“グルメバブル”に踊る-1
2018.04.22
テレビやネットをみても、“グルメバブル”の時代です。

つまりウソかホントかわからない。

海王星が魚宮をトランシット中なので、民族性が“魚宮”の日本では現在、仮想通貨をはじめ、“バブリー”な側面がそこかしこにみられます。

“グルメバブル”もそうで、顕著な一例は、食べもしないのに“インスタ映え”といって、撮影だけするといったこと。

“見栄え”や“サプライズ”だけで、「食」をチョイスしてインスタグラムにのせ「味」よりも“いいね”の数をきそっているなら、まちがいなく“バブル”です。

また、“世界の○○”と呼ばれる芸能人のように、美味しいかどうかはともかく、“うんちく”をのべて番組を盛り上げるというのも、視聴者は想像するしかなく、実態がない以上、これも“バブル”です。

よく聞くのは、ミシュランで星をもらった店に行って食べたけど、「?」ってお話。

ミシュランはともかく、テレビで紹介されていたお店に行って食べたけどおいしくはなかった。
行列のできている店に並んで、期待して食べたけれど、ふだん行っている店のほうが口にあって美味しい。
ネットで高評価がついていたので行ったけど、当たりはずれが大きい。

テレビの「グルメ番組」や「コーナー」は、基本、番組を盛り上げ視聴率を稼ぐための善意の“ウソ”がみられますし、ネットでの「星」の数や評価は、店側や制作側が仕込んだ“サクラ”ってことが話題になったりもしました。

そんなこんなで、“孤独のグルメ”ではありませんが、本質的にいえば「食は個人のもの」なので、自分が“美味しい”と思えればいい。

もっといえば、お料理もさることながら、お店の雰囲気、つまりインテリアやロケーション、さらには店員の接客やサービスが、“美味しい”と感じる心理に影響しています。

例外はあるとしても、“インスタ映え”にこだわる商品を提供するお店には、当然、味やサービスよりも“見映え”にこだわる客筋がつき、飽きられて終わりですし、チェーン店などに多いのですが、“食べさせればいい”(利が上ればいい)系のお店には、不味くなく食べれればいいといったお客がつきます。

それが悪いといっているのではなく、お腹がふくれれば御の字ですし、生きる栄養になればいいので、それもご自由です。

繰り返しますが、食は個人のものなので、いずれのかたちでも、自分が“満足”すればいいのです。

なぜなら、最高の調味料は“空腹”だといいます。

ほんとうにお腹がすいていれば、なんでも美味しく食べられるからです。
逆に、“美食”を続けすぎると、だんだん美味しく感じられなくなってきて、かえって“不幸”だったりします。

生理的にみれば、自分に足りず、体が欲しているものを食べたときが、いちばん「美味しい」と感じられることが多いのです。

なので、ほんとうの“グルメ”は、お店やお料理よりも、自分(の体調)にあったりします。



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