南北首脳会談のリーディング
2018.04.28
昨日4月27日、軍事境界線の板門店で「南北首脳会談」が行なわれました。

多分、いろいろとニュースで流されていると存じます。
それはそれとして、ここでは、宝瓶宮占星学の「新・ホラリー占星学」から、どのような“意図”があるのか、リーディングをしてみました。

昨日の今日ゆえ、ホロスコープは制作していません。
なので、出力データをみてリーディングをしましたので、ホロスコープの掲載は省略させていただきます。
ちなみにデータは、2018年4月27日、会談がはじまった午前10時17分、東経126.67E、北緯37.95Nです。

会談をもちかけた側を象わすASC(Ascendant アセンダント=上昇点)は、蟹宮18度、相手側を象わすDES(Descendant ディセンダント=下降点)は山羊宮18度で、DES(下降点)には、山羊宮21度の火星と同じく21度の冥王星が合(コンジャンクション=0度)です。

金正恩は山羊宮生まれ(太陽)ですし、「核ミサイル開発」は火星と冥王星によって象わされますので、今回の会談は、まちがいなく南の文在寅側がもちかけて、北の金正恩が応じたものです。

では、文在寅の“意図”はなんでしょうか。
ホラリー・ホロスコープからのリーディングです。

ASC(上昇点)に衝(オポジション=180度)の火星&冥王星が象わす「核ミサイル」をもちろん視野にしています。
それだけではなく、IC(Imum Coeli イムン・コエリ=天底:北中点)には、ASC(上昇点)の共鳴星の月が合(0度)で、金星が上三分(120度)であることから、文在寅の想いがみえてきます。

その動機は、まず「人気とり」です。
同時に、北への「家族意識」(同胞意識)によることが象わされています。

また、主催側を象わすASC(上昇点)に、「夢」や「理想」また「幻想」や「善意」を象わす海王星が上三分(アッパー・トライン=120度)、また「気分」や「楽観的」などを象わす木星が下三分(ロウアー・トライン=120度)で、ASC(上昇点)とともに大三角(グランド・トライン=120度×3)を形成しています。

西洋占星術であれば、“大吉座相”と解釈しそうですが、残念ながら、悪意や悪だくみはないものの、まったく現実に根づかない「夢」をみての「南北首脳会談」の提案だったことがわかります。

ASC(上昇点)を頂点とする、この大三角(120度×3)が、火星と冥王星の合(0度)を尻尾とするトライン・カイト(60・60・120・120)を形成している意味は、「核ミサイル開発」を意識のひとつとし、南が北の核ミサイルを「共有」することもふくめて、見果てぬ「夢」を描いていることを象わしてます。

では、会談をもちかけられた側の金正恩はどうでしょうか。

DES(下降点)の共鳴星の土星は、山羊宮で第6ハウス(室)に位置し、牡羊宮で第10ハウス(室)の水星を下方矩(ロウアー・スクエア=90度)としています。
さらに、牡牛宮の太陽を下三分(120度)としています。

この太陽は、獅子宮のケレス&ドラゴン・ヘッドの合(0度)と、水瓶宮のドラゴン・テールとの衝(オポジション=180度)に軸となって、T矩(Tスクエア=90・90・180)を形成しています。

今回のホロスコープのなかで、唯一、矩(スクエア=90度)に絡んでいるのが、この水星と太陽です。

そこからみえてくることは、水瓶宮生まれ(太陽)の文在寅と、金正恩との思惑は、まったく一致していません。

現実がみえず、理想にはしる文在寅は、誰よりも周囲の現実を見抜けるディレクションを現在受けている金正恩に、完全に利用され、金正恩は乗っかったフリをして、文在寅を手のひらのうえで転がしています。

結局、土星が下三分(120度)とする牡牛宮の太陽が象わすのは、金正恩は自らの安全(生き残り)を意図して計略をはかっているだけで、文在寅の想いとはまったく別の思惑で今回の「南北首脳会談」に望んでいるということです。

