瀬織津姫の実像
2023.02.23
[隠匿] ― 最初の国づくりを支えた姫神 ―


なぜ瀬織津姫は『日本書紀』から隠されたのか



正体不明ゆえにスピリチュアル界隈でもアレコレと取り沙汰されています。

直観や霊視などの主観は、ご自由なのでかまいません。

ですが、古代に実在したナゾの神「瀬織津姫」(せおりつひめ)とは?

『古事記』や『日本書紀』には登場しませんが、神道の「大祓詞」に登場し、また日本最古の歴史書で偽書の「ホツマツタヱ」に記され、『倭姫命世記』に補記されています。

天皇誕生日記念「伊勢神宮と倭大国魂神社」の補足記事です。



≪天照大神と瀬織津姫≫

記事をアップした翌日、なぜか「瀬織津姫」に関するコンテンツにアクセスしました。

なんで? と思いつつみていくと、伊勢に祀られる天照大神との関連に気づきました。

「これゆえか!」と思いました。

伊勢に祀られている歴史上に実在した天照大神について「伊勢神宮と倭大国魂神社」で取り上げたからでしょう。

『日本書紀』に記される“神話上”の「天照大神」のお話ではありません。

そういえば、かつて伊勢神宮を訪れたとき次のようなことがありました。


【One Point】 当サイトで以前、ナゾの神「瀬織津姫」の正体に触れたことがあります。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の祓ぎはらいによって最初に生まれた「八十枉津日神」(やそ まがつひ の かみ)として『日本書紀』に出てきます。

「禍いの神」ゆえ、忌避されるよう仕向けられていたのです。



≪荒祭宮と多賀宮≫



伊勢神宮は、ご存じのように天照大神を祀る内宮と豊受大神を祀る下宮とがあります。

下宮の別宮(わけのみや)「多賀宮」(たかのみや)をご参拝したときです。

個人的には何も感じませんでしたが「剣」と「巻物」を授けられたと言われたのです。

もちろん実際の剣や巻物ではありません。

ですが、これは“真実を見出して明らかにする”といったような意味が認められます。

それはともかく、下宮の「多賀宮」にも内宮の「荒祭宮」にも鳥居がありません。

さらに多賀宮は、外宮のご祭神豊受大神を祀る本殿よりも小高い丘の上に位置している特別な別宮になっていました。

なぜかといえば、内宮の荒祭宮に祀っていた八十枉津日神を天照大神の荒魂とし、下宮を造営した際に本来のご祭神を多賀宮に遷したからのようです。


【One Point】 鳥居がないということは、重要な意味を持ちます。

内宮全体または下宮全体の鳥居が対応し、内宮や下宮のご祭神と同等ということになります。

それゆえ、荒祭宮も多賀宮も第一別宮に位置づけられており、天照大神や豊受大神と同格のお立場を意味することになります。




≪『日本書紀』の作為≫

伊勢神宮が今日のように立派にご造営される前、歴史上の天照大神と瀬織津姫は小さな祠に祀られていました。

それが第40代天武天皇のご発意を受け、后の第41代持統天皇によって立派に造営されたとき「御正宮」に天照大神をお祀りし、背後の第一別宮「荒祭宮」に瀬織津姫を分祀されたようです。

ただし、直後に編纂された『日本書紀』にとっては不都合でした。

なぜなら、持統天皇を「天照大神」になぞらえ、孫の第42代文武天皇を天照大神の孫=天孫降臨の瓊瓊杵尊になぞらえることで、女帝から孫への皇位継承の正当性の根拠とする意図があったからです。

つまるところ「万世一系」の定着です。

そのため、天照大神を“女性神”と解釈できるようにしたほうが説得力が増しスムーズです。

そういった事由がありまして、後年、下宮の造営に際して『日本書紀』の影響もあって荒祭宮の瀬織津姫をご遷座することによって、隠匿が図られました。

結果、荒祭宮のご祭神は現在、天照大御神の荒御魂(あらみたま)とされています。


【One Point】 最初に国づくりを行なった天孫の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)こと伊勢の天照大神と瀬織津姫は、御正宮とそのすぐ背後の荒祭宮にそれぞれ祀られていたことから、ご夫婦だったといえます。



【ご参考:宮崎県「速川神社」のご由緒】

宮崎県の西都市に速川神社があります。

ご祭神は、祓戸大神こと瀬織津姫です。

伝承によれば、天照大神の命を受け瀬織津姫が瓊瓊杵尊に伴なって、南下し当地を訪れた際に、速川の瀬で急流に足を取られて亡くなります。

その際に、瓊瓊杵尊が小さな祠を建立して御霊を鎮めたのがはじまりとされます。

速川神社自体の創建は、つまびらかではありません。



≪「アワの歌」が記される≫

神話上の「天照大神」ではなく、実在の天照大神こと饒速日命と瀬織津姫がご夫婦と推理できたところ、なんとその記録が残されていることが分かりました。

日本最古の歴史書とされる一方で、偽書とされる「ホツマツタヱ」です。

そこにはアマテル神と呼ばれる天照大神は男神で、12人の妻を持ち、瀬織津姫は正妻だと書かれているというのです。

ホツマツタヱが記される原文の古代文字を、現代の約50音にそのまま当てはめて読めるとはとうてい思えません。

もし、そのまま一音一音読めるなら、逆に相応の時代になってつくられた偽書ということが確実になります。

さらには、七五調の「アワの歌」と呼ばれる現代に通じる48音で構成された歌が掲載されているそうです。

これに及んでは、勝者の歴史書『日本書紀』に反発して、国譲りをさせられた側すなわち最初に国づくりをした神々を出自とする海人側またあわ四国側の人物による後世の歴史書です


