統一/ワンネス/=1の陥穽
2019.09.30
お心に残っていれば、“実際”はどうなのか、ヒマなときにでもご確認いただきたい程度のお話です。

「数理法則」は“数理”すなわち宇宙この世界の数字のもつ「意味」を解き明かしたものです。

数字というのは、数量の表現に適しますが、同時に順番をもあらわします。

宇宙この世界は「配列法則」をともないつつ“順番”というのは、意味をもつ「数理」ともなっているということが「数理法則」からはいえます。

簡単にいえばそういうことです。

たとえば、科学では「原子番号」が順番に117番まで並んでいます。

その1つひとつが、それぞれに独自の性質をもった元素を象わします。

原子番号の「一覧表」をご覧いただければおわかりのように、最上段の両脇に「1」と「2」があり、2段めの左端に「3」と「4」、右端には「5」~「10」というように6個が配置されます。

次に、3段めの左側には「11」と「12」があり、あいだをおいて同段右端には「13」~「18」までこれまた6個が配置されています。

4段め以降は3段めまでのように両端に分かれることなく各段18個ずつフルで並んでいきます。

これは「数理法則」(「基本三数」3(4)数)とも共通する並びです。

また、科学にかぎらず、たとえば長男、次男、三男といった生まれ順にも、順番におうじた“性格”をもつといったことが知られています。

30年前の1989年に正式にはじまった「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい)は、個性や多様性による「共鳴関係論」の世界(自由民主主義の進化形の社会)になっていきます。

宝瓶宮時代というのは、プラトン年(グレート・イヤー)にもとづく占星学的な時代区分「プラトン月」(グレート・マンス)の1つで、それぞれ約2,160年間(計算値)続きます。

宝瓶宮時代が「共鳴関係論」の世界になっていくというのは、「数理法則」を基礎理論とする宝瓶宮占星学のディレクション・リーディングからみえてくるものです。

宝瓶宮時代がもつ数理的な意味を解釈すれば、間違いなくそうなっていきます。

では、それ以前の「双魚宮時代」(そうぎょきゅう じだい:約2,160年間)はどうだったのでしょうか。

代表的には、「カトリック」(旧教)に代表される善悪(神vsサタン)といった「対立二元論」の時代でした。

それゆえ人々は、悪(サタン)から離れて神(善)に帰ることが、宗教的に“善(よ)し”とされてきた時代です。

ですが、今も実現はされていません。

当然です。

なぜかというと、それは人類歴史の一時期に必要だった宗教上の教理が生み出さざるをえなかった、いわゆる観念論であって、まだ見ぬ素晴らしき天国を求める“非現実的”な理想論でもあったからです。

そのような双魚宮時代から宝瓶宮時代に進むことによって、部分的に必要ではあるものの時代のメインではなくなりつつあります。

時代の流れは、双魚宮時代の後期に「宝瓶宮時代の影響圏」にはいることによって、自由な『聖書』解釈をもとめる「プロテスタント」(新教)が生まれ、その果てに、信仰を持つことも持たないことも個々人の自由(責任)とする「信教の自由」が生まれました。

これによって専制的な「組織的宗教」から、いわゆる自由民主主義の“ルール”といった社会的な道義論の世界になったのです。

宝瓶宮時代の「共鳴関係論」は、さらにその発展をうながします。

宇宙この世界はもちろん地球生命体(ガイア=生態系)や人間社会は、“多様性”に満ち満ちていることがその大前提です。

お互いに違うのは当然です。

それゆえに違うことを認め合って、“民度”を高めていくことで、お互いに存続し発展していくといった“自由”(個々人の責任、経済的には“神の手”)による有機的な共鳴関係社会にさらに進んでいきます。

そこで、機会があれば考えていただきたいお話です。

「統一」や「ワンネス」また「=1」というのは、双魚宮時代の「対立二元論」や観念的また非現実的な理想論(まだ見ぬ天国世界)といった概念をもつお話(数理)です。

これらは、対立二元論からみると一見、“素晴らしい”かようにみえますが、実はどこかで多様性を排する概念をふくんでおり、専制的な「組織的宗教」にもつうじる世界観を有します。

なぜなら、「統一」や「ワンネス」また「=1」といった「1」の概念をもつ数理には、人間社会では“独裁”や“一党支配”また“没個性”や“不自由”といった専制(ワンマン)的な意味をもつものとして発揮(現実化)されていくからです。

