日本龍体特別トークイベント
2019.04.25
下記、トークイベントに参加します。

【日本龍体 特別 トークイベント 5月12日 東京 皇居付近 】

主催:ドラゴン・ピース(代表:クオリアルスタート☆)

このトークイベントは、凄く特別なものになりそうです。
このトークイベントは、「令和」が新しくスタートするというときに、日本を代表するエネルギー(エネルギー的なお話でリアルではない)が、昨年秋より場所と時期を指定してこられて準備をし、行なっていく内容となります。

なので、 実際に参加申し込みされる方々と さまざまな高次存在たちも参加している少し特殊なイベントとなりそうです。

今回は、 たぶん、 世界でいちばん詳しい目に見えない世界のお話と「令和」を迎えて新しい時代に必要な、クオリアルや霊識などのお話やトークの内容になり、その宣言式のような役割もありそうです。

お話の内容は、ふつうに講座を聴くと時間も金額も20倍以上の内容のエキスを話してまいりますので、凝縮して知りたいという方には、とてもよい時間になると思います。


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日時:2019年(令和元年)5月12日
13:00~ トーク

《クオリアルスタート☆》
霊的世界の新しい構造の話。
世界で今、いちばんに詳しく、そして新しい話。
“アセンション構造の公開”
これまで、9つの花とかフラワーオブライフが何か「すべては立体的な答えがあった」知識や、予想ではなく体得したお話をします。

《sei☆jimitoさん》
クオリアル&宝瓶宮時代に移行して、これからの社会の変化を読む。
そして、新しい時代のあり方を数理法則と占星学から「日本と令和」を紐解いていきます。
タイトル:「天皇と数理法則 ――日本占星学――」(予定)
*それぞれ60分程度を予定。

《サットンさん、てんまるさん》
霊識講座のお話。
体宙羅針盤の話。
*それぞれ10分を予定。

《質問&レクチャー》
15:00~15:30
16:00 終了

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これまで、 魂の道を探して来られたかたにも、とても有意義な時間になると思います。

そして、日本の新しい“時”の創造運勢のエネルギーのワークも行なっていく予定です。
(こちらのワークは希望者のみ、朝9時頃から別の場所で予定しています)

ぜひ、 ご縁のある方のご参加お待ちしております。

ご参加は これまで学んでこられた方も、初めての方も参加できます。
内容の趣旨に賛同されるかたや、関心のある方は参加できます。
また、少し難しい内容ですが、静かにお話が聞けるようでしたら、お子さんも参加可能です。
(泣いたり騒いだりの場合は参加できません)

新しい時代の魂の仕組みのお話です。

場所は、東京駅近くのホテル会場。
参加費 22,000円 (4月末までのお申し込み20,000円)
リアル参加人数は、あと6名の残席

*遠隔での参加もあります。
その場合は、録音(画像なし)をUPしたデーターを後日ご案内いたします。
*参加費は、会場費など差し引き、地震などの災害地へ支援寄付の予定です。

*終わったあとは、時間のある方は、お茶などご一緒しましょう。

(c)クオリアルスタート☆



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※ご連絡やお問い合せは、クオリアルスタート☆さんに。
※宝瓶宮占星学サイトからでもお問い合せいただければ仲介いたします。
 → http://www.aqast.net/formmail/formmail.html
上のフォームメールページに記載の直メールでも可能です。







宝満山「竈門神社」
2019.04.18
先の「高祖山」(たかすやま:クシフル岳)につづき、宝満山は「竈門神社」(かまど じんじゃ:上宮)に参拝登山をしてきました。

高祖山のふもとにある「高祖神社」(たかす じんじゃ)のご祭神は、彦火火出見命(ひこほほでみ のみこと)を主座に、玉依姫命(たまよりひめ のみこと)と、息長足姫命(おきながたらしひめ のみこと:神功皇后)です。


一方、竈門神社は、「玉依姫命」をご祭神とします。
玉依姫は、ご存じのとおり『日本書紀』では、神武天皇こと彦火火出見命の母親とされています。

宝満宮竈門神社の交通安全祈願には、次のように記されていました。

ご祭神玉依姫の命は、御子神武天皇の御東征に当り、この宝満山に陸路航海の安全をお祈りになったと伝えられています。(以下、略)


また、宝満山の山頂付近の「馬蹄石」(ばていせき)には、次のように縁起が記されていました。

玉姫(ぎょっき)降神すれば則(すなわ)ち山谷(さんこく)鳴りて震動す。
心蓮(しんれん)座に登れば則ち天華(てんげ)飛びて繽粉(ひんぷん)たり。
天武天皇白鳳(はくほう)2年(673)2月10日の辰の刻に法相宗(ほっそうしゅう)の僧で、この山の開山である心蓮上人が宝満山に籠(こも)り、樒閼伽(しきみあか)の水を持って修行していたところ、俄(にわ)かに山谷が震動し、何ともいえない香りが漂い、忽然(こつぜん)と貴婦人が現われ、「我は玉依姫なり。現国(うつしくに)を守り、民を鎮護(ちんご)するためにこの山に居ること年久し……」と告げたかと思うと、たちまち雲霧がおこり、貴婦人は姿を変じて金剛神となり、九頭の龍馬(りゅうめ)に駕(が)して飛行した。
その時の龍馬の蹄(ひづめ)のあとが、大岩の上のくぼみであると言い伝えている。


