One Point】 富山に救援物資を運搬するため、羽田空港から離陸しようとする海上保安庁の機体と、千歳から羽田に到着し着陸しようとする日本航空のエアバスA350の滑走路での思わぬ衝突事故です。
どちらも「管制塔」の指示に従ったと述べています。
《 「海王星」が象わす“勘違い” 》
ホロスコープを出してみて「事故原因」はすぐに分かりました。
コミュニケーション・ミスによる思い込みや“勘違い”です。
理由は、蟹宮27度の「ASC」(Ascendant:アセンダント=上昇点)が、魚宮25度の“事実誤認”や“勘違い”また“幻想”を象わす「海王星」を上三分(アッパー・トライン=120度)としているためです。
しかも、「海王星」は、乙女宮22度に位置する「月」と衝(オポジション=180度)で、“感性”や“感受性”にモロに影響を与えています。
その「月」が、射手宮22度で“知性”や“コミュニケーション”を象わす「水星」とスタンスを異にする矩(スクエア=90度)をとっています。
水星には「火星」と「ケレス」が合(コンジャクション=0度)で、“有無”をもたらし、二極性を伴なっています。
さらに、良し悪しはともかく「月」は、山羊宮29度の「冥王星」を下三分(ロウアートライン=120度)として、感性的には“両極端”で、冷静さを欠きやすい状況でした。
【One Point】 どちらの機長や管制官というわけではありませんが、客観的なご判断をわれ知らず失しやすい無自覚の心理状態にあったことが判断ミスを招いたようです。
DES=下降点に合=0度の「冥王星」は後述いたします。
《 DES=下降点の「冥王星」 》
“支配的”な象意を秘める「冥王星」は、当該ホロスコープでは管制官を象わします。
DES=下降点に合=0度ゆえで、どちらの機長にしても管制塔の指示に従い、信じて、ご自分の目で確認ができなかった(しなかった)ことが一因しています。
なぜなら、事故の深層にかかわる「IC」(Immn Coeli:イムン・コエリ=北中点)「天秤宮」の共鳴星「金星」は、牡牛宮で第10ハウス(室)の「木星」と交歓(ミューチュアル・レセプション:M.R.)をとっているからです。
機長が管制塔の指示に従うことは当然ですが、“楽天的”で“イージー”な“怠慢”が象わされており、自らの目で安全確認をしなかったこと、また前述のようにコミュニケーション・ミスや判断ミスなど“勘違い”が重なったことが、今回の事故の深層です。
【One Point】 「金星」と「木星」の交歓(ミューチュアル・レセプション:M.R.)は、個人が持つ分にはイージーで安穏として楽しいのですが、ホラリーなど他者が絡むと、ご本人も周囲も“吉星”の交歓(M.R.)などと構えていられなくなることが今回の事故のように起こりえます。
《 「天王星」を頂点とするYOD 》
上掲のホラリー・ホロスコープの中に「航空機事故」が示唆されています。
牡牛宮19度の「天王星」を頂点とするYOD(ヨッド=150/150/60度)がそれです。
底辺を構成する2つの星は、IC=北中点に合=0度の「ドラゴンヘッド」天秤宮20度と、射手宮22度のくだんの「水星」です。
頂点の「天王星」は、ここでは“事故現場”における“突発的なトラブル”を象わします。
また、航空機など“飛翔体”を象わすことからも、今回の「羽田空港衝突事故」を如実に物語るYOD(ヨッド=150/150/60度)になっています。
まるで“自分であって、自分でない”かのように、コミュニケーション・ミスを伴なう“勘違い”のケアレス・ミスによって、否応なく起きた事故ということが深層にあります。
にわかには信じられない真因ゆえに“陰謀説”が起きてもおかしくはないのですが、実際の陰謀の場合は「ホロスコープ」に象わされますし、何らかの証拠となる事象が目撃されていたりします。
【One Point】 YOD=150/150/60度の頂点の「天王星」に対して、機長などを象わす「太陽」は上三分=120度です。
また一般乗客などを象わす「月」は下三分=120度です。
その「月」と「冥王星」の三分=120度は“大惨事”か“奇跡的救出”か“両極端”を象わしていたことになります。
◆ 「土星外惑星」と「月」と「水星」が絡んだ運命的な事故
事故原因は、手前味噌ながら事実なので書いておきますと、当初リーディングしていたとおりの結果が、その後の調査によって明らかになりつつあります。
ご存じ「基本三数リーディング」による要点のご紹介です。
「快気御礼! スーパー講座」や「基本三数リーディング講座」をご受講くださった方へのアフターフォローともなる内容を心掛けたものです。
当該ホラリー・リーディングの一例です。
「基本三数リーディング」は“簡にして要”、プライベイトな実生活にも役立ちます。
《 超簡単な基本三数リーディング 》
何でも「陰暴論」によって解釈するのはいかがなものでしょうか。
マレに事実の一端を示唆することがあるのですが、アクセス数稼ぎに有効だとしても論拠は必要でしょう。