【One Point】 『日本書紀』もそうですが、歴史は勝者の視点から記されます。

敗者の海人側また四国側が自分たちの歴史を世に知らしめようと残したものが「ホツマツタヱ」でしょう。

一面の事実はあっても、全体的な視点に欠けるために全部が正しいとするのは間違いです。




≪倭姫命世紀と瀬織津姫≫

『日本書紀』や「ホツマツタヱ」の記述はともかく、実際に伊勢の地に祀られていたのは、丹後や尾張に拠点を置いた海人族の祖であり、最初に国づくりを行なった天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(饒速日命)です。

実在の天照大神になります。

「神武天皇紀」からも分かるように、国譲りをした饒速日命は同じ天孫系です。

その饒速日命の妻が瀬織津姫で、通称天照大神と一緒に伊勢に祀らたものの、後年、秘匿されて“ナゾの神”と言われるようになったものです。

鎌倉時代の中期に編纂された『倭姫世紀』(やまとひめ の せいき)には、次のような記述があります。

◇荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕
一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。【別宮・荒祭宮】

つまり「荒祭宮」のご祭神は、八十枉津日神で、またの名を瀬織津姫といい、そのご神体は鏡だと記されています。


【One Point】 直観や霊視などでなく、また偽書とされる「ホツマツタヱ」に記されているからでもなく、歴史的な事実と記録とをプロファイリングして検証した結果です。

上述のように、最初に国づくりを行なった海人族の祖「饒速日命」(天照大神)の正妻が瀬織津姫ということになります。









伊勢神宮と倭大国魂神社
2023.02.21
[天皇誕生日記念] ― 驚愕の大どんでん返しが起きた ―


天照大神も倭大国魂神も皇祖ではなかったが…



双魚宮時代の末期は「海王星」の象意“誤認”や“欺瞞”などに基づいて、驚くほど多くの誤解や勘違いが発生しています。

“〇〇で当然”と思われているケースが多いのですが、ここでは「伊勢神宮」と「倭大国魂神社」を取り上げてみます。

明治天皇のご裁可によって、皇祖神は「天照大神」(あまてらす おおみかみ)と定められました。

ですが『日本書紀』が720年に奏上されて以降、庶民は異なりますが、天照大神は幕末まで歴代天皇からはむしろ疎んじられ忌避されていました。

歴史的な事実はそういうことで、皇祖神ではないものの、日本の「祖神」といえるご存在です。



≪皇祖でなかった天照大神≫

皇祖神は、天照大神ではありませんでした。

『日本書紀』神代(下巻)の冒頭に「皇祖の高皇産霊尊(たかみ むすひ の みこと)は…」とハッキリと書かれています。

『日本書紀』によると、高皇産霊尊の娘と、天照大神の子の天忍穂耳尊(あめ の おしほみみ の みこと)が結婚し、天孫降臨された「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)が誕生します。

後年、皇祖の親戚となりましたが、もともとは別の系統です。

また、天照大神は「女性神」のように思われていて卑弥呼と同一視されることがありますが、「LGBT」でもなくれっきとした男性神です。


【One Point】 『日本書紀』が、なぜ「女性神」とも解釈できるように記述したのかというと、編纂当時の第41代持統天皇(高天原広野姫天皇)から、孫の文武天皇(天之真宗豊祖父天皇)への皇位継承によって万世一系を確立させるためです。



【ご参考:『日本書紀』がつくった中性神「天照大神」】

『日本書紀』は、なぜ「天照大神」を女性神と読めるようにしたのでしょうか。

ポイントは次のとおりです。

「天照大神」→孫の「瓊瓊杵尊」の天孫降臨による天皇家の正当性。

「持統天皇」→孫の「文武天皇」への皇位継承による万世一系の正当性。

女性の持統天皇を「天照大神」になぞらえ、孫の文武天皇への皇位継承をスムーズに行なうことで、念願の万世一系の定着を図るためです。

両天皇の和風諡号(しごう)をみれば明らかです。

もう一つは、卑弥呼(大日「霝の下に女」貴)をはじめ、素戔嗚尊との誓約(うけい)や各地の豪族の祖神を神話上の「天照大神」に習合させて、日本を一つにまとめるためです。



≪伊勢を遥拝した天武天皇≫



天照大神が皇祖神ではなかったもう一つの理由をご説明いたします。

大和の支配をかけた古代最大の戦い「壬申の乱」(じんしんのらん:672年)に際し、のちの天武天皇(天渟中原瀛真人天皇)こと大海人皇子(おおあま の おうじ)は、隠棲先の吉野から東国へ向かう途中、伊勢を遥拝します。

当時の伊勢は小さな祠がある程度にすぎません。

「壬申の乱」に勝利した天武天皇の発意によって、后の持統天皇が今日のように立派な伊勢神宮に造りかえ、式年遷宮まで行なうようにしたものです。

ところが、歴代天皇は立派になった伊勢神宮を以後、誰一人としてご親拝していないのです。

天照大神が皇祖神であれば、ありえないお話です。

明治になって初めて明治天皇が伊勢神宮をご親拝されました。


【One Point】 歴代天皇が盛んに熊野詣をした記録はあっても、伊勢を訪れなかった主な理由は、次の2つです。

1つは天照大神が皇祖神ではなかったこと。

もう1つは、神仏習合によって天皇は「院号」を名のるなど、神道よりも仏教に帰依していたからです。




≪実在の天照大神とは≫

では、歴史的な実在の天照大神とはどなたなのでしょうか。

最初に国づくりを行ない、『日本書紀』の記述では初代「神武天皇」に国譲りをし、実際的には実質上の初代である第10代「崇神天皇」(御間城入彦五十瓊殖天皇)に国譲りをされた天孫系の祖です。

