AKB48-9th選抜総選挙予測
2017.05.30
宝瓶宮占星学サイトに「AKB48-9th選抜総選挙予測」をアップしました。

投票締切りの日時が、当初のアナウンスとは変わるなど、リーディングのやり直しが必要になり、それにともなう内容の変更をしいられましたが、なんとか30日ギリギリにアップできました。

占星学的には、もう少し突っ込んだリーディングをしたいところですが、労力や時間的な余裕などから、相応にとどめています。

ただし、読み物としては面白いでしょう。


ちなみに、昨年の順位に今年のリーディングを加えた評価は、次のようになります。

 指原莉乃(蠍宮、5期生)……昨年1位+今年○
 渡辺麻友(牡羊宮、3期生)……昨年2位+今年△
 松井珠理奈(魚宮、SKE48:1期生)……昨年3位+今年◎
  ※渡辺麻友と6万5千票の差をどこまで縮められるかがポイントです。
 宮脇咲良(魚宮、HKT48:1期生)……昨年6位+今年○
  ※午前中の生まれの場合、◎の可能性がでてきます。

ほかに確実に順位を上げるか投票数を伸ばしそうなのは、よく知られたメンバーでいえば、北原里英(蟹宮、5期生)、峯岸みなみ(蠍宮、1期生)などがいます。




「三種の神器」のルーツ 3
2017.05.29
今回は「三種の神器」のうち「草薙の剣」のルーツについてです。

草薙の剣は、ご存じのように、もともとは一書にいう「天の叢雲剣」(あまの むらくもの つるぎ)でした。
記紀によれば、素戔嗚尊(すさのおの みこと)が、出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、その尾から出てきたとされています。

ここで「素戔嗚尊」は誰なのか、また「八岐大蛇」とは何かのご紹介は、煩雑になりますので、ご説明は省略いたします。
神話でいう「八岐大蛇」なる大ヘビが実在するわけではありませんし、その体内から「剣」が出てくることもありません。

それはともかく、天の叢雲剣は、『日本書紀』の「神代紀」(上)では、草薙の剣と名を変えて、今では尾張国にあるとしか書かれていません。しかし、「景行天皇紀」をよむと、日本武尊(やまとたけるの みこと)が焼津で草をはらったことによって、草薙の剣というようになったことが書かれています。

このあたりは、『日本書紀』のロジックで、「神代」と「景行天皇」の時代が錯綜しているのですが、むずかしく考える必要はなく、実は同じ時代のことを、わけあって神武東征以前の「神代」と東征以降の「景行天皇」(架空の天皇)の時代が、あたかも異なるかのように記録しているだけです。

このことがわかると、結局、天の叢雲剣こと「草薙の剣」は、出雲国が国譲りをしたさいに天孫族の天皇(大王)に国を治める“みしるし”として差し出したものであることがわかります。

ただ、ことは単純ではないのです。

なぜなら、出雲国の大国主神(おおくにぬしの かみ)の勢力は、出雲にとどまっていたのではなく、実は“神武東征”以前の畿内国こと大和をはじめ本州国の大半をすでに治めていたからです。

「大国主」という意味は、そのような日本国の国主であったことを象わします。
その豪族たちの集会地が中間に位置する畿内国(現在の奈良)であって、台与を旗頭にした北部九州連合「倭国」の勢力が3世紀末に東征し、記紀にいう「国譲り」が成立します。

その国譲りに際して差し出したのが、天の叢雲剣こと「草薙の剣」です。

なので「草薙の剣」は日本国(本州国)を治める象徴なのです。
ですが、『古事記』や『日本書紀』には、国を治める正統性が最初から天皇にあったという論旨にしていますので、そうとは書けないために出雲国のお話にして、もともとの大和の支配者をあいまいにしています。

つまりところ、でなければ大和の三輪山に出雲の神とされる「大物主神」を祀る必要がないのです。
ちなみに、男性神である元祖「天照大御神」は、大物主神(大国主神)側の大王で、最初に大和を治めていた物部氏の祖神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてる ひこ あめのほかあり くしたま にぎはやひの みこと)だといったら驚かれるでしょうか。

一時、今でいう伊勢の内宮に祀られていたのですが、今は外宮の別宮(わけのみや)に遷祇されています。

それはともかく、三種の神器のひとつ「草薙の剣」は、本来、出雲国はもちろん、畿内国をはじめとした本州国を治めていた大国主神(大物主神、大已貴神、大国玉神 etc.)が所有していました。