そのため、だれかが「統一」や「ワンネス」また「=1」というとき、理論はともかく、それらを主張する“組織”や“団体”また“会社”や“サークル”などは、少なからず“他を認めない”考えや“自分たちが絶対”また“周囲は従うべき”といった警戒すべき専制的な状況が生まれていきます。

少なくとも、そういった傾向がでやすくなるのです。

大局的に「数理法則」からいえば、それも“多様性”の一つです。

ですが、問題は、その輪の中に入ってしまうと、気づかなくても今後の時代の流れと合わなくなっていき、時代の運勢を失いかねないということです。

次第に課題や問題が生じていくのですが、そのことに気づかなくなるといったことが起きる可能性が高まっていきます。

結論は皆さまのご判断にゆだねますが、そういった意見提起のお話をさせていただきました。






“箱根縄文族”の暮らし
2019.09.19
“箱根縄文族”とここでいうのは、現在の箱根・芦ノ湖があるカルデラ内に住んでいた縄文人のことです。

学術的にそういう名称があるわけではありませんが、箱根火山の「古期外輪山」のなかに生じた仙石原湖や芦ノ湖沿岸に住んでいた“ハイレベル”な縄文人たちです。

古期外輪山(カルデラ)は約25万年前に形成されましたが、約13万年前の火山活動によって、カルデラ内東部に半月状の「新規外輪山」が形成されます。

さらに約5万年ほど前に現在の中央火口丘群のプレ「神山」によって東部の箱根湯本方面に流れる「早川」が溶岩流によってせき止められ、「仙石原湖」(一部は「芦ノ湖」)ができました。

ですが、それも約1万年前からの何度かのマグマ噴火を経たのち、約3,000年前の「神山」の水蒸気爆発によって、大涌谷が生まれるとともに、仙石原湖は大半が埋没し、現在の「仙石原」ができます。

このとき残った仙石原湖の一部が、仙石原にせき止められて「芦ノ湖」(旧「万字ヶ池」)が形成されました。

箱根縄文族は、この間、予測なので確かではありませんが、約5,000年前後ほど前から仙石原湖(一部は芦ノ湖)周辺に住んでいたと思われます。

このような火山活動の営みのなかでも生き残った箱根縄文族は、芦ノ湖周辺で大自然を畏れ崇めつつ、霊峰富士や周辺の大自然の恵みのなかで豊かな暮らしをしていくことになります。

かつて“函根”また“函根山”と総称された「箱根カルデラ」は、天然の箱根関所にも守られて、“函谷関”のように外からの侵入を長らくはばみ、独自の暮らしを平和に営むのに充分な地形を備えていました。

そういった箱根縄文人の生活は、だいたい次のようなものです。

約3,000年前のカルデラ内北部における水蒸気爆発以降、上述のように外からの侵入を阻む地形に守られて「安全」に自立した独自の“箱根縄文文明”を築くことができました。

重要な「食料」にしても、周囲の山々から木の実の採集や野生の動物の狩猟が、だれにも邪魔されずに可能なので“山の幸”にはこと欠きません。

また、現在のデータながら、平均水深15メートル、最深部43.5メートルの芦ノ湖は、もともとは「早川」で「仙石原湖」だったのことから、魚も多く“川の幸”にも恵まれていました。

現在もワカサギや巨大化したヘラ鮒やイワナ、ヒメマス(紅鮭)やニジマスなどが泳いでいます。

住環境は、さらに秀逸です。
山中なので底霧が幻想的な風景をもたらすことがありますし、箱根といえば何よりも“温泉”が有名です。

寒い冬でも地熱を利用したり、温泉に入れば容易に寒さをしのくことができますし、毒ガスには注意しなければなりませんが、地下から噴き出す蒸気によって、火がなくても料理が可能だからです。

恵みは湖畔周辺のみにかぎりません。

中央火口群の一つ、山頂に箱根大神(はこねのおおかみ)を祀る「元宮」がある標高1,356メートルの箱根駒ケ岳に登れば、西方面には富士山(画像参照)を眺望できます。


●箱根駒ケ岳山頂より「富士山」を臨む。

東方面の眼下には、小田原や相模湾を臨み、横須賀がある三浦半島を遠望できる景勝景観の地が箱根カルデラだからです。

和辻哲朗の『風土-人間学的考察』に記されるように「風土が人間に影響する」という観点から、芦ノ湖周辺に住んでいた箱根縄文族の大自然を信仰する“人柄”や“暮らし”また“文明”の形成に、大きく影響したことはいうまでもありません。