『日本書紀』神代(上巻)をみてみましょう。

伊弉諾尊(いざなぎ の みこと)が、黄泉の国に葬られた伊弉冉尊(いざなみ の みこと)のもとから帰ってきて、祓(みそ)ぎはらいをされて左目を洗ったときに生まれたのが「天照大神」とされています。

それに先駆けて、伊弉諾尊と伊弉冉尊が最初に国生みをしたときに、天下の君たるものとして生んだ“日の神”が「大日靈貴」(おおひるめ の むち:「靈」の巫の部分は女)です。

のちに高天原に送り上げられたり、「一書に天照大神という」とも記されていることなどから「天照大神」と混同されていますが、その正体は、通称「魏志倭人伝」に記される卑弥呼(ひみこ)です。

神話上の「天照大神」は中性神ですが、歴史上の天照大神は男性で、卑弥呼は女性なのでまったくの別人です。


【One Point】 伊勢に祀られていた天照大神は、最初に国づくりを行なって大和を治めていた天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あまのほのあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と申し上げます。




≪大洋航海祈願の原伊勢≫

天武天皇こと大海人皇子は、伊勢に海人族の祖が祀られていることを知っていました。

尾張に拠点を構えていた海人族とのつながりが深いためで、伊勢湾の入り口に祖神を祀って大洋航海に際し、当時は小さな祠だった“原伊勢”に安全を祈願していたのでしょう。

最初に国づくりをし、かつて大和を治めていたので、大和の支配権をかけた「壬申の乱」に際して、大海人皇子は伊勢を遥拝しました。

結局、『日本書紀』においては高皇産霊尊が「皇祖」と記され、歴史的には国譲りを行なった敵対側の天照大神だったことから、歴代天皇が伊勢をご親拝することはありませんでした。

一方、庶民は、古代の国づくりにおいて、最初に国を治めた主という意味をもつ“大国主”こと別称:天照大神が、病気の治療を含めて、いろいろと教え助けてくれた祖神でもあるために、何気に感じていたようでお伊勢参りを行なっています。

ちなみに、『日本書紀』に記される「天照大神」というのは、当時の国家分裂と他国からの侵攻の可能性という危機的な国情から、天皇のもとに臣民一体の挙国一致体制を図り、統一独立国家「大和」を建国するために、全豪族らが崇拝できる象徴となる習合神です。


【One Point】 『日本書紀』は、古代の歴史書であると同時にプロパガンダ(政治宣伝)の書です。

編纂に際して、レトリックを駆使して万世一系を確立させたカゲの編者:藤原不比等は天才ですが、藤原本家を古来から天皇家とともにある由緒ある家柄として描いています。




≪四国の倭大国魂神社≫



初代神武天皇と並んで、「御肇国天皇」(初めて国を治めた天皇)と記される第10代「崇神天皇」がいらっしゃいます。

その天皇紀に不思議な記述があります。

宮殿に祀っていた「天照大神」と「倭大国魂神」(やまと おおくにたま の かみ)の神威に不安を覚え、ほかに移すことにしたというのです。

倭大国魂神は、いわゆる最初に国々をまとめられた各地の大国主(大国魂)のトップともいえるお方です。

天照大神も倭大国魂神も天皇家ゆかりであれば、その「ご神威」を喜びこそすれ、不安を覚える必要はないはずです。

真相は、崇神天皇の御世に事実上の“国譲り”が行なわれ、結果的に天照大神は伊勢に、倭大国魂神は四国に戻して鎮魂し、大神神社(おおみわじんじゃ:大物主神)を拝殿として三ツ鳥居によって、それぞれを祀るようにしたものと考えられます。

ちなみに、東京都府中市に大国魂大神を祀る「大国魂神社」がありますが、そちらではなく四国に戻して祀られた延喜式に記される「倭大国魂神社」のほうです。


【One Point】 明治以降、最初に国づくりを成し遂げた天照大神が明治天皇のご裁可によって皇祖神に定められたということは、国譲りの前の日本の原点に戻ったという仕儀です。

日本のルーツいわば霊統に宝瓶宮時代に向けて驚愕の大どんでん返しが起きたことを意味します。



【ご参考:四国:本家本元の事実と勘違い】

ご参考に書いておきます。

最初の国づくりに四国は重要な拠点でした。

ただし、万世一系の皇統を記した『日本書紀』に四国が出てこないことからもお分かりのように、天皇家に国譲りをした側なので忘れ去られていくことになります。

徳島の阿波忌部氏をみてもお感じの方がいらっしゃるかもしれませんが、その無念の魂の叫びが今日にも残っているようです。

四国にかかわる歴史研究家や好事家の多くは、無意識にそのことを感じとっているのです。

そのため、古代の発祥や所在などに関して、ウリジナルならぬ「我こそが本家本元!」いった“反発”や“恨み”、また純朴な人柄ゆえに“思い込み”が強く、自己主張をされることがみられます。

四国は歴史的に由緒ある土地柄なので、その後の歴史的事実やご認識を混同し、国づくりの過去と現状との勘違いがみられます。









夢から醒めて現実を認識
2023.02.19
[チェンジ] ― 店じまいと新装開店の準備 ―


水瓶宮25度を通過した土星の魚宮入宮と海王星“回天”