そういった点では、“呉越同舟”ながらも、一方的に利用されている“フェイク会談”でしかありません。

ただ、金正恩が生き残ろうとしているのは事実なので、文在寅は関係ありませんが、そこを突けば、トランプ米大統領は有利に米朝会談をすすめることができます。




宝満山と宝満宮竈門神社
2018.04.25
日本には「霊山」とされる山が案外とあります。

「日本三霊山」や「日本三大霊山」などは、その代表とされる山々です。
ですが、「鳥海山」と「富士山」に続いて、わずか5年前の平成25年に3番めに国の史跡に指定された山があります。

鳥海山は、標高2,236メートル。
山形県と秋田県の県境に位置し、山すそがそのまま日本海に望み、逆三角形の富士山に似た山容をほこります。
ちなみに、過去に2~3年間ほど山形県内を回ったとき、酒田市など庄内地方からよく眺めた懐かしい山です。

富士山は、標高3,776メートル。
日本の最高峰として知らない人はなく、ご紹介の必要はありません。

一方、宝満山は、標高829メートル。
福岡県太宰府市と筑紫野市にまたがり、見る角度によっては「かまど」を伏せたような山容をしています。

地元民でないと、知らない人が多いと存じますが、山そのものが山岳信仰の遺跡となっている3例めとして「国の史跡」に指定された霊山です。

太宰府市は、大和政権が大陸につうじる出先機関として「大宰府政庁」を置いた場所で、宝満山のすぐふもとには、学問の神として知られる菅原道真を祀った「太宰府天満宮」があります。

この宝満山は「御笠山」また「竈門山」ともいわれ、北に流れるゆるやかな御笠川を下れば、そのまま「奴国」(なこく)があった福岡平野から博多湾に出ます。

一方、南に流れるゆるやかな宝満川を下れば、筑後平野で筑後川に合流し、そのまま有明海に出ることができる古代の水運が主流だった時代に、“要衝の地”だったのがこの宝満山界隈でした。
そういったこともあって、奈辺に「太宰府政庁」がおかれたわけです。

実は、もっと深いお話もあるのですが、ここでは書けません。

それはともかく、宝満山に「宝満宮 竈門神社」(ほうまんぐう かまど じんじゃ)があります。

今は、山腹にあった「中宮」がなくなり、山頂の「上宮」とふもとの「下宮」の2つですが、新緑の季節に美しく整備された「下宮」の竈門神社に、“ごあいさつ”がてら参拝してきました。

上宮は、またの機会に、いつか登って参拝する予定ですが、下宮では、神社のご祭神や由緒が書かれた案内板を見つけることができませんでした。

ネットでは、主祭神は「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)とされ、相殿神は「神功皇后」と「応神天皇」とされていますが、こちらはのちに合祀された神です。

と、書けるのは、ここまでです。

今月4月4日にアップした「二見ヶ浦と桜井大神宮」がある、かつての“伊都国”(いとこく)の地もそうですが、今回の「宝満山と宝満宮竈門神社」の地も同じように、ときが来るまでは、暴いてはいけない“秘密”とされたものがある歴史的な場所になっていることを理解しました。

下の画像は、ご祭神や由来の案内板が見当たらなかった「竈門神社」の下宮(拝殿)です。
正式には、ほかの竈門神社と区別するために、「宝満宮 竈門神社」と称されています。






“グルメバブル”に踊る-2
2018.04.24
よく知られたところで、「グルメ」(美食家=gourmet)といえば、北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)があげられます。

美食のために器にも凝りだし、陶芸家や画家としても知られ、高い評価をえています。

もっとも、食べものには、さほどこだわらない立場からすれば、ただの“食いしんぼ”のオジサンにしかみえません。

その「魯山人」をモデルにした“海原雄山”が登場する漫画が、いまや“グルメバブル”(グルメブーム)の先駆けともいえる、“究極”対“至高”の料理対決を描いた、不定期連載の漫画「美味しんぼ」です。