ちなみに、一部で“毒を吐く”といわれる「九頭龍」は、箱根九頭龍とは関係がなく、ファンタジーの西洋ドラゴンのことです。

箱根九頭龍は、箱根カルデラ内の芦ノ湖沿岸を住処としていた箱根縄文族が崇めた地主神(国津神)のことで、その族長(おさ)や元祖のことです。

それゆえ、箱根駒ケ岳の山頂の元宮に祀られる「箱根大神」というのは、“大神”が太祖の神を呼ぶことからもわかるように、箱根縄文族の族長(おさ)や族の元祖である“九頭龍大神”のことをさします。

しかし、その後いつしか“天津神”が降臨し、箱根カルデラ内にも進出するにおよんで、湖畔道路の脇にある「箱根神社」を創建し、瓊瓊杵尊(ににぎの みこと)、木花咲耶姫命(このはな さくやひめの みこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみの みこと)の三柱をご祭神に定め、これを「箱根大神」と称するようになりました。

つまり、本来の「箱根大神」(九頭龍大神)というのは、箱根「九頭龍神社」と「元宮」の神なのです。

現在の道路脇の「箱根神社」は、いわゆる“征服”というのは言い過ぎかもしれませんが、“国譲り”というべきか“共存”することになった天津神族との融合併呑によって、新たに祀られるようになったもので、それを現在“箱根大神”と神社側では呼んでいるわけです。









九頭龍神社と箱根大神
2019.09.12
海賊船でも知られる箱根・芦ノ湖の東岸に3つの神社があります。

北側から湖畔の箱根「九頭龍神社」(本宮)、箱根駒ケ岳山頂の「箱根元宮」、湖畔の道路脇の「箱根神社」です。

箱根九頭龍神社(本宮)は、「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」ホテルの敷地内をとおり、箱根九頭龍の森の中を約30分ほど歩いて行けます。

途中の小さな「社務所」兼「お土産売り場」で入場料を払い、白龍神社もあります。

もう一つの行き方は、プリンスホテルに隣接した「箱根園」からモーターボートで送り迎えしてもらう方法です。入場料込みの料金が必要ですが、5分とかかりません。

今回、一昨年に続き2度めの九頭龍神社へのご参拝となりました。

最初に、まず交通施設が集まる元箱根に近い「箱根神社」に行きました。

本殿脇には「九頭龍神社新宮」があって、本宮に行かなくても代わりにご参拝できるようになっています。

参拝客によると、以前は龍の「吐水口」が1つだけだったのに「9つに増えている」とのことでした。

箱根神社のご祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎの みこと)、木花咲耶姫命(このはな さくやひめの みこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみの みこと)の三柱で、箱根神社側ではこの三柱を総称して“箱根大神”としています。

ですが、これらは観光客向けともいえるご祭神で、本来の「箱根大神」(はこねの おおかみ)とは違うといえます。


理由は後述するとして、九頭龍神社(本宮)にご参拝して箱根園にもどると、昨日の台風で保守点検中(運休)だった「箱根駒ケ岳ロープウエー」が動いていました。

ということで、山頂には雲(霧)がかかっていましたが、頂上の「箱根元宮」(はこね もとつみや)に向かいました。

山頂駅に着いても、案の定、何も見えません。

10メートル先も見えない霧の中、さらに小高い山頂の「箱根元宮」に着きました。

富士山も何も見えないため、ロープウエーに同乗してきた観光客は早々にもどり、駅内にある晴れていたら見える富士山の写真パネルの前で、記念写真をとったようです。

元宮に着いて20分ほど立ったころでしょうか。
ほんの一瞬、雲(霧)間に富士山や相模湾が見えるとき(瞬間)がありました。

それでワイワイ騒いでいると、それから10分経つか経たないうちに、富士山が山容をみせ、反対側の展望台からは小田原市や相模湾また三浦半島が遠望できるまでになりました。

それも15~20分間ほどで、山頂駅にもどると、元のように周囲は霧に包まれてしまいました。

それはともかく、「箱根元宮」のご祭神は箱根大神で、こちらが本来の「箱根大神」です。
なぜなら、古来からある「九頭龍神社」由来の大神さまだからです。

その証拠に、九頭龍神社(本宮)が位置する箱根九頭龍の森の中にあって入場料を払ったり、御札や絵馬を求めることができる前述の社務所は、「箱根元宮社務所」といいます。

つまり、芦ノ湖湖畔の「箱根九頭龍神社」(本宮)から、箱根駒ケ岳山頂の「箱根元宮」のルートこそが、いわゆる“箱根縄文族”の「族長」(おさ)または「元祖」ともいうべき「箱根大神」(はこねの おおかみ)を祀る場所だったのです。

