「生産性」は経済用語
2018.07.31
どうでもいいお話なので、簡単に書いておきます。
ネットニュースでも取り上げられている『新潮45』に掲載された杉田水脈議員の寄稿についてです。

タイトルは、「LGBT支援の度が過ぎる」です。
なんの度かというと、行政のLGBTに対する経済支援の度合いです。

●『新潮45』からポイントの引用

「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとはいいません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

たとえば、子育て支援や子どもができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。

しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。


このあと杉田氏は、「LGBT」と一括りに「T(トランスジェンダー)」を一緒にするのはおかしいと書いています。

さて、上述の何が問題でしょうか?

海外でもこのニュースは取り上げられています。
英インディペンデント紙は「事実報道」のみ、例の米CNNはいつもの「批判」です。

日本の反日マスコミやワイドショーは、いわゆる“思想”が入っていますので、参考にならないため、日本の税金とは関係がない第三者の外国人の意見をタグってみました。

「彼女は間違ったことなんて言ってないぞ・・・」(Dave)

「いったい彼女のコメントのドコに問題があるの? サッパリ解んないんだけど…」(Heartthrob)

「彼女の意見のドコにウソが? ゲイカップルが文明に対しての価値が低いのは本質だよ。だって赤ちゃんを産めないんだから」(CzarTraditionalist)

以下、略。

日本人だったら人情や思想で判断しますので、こうはいきませんね。
ではなぜ、外国人が「クール」なのかというと、多分、英語で「生産性」(Productivity)をとらえたからです。

まあ、日本語でも同じなのですが、ウィキペデァ(日本版)には、次のように掲載されています。

●生産性(せいさんせい Productivity)
経済学で、生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度。あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことをさす。

純然たる「経済用語」なんですね。

なので、LGBTの「生産性」という場合、「人格的」なことではなく、子供を生まないという一点においての「経済的」な生産性のことだととらえれば、外国人のいうようにロジカル(論理的)では、間違っていないととらえられるわけです。

意見は、人それぞれ自由なので、本文を読んで批判するのはかまいません。

ただ、例によって、反日勢力がいつものように、本文を読むことなく、“エモーショナル”に反対のための反対を繰り広げているのは、かえって問題の本質を見えなくしてしまいます。

杉田議員のホロスコープ(出生天球図)もみてみましたが、牡牛宮の太陽、乙女宮の月に天王星と冥王星の三重合(0度)でしたので、情による差別発言ではないことがわかります。

「生産性」という単語を用いたとおり、経済的合理主義による言葉足らずの発言のようです。




「天孫降臨」の虚実
2018.07.28
『日本書紀』のお話です。

初代「神武天皇」の曽祖父にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「高天原」から地上に降臨されます。
いわゆる「天孫降臨」です。

ここでご質問です。
では、瓊瓊杵尊を降臨させたのは、だれでしょうか?

「天照大神!」

ブブーッ! 違います。
『日本書紀』が正史と定めた「本文」には、次のように記されています。

●『日本書紀』神代(下)「本文」より抜粋

「さて、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、真床追衾(まとこおうふすま)で瓊瓊杵尊を包んで降らせられた」

なので正解は、『日本書紀』が「皇祖」と記す「高皇産霊尊」です。

もっとも、『日本書紀』には正史と定められた「本文」のほかに、「一書」(あるふみ)が併載されています。
一書(あるふみ)というのは「別伝」や「異伝」のことで、“こういう伝えもあるよ”という諸説です。

当該「一書」(第一)には、次のように記されています。

●『日本書紀』神代(下)「一書」より抜粋

「そこで天照大神は、瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)および八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を賜った。
また中臣の遠祖、天児屋命(あめのこやねのみこと)、忌部の遠祖の太玉命(ふとたまのみこと)、猿女の遠祖の天鈿女命(あめのうずめのみこと) ―中略― をつき従わされた」

本文(正史)にはありませんが、一書には、「三種の神器」や、瓊瓊杵尊の天孫降臨につき従った「五部神」(いつとものおのかみ)が記されています。
これらは、天照大神の「天岩戸隠れ」にも出てくる随神です。