「のりこえねっと」共同代表に名をつらねる原作者・雁屋哲こと戸塚哲也氏の“思想”があらわれた「福島第一原発事故」の回が問題になったことは記憶に新しいところです。

それはともかく、北大路魯山人で思い出すのは、個人的な体験ですが、あるとき編集部員たちと一緒に編集会議を兼ねて、“しゃぶしゃぶ”を食べに行ったときのことです。

フェミニストの優秀な女性部員の一人が、「日本人は肉の食べ方を知らない」と魯山人が言っているといった旨の発言をしました。

どうやら、“しゃぶしゃぶ”は、いちばん美味しい肉の脂を落とす、といったことのようです。

一理はありますが、肉によりけりです。

まあ、人それぞれに好きずきでいいですし、昨今の飼育された食肉の場合、適度にシャブシャブしたほうがよかったりします。
個人的には、ふだんは、“こってり系”よりも、“さっぱり系”が好みといった理由もあるからです。

知人に、しばらく海外に赴任していた人がいて、そのとき、血のしたたるような生肉にハマり、食べ続けた結果、ぶくぶくと太ったというお話を聞いたことがあります。

当然です。

人間でも体脂肪率は、個人差はありますが、20%前後はふつうです。

まして、野生の動物はともかく、「食肉」にするために、あえて太らされた家畜の体脂肪率は、かなり高いのが一般的なはずなので、それを、脂身の部分はさけるとしても、さほど火をとおさずに食べ続ければ、太るのは当然の結果です。

なので、そういった「食肉」を食べる場合、金網で焼いて少々脂をおとす焼肉や、相応に出汁を効かせたお湯にくくらせて、適度に余分な脂をおとす“しゃぶしゃぶ”のほうが、レアで食べるよりも個人的には好みだというだけです。

もちろん、A5ランクなどのランク付けは、さほど関係ありませんが、脂の美味しい上質な肉の表面をさっと焼いただけで食べるのも、“こってり系”を体が欲しているときなど、ほんとうに食べたいときには、美味しかったりします。

そういうこともあって、もはや日本人といえども、1883年(明治16年)生まれの「魯山人」が生きた、明治時代や大正時代(昭和34年没)など、肉が高級品であまり口にすることがなかった時代とは異なります。

日本は、1955年(昭和30年)から高度経済成長期に突入し、1980年代後半(昭和55年頃以降)のバブル景気を経たのちの昨今、「日本人は肉の食べ方を知らない」と語った魯山人の言葉は、もはやアナクロニズム(時代錯誤)でしかありません。

まして、1989年(平成元年)の「宝瓶宮時代のビッグバン」によって、占星学の時代区分でいえば「宝瓶宮時代」が人知れず正式にはじまったのです。

以降、ちまたにあふれる「肉」の食べ方など、“グルメバブリー”な「うんちく」によらず、個人の考えや好み、またご判断でご自由にされたらいいというお話でした。




“グルメバブル”に踊る-1
2018.04.22
テレビやネットをみても、“グルメバブル”の時代です。

つまりウソかホントかわからない。

海王星が魚宮をトランシット中なので、民族性が“魚宮”の日本では現在、仮想通貨をはじめ、“バブリー”な側面がそこかしこにみられます。

“グルメバブル”もそうで、顕著な一例は、食べもしないのに“インスタ映え”といって、撮影だけするといったこと。

“見栄え”や“サプライズ”だけで、「食」をチョイスしてインスタグラムにのせ「味」よりも“いいね”の数をきそっているなら、まちがいなく“バブル”です。

また、“世界の○○”と呼ばれる芸能人のように、美味しいかどうかはともかく、“うんちく”をのべて番組を盛り上げるというのも、視聴者は想像するしかなく、実態がない以上、これも“バブル”です。

よく聞くのは、ミシュランで星をもらった店に行って食べたけど、「?」ってお話。

ミシュランはともかく、テレビで紹介されていたお店に行って食べたけどおいしくはなかった。
行列のできている店に並んで、期待して食べたけれど、ふだん行っている店のほうが口にあって美味しい。
ネットで高評価がついていたので行ったけど、当たりはずれが大きい。

