日向坂46 高本彩花(21)
2020.08.31
 
日向坂46メンバーの「ソーラーチャート」と、星の配置の特徴をお届けしています。

このシリーズは、「宝瓶宮占星学」サイト「「日向坂46」への改名/独立」(リーディングサンプル&メモ)の続編でその草稿(下書き)です。

独断によるグルーピングですが、「セレクション・グループ」の1人め、日向坂46全体では12人めとなる「高本彩花」(蠍宮、21歳)をお届けいたします。

アイドル・グループに多い「魚宮生まれ」(太陽)のメンバーは今年2020年2月の新3期生が加入するまで、前出の「渡邉美穂」(魚宮、21歳)1人でした。

魚宮と同じ「情実サイン(宮)」(西洋占星術では「水の星座」)で、芸能界にも多い「蟹宮生まれ」(太陽)は日向坂46には1人もおらず、「蠍宮生まれ」(太陽)は、井口眞緒が卒業したことから「高本彩花」1人です。

ちなみに、日向坂48で最も多いサイン(宮)は、すでにご紹介した「乙女宮生まれ」(太陽)5人で、同じ「現実サイン(宮)」(西洋占星術では「地の星座」)の「山羊宮生まれ」(太陽)2人と「牡牛宮生まれ」(太陽)2人を加えると、1期生と2期生の18人中9人と半数を占めます。

この点からも日向坂46は異色で、“アイドル”グループというより“職人”グループです。

ちなみに、3期生の「上村ひなの」(牡羊宮、16歳)と、今年2月に加入した新3期生の3人を加えた計22名が現在のメンバ数です。

さて、高本彩花の「ソーラーチャート」は次のとおりです。




出生時間が不明なので「太陽」をASC(上昇点)の位置におくイコール・ハウスの「ソーラーチャート」で作成しています。

高本彩花の「ソーラーチャート」の特徴は、大きくいえば次の2つです。


1、「太陽&金星」のYOD(ヨッド=60・150・150)

「太陽&金星」を頂点とするYOD(ヨッド=60・150・150)は、底辺の星の一つが「月」で、午前3時ごろ~午後3時ごろに生まれた場合に形成されます。

確率的には約50%まのでその可能性は半々です。

それでも高本彩花の「太陽」は特徴的です。

高本の「太陽」は、「金星」とジャストの合(コンジャンクション=0度)はともかく、「ケレス」と転(クインカンクス=150度)で、さらには獅子宮の「ドラゴン・ヘッド」と五分(クインタイル=72度)をとっている点です。

「月」を牡羊宮に生まれもつことも手伝って、高本彩花は太陽が位置する「蠍宮生まれ」ながら、加えて案外と「獅子宮」の“オレさま”的な要素の“お姫様キャラ”をもつことになります。


2、“なんとかなる”アスペクト・パターン

もう一つ、高本彩花の「ソーラーチャート」の特徴は、次のアスペクト・パターンです。

4つの衝(オポジション=180度)をもち、一部はT矩(Tスクエア=90・90・180)を形成しているものの、そのすべてがほぼ調停(メディエーション=60・120・180)の座相をもつことです。

具体的には次の4つです。

1)
「ドラゴン・ヘッド」と「ドラゴン・テール」の衝(180度)。

この衝(180度)は、「水星」を軸にT矩(90・90・180)を形成しています。

同時に、「土星」が調停(60・120・180)の座相を投げかけています。

2)
「ケレス」と「冥王星」の衝(180度)。

これには、「月」と「天王星」が2か所から調停(メディエーション=60・120・180)の座相を場ゲかけています。

宝瓶宮占星学は、個人の「出生天球図」で重要な「太陽」と「月」の許容度数(オーブ)は、特別に10度を採用しているのでそうなります。

3)
「火星」と「木星」の衝(180度)。

これには「太陽」が調停(60・120・180)の座相を投げかけています。


4)
最後に、「太陽」と「土星」の許容度数(オーブ)ギリギリの衝(180度)。

これに対しては、調停(60・120・180)ではありませんが、「ドラゴン・ヘッド」が後者の「土星」と三分(120度)で、前者の「太陽」と五分(72度)であることから、この場合、調停(60・120・180)の座相以上の効果をもたらしています。


結果、「太陽」「月」「土星」などの重要な星たちが、調停(60・120・180)の座相を投げかけていることから、高本彩花の“運勢”の特徴の一つは、課題やトラブルがあっても“なんとかなる”ことが多いものになっています。

それ以上に、逆に“災い転じて福となす”こともときに可能な「ソーラー・チャート」です。









日向坂46 松田好花(21)
2020.08.30
 
先にご紹介いたしました富田鈴花(山羊宮、19歳)と初ユニット“はなちゃんず”をくむ「松田好花」(牡牛宮、21歳)の「ソーラーチャート」の特徴をご紹介いたします。

“キラリと光る個性”の「サポート・グループ」の3人めのご紹介です。

出生時間が不明なので、「太陽」をASC(上昇点)の位置におく「ソーラーチャート」になります。

当該、日向坂46シリーズは、「宝瓶宮占星学」サイト「「日向坂46」への改名/独立」(リーディングサンプル&メモ)のつづきで、各メンバーの「ソーラーチャート」とその特徴をご紹介しています。