前日の1月1日に「能登半島地震」が起きたこともあって、当初「羽田空港衝突事故」はスルーしていました。
ですが事故原因はなんだったのか、急遽、見てみることにしました。
ポン、ポン、ポンと「基本三数」から要点のみをみれば、衝突事故の深層を含めた「真相」が見えてきます。
【One Point】 パソコンが普及する以前は、室項表や天文暦とにらめっこしながら手計算でホロスコープを作成していました。
それに比べれば「ホロスコープ作成ソフト」はラクなのですが、下図のように正しいホロスコープにハンドメイドで毎回、作成しなおしています。
《 羽田空港衝突t事故のホロスコープ 》
「羽田空港衝突事故」の瞬間のホロスコープは次のとおりです。
事故の現場は明らかなので、その部分は参考にとどめ、事故の“原因”と“理由”また“深層”は何か。
次項から、その他の要点を含めてご紹介いたします。
【One Point】 富山に救援物資を運搬するため、羽田空港から離陸しようとする海上保安庁の機体と、千歳から羽田に到着し着陸しようとする日本航空のエアバスA350の滑走路での思わぬ衝突事故です。
どちらも「管制塔」の指示に従ったと述べています。
《 「海王星」が象わす“勘違い” 》
ホロスコープを出してみて「事故原因」はすぐに分かりました。
コミュニケーション・ミスによる思い込みや“勘違い”です。
理由は、蟹宮27度の「ASC」(Ascendant:アセンダント=上昇点)が、魚宮25度の“事実誤認”や“勘違い”また“幻想”を象わす「海王星」を上三分(アッパー・トライン=120度)としているためです。
しかも、「海王星」は、乙女宮22度に位置する「月」と衝(オポジション=180度)で、“感性”や“感受性”にモロに影響を与えています。
その「月」が、射手宮22度で“知性”や“コミュニケーション”を象わす「水星」とスタンスを異にする矩(スクエア=90度)をとっています。
水星には「火星」と「ケレス」が合(コンジャクション=0度)で、“有無”をもたらし、二極性を伴なっています。
さらに、良し悪しはともかく「月」は、山羊宮29度の「冥王星」を下三分(ロウアートライン=120度)として、感性的には“両極端”で、冷静さを欠きやすい状況でした。
【One Point】 どちらの機長や管制官というわけではありませんが、客観的なご判断をわれ知らず失しやすい無自覚の心理状態にあったことが判断ミスを招いたようです。
DES=下降点に合=0度の「冥王星」は後述いたします。
《 DES=下降点の「冥王星」 》
“支配的”な象意を秘める「冥王星」は、当該ホロスコープでは管制官を象わします。
DES=下降点に合=0度ゆえで、どちらの機長にしても管制塔の指示に従い、信じて、ご自分の目で確認ができなかった(しなかった)ことが一因しています。
なぜなら、事故の深層にかかわる「IC」(Immn Coeli:イムン・コエリ=北中点)「天秤宮」の共鳴星「金星」は、牡牛宮で第10ハウス(室)の「木星」と交歓(ミューチュアル・レセプション:M.R.)をとっているからです。
機長が管制塔の指示に従うことは当然ですが、“楽天的”で“イージー”な“怠慢”が象わされており、自らの目で安全確認をしなかったこと、また前述のようにコミュニケーション・ミスや判断ミスなど“勘違い”が重なったことが、今回の事故の深層です。
【One Point】 「金星」と「木星」の交歓(ミューチュアル・レセプション:M.R.)は、個人が持つ分にはイージーで安穏として楽しいのですが、ホラリーなど他者が絡むと、ご本人も周囲も“吉星”の交歓(M.R.)などと構えていられなくなることが今回の事故のように起こりえます。
《 「天王星」を頂点とするYOD 》
上掲のホラリー・ホロスコープの中に「航空機事故」が示唆されています。
牡牛宮19度の「天王星」を頂点とするYOD(ヨッド=150/150/60度)がそれです。
底辺を構成する2つの星は、IC=北中点に合=0度の「ドラゴンヘッド」天秤宮20度と、射手宮22度のくだんの「水星」です。
頂点の「天王星」は、ここでは“事故現場”における“突発的なトラブル”を象わします。
また、航空機など“飛翔体”を象わすことからも、今回の「羽田空港衝突事故」を如実に物語るYOD(ヨッド=150/150/60度)になっています。
まるで“自分であって、自分でない”かのように、コミュニケーション・ミスを伴なう“勘違い”のケアレス・ミスによって、否応なく起きた事故ということが深層にあります。
にわかには信じられない真因ゆえに“陰謀説”が起きてもおかしくはないのですが、実際の陰謀の場合は「ホロスコープ」に象わされますし、何らかの証拠となる事象が目撃されていたりします。
【One Point】 YOD=150/150/60度の頂点の「天王星」に対して、機長などを象わす「太陽」は上三分=120度です。
また一般乗客などを象わす「月」は下三分=120度です。
その「月」と「冥王星」の三分=120度は“大惨事”か“奇跡的救出”か“両極端”を象わしていたことになります。