テレビの「グルメ番組」や「コーナー」は、基本、番組を盛り上げ視聴率を稼ぐための善意の“ウソ”がみられますし、ネットでの「星」の数や評価は、店側や制作側が仕込んだ“サクラ”ってことが話題になったりもしました。

そんなこんなで、“孤独のグルメ”ではありませんが、本質的にいえば「食は個人のもの」なので、自分が“美味しい”と思えればいい。

もっといえば、お料理もさることながら、お店の雰囲気、つまりインテリアやロケーション、さらには店員の接客やサービスが、“美味しい”と感じる心理に影響しています。

例外はあるとしても、“インスタ映え”にこだわる商品を提供するお店には、当然、味やサービスよりも“見映え”にこだわる客筋がつき、飽きられて終わりですし、チェーン店などに多いのですが、“食べさせればいい”(利が上ればいい)系のお店には、不味くなく食べれればいいといったお客がつきます。

それが悪いといっているのではなく、お腹がふくれれば御の字ですし、生きる栄養になればいいので、それもご自由です。

繰り返しますが、食は個人のものなので、いずれのかたちでも、自分が“満足”すればいいのです。

なぜなら、最高の調味料は“空腹”だといいます。

ほんとうにお腹がすいていれば、なんでも美味しく食べられるからです。
逆に、“美食”を続けすぎると、だんだん美味しく感じられなくなってきて、かえって“不幸”だったりします。

生理的にみれば、自分に足りず、体が欲しているものを食べたときが、いちばん「美味しい」と感じられることが多いのです。

なので、ほんとうの“グルメ”は、お店やお料理よりも、自分(の体調)にあったりします。



“目を疑った”沖縄の事実
2018.04.19
いくぶん、古いお話になり恐縮です。

YOUTUBEで、たまたまある動画をみていて、「“目を疑う”とはこのことか」と思う出来事がありました。
意図的にタグったのではなく、流れでクリックした動画です。

そこには、ある抗議集団が役所の人々に、あからさまに“暴力”をふるっている場面がうつされていました。
目を疑ったのは、その“暴力”もさることながら、周囲が止めることもなく、えんえんと集団側の“暴力”が繰り返され、一方の被害者側はまったくの無抵抗をつらぬいていたことです。

法的には、髪の毛1本引き抜いても「暴力」になります。
まして、荒々しい言葉の暴力を浴びせつづけ、ブン殴りこそはしないものの、胸ぐらをつかむ、押したおす、帽子やマスクをむしりとる、メガネを外そうとする、といった、まさに“傍若無人”なのです。

“暴力”の理由は、第一に「顔写真」を撮るためで、第二にそれをもって会社や肩書きまた住所や電話番号など身元を特定し、仲間内で徹底的に嫌がらせをするためです。

そんな“暴力”行為を地元の人たちがなぜ止めないのかというと、地元の人たちの身元はすでにわれていますので、下手に手出しをすると、家族に“脅迫”などの害がおよぶためです。

それゆえ、この集団に対しては、他県から機動隊が派遣されています。
もっとも、この「沖縄・高江のヘリパッド建設工事」への抗議集団のなかにも、沖縄ではなく金銭をもらって他県から抗議活動に参加している人も多いようです。

あとで知ったのですが、動画元は、「THE FACT」という、どうやら「幸福の科学」のチャンネルで、“マスコミが報じない「事実」を世界に伝えるネット・オピニオン番組”とうたわれていました。

THE FACT側が、まさに白昼堂々と“暴力”が行なわれている現場を撮影しながらも、抗議集団からとがめられないのは、“仲間”になりきっているか、抗議集団のメンバーを“カメラマン”に仕立てていたのか、なにか理由がありそうです。