先ごろ加入した新3期生をふくめて、ちょうど半分となる11人めのご紹介です。




上掲の「ソーラーチャート」での「松田好花」(牡牛宮、21歳)の特徴は、“陰と陽”または“柔と剛”といった両面性です。

良い悪いとか、“吉凶”は関係がありません。

これまで日向坂46のメンバーをリーディングしてきた範囲でも、平成末期生まれをふくめてミレニアム世代生まれのホロスコープを“吉凶”で判断すると間違います。

双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)の生まれの場合は、多少“吉凶”が残るケースがなきにしもあらずですが、宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)生まれとなる平成生まれをはじめ時代が進むほど“吉凶”は関係がなくなっていきます。

松田好花の“陰と陽”または“柔と剛”といった特徴も、当然、“吉凶”とは関係がなく個性の一環です。

それは、次のような星の特徴から読みとれます。


1、「太陽」グループの“両面性”

ここで“グループ”と呼んでいるのは、アスペクトをとる星の象意の区分で、松田好花の場合、ここに特徴があるためです。

「太陽」には、「土星」がジャストの合(コンジャンクション=0度)で、「火星」が衝(オポジション=180度)です。

土星の“忍耐心”と火星の“衝動性”、また“冷静さ”と“熱情”、さらには“組織性”と“反抗心”といった“両面性”が太陽グループから読みとれます。

もっとも、「牡牛宮生まれ」(太陽)なので、この場合の両面性はヒフティ・ヒフティではなく、前者のほうが若干、強めになります。


2、「太陽」グループと「月」グループ

松田好花の“両面性”は、「太陽」グループと「月」グループの違いから象われます。

「月」には「海王星」が下三分(ロウアー・トライン=120度)です。

さらに、「ケレス」が上方矩(アッパー・スクエア=90度)ですが、「金星」も午前11時頃までの生まれの場合、上方矩(90度)をとることになります。

月グループは、「太陽」グループの“ハード”な象意とは正反対に、“ソフト”な象意をもたらしています。

これが「牡牛宮生まれ」(太陽)の“穏やかさ”を復活させています。

松田好花の“温和”な側面による“人気運”は、この月グループがなければあらわれません。

もし、「月」が乙女宮(もしくは天秤宮)ではなく、月に「海王星」が下三分(120度)でもなく、「金星」が上方矩(90度)またはその近辺でなければ、異なった印象の“ハード”(キツさ強め)なキャラになります。

“アイドル”といった人気稼業はやっていません。

「太陽」が牡牛宮で、“忍耐強さ”を象わす「土星」が合(0度)で控えめなのが本質ですが、一方では蠍宮の「火星」が「太陽&土星」に衝(180度)です。

なので、ときに“キツさ”や“激しさ”また“反抗心”など“ハード”な一面があらわれることになります。


3、T矩(Tスクエア=90・90・180)

さらに“両面性”を際立たせているアスペクト・パターンがあります。

太陽グループの「太陽&土星」と「火星」が、月グループの「海王星」を軸に、“スタンス”が異なるT矩(Tスクエア=90・90・180)を形成していることです。

これも、たとえば、“ハード”な側面と“ソフト”な側面の“両面性”を際立たせることになります。

松田好花は、“シビア”に現実をみながらも、感性豊かな“イマジネーション”をもつわけです。

逆も同様です。


4、優れた知性また好奇心

宝瓶宮占星学では太陽と月を除く星の「許容度数」(オーブ)を、メジャー・アスペクトの場合、6度を“原則”としています。

ですが宝瓶宮占星学では、西洋占星術とは異なり「共鳴リーディング」を行ないます。

許容度数(オーブ)における「共鳴リーディング」の適用は、共鳴関係が強い場合、最大で1.5倍まで広くとることです。

松田好花の「水星」は「冥王星」と三分(トライン=120度)です。

これだけでも“知性”が特徴です。

さらに「水星」と「木星」は、上掲のソーラーチャートに記載した丸めた数字だと7度差ですが、厳密にみれば“6度17分”の差です。

この場合、少し共鳴関係があると「合(0度)」をとってもよいほどです。

実際、木星は「牡羊宮」で、水星は「射手宮」の冥王星と三分(120度)です。

これらが位置するハウス(室)をみて最終的には判断することになりますが、出生時間が不明なこの段階でも、「水星&木星」の合(0度)は可能性が高いものになっています。

つまり、松田好花は、「知識」(知性)に関しては“負けたくない”という強い想いだけでなく実際に“優れた”知的能力をもったタイプになっていることを象わしています。

ただし、念のために付け加えておきますと、牡牛宮における「太陽&土星」の合(0度)ゆえに、にもかかわらず愛すべき“鈍重さ”が加わることになりますが、衝(180度)の「火星」は“負けず嫌い”を見せることになります。