なぜこのような一書が付記されたのか、事情をご説明いたします。

『日本書紀』が編纂された7~8世紀に、当時の「持統天皇」、孫の「文武天皇」、そして『日本書紀』編纂にたずさわった「藤原不比等」(中臣氏)らになぞらえたものです。

持統天皇は、和楓諡号を「高天原広野姫天皇」(たかまのはら ひろのひめの すめらみこと)と申し上げ、高天原の天照大神を想起させようとしているのはだれにでもわかります。

つまり一書の記述は、「持統天皇」を“天照大神”になぞらえ、「文武天皇」を“瓊瓊杵尊”になぞらえて、万世一系を確立するために、持統から孫の文武天皇への「皇位継承」を正統なものとするための前例として創作した神話なのです。

同時に、随神の“五部神”も中臣氏らの遠祖として付記することで、中臣鎌足にはじまる「藤原氏」の権威と正当性をはかったわけです。

ちなみに、「本文」に五部神は記されていません。

結局、“天照大神の天孫降臨”は、当時の事情から創作されたもので、まさに“神話”というのが実情です。

それでも天武天皇の皇子「舎人親王」を総裁とする『日本書紀』編纂者が良心的なのは、歴史をねつ造することなく、あくまでも別伝として「一書」にとどめたことです。

ということで、“天岩戸隠れ”も“天照大神による天孫降臨”も、また“三種の神器”のお話も、創作されたお話です。

史実は、高皇産霊尊による(三種の神器なしの)天孫降臨で、「三種の神器」は実は7~8世紀からはじまったものです。それ以前は宝鏡「八咫鏡」と神剣「草薙剣」の「二種の神器」でした。

事実、神武天皇にはじまる「歴代天皇紀」(人代)には、「二種の神器」と神璽(しんじ、天皇の印)による王位継承しか記されていません。

天岩戸隠れにしても、岩戸に隠れたからといって、世の中が真っ暗闇になるわけではありません。
また、高千穂(宮崎)をはじめ、そんな天岩戸があること自体が、まったくのナンセンスなお話です。

ではなぜ、天照大神による天孫降臨が人口に膾炙(かいしゃ)されたのかと申し上げますと、古くは藤原氏(中臣氏)が喧伝したこともそうですが、明治維新が起きたからです。

維新後、国家神道にまとめるさいに、「素戔嗚尊」と「天照大神」のどちらを“皇祖”として祀るのか、神道会議が開かれました。しかし、紛糾して結論が出ません。

そこで、明治天皇の御裁可をあおぐことになり、天照大神が「皇祖」と決まったのです。

ということで、天孫降臨のお話も、本文の「高皇産霊尊」ではなく、一書の「天照大神」のほうが引用されるようになったというのが事実です





なんかまだもめている…
2018.07.26
元「お江戸」という街にいたころは、仕事の関係上、新聞はもちろん週刊誌を読んでいました。
九州に戻ってからは、週刊誌の購読をやめ、そのうち新聞もやめて、ついにはテレビも見なくなりました。

理由は、「面白くなくなった」からなのですが、ウソの記事が多いし、事実報道というよりも、自社が主張する方向へ「誘導」する度合いが増したためです。

かつて、出たばかりのWindows95を購入し、ネット関係の仕事にかかわったことも一因していますが、サイトのコンテンツが充実してきて、自分で信頼できる情報をピックアップできるインフラが整ったというのが最大の理由です。

ちなみに、軒並み発行部数がダウンしている雑誌のなかで、少子化傾向にもかかわらず、育児系雑誌が伸びています。

週刊誌では、昨年2017年の調査では、朝日系の「AERA」(アエラ)をおさえて「週刊新潮」が最も部数の減少率が高く、逆に文春砲で話題の「週刊文春」のみが微増でした。

「週刊新潮」は、もともと少し斜めから見た切り口で記事を掲載することで知られていて、そういった系統の読者が多いようです。

こういったゴシップ系週刊誌は、部数が減るとウソを書いても文句をいわれない芸能人の「ヨタ記事」をでっちあげて、話題づくりをすることがあります。
それを真に受けたり、アクセス数稼ぎを図るユーチューバーもどきが、真偽を確かめずにネタにしてアップすることさえあります。