「あれ? わたし“夢”をみていたの?」

「そう、何だか“幻想”を抱いて生きてきたみたい」

新たな運命の季節がはじまりました。

お花畑めいた“妄想”から、クオリアルな“現実”をふまえた季節の到来です。

「土星」が魚宮に入宮し、魚宮から「海王星」が去っていく方向に進むためです。



≪土星と海王星の交錯≫

昨今のクオリアルな動き」に書いた最後の部分の概説を兼ねて土星と海王星のディレクションをお届けいたします。

「えーっ、ウソー」と言われそうな「エネルギー宇宙」のお話でした。

その最後の項目9、土星の魚宮(影響圏を含む)入宮と「建国記念の日」における転換、ならびに項目10、「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションの始まりの概説です。

前者、項目9は、先月2023年1月25日に「土星」が水瓶宮25度を通過し「魚宮」の影響圏に入ったことによるもので、来月3月7日に魚宮に正式に入宮していきます。

後者、項目10は、その1週間後の3月13日に「海王星」が魚宮25度を通過して、ついに「店じまい」をはじめる歴史的変化に関する概要です。

そして2年後の「春分点」通過に向けた「新装開店」の準備へと移っていきます。



【One Point】 項目10は、単なる海王星のディレクションに留まらず、約2,160年(計算値)続いた双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)の幕引きにつながるものです。

歴史的なエポック・メイキングの瞬間に立ち会える面白き時代を楽しみください。



≪深層の精神意識との共鳴≫

さて、皆々様は昨今の動きをどうお感じでしょうか。

社会の表層的な出来事も重要ですが、見える世界すなわち「物理宇宙」をインボルブ(伴う、包む)するように時空を超越した「エネルギー宇宙」が実在します。

で、物理宇宙の太陽系の星たちの動きを写しとった「ホロスコープ」です。

ですが、そのリーディングにおいては、物理宇宙の背後にある「エネルギー宇宙」の働き、すなわち“象意”を解釈するものになっています。

当サイトでいう「星のディレクション」も同様です。

目に見える「物理宇宙」のみならず、時空を超越した「エネルギー宇宙」を含めたクオリアル宇宙全体の根幹法則「基本三数」に伴なう“宇宙波動エネルギー”をリーディングするものだととらえれば分かりやすいでしょう。

個々人の「深層の精神意識」(霊性、深層心理)は、宇宙波動エネルギーの受容体ともなっています。

海王星が、来月3月13日に魚宮25度を通過することによって「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションが始まります。

このディレクションは、昨年2022年(厳密には2021年12月直前)から始まった「深層の精神意識の変革」のデレクションとも相まって、従来の概念ですが“霊性意識”を本物へと覚醒をうながしていくことになります。


【One Point】 「にわかには信じられない!」とお感じの方もいらっしゃると存じます。

宇宙波動エネルギーに関しましては「ホロスコープ基本三数講座」(別サイト)でお伝えしています。

宝瓶宮時代の新しい宇宙観「数理法則とクオリアル・ワールド」WEB版もご参考にご高覧いただける講座です。



≪歴史的なパラダイム・シフト≫

さて、魚宮に入宮する「土星」は、起床ラッパのような現実認識のディレクションをもたらします。

たとえば、お昼休みについウトウトして夢見ごこちでいたら、午後の始業開始のベルが鳴りひびくように、仕事など現実に戻っていくことになります。

さらに、直後の3月13日には「海王星」が魚宮25度を超えて2009年以来の「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが一段落していきます。

同時に、宝瓶宮時代の実際的な社会に向けた「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションが始まっていくのです。

旧い双魚宮時代の「対立二元論」の考えは、漸次、廃れていき、新しい宝瓶宮時代の「共鳴関係論」の考えや言動が今後は次第に当たり前の社会通念に変わっていきます。

昨今の時代の変化や動きを仔細に見ていけば、どこまでご確信が持てるかは別にして、多くの方が相応に感じておられると存じます。


【One Point】 これまでは“支配/被支配”や宗教的“善/悪”など「対立二元論」の時代でした。

そのリバイバルのディレクションが一段落し、タテからヨコへ、市井の一般人が主人公となっていく「共鳴関係論」が常識となっていく時代への移行です。




≪偽善、欺瞞、勘違い、事実誤認≫

もう少し、具体的に書いておきます。

どのような個人や組織や国家が、かつての「双魚宮時代のリバイバル」による“逆流天運”を失い、今後は衰退していくのか。

左巻きの考えやスタンスの方、“支配/被支配”の権力志向や宗教的“善/悪”など単純な「対立二元論」によって言動されておられる方、また根拠のない主観的なスピリチュアリズムを信奉されている方々などで、なおかつ違法や非道な言動をわれ知らずともされておられる場合です。

総じて、ホロスコープにおいて「海王星」の古い象意の影響を強く受けていたり、自ら発揮されておられる人々や組織、つまりは“まだ見ぬ理想”を掲げ信じ込んでいる方々ほど顕著に現われやすくなります。

“偽善”を善意かのように装い、ご自身でも“勘違い”に気づかずに、“欺瞞”を働いている組織や団体などで、国家においては、独裁支配や強権政治を行なう覇権国家もそうですし、何でも自国が一番と考えるのはいいとしても、排他的になり“事実誤認”や“勘違い”を乱発する国家などです。


【One Point】 海王星の古い象意に加えて、違法や非道などを行なう場合が該当します。

“逆流天運”のディレクションは終わりましたので、かつてのようにスルーしてもらえなくなります。

ましてや“誤魔化すことのできない現実”を象わす「土星」が魚宮に入宮するのでなおさらです。



≪大陸国家の首席さまの例≫

もう少し続けさせていただきます。



ディレクション・リーディングから申し上げますと、双子宮に象意を持つ人は、今年2023年~来年2024年とこの前後、土星が魚宮をトランシットしていくこともあって、社会的な地位や役割などがアップしていきます。