おつかれさまでした。
2020.08.29
 
安倍首相の辞任に関する「つぶやき」です。


アメリカは、もはや“変わる”ことはありません。

21世紀の地上に存在してはならない「中共政権」を、アメリカは自由民主主義国家や自由を求める中国人民と協力して潰す方針を変えないでしょう。


憂国の士、安倍首相は、そのような道筋が整ったことを見据えて、昨日8月28日に辞任を表明しました。


さらには、次の首相が決まるまで、政務を続行するとのべ、“政治空白”(スキ)をつくらないようにしたのです。


8年前、「民主党“素人”政権」は、日本をメチャクチャにしました。

なぜなら、国家運営の経験もノウハウもなく、“弁証論”(理屈)でしかない理想的共産主義に影響された党員と、どこぞの国の出身かわからない“反日党員”が多かったからです。

現在のお隣の文在寅政権のように、自国を“弱体化”させて、共産主義革命を起こしやすくすることが目的かのようでした。

実際的にも、「民主党“おぼっちゃま”政権」は、革命を遂行する“気概”や“実力”すらなく、結局は “縦割り”の弊害で知られる各省庁の言うなりに操られ、有効性のある政策はできなかったのです。

そんな“負の遺産”をかかえての再登場となった課題山積の「第2次安倍政権」でした。


当時のアメリカから誤まって“修正主義者”のレッテルを貼られていた安倍首相は、結果を急ぐことなく、できる範囲から着実に日本の建て直しをすすめ、「トラスト」(信用)を失った外交の修復を図りました。

そして、予想もしなかった「自由民主主義国家の結束」という救国の“防衛体制”を、日・米・豪・印・欧と幅広く築いたのです。

それは、自由民主主義の雄「アメリカ」のトランプ大統領も動かしました。


中国の「不法な手段」と「人権無視」また独裁的な「世界覇権」の野望の本質を、ついに見抜いたアメリカは、“武漢ウイルス”や“香港国安法”などの敵失もあって、今年2020年、世界の政治、経済、軍事のシステムから、中共を切り離す決定をし、日本をはじめ自由民主義諸国に連携を呼びかけたのです。

もし、日本の経済界が、血迷って中国側につけば、いずれ中国もろとも世界経済から日本は切り離されます。

なぜなら、世界経済2位と3位の国であっても、アメリカは世界通貨「ドル」の決定権を持っていますので、最終的には抗うことはできないのです。


日本の「反日マスコミ」は、例によって報道しないのですが、安倍氏の人気と評価は、自由世界では驚くほど高いものになっています。

いまや世界の“鼻ツマミ”になった「中韓」しか見ない反日マスコミや、ユニクロなどの一部経済界は、昨今の時代の動きが正しく見えていないのでしょう。

もはや「反日マスコミ」は、未来を誤まらせるものでしかありません。


安倍首相の辞意表明にあたって、ここぞとばかりにコキおろす“心無い”記事をみかけます。

だいたいは「半島系」のマスコミ人やジャーナリストに扮した「中共の工作員」です。

もしくは、何でも反対の隠れ共産主義者です。

そんな記者やメディアやエセ革命家は、テイクノートして以降は“フェイク・ニュース”しか流さないのでアクセスしないことにしています。


常識的な日本人であれば、“反日勢力”に囲まれたなかで、稀有な“世界的リーダーシップ”をみせた安倍首相には、よくぞここまでやってくれた、「お疲れ様でした」と考えるはずです。

残された課題はまだあるのですが、すべてを安倍首相一人に負わせるのは本来の姿ではありませんし、“酷”というものです。


病状が治まれば、三度めの登板があるのかどうかはともかく、今後は国民の一人ひとりが、“良識”と“民度”をもって動くときです。

国民が主権者なので、それが本来の姿です。


占星学的にみても、時代の「天運」は、もはや“独裁”や“支配”にあるのではなく、個々人の“自由”と“民度”にともなってはたらく時代がはじまっています。

そんな「精神意識の変革」の「星のディレクション」(運勢変化)の時代は、目前です。









日向坂46 富田鈴花(19)
2020.08.27
 
「宝瓶宮占星学」サイトの「「日向坂46」への改名/独立」(リーディングサンプル&メモ)の続編としてメンバーの「ソーラーチャート」とその特徴をご紹介しているシリーズです。

先回の渡邉美穂(魚宮、20歳)につづく“キラリと光る個性”の「サポート・グループ」の2人めは、富田鈴花(山羊宮、19歳)です。

日向坂46グループ全体だと10人めのご紹介になります。

さっそくですが、全員、出生時間が不明なので、「太陽」をASC(上昇点)の位置におく「ソーラーチャート」でお届けしています。




出生時間が不明な場合、「ソーラーチャート」は必然的に「イコール・ハウスシステム」になります。

また、宝瓶宮占星学では、出生時間が不明な場合、一般的に用いられる当日お昼12時ではなく、“日の出の時間”で「ソーラーチャート」を作成しています。

「月」のみ当日0時~24時の度数を記載していますが、それ以外は「SUNUP-TIME」(日の出時間)の度数になります。


それはともかく、富田鈴花の「ソーラー・チャート」の特徴は次のとおりです。

最大の特徴は、蟹宮の「ドラゴン・ヘッド」が、「トライン・カイト」(大三角凧:60・60・120・120)の頂点になっているのと同時に「ヨッド・カイト」(YOD凧:30・30・150・150)の頂点の星(占星点)になっていることです。