さらに、「竃門神社の由来」は次のとおりです。

第40代天武天皇の御代白鳳2年(紀元673年)法相宗の心蓮という僧が宝満山に篭り、常にシキミアカの水をもち修業しでいた2月10日の朝、俄に山谷が震動し何ともいえない香が漂い忽然として貴婦人が現れて
「我は玉依姫の霊、現国を守り民を鎮護せんためにこの山中に居すること年久し異賊国を傾けんとすること甚だし吾、皇紀を守る神としてこの山の上より海内を塞(ふさ)き、ある時は山の形、水に映り岩の如く波を起こし、ある時は神風を吹かせて賊の船を覆し、神光を飛ばせで船中を迷動す。これによって異賊来るを得ず」
と心蓮に告げたかと思うと、たちまち雲霧が起こり貴婦人は姿を変じで金剛神となり、手に錫杖を携え九頭の龍馬に駕して飛行した。
(その時の龍馬の蹄(ひずめ)の跡が竃門神社上宮の少し下に馬蹄岩として残っている)
さて心蓮は玉依姫命の示現に大変感激し、このことを天皇に奏聞すると、天皇は有司に宣下して社を建立した。
これが宝満山山頂(829m)に建っでいる竃門神社の起元であると伝えられている。


真偽はともかく、『日本書紀』の「神代」(下)に記されている一般に紀元前660年以前とされる神武生誕の母として、玉依姫は登場します。

ほかの地域の神社はよくわかりませんが、九州北部では「玉依姫」「応神天皇」「神功皇后」が、案外と一緒に祀られていることが多いのです。

応神天皇というのは、『日本書紀』で唯一、出生地が記されている天皇で、その場所が、宝満山のすぐ北の宇美町(うみまち:宇美八幡宮)の地とされています。

ですが、「応神天皇」と「神功皇后」の母子神は、『日本書紀』では3世紀のお話です。
なぜ、紀元前7世紀の「神代」に出てくる「玉依姫」とともに祀られているのでしょうか。

ここには、『日本書紀』(古代史)の秘密が隠されています。


実は、「神武天皇」の東征モデルの一つとなった出来事が、いずれも四男である「応神天皇」なのです。
一方、「神功皇后」は、「魏志倭人伝」に記されている邪馬台国の2代目女王「台与」(とよ)と重なります。

つまり、機会があれば詳述いたしますが、宝満山奈辺が「邪馬台国」に比定できるのです。

邪馬台国を有する「九州倭国連合」は、3世紀末に“台与”こと神功皇后を旗頭に、『日本書紀』でいう“大和帰還”、実質的に「東征」を男王ともくされる武内宿禰(たけのうちのすくね)とともに行なっています。

いわゆる「邪馬台国東遷説」ですが、九州倭国連合(邪馬台国=やまと)が東征し、より全国規模の初期「大和(やまと)連合」を築くことになります。



 

[画像左] 山頂のご神体とされる「岩」。“えんむすび”をうたっている竈門神社ゆえか、それとも先にこの二枚岩があったゆえに“えんむすび”の神社にしたのか。写真内の白フチ画像は、ご神体を横から見たもの。ひとつ岩にしか見えない。

[画像右] 山頂に建つコンクリートの神明造りの竈門神社(上宮:白フチ画像)の真後ろにある岩。二枚岩より高い位置にあり、社の真後ろにあることから、こちらがほんとうの“ご神体”ではないでしょうか。岩には「寶満山上宮」と印刻されているようです。







新元号「令和」によせて
2019.04.03
すでにご存じのように、新元号「令和」が発表されました。

『万葉集』の「梅花の歌」三十二首の序文にある「初春令月 気淑風和」(初春の令月にして 気よく 風やわらぎ)から採用されたことも、ご存じのとおりです。

たぶん、すでに多くのかたが解説されていると思いますが、一応、書いておきます。

「令和」の“令”は、初春の令月のことなので、旧暦の2月、厳しかった冬が終わりに近づき、ようやく暖かくなりはじめて、何事をはじめるにも良い月のことを意味します。

2月といえば、新元号の御世となる次の天皇の誕生月、2月23日が思い浮かびます。
ホロスコープでいえば「魚宮3度」の太陽です。

ただし、新暦での2月23日なので、旧暦になおすと1月27日、令月の直前です。

それはともかく、新元号「令和」について、なぜか賛否があるようです。

その理由は、「令」の意味を勘違いされておられるからです。
 
反対している多くのかたは、みたところ、「令和」の“令”をもって、“命令”や“司令官”など支配のイメージでとらえて、「“命令して和す”とは何事か」などと感じているのではないかと存じます。

ですが、採用元となった「令月」には、もちろんそんな意味はありません。

この令は、「ご令息」や「ご令嬢」また「ご令室」(奥さま)といったように、お相手の身内を敬って呼ぶときにつかう美称です。

なので、「命令」というのも、元来は、ご神託を人々がありがたくひざまづいて受けるさまをあらわしたものなので、もとは悪い意味ではありません。

つまり、「令」には、“良い”といった意味しかなく、それゆえ採用元となった「令月」も、暖かくなりはじめて物事をはじめるには“よい月”(旧暦2月)という意味を持ちます。

では、なぜ「令和」に良くないイメージをもつのか。
また、悪くいう人がいるのか。

その理由は、文字というものは、“概念”を表わしたものなので、その人が平和や調和ではなく、「支配、被支配」といった対立二元論でしか物事をとらえていなかったり、共産党一党独裁のように、上からの指示(“命令”)でしか動けない服従させられた思想や環境のなかにいると、「令」の字に“悪い”イメージをもって解釈してしまうからです。

そうではなく、「令」の字を正しく理解していたり、「令月」とまでは知らなかったとしても、「ご令息」や「ご令嬢」といったように、相手を敬い謙譲する気持ちをふだんからもって生活し、使用していれば、新元号「令和」は、相手の平和を称える、日本にふさわしく美しい元号であることがわかると存じます。







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