一例を上げますと、先のAKB選抜総選挙で、“世界女王”になった松井珠理奈(SKE48)が今も休養を続けていることから、その理由の憶測やねつ造記事がアップされています。

公式には、「以前から体調不良」「療養に専念する」とSKE48支配人がコメントを出していますが、本当のところは、“センターにふさわしくない言動があった”ために運営側が、メンバーの和が乱れることをおそれて休養させているのです。

なぜなら、2位の須田亜香里(SKE48)はともかく、3位の宮脇咲良(HKT48)に対しては、総選挙開票当日に松井からパワハラがあったことが知られています。

そればかりか、4位の荻野由佳(NGT48)に対しても、松井は荻野と一緒に歌うべきパートのときにマイクを独り占めして荻野に歌わせなかったことがあり、また別のときには歌唱中に荻野のイヤモニをはずしてつぶやくなど、“イヤがらせ”が激しいことが発覚しています。

選抜メンバーの前で、このような言動が松井自身の口から得意げに語られたことで、今回の選抜メンバーからの信頼度を一気に失っているのです。

もともと秋元Pは、センターになりたい人よりも、センターになりたくないといっていた前田敦子をあえてセンターに抜擢して、メンバーどうしの確執を避けるなど、ときに2番手、3番手どころか、意外性のあるメンバーをセンターにもってくることによって、グループ運営を成功させる戦略をとってきました。

AKB運営サイドとしても、松井はセンター願望が強く、ライバル意識から“後輩イジメ”をするお局気質がわかったために、将来的にAKBグループを背負ってたつ伸びしろのある宮脇や荻野のほうを大事にするのは、商売上、当然の選択です。

ということで、このまま松井をセンターにしてしまえば、将来有望な後輩メンバーが“潰される”おそれがあることから、今回は療養を理由に休養させたというのが本当のところです。

松井のTwitterをはじめSNS等の更新休止までも発表されたことから、“精神的”(人徳的)な問題でもあり、通常の処遇ではありません。

こういった事情がわかれば、「週刊新潮」が報じたように、スタッフに叱られて泣き崩れた松井に、「私のマントを汚さないでくれる(芸能記者)」と言ったとウソを掲載された指原莉乃らが原因ではなく、全体を考えて運営が判断したものです。

天秤宮に月をもつ指原は、芸として笑わせるための“ジョーク”ならともかく、泣き崩れた松井を傷つけるようなことは言いません。

発行部数が落ち目となった「週刊新潮」は、文春に負けじと「ねつ造記事」を掲載したわけですが、ネット社会の昨今は、ウソはすぐにバレることが多いものです。
そのため、ねつ造記事は読者の信用を失い、かえって部数を減らす一因になってしまいます。

余談ながら指原は、「雑誌に私のド捏造記事が載った 笑」と余裕をみせつつ、同雑誌記者の結婚を祝福するツイートをしています。





宇宙の果てはどんな感じ?
2018.07.25
科学番組や宇宙を扱った番組で、「宇宙の果て」に関する質問がでることがあります。

結論は、科学者も宇宙の果てについは、よくわかっていないということで、質問された科学者が要領よく答えているのをみたことがありません。

要は、釈然としないで終わるのが実際です。

酷かったのは、NHKの番組で学者らしき人物が言うには、「答えても一般の人にはわからない。自分しか知らない」と語っていたときには、その傲慢さに驚きました。

なぜなら、ほんとうに理解していれば、例えるなどして一般向けに“シンプル”に答えることができるためです。
また、専門用語を連発するなど、なにかとむずしく答える場合も、真に理解していないことが多いものです。

それはともかく、宇宙の年齢は、最新の発表では138億歳(137.99±0.21)ということです。
宇宙誕生の“ビッグバン”から、現在までの時間です。

“宇宙最古の光”(宇宙背景放射)からそれがわかるわけですが、“膨張宇宙論”によれば、宇宙は今も光よりも速く膨張しているそうです。

その最先端が、“宇宙の果て”ということになります。
物理学においては「光」以上の速さは存在しないので、光よりも早く膨張する宇宙の果てなど、わかるはずもありません。