実は、たまたまこの動画を視聴した直後に、当時、TOKYO MX の番組だった例の「ニュース女子」の放送をみました。

なので、「ニュース女子」がとりあげた沖縄リポートの内容は、「そのとおりだ」と、すんなりと納得できました。

一方、ものの見事に“違法”な抗議活動を暴露された抗議団体の親玉グループや関係者は、「番組が報じた事実関係が間違っている」「沖縄に対する誤解や偏見をあおる」など、確信犯なので、逆に「ニュース女子」を厚顔無恥にも問題視したわけです。

これに朝日や毎日や東京新聞などの“シンパ”、いわゆる反日マスコミがセンセーショナルに、“事実を捻じ曲げた”報道をこれでもかと流し続けて国民をあざむき、“彼ら”は「ニュース女子」をBPO(放送倫理番組向上機構)に申し立てたわけです。

このBPOなる組織自体が、公式(客観的)な立場ではなく、実は反日マスコミの“隠れ蓑”になってしまったので、「審議」入りとした“ニュース女子問題”は、結論ありきでしかありませんでした。

結局、TOKYO MX 側は、3月いっぱいで「番組打ち切り」を発表し、責任逃れをします。

実質の制作側でありスポンサーのDHCにとっては、それで痛くもかゆくもなく、逆に“宣伝”をしてもらったようなもので、1回も欠けることなく、引き続きネットや地上波・BSと放送網を増やして、4月からの放送を続けています。

結局、TOKYO MX は、“気概”のなさをみせただけで、最大のスポンサーを失いました。





“不可解”なセクハラ疑惑
2018.04.19
ネット・ニュースで話題の「福田淳一 財務省事務次官のセクハラ疑惑」。

(結論は変わりませんが、内容の一部にミスがありましたので削除します)


【後記】 2018.04.20
ちなみに、ことのてんまつは次のとおりです。

朝日の“名うて”(札付き)の女性記者が、俗にいう“ハニートラップ”まがいのいつもの取材方法で、福田次官にインタビューを行ないます。

福田次官は、そうとは知らず、脇の甘さを露呈し、“セクハラ”にあたる言葉を、半分冗談、半分本気、つまり下心をのぞかせて語り、マスケにも乗せられてしまいます。

この会話を、“功名心”にはやる朝日の女性記者は、こっそり録音していました。

それを本社に戻ってスクープ記事にしようとします。

ところが、朝日の上司は「それはマズイ」と掲載を拒否、ボツにしてしまいます。

なぜなら、財務官僚を貶める記事を最初に自ら報道すると、陰に陽に役人からペーパー(情報)をもらえなくなるために、今後の報道に差し支えるためです。

それゆえ、自社の女子記者に対するいわゆる“セクハラ被害”をいんぺいしようとします。

女性記者は、それを他社に売るという記者モラル(情報源の秘匿)のない行動をとり、まんまと“スクープ”にしてもらったというお話なのです。

ウワサではかなりの金額で買ってもらったそうなので、まるでひとむかし前の“ゴロツキ記者”そのものです。

他社(新潮)の報道を知った朝日は、遅ればせながら“もう安心”だと、女性記者と福田次官のつくられた“セクハラ会話”を、急遽、昨日19日の朝の番組で読みあげて報道するという責任逃れをするわけです。

おおむね、こんなところが“セクハラ疑惑”のてんまつです。

いまだにセクハラやパワハラを行なう官僚のトップ「財務省」。
まがりなりにも“セクハラ被害”の社員を見捨てる大手マスコミの「テレビ朝日」。
“ハニートラップ”まがいの取材を平気で行なって恥じない朝日の「女性記者」。

いまどき企業では当たり前の“コンプライアンス”を守る倫理的な人物が、関係者のなかにいないことが、一般人からは、“不可解”なセクハラ疑惑にみえる理由です。


【追記】 2018.04.21
テレ朝側は、18日の福田次官の辞任表明を受け、これ幸いと“被害者ヅラ”して、19日午前0時に記者会見を開きました。

ネットや一般の出版社は入れず、厳しい追求を受けない仲間内の「新聞関係だけの馴れ合い会見」で、一部、“反省”の態度をとりつつも、世間に“セクハラ被害”をアピールしたわけです。