その詳しいお話は書けませんが、昭和になって山頂の「箱根元宮」を再建したのが、西武グループの創業者で第44代衆議院議長でもあった堤康次郎(つつみ やすじろう)です。

西武グループは、かつて武蔵野鉄道と呼ばれた「西武鉄道」や、所沢を本拠とする「西武ライオンズ」、旧セゾングループの「西武百貨店」や、軽井沢や箱根の観光開発を行なった「旧コクド」など、戦後、関東一円の復興開発に影響をもたらしました。



●「箱根神社」に隣接する「九頭龍神社新宮」の吐水口。


●箱根駒ケ岳山頂から見た富士山(山頂にはさいの河原のように多くの石が積まれていました)








曺国(チョ・グク)氏の命運
2019.09.11
「やってしまいましたね」

文在寅大統領は、曺国(チョ・グク)氏を「法務部長官」(日本でいう法務大臣)に“強行任命”しました。

現時点では内政問題なので、かの国がかってにすればいいことです。

それはそれでいいのですが、占星学的にみますと「ついにやってしまった!」ということになります。

かんたんにご説明しておきます。

曺国(チョ・グク)氏は、1965年4月6日生まれ(牡羊宮の太陽)です。

彼は今、組織や社会の「頂点」に立ち“権力”を発揮することができる「星のディレクション」を受けています。なので、当該ディレクションが現実に動いた最初の段階にあります。

しかし、この「星のディレクション」には“両面性”があるのです。

組織や社会の“頂点”に立つことができるのと同時に、社会の“どん底”にも落ちていくことがあるディレクションです。

では、何がその命運を分けるのでしょうか。

一つは、本人がワンマンや横暴など“強権”を発揮した場合です。
もう一つは、法律や人倫道徳にもとる“違法”や“非道”な行為をした場合です。

現時点では、妻や娘など親族の“疑惑”ですが、曺国(チョ・グク)本人の“違法行為”につながるか、または文在寅政権もろとも“どん底”に転落するかは、流れをみれば時間の問題です。

なぜなら、韓国の“国体”も「牡羊宮」だからです。

既述のとおり韓国自体が、かつて世界の“頂点”に立ったサムスンに代表されたようにTOPクラスに登ることもありますが、同時にこのディレクションは、それで傲慢になったり、違法な行為を行なうと“どん底”に落ちる命運を隠しもっているからです。

(日本との)国際条約を守らない韓国はすでにそのディレクションに突入しました。

曺国(チョ・グク)氏までもが法相に就く以上、もはや韓国と曺国(チョ・グク)氏の命運は文在寅大統領もろとも一連托生です。

残る道は、文在寅&曺国(チョ・グク)の“失脚”が先か、それとも韓国の“香港化”が先か。

はたして韓国民はどちらを選択するのかという問題です。


ちなみに、文在寅政権の“狙い”は、南北統一または赤化統一といったものではなく、むしろ韓国の経済力や軍事力などの“国力”を、そのまま北朝鮮の金正恩に献上することです。

それによって、“核”を保有した主体思想の「朝鮮民族国家」となってプレゼンスを発揮しようと考えています。

本気でそれができると思っているのが、共産主義(主体思想)幻想にかぶれ現実が見えなくなっている文在寅です。

このまま朝鮮民族の核保有を、アメリカや他の国々が指をくわえて見ているとでも思っているのでしょうか。

香港は現在、一国二制度が揺らぎ、反発した学生らが“デモ”を起こしているのはご存じのとおりです。
このままでは、韓国にもそれが起きます。

文在寅大統領と曺国(チョ・グク)法相の策謀によって、北朝鮮への“韓国献上法案”(具体的には段階があります)を議会で通過させようとするからです。

それが「施行」されてしまうと、デモなどの反対運動は法的に規制されてしまいますので、その前に学生や国民が香港のようにデモを起こすしかなくなっていきます。

それか、曺国(チョ・グク)氏ともども文在寅大統領が“どん底”(失脚)に追い込まれるのが先か。

いずれにしても曺国(チョ・グク)氏の法相就任によって、韓国の“どん底”とどちらが先か、避けられなくなりました。

なので韓国民は、一度“どん底”を体験して再生の道を探らなければならなくなる可能性もあります。

でなければ、韓国自体が滅びることにもなりかねません。









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