観測もできなければ、理論天体物理学にしても計算もシミュレーションもできないからです。

それゆえ結局、物理科学では「宇宙の果てはわからない」というのが答えです。

では、「数理法則とクオリアル・ワールド」からみた場合はどうでしょうか。

宇宙この世界は「基本三数」によって構成されています。

「基本三数」というのは、宇宙この世界でこれ以上は分けられない三要素のことで、「1数=時間(意志)」「2数=空間(実体)」「3数=人間(関係)」(作用)にわけられます。

詳しいご説明は、「数理法則とクオリアル・ワールド」にゆずりますが、基本三数は一体なので、物理学においても「時間」と「空間」をわけてとらえずに、昨今では「時空」と一体のものとして呼んでいます。

宇宙というのは、物理学的には「空間」にあたりますが、同時に「時間」でもありますし、また「数理法則とクオリアル・ワールド」から申し上げますと「人間(関係)」とも切り離せない2数=実体存在です。

要するに、「宇宙」(空間)というのは「時間」や「人間(関係)」と一体の存在なのです。

このことがわかれば、「宇宙の果て」といった場合、それは単に空間的な“果て”ではなく、時間的な“果て”でもあり、人間(関係)的(作用的)な“果て”でもあるわけです。

そういった、基本三数も何もない「0(ゼロ)」が“果て”でありながら、一方では、膨張し続ける宇宙を受け入れる「∞(無限大)」の“存在なき存在”の世界ともなっています。

そういった存在なき存在は、「数理法則」からいえば1つしかありません。

「数理法則とクオリアル・ワールド伝授講座」を受講されておられるかたならすぐにご理解できるでしょう。

一般向けにわかりやすいお答えいたしますと、宇宙の果ては人間でいうところの“深層の精神意識”と類似の「超越意識世界」になっています。

超越意識世界というのは、「時間」もなく、「空間」もなく、「人間(関係)」もない、それらを超越した、いわゆる精神意識世界のことです。

“膨張宇宙論”からいえば、「宇宙」(この世界)を今もダイナミックに生成し続けている最先端(宇宙の果て)の世界です。

なので、現在も続く“ビッグバン”の延長線上に宇宙の果てはあって、「時間」も「空間」も「人間(関係)」もなく、逆にいえば、すべてを有する∞(無限大)の“超越意識世界”が宇宙の果てになっています。
 

※わかりにくかったらゴメンナサイ。

スピ系のかたであれば、“超越意識世界”は時空を超越した“霊性ゾーン”とでも考えていただければ、イメージしやすいかもしれません。





「革命」のない日本
2018.07.17
NHKの大河ドラマ「西郷どん」が、いよいよ舞台を本格的に京に移し、「明治維新」に向けた幕末動乱期を描きはじめました。
とはいっても、“ドラマ”なので、史実どおりではない部分が多くあります。

それはともかく、今年2018年は、明治維新からちょうど150年です。

150前の1868年、江戸は「東京」と改められ、「明治」に改元されました。
同年、明治天皇も東京に移り、翌1869年には明治新政府も京から東京に移っています。

結局、国王(国家元首)である天皇は存続したままなので、“革命”ではなく、「明治維新」と呼ばれるわけです。

つまり、7世紀の「天武天皇」以来、日本に革命は起きておらず、世界最古の国家となっています。

もし、天皇と呼ばれる以前の“大王”の時代を含めれば、3世紀末以降からそうですし、正史の『日本書紀』によれば、紀元前660年の「神武天皇」のご即位以来、女性天皇がリリーフに立つことはありましたが、男系天皇による“万世一系”が2600年以上も続いていることになります。

もっとも、明治維新には“ウラ”事情があります。

天皇を最も崇敬していたのは、徳川慶喜をはじめとした幕府側のほうです。

なぜなら、慶喜は徳川御三家の筆頭「水戸藩」の出身で、水戸藩は“水戸黄門”こと徳川光圀が編纂した『大日本史』によって、日本国は本来、「天皇」の国家であることを歴史的に証拠づけました。