そのため、「ドラゴン・ヘッド」の象意のみならず、「YOD」(60・150・150)の象意を正しく知らないと完璧には読めないホロスコープになっています。

もう一つあります。

午前3時頃~午後3時頃のあいだに生まれた場合、「太陽」と「月」が「五分」(クインタイル=72度)をとることになります。

確率は50%なのですが、「太陽」の五分(72度)は重要です。

そのため、五分(72度)の象意も知っておかないと、効いているのかいないのかの判断ができないホロスコープになっています。

これらの占星要素は、宝瓶宮占星学が基礎理論とする「数理法則」からその象意を導き出すことができます。

富田鈴花の「ソーラー・チャート」は、そんな特殊な「占星点」や「マイナー・アスペクト」また「アスペクト・パターン」を読むことが必要な「ホロスコープ」(出生天球図)になっています。


日向坂46の冠番組をご視聴の方ならご存じだと思いますが、富田鈴花は「わちきはパリピ!」などと、よくラップをかましてきます。

成功率は高くはないのですが、急きょキャラづくりにさいして「パリピ・キャラ」を自称したためです。

上掲の「ソーラー・チャート」のどこにそれが出ているのでしょうか。

次の3つです。


1、
「月&火星」の合(コンジャンクション=0度)

これは“積極性”を象わします。

ほかの星とも絡んでいて、“自己理想”を描いて、“衝動的”にイケイケの“勢い”でやってしまう気質や感性が象われています。

2、
「太陽」と「木星」の三分(トライン=120度)

宝瓶宮占星学は“吉凶解釈”を行ないませんので、「木星」の三分(120度)も吉凶とは関係がなく解釈をします。

これは、“イージー”(安易)で“前向き”な個性を象わします。

ところが、その一方で富田の太陽は「土星」とも三分(120度)で、月も「土星」と衝(オポジション=180度)です。

そのため、前述のイケイケで“ポジティブ”な側面と同時に、こちらは“ネガティブ”で落ち込む一面を同時にもつことを象わしています。

そのような「正反対」の運勢を持つために、どちらか一方のみで富田をみると、別の面が現われたとき理解できず、「どうした?」ということが起こります。

3、
「太陽&海王星」の合(0度)

3つめは「太陽&海王星」の合(0度)もつくられた“パリピ・キャラ”に影響しています。

もっとも、ご本人はそう思っていません。

勝手に善意で“夢”を描いているだけなのです。

この「海王星」は「木星」と三分(120度)なので、とくにそうなります。

それゆえ富田には、良し悪しとは関係なく“夢みる夢子さん”の個性(キャラ)の一面があり、同時に正反対に“現実的”で“控えめ”な個性(キャラ)の一面もあり、状況や星のディレクションによってイケイケで前に出るときと、悲観的に落ち込むときの両方が出てくることになります。

それらの両方によって、「パリピ・キャラ」を“夢見”つつも、現実には“うまくいかない”といった両側面を見せることが起こります。


これらに、メインの特徴である蟹宮の「ドラゴン・ヘッド」を頂点とするヨッド・カイト(30・30・150・150)の運勢やトライン・カイト(60・60・120・120)の気質が加わります。


結論的に申し上げますと、ふだんの富田はちゃんと“計算”しています。

そのうえで、ホットな“情愛”と、クールな“現実認識”を交えつつ、否応なく進まざるをえない運勢によって行動し、漸次ながら、やがては“人気”や“モテ・キャラ”を築いていくことにつながっていきます。

現在は、人生経験も多くはなく、まだ若いことに加え、水瓶宮の影響圏ながら「山羊宮生まれ」(太陽)でもあり、また共鳴星の「土星」の影響を強くもつことから“遅咲き”の一面があって、今後、人生経験を積むにしたがって、実力や才能を次第に発揮していくタイプになっています。

今はまだその途上です。

「日向坂46」としてデビューして、富田はようやく芽が出つつある現状なので、これから時を経るほど、本人の成長度にしたがって人気や活躍の場も徐々に広がっていくことになりそうです。













奴国、邪馬台国☆雑考編
2020.08.26
 
今回はいくつかの雑考編です。


1、「金印」(漢委奴国王)

住吉大神(すみのえのおおかみ)らにならぶ海人族(あまぞく)の雄「安曇連」(あずみのむらじ)が当初、拠点とした博多湾の志賀島(しかのしま)から「金印」が発見されました。