国譲りに際して、その“みしるし”として天孫族の大王(俗に「神武天皇」)に差し出したものです。

それゆえ、「八咫の鏡」と「草薙の剣」を所有するものは、統一大和(日本国)を治めるものとしての“みしるし”になっています。

その後、7~8世紀になって「八尺瓊の勾玉」が三種の神器に加わりますが、こちらも同じ意味をもちます。

では、勾玉が象徴する国は、どこなのでしょうか。



5/29~6/11 ホロスコープ
2017.05.27
「今週の運勢」(5/29~6/11)の中間日、6/5のホロスコープです。



※太陽はオーブ(許容度数)10度、それ以外は6度をとっています。

※月の移動は、2週間で6サイン(宮)と大きいので、5月29日0時、6月5日0時、6月11日24時を記し、月のアスペクト・ラインは省略しています。





「三種の神器」のルーツ 2
2017.05.26
ここからは「三種の神器」のルーツについて書いてまいります。

すでにご存じの方も当然いらっしゃると思いますが、三種の神器の中で「八咫の鏡」は別格です。

なぜなら、即位の儀において行なわれる「剣璽等継承の儀」は、「草薙の剣」と「八尺瓊の勾玉」ならびに「御璽」と「国璽」を継承しますが、「八咫の鏡」は宮中の賢所から動かされることはありません。

もっとも、八咫の鏡にせよ草薙の剣にせよ、ご本体は、それぞれ伊勢の神宮と熱田神宮に奉祀されており、いずれもその形代(レプリカ)をもって片や賢所に奉斎され、片や継承の儀にもちいられるのはご存じのとおりです。

では、なぜ「八咫の鏡」は動かされないのかというと、もともと天皇(大王)が治める国を象徴するものだからです。

具体的には、賛否はあると存じますが、3世紀末に九州倭国の2代目女王「台与」を旗頭に、畿内国(大和)に東征したさいに、倭国を象徴したものが「八咫の鏡」だったからです。

諸説はありますが、卑弥呼の邪馬台国(やまたいこく:やまと)を女王の都とする北部九州連合「倭国」の和の統治形態をモデルに、結果として、統一大和においては「天皇」を中心とする和の統治「大和」(やまと、大きい和国)が形勢されたために、倭国の象徴であった台与の鏡すなわち「八咫の鏡」は、引き続き「大和」の象徴として天皇が変わっても動かされることはないわけです。

一方、「草薙の剣」や「八尺瓊の勾玉」は、大和統一にさいして、国譲りや服従してきた国々の象徴であるために、代々の天皇は、それらの国々の統治を引き継ぐ意味において、即位にさいしては「剣璽等継承の儀」によって「草薙の剣」と「八尺瓊の勾玉」を受けつぎ、統一大和を治める天皇の“みしるし”とします。

なので、お気づきのように「八咫の鏡」は、卑弥呼から台与が受けつぎ、東征ののちは、大和を治める大王(天皇)が権威の象徴として受けついできました。

すなわち、もともとは倭国大乱ののち、北部九州連合「倭国」を和をもって治めた女王の象徴であり、東征ののちは全国統一を平和的に成そうとされた統一大和連合の大王(天皇)がもつ統治の象徴だったわけです。

では、「八咫の鏡」のルーツは明らかになりましたが、残りの「草薙の剣」と、後日、7~8世紀になって三種の神器に加わった「八尺瓊の勾玉」は、どの国々を治めるものがもつ権威の象徴であったのかということです。



「三種の神器」のルーツ 1
2017.05.25
先回に続き「三種の神器」をとりあげます。

今回は、そのルーツは何かということですが、そのまえに「三種の神器」の意味についてひとこと書き添えておきます。

「三種の神器」といえば、今では天皇の“みしるし”として定番です。

しかし、7~8世紀の『日本書紀』の奏上まで、実際には「八咫の鏡」と「草薙の剣」の2種の神器でした。
それは、『日本書紀』に記された最後の天皇、持統天皇紀をみても明白で、持統天皇紀には、二種の神器しか記されていません。