このことが、本居宣長らによる江戸時代の「国学」の発揚と、幕末志士の「尊皇思想」につながっていくわけです。

水戸藩に生まれた慶喜は、一橋家の養子となったことから「一橋慶喜」と呼ばれます。

慶喜は、1868年正月の「鳥羽・伏見の戦い」において、仁和寺宮嘉彰親王を“征夷大将軍”とする長州ら新政府軍が、“錦の御旗”(天皇の旗)を掲げたために、“逆賊”(朝敵)になるのをおそれて、旧幕府軍をおいて真っ先に逃げ出したほどです。

約15,000人の旧幕府軍に、約5,000人の新政府軍が勝ったのも、幕府軍の多くが“錦の御旗”をみて戦意喪失したからです。

これによって同年、明治がはじまります。

逆に新政府軍、とくに長州藩は天皇を崇拝していたわけではありません。

慶喜や旧幕府軍が天皇には楯突けないことを見抜き、戦略上、急きょ“錦の御旗”なるものを製作して、天皇の権威を利用しつづけたというのが本当のところです。

これらを策謀したのは、朝廷で薩長側にいた公卿の岩倉具視(いわくら・ともみ)でした。

事実、幕末期の孝明天皇は、自分を利用するだけの長州を嫌っていました。
それゆえ、一説によると孝明天皇の急変による崩御は、長州藩による“暗殺”ではないかとさえいわれています。

“過激革命思想”の吉田松陰“松下村塾”があった長州ならやりかねません。

ですが、薩長ら明治新政府は、「鳥羽・伏見の戦い」で“天皇”の利用価値を実感すると、若き”明治天皇”を新政府の権威づけに利用するために推戴し、まだ天皇が若かったとはいえ、当初、明治天皇に発言権も実権も与えませんでした。

しかし、“立場は人をつくる”というと畏れ多いのですが、日本の近代化の成功とともに、日清・日露戦争の勝利もあって、明治天皇は世界から畏敬される偉大な天皇になっていきます。





「火星大接近」と占星学
2018.07.12
今月7月はじめあたりから「火星大接近」をWEBニュースなどでみかけるようになりました。
もっとも、新聞やテレビがどれくらいとりあげているのかは存じ上げません。

火星の地球への接近は、だいたい2年おきに発生しますが、今回のレベルでの「火星大接近」(俗称:スーパーマーズ)は、約15年ぶりで、2003年8月以来になります。

細かなデータで申し上げますと、2年前の2016年のときは、-2等級くらいの明るさで、視直径は18.6秒角でした。

それにくらべて15年前の2003年は、-2.9等級と火星では最大級の明るさで見え、視直径も25.1秒角になりました。

今年2018年の「火星大接近」は、近年ではそれにつぐ-2.8等級の明るさにせまり、視直径も24.3秒角とふだんよりかなり大きく見えます。

ご参考ながら、太陽系惑星の明るさを書いておきますと、金星が最も明るく、「-4.9 ~ -3.8等級」、中をとって-4.35等級くらいです。

次が木星で「-2.94 ~ -1.6等級」で、中をとって-2.27等級くらい。

火星は「-3 ~ 1.6等級」で、もっとも明暗の差が大きく、中をとれば-0.7等級くらいにしかなりませんが、火星と接近したときの「最大光度」で比較をすれば、金星についで2番めの明るさで光り輝く星になっています。

さて、これを占星学からみるとどうなるのでしょうか。

「満月」(スーパームーン)と同じ状態で、「スーパーマーズ」ほど“太陽と火星の衝(オポジション=180度)”のときになります。

惑星は太陽に近づいたり遠ざかったりしながら公転しています。
その度合い(軌道離心率)は、火星が「0.0934」と比較的大きく、より円形に近い公転をしている「0.0167」の軌道離心率をもつ地球に最も近づいた状態、すなわち太陽に近づいたときに地球が同位置にあるほど「火星大接近」になります。

要は、ジャストの衝(180度)に近いほど、火星も大きく明るく輝いて見えます。

今月7月31日の「火星大接近」は、太陽の獅子宮7~8度に対して、火星が水瓶宮3~2度の位置での大接近になります。

これがもしジャストの衝(180度)の位置であればそれが最大の「火星大接近」で、最大光度「-3.0等級」に光り輝いて見えます。
ですが、今後の数百年間では「-2.9等級」の明るさがベストです。