「漢委奴国王」と刻印された金印は、『後漢書』に記される倭(わ)の奴国の使者に西暦57年、光武帝が賜った「印綬」(印章と紐)だとされます。

奴国の使者は「大夫」(たいふ)と自称したと記されていますが、これは支那の身分でいえば“大夫”にあたる奴国の身分だと考えられます。

それはともかく、「漢委奴国王」という印刻を素直に読めば「漢が委ねる奴国の王」です。

一方で、「漢の委奴国の王」と読む向きもあります。

“委奴国”を、いにしえの「伊都国」(いとこく)と読むわけです。

しかし、後の歴史書には「倭国はいにしえの奴国なり」という記述があります。

なので、「委奴国」を“倭の奴国”と読むのはアリでも、「いとこく」と呼ぶには無理があります。

実際、邪馬台国で有名な「魏志倭人伝」(『魏書』倭人条)には、女王国(倭国)を構成する国として、一大卒の「伊都国」と「奴国」(なこく)が2つ出てきます。

つまり「奴国」と「伊都国」は別の国です。

さらには、福岡県糸島市に比定される「伊都国」の東南にあったと記される「奴国」は、金印が発見された博多湾を抱える福岡平野部に位置していることから、「金印」の刻印と一致する「奴国」で間違いなさそうです。

ちなみに、「奴国」というのは、博多湾沿岸部は古代は湿地帯で沼が多く“ぬまこく”と呼べる地形から、“ぬこく”(なこく)となったようです。



2、女王国の中心は「伊都国」

卑弥呼を女王に共立して“倭国大乱”は収まりました。

いわゆる“女王国連合国家”が2世紀末に誕生したのです。

しかし、女王になってのち、卑弥呼は自らの“都”とする邪馬台国からほぼ姿を見せていないことが「魏志倭人伝」に記されています。

では、実質上、女王国連合を管轄したのはだれでしょうか。

それは、「一大卒を置きて諸国を検察せしめ、諸国これを畏憚(いたん)す」と記され、畏れはばかられていた「伊都国」(王)です。

伊都国には、「世々王あり」と記されるように、かねてより王がいて、奴国や不弥国(ふみこく)をはじめ女王国連合の30余国を“検察”していたのです。

江戸時代にたとえますと、ちょうど京都に“天皇”がいて、実際の政治は江戸で“徳川幕府”が行なっていたのと同じです。

そのため“都”の「邪馬台国」(卑弥呼)には実権がなく、実質は「伊都国」(伊都国王)が“卑弥呼”の名によって魏と通じ、諸国ににらみを利かせていたというのが実状です。

このことがわかれば、当時、伊都国が検察できる範囲はおのずとかぎられてきます。

博多湾に流れ込む御笠川などの河川に隣接する福岡平野周辺の諸国と、上流は太宰府近辺から逆に山口川→宝満川→そして有明海へと流れ込む筑後川の北岸部をメインとした諸国の範囲です。

鉄道も電信もなかった当時、河川が主な交通手段でしたので常時、目が届く範囲はかぎられます。

そのため、同じ北部九州でも福岡平野の東側の山を越えた、宗像市を河口とする遠賀川(おんががわ)流域の「秦王国」(しんおうこく)などは含まれず、『隋書』でいう「竹斯国」(ちくしこく:筑紫国)をメインとした福岡県西部や中南部が、邪馬台国を含む「女王国」です。



3、「拘奴国」と「狗奴国」

魏志倭人伝には女王国(邪馬台国)に敵対する「狗奴国」が記されています。

『後漢書』には「拘奴国」が記されるのですが、いずれも「くなこく」です。

『後漢書』の「拘奴国」は、「女王国より東のかた海を渡ること千余里にして拘奴国に至る。皆、倭種なりといえども女王に属せず」と記されます。

一方、「魏志倭人伝」の「狗奴国」は、「(女王国の境界がつきたところ)その南に狗奴国あり。男子を王となす。女王に属せず」さらには「倭の女王卑弥呼、狗奴国の王、卑弥弓呼(ひみここ)と もとより和せず」と対立状態にあったことが記されています。

「後漢」と「魏」とでは、後漢のほうが歴史的に古い国なのですが、『後漢書』と『魏書』(魏志倭人伝)とでは“逆転”します。

『魏書』(魏志倭人伝)のほうが古いのです。

「魏志倭人伝」(『魏書』倭人条)は、事実を捻じ曲げて記すことがあることでも知られる陳寿(ちんじゅ)によって、3世紀末期に記されました。

曲筆の代表例は過去の記録に「邪馬臺国」(台)と記されていたにもかかわらず、陳寿はかってに「邪馬壹国」(一、壱)と倭人条(魏志倭人伝)に記載しました。

一方、『後漢書』は、5世紀前半に范曄(はんよう)によって記されています。

そのさい、学識もあった范曄は過去の記録を調べなおして、正しく「邪馬臺国」(台)と『後漢書』に記しています。

それはともかく、「女王国」の南にあった「狗奴国」は熊本県界隈です。

なぜなら、3世紀の鉄鏃(てつぞく:鉄の矢じり)が日本でダントツに出土しているのは、福岡県と熊本県です。

邪馬台国の3世紀に、魏志倭人伝の記述どおり、北の「女王国」(福岡側)と南の「狗奴国」(熊本側)界隈で大きな戦さがあったことが裏付けられているからです。

もし、仮に、5世紀頃の装飾古墳群で知られる菊池川沿いを含む熊本県に「邪馬台国」があったとしましょう。

その場合、まず、九州北部沿岸部の「伊都国」の検察が、熊本県にあった場合の“邪馬台国”やその南にあった旁余(ぼうよ)の諸国にまでおよぶでしょうか。

また、熊本を“邪馬台国”とした場合、その旁余の諸国のさらに南に「狗奴国」に比定できる対等の勢力圏が存在しなければなりませんが、そんな国が存在することはもちろん、大きな戦さの記録はもちろん、痕跡などはないのです。