その後、天武天皇と持統天皇の孫、文武天皇から「八尺瓊の勾玉」が加わり、当時の『日本書紀』の「神代」(下)に記されたように、瓊瓊杵尊の天孫降臨に際して「三種の神器」を賜ったとはじめて記され、以降、名実ともに「三種の神器」が定番となっていきます。

では、「三種の神器」とは、何を意味するのでしょうか。

正解は、それぞれの国(地域)また国を治めた者がもつ象徴です。
それゆえ、それら3つの神器を手にしたものが、統一日本、いわゆる7~8世紀にはじまった統一大和を統べる「天皇」の“みしるし”になります。

ご理解できますでしょうか。

ご納得できない方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら『日本書紀』の編集方針から読み解いていくと、それまでバラバラだった各国を一つにまとめた大和朝廷を統べる天皇としての“証明”が「三種の神器」になっていることは否めません。

それゆえ、平家にせよ源氏にせよ、天皇すなわち公家政権から、武家政権にとってかわるためには、その証明として「三種の神器」を手に入れることが第一義となっていました。

平家が滅亡した壇ノ浦の戦いで采配をふるった源義経が、戦いに勝ったにもかかわらず、兄の頼朝から激しく叱責されたのも、結局のところ「三種の神器」のうち「草薙の剣」を見失い、持ち帰ることができなかったためです。

武家でもあり、母が熱田神宮の出自でもある頼朝にとって、「草薙の剣」こそが、これからはじまる自らの武家政権にとってシンボルでした。

頼朝にとっては、平家に勝つことよりも、草薙の剣をはじめとした「三種の神器」を手に入れることが、天皇や公家や平家にかわって、日本を治める政権を奪取する名目だったのです。
ですが、そのことを理解できなかった、政治にうとい義経は、戦いの勝敗こそが本義だと思ってしまい、兄頼朝とのミゾを深めていきます。

結局のところ、「三種の神器」は統一日本を治めるものがもつ“みしるし”というのが、その本質に間違いはありません。




日田川開き観光祭
2017.05.22
戦後の観光復興のためにはじまった九州の小京都、「日田川開き観光祭」が5月20日~21日に行なわれました。

今年は第70回め。
いつものことながら、目玉は2つ。

九州でいちばん早い「鮎漁」の解禁と、連日1時間20分前後にわたって打ち上げられる「花火大会」です。

15分~30分程度の小規模の花火大会は、3月11日に行なわれた「熱海海上花火大会」が今年最初だと思われますが、1時間以上でしかも連日行なわれる本格的な花火大会は日田が最初かも。

その特徴は、なんといっても目の前のかぶりつきで見ることができること。
そして、盆地ゆえに四方の山にこだまする大迫力の音響効果。

音のない花火は気の抜けたビールと同じ、花火の半分は「音」で決まります。
そのため、ほかの花火大会では、「音」だけの花火を景気づけに通常の連発に交えて打ち上げることもあるほど。

「花火大会」の前後は毎年、旅館も予約がいっぱい。
その旅館が繰り出す遊船(ゆうせん)と呼ばれる屋形船に乗って、宿泊客の皆さんは船上からお酒とお料理と花火をたのしみます。

一方、釣り師の皆さんは、早速、解禁になった「鮎の友釣り」を楽しんでいました。

3月に放流した107万匹の鮎の稚魚は、15cm~20cmに成長しています。
釣った鮎は「塩焼き」によし、日田名物の「鮎のうるか」にしてお酒のおつまみによし。
水郷日田の名のとおり、水がよければお酒もうまい。

以前はニッカウヰスキーの工場があり、今は下町のナポレオンこと「いいちこ」の工場に、またサッポロビール日田工場も今年で17年め。
もちろん江戸時代からつづく地元の日本酒の酒蔵も複数あって、転勤族にも好評です。


 

花火大会直前の花火会場 三隈川(筑後川上流)。ホテルや各旅館からは遊船(屋形船)がでます。



鮎の友釣りをたのしむ釣り師、この場所には25人ほどがいました。






5/22~6/4 ホロスコープ
2017.05.20
「今週の運勢」(5/22~6/4)の中間日、5/29のホロスコープです。



※太陽はオーブ(許容度数)10度、それ以外は6度をとっています。

※月の移動は、2週間で6サイン(宮)と大きいので、5月22日0時、5月29日0時、6月4日24時を記し、月のアスペクト・ラインは省略しています。




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