双子宮生まれ(太陽)だけでなく「星のディレクション」が働く象意ポイントを双子宮に生まれ持つ方々も同じです。

たとえば、お隣の“偉大”な大陸国家の総書記さまは、出生日時が不明ですが、6月生まれなのでそうなります。

土星が魚宮に入宮する3月から異例の3期めに入り、昨年10月の党大会(代表大会)で周囲をイエスマンで固めた「一強体制」が決定しましたので、ワンマン支配が確立したうえでの船出です。

ところが、危うくも“強固”な地位は、ご本人によくても、組織的また国家的には上述の「星のディレクション」によって、ますます“天運”に見放されていき、ほころびを見せていかざるをえないものになっています。

また、ウクライナを侵攻をしたロシアも類似で、「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが最後のピークを迎えた昨年2022年の遅くない時期に、和解でも何でも決着をつけるべきでした。

ですが、この時期までもつれ込んだ以上、どちらが良い悪いではないのですが、もはや“逆流天運”は失われました。

今後は、今まで以上に攻勢や好転は難しくなりますので、ドンパチを回避していく友愛精神(和、絆、民度)による宝瓶宮時代の方向に向わざるをえません。


【One Point】 いかがでしょうか。

組織や団体また国家を事例にすれば分かりやすいと考え、一例として挙げてみました。

上述の内容は、個々人においても類似です。

ホロスコープ(出生天球図)はもちろん言動の内容が上述に類似される方は、セルフチェックをされておかれることをお奨めいたします。









昨今のクオリアルな動き
2023.02.14
[概要編] ― 宇宙波動エネルギーの実際 ―


現実に先んじて「エネルギー宇宙」は準備を進めていく



お気づきの方も多いと存じます。

激しく変化しつつある昨今の「両世界」の動きです。

ここでいう両世界とは、時空を超越した「エネルギー宇宙」と、地上の現実社会といった「物理宇宙」をさします。

「え、エネルギー宇宙だって!?」、それについてはおいおいご説明させていただくとして、昨今のクオリアル宇宙(両世界)の動きは、何やら“面白い”ことになっています。

信じられないという方もいらっしゃると存じますので、眉にツバをつけて(w)ご高覧ください。

要点のみですが、現在は約2,160年ぶりにパラダイムシフトが進行中であるというご認識に立たれると、何かしら見えてくるものがあるかと存じます。





≪クオリアルな動き:10項目≫

昨年2022年から、今年2023年3月までの主な「クオリアル」な時系列順の動きです。

1、「深層の精神意識の変革」のデレクションのはじまり。

2、新時代の「宇宙波動エネルギー体」が立ち上がる。

3、新しい「エネルギー運営体制」の整備。

4、宗教的「対立二元論」(天国/地獄など)の解放。

5、安倍元首相銃撃事件。

6、古い海王星による“欺瞞組織”の地上からの一掃。

7、イーロン・マスク氏によるツィッター改革。

8、一般人(認知プロファイリング探偵ら)による「Colabo問題」などの追及。

9、土星の魚宮(影響圏を含む)入宮と「建国記念の日」における転換。

10、「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションの始まり。
※2009年以来の「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが一段落。


【One Point】 上述の10項目は、時系列順で、すべてつながっているものです。

「エネルギー宇宙」と「現実社会の出来事」は、相応のタイムラグを伴ないながらも、共鳴関係によって関与し合っているためです。






≪概説その1:ディレクション≫

ここからは、10項目それぞれについて概説を申し述べます。

ただし、項目9と項目10につきましては、時期をみて後述させていただきます。

前後の項目の関係性を、随意ご推察されながらご一瞥くださると、いろいろと見えてくるものがあるかと存じます。


1、「深層の精神意識の変革」のデレクションのはじまり…2021年12月

すでにご存じの方も多いように、トランシットの冥王星が山羊宮25度を通過して、水瓶宮の影響圏に入ることによって「深層の精神意識の変革」のデレクションがはじまりました。

2012年から始めた「数理法則とクオリアル・ワールド」(伝授講座)をご受講された方は、信じる信じないはともかくご存じのとおりです。

また、今年2023年3月から始まる「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションにつきましても、同じく伝授講座でお伝えしておいたとおりです。

両ディレクションは、今後20年前後続く今世紀のメイン・ディレクションとなる重要なものです。

われ知らずとも、深層の精神意識(霊性、深層心理)の変革と次元拡張がもたらされていくため、社会的にも個人的にも覚醒をうながす出来事が起こることになります。


【One Point】 既存の現代占星術に“未来予測”といった占い概念はあっても、「基本三数」による数理プロセスに基づいた「星のディレクション」(運勢変化、時代変化)といった現実の概念はありません。




≪概説その2:エネルギー宇宙≫

2、新時代の「宇宙波動エネルギー体」が立ち上がる…2022年1月

見えざるエネルギー宇宙の出来事ですが、旧来の“神さま”といった概念は、新たに「宇宙波動エネルギー体」が生じ立ち上がりましたので、発動していくに及んで、いずれ退場していかれることになります。

たとえば、新しいCEOや役員が着任したようなもので、実際に働きはじめることによって、既存の組織の方針や方向性、すなわち世界の波動エネルギーの様態が変わっていくことになります。