ちなみに、両国の戦いは、「魏」をバックにした「女王国連合」(邪馬台国グループ)と、「呉」をバックにした有明海沿岸の「狗奴国グループ」による、一種の三国志(魏/呉/蜀)の“代理戦争”の様相を呈していた一面があります。

このような「呉」が渡来した痕跡は、やはり熊本県(有明海沿岸部)なのです。

一方、それゆえ「魏」は、卑弥呼側から要請があったこともあって、海を渡って「詔書」や「黄幢」また「激」をもって「女王国」(邪馬台国グループ)を告諭したのです。

なぜなら、もし「呉」をバックとした狗奴国が、九州北岸部の伊都国をはじめとした「女王国」を占領してしまえば、「魏」は海を隔てて狗奴国と敵対してしまうことになります。

呉と魏は「南船北馬」といわれるように“海戦”に長けた呉に、魏は南方の陸(呉)と東方の海(狗奴国)とから攻め込まれてしまう恐れがあるためです。


お話は変わりますが、「拘」と「狗」は、当時の筆による行書だとほぼ同じです。

読み間違えていて、実は同じ国たとしたら、あくまでも推測ですが、“狗奴国”は『後漢書』が記された5世紀前半の時代には、築後平野を経て東征し、瀬戸内沿岸部の「呉」(くれ)や「四国」などに影響を与えた可能性が考えられなくもありません。



4、「邪馬台国 四国説」の誤謬

最後に「邪馬台国 四国説」に触れておきます。

阿波国をはじめとした四国には、縄文時代のもとより古い文化がありました。

また、古代イスラエルの影響もなくはなく、畿内はもちろん関東にまで影響をおよぼしています。

さらに申し上げますと、古代日本の“基盤”(ルーツ)の一つなのです。

一方、「邪馬台国」自体はともかく“女王国連合”は、倭国大乱を経て2世紀末にできた新興国です。

阿波国など四国の日本古来の特別な「伝統」をもった国とは異なり、支那の冊封体制下にあった、いわば“属国”のような国にすぎません。

それゆえ、支那の歴史書に比較的に詳しく1~3世紀の古代日本として記されています。

というだけなのに、なにか“日本の原点”かのように勘違いしている方が多いのです。

まったく違います。

日本古来の文化や国邑(こくゆう)は、縄文時代より各地に築かれ、四国はその代表の一つです。

天皇の即位にあたって麻の白衣を献上する阿波国(忌部氏)は、支那の冊封下にあった“北部九州連合”「女王国」(邪馬台国グループ)などとは異なる、日本古来の伝統的な国家です。

そのため、「邪馬台国 四国説」を四国以外の人々が唱えるならともかく、地元の四国民までもが声高に「邪馬台国は四国にあった」などと断言するのは、阿波国をはじめ四国や畿内をふくめた古代日本の品位を貶めるものにほかなりません。


さて、四国説の人々がなぜか勘違いしていることの一つは、「丹」です。

魏志倭人伝に「真珠、青玉を出だす。その山には丹あり」という記述を、「丹は四国でしか採れない」とナンチャッテ歴史番組で、とある“学者”が誤まって言ったウソを信じ込んでいるのです。

どの範囲を「丹」と定めるかによりますが、狭く水銀朱ととらえても「水銀鉱床」は、日本列島各地に分布しています。

一例をあげましょう。

九州豊前は水銀朱(丹)の産地でした。

また、佐賀県と長崎県の県境にある虚空蔵山(こくうぞうさん)は水銀朱が採れる山で、「その山には丹あり」といえます。

もちろん、阿波の那賀川に面した平野部に程近い「加茂宮ノ前遺跡」や「若杉山遺跡」もその一つです。

ほかにも、紀伊半島の奈良や伊勢でも「丹」こと水銀朱が採れました。

さらに申し上げますと、四国の山間部を“邪馬台国”とした場合、その南に「魏志倭人伝」に記される旁余の諸国があり、さらにその南に「狗奴国」が存在し、3世紀に両国が戦った痕跡がなければなりません。

平和な古代の四国の南にそれらがないことから、大陸の影響を受けて戦さの多かった北部九州の邪馬台国などとはやはり異なるのです。



歴史的に「邪馬台国」の場所を比定しようというのは必要です。

ですが、卑弥呼や“邪馬台国”また“女王国”をありがたがるのは、万世一系を記した『日本書紀』の観点からみても主流ではないのです。

事実、『古事記』にも『日本書紀』にも、ワケあって卑弥呼や邪馬台国は記されていません。

ただし、卑弥呼を「共立」して倭国大乱を収めたことで、邪馬台国を“都”とする「女王国連合」を築いたことは、のちの“統一大和”のモデルになった可能性があるといえます。