結局、真っ先に「財務省」を糾弾すべき側なのに、『新潮』の二番手で自らを守り、福田次官の辞任を受けて、もう何を言っても大丈夫と、仲間内だけで記者会見を開き“弁明”会見をしたかっこうで、“真相”を隠したいちばんの“ブラック企業”だといえます。






“常軌を逸する”星まわり
2018.04.18
たぶん、ご本人たちは気づいていないと思います。

4月に入るあたりから、どうにもこうにも、“常軌を逸する”ことになりやすい星まわりが続いています。

ふだんなら、さほどでもないのですが、ディレクションが重なって複合していますので、“現実化”しやすくなっているのです。

どれか一つの星や一つのアスペクトが、なにかディレクションをもたらしても、さほど全体的な影響は少なく、ごく一部の人にとどまったり、あんがいと自分自身でコントロールできたりします。

しかし、4月に入るあたりからは、昨年2017年末に続いて木星と海王星が、再び三分(トライン=120度)をとりはじめたために、顕著な事例でいえば、あることないこと“事実”かのように“信じ込んでしまう”ことが起こりやすくなっています。

もともと、海王星は、良し悪しともかく、“夢”やまだ見ぬ“理想”や“善意”、また“妄想”や“幻想”や“インスピレーション”といった、心の中の“想い”をわれ知らすとも事実かのように考えやすいはたらきを適時、もたらすことがあります。

2010年頃以降、そんな海王星の象意が出やすい“バブリー”な素地が昨今の時期はあるのですが、トランシットの木星が再び海王星に上三分(アッパー・トライン=120度)をとりはじめたために、いっそう輪をかけるかのように、安易に自分の中の妄想を、“事実”かのように思い込みやすくなっています。

先入観でもって、事実を深く検証することなく、“イージー”に決めつけていくために、事実無根のウソや風聞や批判がまかりとおり、ウソが氾濫し、信じ込みやすい昨今になっています。

アメリカ流にいえば、“フェイク・ニュース”です。
日本でいえば、重要な国会の場が、“ワイドショー化”していることなどが一例です。

一方、昨今は、ここ半月以上、心の奥の“情念”や激しい“情動”がわき起こり、それがたとえば恋愛や異性関係にむかいやすい時期にあります。

こちらは、もうそろそろ下火になるのですが、上述の木星と海王星の三分(120度)のバブリーなディレクションと相乗効果をもたらして、良し悪しはともかく、めでたくも「ご結婚」や不倫をはじめとした「異性スキャンダル」としてあらわれやすい時期にあります。

このディレクションの最初のほうは、真面目に愛をはぐくんできたカップルが、ようやく結婚にいたるはたらきをもたらしたのですが、後半の現在は、むしろ衝動的な異性関係として常軌を逸するかたちで出やすくなっています。

あえて分類すればそういうことで、いずれにしても蠍宮の「木星」と魚宮の「海王星」の三分(120度)は、どちらかというと、冷静な知性にもとづいた考えや判断よりも、自分自身の主観的な“情”にもとづいて、“正しい”と思い込み、自信をもってどこか“勘違い”した発言をしやすくなります。

よって、“事実誤認”や“フェイクニュース”まがいの主張を、思い込みによって“断言”してしまうことが多くみられるようになりますので、冷静なご判断が必要な時期です。

後者の恋愛や結婚など異性への情動としてはたらくディレクションは、今週中にも一段落します。

ですが、木星と海王星の三分(120度)は、今年9月ごろまで続きますので、そのかん、ほかの「星のディレクション」と複合して、いつでも“勘違い”や“事実誤認”を招来しやすい、地に足が着かない“バブリー”な現実錯誤の出来事を起こりやすくしています。

他人はともかく、自分自身がそうならないように気をつけたいところです。





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