3、新しい「エネルギー運営体制」の整備…2022年3月頃

エネルギー宇宙における新しい「運営体制」が発足しました。

良識を持たれたお一人ひとりと、今後は時空を超越して見えざるネットワーク的な共鳴関係が結ばれていきます。


【One Point】 現代物理科学は、人類を“物質”という狭い「檻」(おり)に閉じ込めてしまいました。

一方で、近代スピリチュアリズムは、逆に現実や物質を無視した観念世界へと逃亡を図っているかのようです。




≪概説その3:逆転の動き≫



4、宗教的「対立二元論」(天国/地獄など)の解放…2022年6月~8月

どの宗教というのではなく、教義や教理一般によって「地獄に落ちる」などと恐怖心をあおる“地獄概念”がエネルギー宇宙の世界では解放されました。

5、安倍元首相銃撃事件…2022年7月

現実世界の出来事ですが、上述のすべてにかかわって起きたものです。

そのため、この事件は著名な過去の事例でいえば、イエスの十字架と“復活”といった“一粒の麦”の譬えのように、その後の世界を大きく変えていったエポック・メイキングな意味を持ちます。

同時に「新しいエネルギー運営体制」が整っていくことになるようです。

分かりやすく申し上げますと、安倍元首相亡き後、“安倍イズム”の遺志を受け継ぐ良識ある人々に時空を超越して広がっていくことになります。

6、古い海王星による“欺瞞組織”の地上からの一掃準備…2022年10月

海王星の古い象意“まだ見ぬ理想”や“欺瞞”によって、日本の社会一般や世界に厄災をもたらす人々や組織また国家は、かつてのような双魚宮時代末期の「天運」に守られることがなくなっていきます。

新しいエネルギー宇宙とクオリアルな波長が合わなくなるために、次第に居場所がなくなっていくことが起こります。




7、イーロン・マスク氏によるツィッター改革…2022年11月

誰もが知る現実の出来事ですので、ネット民であれば多くの方々が体験的にご存じのとおりです。

マスク氏の「民の声は神の声」といった考えは、“神”という比喩はそれとして、エネルギー宇宙をはじめとした時代の流れに沿っています。

また、美しい国日本や開かれたインド太平洋といった自由民主主義を維持し継続し守ろうとした安倍元首相の考えにも一致するものです。


【One Point】 現実の事象や出来事といった表面だけを見ていても分からないことは山ほどあります。

ですが、見えない宇宙波動エネルギーのリーディングを含めて、エネルギー宇宙の動きをクオリアルに見ていくことで、真相に近づくことができます。



【ご参考:自由と「星のディレクション」】

個々人は自由な意志を持ちます。

そのため、「星のディレクション」(運勢変化、時代変化)を受け入れてご参考にされることも、またスルーされることもご自由です。

「星のディレクション」というのは、宇宙太陽系の星の動きを「基本三数」また「宇宙波動エネルギー」を伴なって解釈する「ホロスコープ」からリーディングできるものです。

フリーな自由精神は、いわゆる“魂”の成長に欠かせないものなので、最終的には自己の責任に委ねられています。

それはそれとして、国民大衆や社会全体の総意として、時代的な「星のディレクション」は、その方向に動いていくことが歴史の常です。




5≪各項目の概説その4:新時代への転換≫

8、一般人(認知プロファイリング探偵ら)による「Colabo問題」などの追及…2022年11月

宝瓶宮時代は、個々人の主体的な意識や責任の時代です。

微力でも個々人の良識や行動が集積されて、社会に安定と平和をもたらす大きなうねりに紆余曲折を経ながらもなっていく時代です。

9、土星の魚宮(影響圏を含む)入宮と「建国記念の日」の転換…2023年1月25日&2月11日

10、「新しい霊性意識の覚醒」(目覚め)のディレクションの始まり…2023年3月13日
※2009年以来の「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションが一段落。

上記、9、と10に関しましては、「魚宮」に入宮していく土星のディレクションと、「魚宮」を去っていく海王星という対照的なディレクションにかかわります。

“妄想”から“現実”へ宇宙波動エネルギーの転換がもたらされますので、後日、ページを改めてご説明をさせていただきます。


【One Point】 現代物理科学が範疇外とすることもあって、科学的には否定されかねない分野ですが、宇宙の根幹法則「基本三数」を伴ない、時空を超越した「エネルギー宇宙」の実在は「量子もつれ」をみても明らかです。

地上社会だけでなく、両世界によって宇宙と人類歴史や社会また人生の真相が視野に入ってまいります。









安倍晋三写真展in下関
2023.02.14
[躍動]― 月刊「正論」主催 ―


~産経新聞カメラマンがとらえた勇姿~



昨年11月19日~12月1日の東京に続いて、安倍元首相の地元下関で「安倍晋三写真展」が開かれました。

JR下関駅に隣接する複合商業施設「シーモール」で、建国記念の日を挟む2月9日~12日までの4日間です。

主催は月間「正論」で、サブタイトルは「産経新聞カメラマンがとらえた勇姿」でした。





それ以外にも、昭恵夫人によるプライベートを含む秘蔵写真や萩生田光一政調会長による訪米時のショットも展示されていました。

会場の撮影はOKで、写真のみの撮影はNGとのことです。

安倍氏の「腹心」萩生田氏との2ショットが目を引いたので、周囲を含めて「パチリ」(古ッ!)。





隣の部屋では自衛隊での訓示のときのものと思われる映像が流されていました。

多くの方は照明が明るい写真展示会場に気をとられていて、気づかなかったようです。





JR下関の改札から、そのまま徒歩1~2分ほどでいけるシーモール4階の奥まったレンタル・ホールでの開催でした。

建国記念の日の11日 午前11時過ぎには昭恵夫人も来場し、来場者からの拍手や「アッキー」との声掛けが起き、握手を求められていたようです。



[会場のシーモール外観]










祝詞:とほかみえみため
2023.02.08
[建国記念の日特別編その2] ― 「かんながら」との関係性から推測 ―


「とほかみえみため」の真意はどこにあるのか



天皇陛下が毎日、40回唱えている祝詞「とほかみえみため」。

いくつかの流派があるのか、あれこれ意味が解釈されています。

どれが本当でしょうか?