以上、「邪馬台国」に関する雑考をお届けいたしました。









日向坂46 渡邉美穂(20)
2020.08.25
 
続いての日向坂46のメンバーは渡邉美穂(魚宮、20歳)です。

「宝瓶宮占星学」サイトの「「日向坂46」への改名/独立」(リーディングサンプル&メモ)のつづきで、メンバーの「ソーラーチャート」とその特徴をご紹介しています。

「ホロスコープ」(出生天球図)の特徴は、そのままご本人にしかない「個性」や「運勢」を見抜くことにもつながりますので重要です。

逆に申し上げますと、ホロスコープ・リーディングのポイントは、他とは異なる“特徴”を抽出することができて正確に象意解釈ができるかどうかにかかっています。


キャプテン「佐々木久美」(水瓶宮)をはじめとした“切り込み隊長”の「牽引グループ」の3人、センターを務めた「小坂菜緒」(乙女宮)をはじめとした“最大勢力”「乙女宮生まれグループ」の5人に続き、“キラリと光る個性”の「サポート・グループ」をご紹介してまいります。

日向坂46のメンバーは、各自のホロスコープからもみえてきますが、一人ひとりの個性が際立っていますので、“バラエティー豊か”で、「平成末世代」をふくめた「ミレニアム世代」のサンプリングにピッタリです。

そこから、宝瓶宮時代の“象意”の新たな傾向を見出しご紹介するのも目的の一つです。




上掲の「ソーラーチャート」は、渡邉美穂(魚宮、20歳)です。

一般に“アイドル・グループ”は、「魚宮生まれ」(太陽)が多いのですが、新しく加入した3期生を除くと、これまで日向坂46を築いてきた1期生11名(卒業2名を含む)、2期生9名の合計20名のなかに、渡邉美穂1人しかいません。

反対に魚宮の対宮である「乙女宮生まれ」(太陽)が5名もいて、なみのアイドルグループとは一線を画しスキルや個性的な特徴をもった“バラエティー・グループ”になっています。

それはともかく、渡邉美穂の「ソーラーチャート」の特徴は大きく次の2点です。


1、大十字(グランド・クロス=90度×4)

「太陽」に上三分(アッパー・トライン=120度)の「月」を筆頭に、「金星&海王星&ドラゴン・テール」の三重合(トリプル・コンジャンクション=0/0/0度)、「木星」、そして「ドラゴン・ヘッド」が、大十字(グランド・クロス=90度×4)を形成しています。

「木星」とは合(コンジャンクション=0度)をとっていませんが、上述の星からドラゴン・ヘッドとドラゴン・テールを除き、「土星」がT矩(Tスクエア=90・90・180)を形成しています。

宝瓶宮占星学は、過去の遺物となった“吉凶解釈”は行ないません。

なぜなら、人知れず1989年に正式にはじまった宝瓶宮時代は、「共鳴関係論」の時代だからです。

なので、それまでの双魚宮時代の「対立二元論」の時代は終わりました。
※注) ただし昨今は「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションの期間中です。

「占星学」(ホロスコープ)においても、対立二元論の“吉凶解釈”は、もはや過去の手法です。

これからは“共鳴関係”を重視した「共鳴リーディング」が重要になってまいります。


日向坂46のメンバーは、平成末期生まれや2000年以降のミレニアム世代から構成されていますので、“吉凶解釈”だと正しいホロスコープ・リーディングができなくなります。

今回の渡邉美穂も同様です。

2000年生まれなので、大十字(90度×4)やT矩(90・90・180)があっても“大凶”などとはなりません。

むしろ「個性」を象わします。

一例ですが、自分を客観視できたり、周囲からどのように見られいるのかを把握できますし、自分以外の他人をもまた主観的ながら把握することができます。

ご本人にとっては、それがあたりまえのことなので、どこまで気づいておられるのかは分かりません。

渡邉美穂の場合、「月」が大十字(90度×4)を形成しています。

さらには「土星」がT矩(90・90・180)ながら、大十字(90度×4)に近いものです。

そういったことから、「魚宮生まれ」(太陽)ながらも、案外と“感性的”かつ“客観的”に自分や周囲を見つめたり、把握しているタイプになります。


2、「太陽」のYOD(60・150・150)

もう一つの大きな特徴は、「太陽」を頂点とするYOD(ヨッド=60・150・150)です。

先にご紹介した東村芽衣(獅子宮or乙女宮、22歳)も同様に「太陽」を頂点にしたYOD(60・150・150)をもっていました。

ですが、同じ「太陽」がを頂点のYOD(60・150・150)でも、両者の象意はまるで異なります。

サイン(宮)が違うこともそうですが、それ以上に「木星」と「海王星」を底辺の星とする東村に対して、渡邉美穂は「ケレス」と「ドラゴン・ヘッド」を底辺の星にしているためです。