ちなみに、水瓶宮3~2度の火星というのは、空の「星座」でいえば、いて座よりの「やぎ座」になります。
占星学(術)のサイン(宮)と空の星座は異なりますのでお間違えなく。

ちなみに、7月31日が「火星大接近」の日だからといって、当日に急激に大きくなるわけではありません。
それはデータ上のお話で、7月12日の現時点でも太陽と火星の衝(180度)に20度差しかありませんので、ほぼ「火星大接近」と同じ大きさで見ることができます。

むしろ、雲がないことはもちろん、どれくらい大気が澄んでいる夜かのほうが見え方に影響します。
また、新月のときがよく見えるのですが、残念ながら月は隣のサイン(宮)の魚宮で、3日ほど前に満月を迎えたばかりです。

明日13日は新月なので、火星だけをみるならこの前後はおすすめです。

また、27日のほぼ満月の「月と火星の共演」も“白”と“赤”で乙(おつ)かもしれません。

現在でも、火星はほぼ太陽と正反対の位置にありますので、日没あたりに東の地平線上に昇りはじめ、真夜中に南中点(より天頂に近い位置)で赤く輝く星をみつけたらそれが火星です。

札幌よりも東京、東京よりも九州や沖縄のほうが高い位置に見えます。

「火星大接近」の7月31日夜9時頃の場合、見え方としては、下図よりも少し上あたりに見えることになります。


※ 画像は「国立天文台天文情報センター」より引用。




「縄文芸術」はすごい!
2018.07.10
現在、東京国立博物館で「縄文特別展―1万年の美の鼓動」が開かれています。

そこには、日本各地から、といっても関東甲信越以北の都道府県からが多いのですが、縄文時代の国宝6点が初めて一堂に展示されるなど、縄文時代の土器など200点以上が展示されています。

うち33点ほどは、同時期の古代オリエントなど海外の土器もあって、「美の競演」と題して参考展示されています。

縄文土器で有名なのは、国宝に指定されている縄文中期の「火焔型土器」や、宇宙人に似たかたちで知られる重要文化財の縄文晩期の「遮光器土偶」などがあります。

縄文中期というのは、およそ紀元前20世紀~30世紀にあたりますが、この時代の日本列島で“遊び心”にあふれた数々の土器が出土していることの意味は、縄文人の生活には、当時から余裕があったことのあらわれです。

多分、学者は“祭祀”などに結びつけて解釈するかもしれませんが、そうではなく縄文時代の「食生活の豊かさ」ゆえに花開いた“芸術”です。

なぜなら、占星学からいえば日本の民族性は“芸術”や“精神性”にかかわる「魚宮」で象わされるためです。
また、実際にも、そういった生活に余裕がないと、文化や芸術は花開かないためです。

ここでは、展示品の中から、ごく一部ですが、“縄文芸術”と呼べる生活作品をご紹介いたします。

●国宝 「縄文のビーナス」

長野県で出土。縄文中期「紀元前20~30世紀」のもの。なかなか描けないフォルム。


●国宝 「合掌土偶」

青森県で出土。縄文後期「紀元前15世紀頃」。縄文後期となると、なかなかにデティールがすごい。


●重要文化財「人形装飾付有孔鍔付土器 」

山梨県で出土。縄文中期「紀元前20~30世紀」。ユーモアあふれる人形をなぜつけた?


●重要文化財「猪形土製品」

青森県で出土。縄文後期「紀元前10~20世紀」。愛らしい。愛称は「いのっち」だとか。複数出土。


●重要文化財「縄文ポシェット」

青森の三内丸山遺跡で出土。縄文中期「紀元前20~30世紀」。これは有名。素材はヒノキ科の樹皮。


●重要文化財「土製耳飾」

東京都で出土。縄文晩期「紀元前4~10世紀」。9.8cm 75g のイヤリング。さすが東京オシャ。


●「深鉢形土器」

長野県で出土。縄文中期「紀元前10~20世紀」。こんな複雑な模様とカタチにする必要ある?


※ ちなみに「縄文特別展」の開催期間は、2018年7月3日~9月2日。
※ 休館日もあります。当日入館料は1,600円のはず。






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