古来からの大自然を「かみ」としてきた日本的霊性(日本精神)から、どのような真意をもつのか、それぞれに解釈があってもいいのですが探ってみました。

ご興味のある方はご一読ください。



≪「十神、笑み給え」だって?≫

「と・ほ・か・み・え・み・た・め」

現代人には意味不明です。

意味があるとしても古代の言葉なので、現代語とは異なります。

文献で確認できるかぎりでは平安時代からあるそうです。

古代語を現代語として解釈しようとすること自体に齟齬が生じます。

一般に見受けられる解釈は「十神、笑み給え」でしょう。

ありえない解釈です。


【One Point】 どのようにご解釈をされようと、本心から信じ込んで行なえば、相応のことは起こりえます。

何ごとも真剣に信じ込んで行なうことができれば、超常的なリアクションが起きることがあるためです。

ただし真実かどうかはまた別のお話です。







≪出雲の幡屋神社では≫

「とほかみえみため」の解釈にご自分なりの信念をお持ちで変えたくないという方は別のページをご高覧ください。

以下は「十神、笑み給え」って違うでしょという、疑義となった根拠です。

疑義:その1

なぜ、十の神? 日本で八百万の神とされるその代表神なの?

疑義:その2

由緒ある出雲の幡屋神社では「とほか みえ、みため」と区切って奉唱します。

とほかみ(十神)、えみため(笑み給え)ではないのです。


【One Point】 漢字だと「吐菩加身依身多女」と表記します。

これは発音文字として単に漢字をあてたものなので意味はありません。

古来から言霊として奉唱されてきたものなので、「と・ほ・か・み・え・み・た・め」の一音一音に意味がありそうです。




≪「大自然に座す(います)」≫

疑義:その3

「とおかみえみため」と一気に奉唱するのではなく、「とーほーかーみーえーみーたーめー」と一音一音をハッキリと区切って行なうという説もあります。

また、別の説では、との尊、ほの尊、かの尊…というように、一音一音が貴いお方(命、尊)を表わすと解釈されます。

真偽はともかく、古代の言霊ですので、「と」に一つの意味があって、「ほ」に一つの意味があり、「か」に一つの意味があるといったように、それぞれに意味を持つ8つの文字が一つのまとまって大きな意味を表わすようです。

アバウトでいえば“大自然に座(いま)す”といったような意味で、「恵まれた大自然の中に住む私たち」といったような感謝を念頭に、日々忘れずに奉唱を捧げるといった解釈が適切ではないでしょうか。


【One Point】 ご関心のある方は「とほかみえみため」と奉唱されつつ、ご自分の感性にいちばんしっくりとくる解釈を選ばれてみられるのもよいでしょう。




≪そのときどきのままに≫

「かんながら」や古神道の観点からみても、“ご利益信仰”や“要求”(願い事)をもって奉唱することはありえません。

「十神、笑み給え」という解釈には、そんな要求や命令さえ感じとることができます。

それはともかくとして、唱え方は、一気に「とほかみえみため」と奉唱してもいいし、出雲流に「とほか みえ、みため」と区切って奉唱されてもいいし、一音一音「とーほーかーみーえーみーたーめー」と奉唱してもいいと私たち一般人においては考えられます。

情況に応じていろんな唱え方を交えて、感性のままに行なってもよく、抑揚をつけて奉唱されてもいいし、平坦に奉唱されてもよく、そのときどきのご自身の意のままに想いのままに試されてみられればいいと存じます。

なぜなら、多様なる大自然だからです。

「こうあるべき」と決めつけずに、その日そのときの状態や感覚に呼応されて、ご自身がいいなと思われる方法でしぜんに奉唱されるのがよいでしょう。


【One Point】 禅に「只管打坐」(しかんたざ)という言葉があります。

何も考えず、思いもせず、ただ座るという意味です。

禅は「無」を標榜しますが、座禅をしよう、無になろう、という想い自体が、すでに無ではなく矛盾するからでしょう。




≪勝手に解釈してみた≫

最後に「とほかみえみため」の意味について、勝手ながら解釈を述べておきます。

「と」という言霊は、古来は扉や入口を象わし、「ほ」は、炎や火すなわちここでは太陽ことお日さま(お天道様)を象わし、「か」は、彼方(かなた)また相手をかの人というように、ここではかみや祖先など源流を象わします。

「み」は、そのご身体で、余談ですが古代日本で“かみ”という場合“彼の身”、すなわち目前にはいませんが、かつて知りたる友や親のようなともにあった親しみのある存在を象わすことになります。

次に、「え」は、取っ手などの柄ぐらいしか思いつきませんが、「~へ(ゑ)」といった道筋や関係性を象わし、2番めの「み」は、果(か、み=霊:ひ)で自分自身の本来の実体を象わす言霊といった推察ができます。

「た」は、田んぼなど大地(たいち:大自然)を象わし、「め」は、見るとか愛(め)でるといったご確認や受け入れる言霊だと解釈できますので、これらをつなげると「大自然に居て恵みを受けている私たち」といったありがたい祝詞だという意味がみえてきます。