東村のほうは、人生経験が浅い若いときほど、おとなしく控えめに見えますが、人生経験を積むにしたがって恐れずに将来的には“自己発揮”をしていくことになります。

一方、渡邉美穂は、上述の大十字(90度×4)の一角に底辺の星「ドラゴン・ヘッド」がなっていることからも、ふだんは客観的に見て自分を“抑制”気味だったり、“才能”を発揮しづらいこともありますが、ここぞという場面になると、“個性”(キャラ)や“才能”を否応なく最大限にも発揮できるポテンシャル(潜在力)を秘めたタイプになっています。

あえて渡邉美穂の“二面性”のある特徴を申し上げますと、大十字(90度×4)を形成する「月」が「太陽」に上三分(120度)をとっていることからも、YOD(60・150・150)の頂点の「太陽」は、予測不能の“不発弾”と“爆弾娘”の両面をみせることがあるものになっています。












日向坂46 東村芽衣(22)
2020.08.24
 
「宝瓶宮占星学」サイトの「「日向坂46」への改名/独立」(リーディングサンプル&メモ)のつづきでメンバーの「ソーラーチャート」を掲載しています。

その詳しいリーディングは、後日、宝瓶宮占星学サイトにまとめて掲載する予定です。

当ブログでは、メンバーの「ソーラーチャート」の特徴をご紹介するにとどまります。

今回は、東村芽衣(獅子宮or乙女宮、22歳)です。

日向坂46全体では8人めのご紹介になります。


東村芽衣は、昨日8月23日が誕生日でした。

1998年生まれの場合、8月23日は、夕方5時頃までの生まれの場合、「獅子宮生まれ」(太陽)になります。

それ以降が「乙女宮生まれ」(太陽)です。

日向坂46の最大グループ“乙女宮生まれ”に含めれば、5人めのご紹介です。

出生時間が分からないために確定ではないのですが、約70%の確率で「獅子宮生まれ」になります。

だからといって、どちらなのかは未確定です。

ただし、リーディングから申し上げますと、獅子宮29度の「太陽」は、すでに「乙女宮の影響圏」に入っています。

さらに、下記の「ソーラーチャート」をみても、リーディングにさいしては、「乙女宮生まれ」にグルーピングしてもあながち間違いとはいえないものになっています。




出生時間によりますが、午前9時までの生まれの場合、「太陽&ドラゴン・ヘッド&月」が三重合(トリプル・コンジャンクション=0/0/0度)をとります。

午後9時以降の生まれだと「太陽&ドラゴン・ヘッド&月」は連続合(ローリング・コンジャンクション=0/0度)になります。


上記「ソーラーチャート」は、日の出の時間で作成しています。

なので、「太陽」は獅子宮29で、乙女宮の影響圏にあり、「ドラゴン・ヘッド」だけでなく「月」も乙女宮にあることから、東村芽衣は「乙女宮生まれ」といってもよい“個性面”や“感性面”をもつことになります。

ただし、「太陽」と「月」を除いたパーソナル・プラネットの「水星」と「金星」また「火星」は、太陽と同じ獅子宮に位置しています。

そのため、“繊細”さのある「乙女宮」の個性また感性や感受性を持ちながらも、知性などの考えや、美意識、そして行動面は「獅子宮」の“豪胆”さを兼ねそなえたタイプだといえます。

それが顕著なのは、「火星」が「冥王星」を下三分(120度)としているためです。


獅子宮の「太陽」も乙女宮の「月」も、“シビア”な「土星」が上三分(アッパー・トライン=120度)です。

この点では、分かりやすくいえば、“引っ込み思案”だったり、“慎重”で自分を出さない“ナイーブ”さのある一見、“人見知り”ともいえる個性また感性や感受性をもつことになります。

ですが、「火星」と「冥王星」が三分(トライン=120度)であることから、そのわりには“運動能力”の高さをもつことになります。

また、「火星」は「海王星」と衝(180度)です。

良し悪しはともかく、ときにスポーツや行動に若干の“怖いもの知らず”の傾向が出ることになります。

つまり、東村芽衣は、「乙女宮」の“ナイーブ”な内面性と、「獅子宮」の優れた“運動能力”や“機能”といった“ギャップ”をもつことが特徴になっています。


もう一つ、特徴があります。
東村が「乙女宮生まれ」の場合は弱まるのですが、出生時の「太陽」が、「木星」と「海王星」を底辺とするYOD(ヨッド=60・150・150)の頂点になっていることです。

これは本来、東村が“個性”や“才能”を発揮せざるをえない運勢を生まれもつことを象わします。

ただ、上述のように、「太陽&月」は「土星」が上三分(120度)で、遠慮がちな用心深さや、子供のときまた経験の少ない若いときほど“控えめ”な個性また感性をもちます。

ですが、このYOD(60・150・150)は、次第に人生経験を積んで、自信や自我意識を確立していくにしたがって、今度は逆に、活発に自己表現をしていくタイプに変わっていくことを象わしています。

22歳になったばかりの現在は、まだその途上にあるといえるでしょう。

しかし、次第に過去とは異なった果敢な“東村芽衣”を披露していくようになっていきます。









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