今となっては真相が確認できない以上、分からないものは分からないままに奉唱されてみて、そのときどきでしっくりくる解釈を試されればいいのではないでしょうか。

自分の気持ちを無理に曲げてしまうと、良し悪しは別にして、気づかずに深層の精神意識を自分で歪めてしまうことがないとはいえないからです。


【One Point】 西洋のような人格神といった神観は、古代日本にはありませんでした。

なので、日本的霊性によって感じとるのがよいでしょう。

大自然をかみから在る美しく尊崇できる共鳴関係にあるものとして、しぜんに唱えればいいと想います。



【追記「遠津御祖神」23.02.09】

「とおかみ…」が、「十神」を表わすという解釈はマユツバです。

ですが「遠津御祖神」(とおつ みおや の かみ)を表わすというご説明は、充分に妥当性が認められます。

遠津御祖神は、『古事記』にも『日本書紀』にも記されていません。

ですが、祖々先霊神(みおやよよのおおかみ)に類する“ご先祖さまのさらなる祖の御霊”といった解釈が可能です。

「津」を単に「~の」ととらえるか、港などのように海にかかわるものとしてとらえるかで、大きく異なります。

ちなみに、鹿児島県の姶良市にある楠田神社のご祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)らとともに「祖々先霊神」が祀られています。









かんながらを象徴する鏡
2023.02.07
[建国記念の日特別編その1] ― 日本的霊性と友愛精神 ―


神なき日本の原点となった「かみ」なる大自然



「建国記念の日」特別編を一筆啓上申し上げます。

日本と世界各国の成り立ちの違いをみていくと、欧米は代表的にはキリスト教の創造神(The GOD)を今日の文化のベースにしているといえます。

一方、日本は、今はかすかに残る程度ですが、大自然を“かみ”とする「かんながら」の道がベースです。

同じ音で神と“かみ”ですが、両者には明確な違いがあります。

西洋文明が根づいていった明治以降や戦後GHQの占領政策の影響によって、日本的な感性が弱められいったのかもしれません。

「神」というと現代日本人は、西洋の“人格神”やギリシャ神話やローマ神話のような神々を想起することが多いためです。



≪文明開化における西洋化≫

アタマでのみ考えると本質を見失うことがあります。

文明開化における西洋化はその一例です。

それらを否定するものではありませんが、いまだ発展途上の現代物理科学によって、知識教育を絶対と考えると、われ知らずとも日本の気候風土に伴なった精神文化にそぐわない方向に進みかねません。

昨今の登校拒否などは、その弊害の現われともいえるもので、精神的感性に優れている子どもゆえに、そうなるケースがみられるようです。

ご注意すべきは、知識偏重教育の逆パターンながら、事実を誤認した神秘主義(スピリチュアリズム)に陥ることが起こることです。

なぜなら、“科学万能主義”も“絶対神秘主義”も、ご理解しにくいかもしれませんが精神的な根因は同じものがあるからです。


【One Point】 西洋占星術で言えば、尾びれをつながれた二匹の魚のようなものです。

お互いに逆方向に泳ごうとして進めずに、もがき、限界を迎えているようです。

当サイトでいう「対立二元論」に陥っているためです。





≪かんながらの道≫

古来の日本は「かんながら」を道とします。

漢字をあてると「随神」や「惟神」と書きます。

ですが、これだと現代日本人は勘違いするでしょう。

「かんながら」は、宗教上の神や人格神に対する信仰とは異なり、ごくふつうに大自然を太古から「在って在るかみ」としたものだからです。

大自然を「八百万の神」と呼ぶのも、絶対なる創造神を唯一の神とする西洋的な思考や概念の影響で、大自然とは似て非なる人格神や獣神&物神また神話の神々をイメージしやすいために、ご注意が必要です。

そうではなく、キリスト教や仏教が発祥する以前の縄文時代から「大自然」を大切にして畏敬しつつも共存してきた、ごくふつうの精神意識です。


【One Point】 江戸時代初期の鈴木正三(しょうさん:1579-1655)が語った「農業、即ち仏業なり」に通じる、しぜんのままの日本的霊性また和の精神だといえます。

農業を今日的に「労働」と言いかえても同じです。



【ご参考:日本資本主義の精神】

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-1905)にならってか、山本七平(1921-1991)氏が『日本資本主義の精神』のなかで触れていました。

農作業が忙しくて仏教を学ぶヒマなどないという農民に対して、日々の農作業が仏道であり修行だよといったようなお話です。

日本人には当たり前の価値観ですが、近隣国では汗水たらして働くのは下僕の仕事といった考えが強く、工業技術の発展やサービス業にも弊害がもたらされています。

“労働即仏道”を含めて接客など「おもてなし」は、アストロロジカルに申し上げますと、日本人の民族性「魚宮」によって象徴されています。

魚宮は“無私の精神”や“犠牲の精神”また“善意”などの象意を持ち、肯定的にとらえるためです。




≪日本的霊性と友愛精神≫

大自然とともにある「かんながら」によって形成されていった日本的霊性は、美しく豊かな国土を持つゆえに、はぐくまれた精神性です。

大自然をベースとして、しぜんと体感し体得していったものです。

縄文人が地上に生まれて、物心がつく以前、すなわち「かみ」から在った畏れ多くも美しい大自然です。

ときに大災害を起こす畏怖すべきものですが、ふだんは豊かな食料や四季彩々の恵みを縄文人に日々もたらしてきたかみなる大自然です。

天空の日月星、地上の山川草木また動物は、日本列島では、海外に多い過酷な環境とは異なり、多様性に満ちていて縄文人らとともに「かみよ」(上代:神代)から在りて在るものです。

言い替えますと、宇宙大自然のありのままを受け入れてきたのが「かんながら」で、現代日本にも今後の宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)にも通じる、日本的霊性や友愛精神(和、絆、民度)の原点になっています。


【One Point】 和辻哲郎(1889-1960)の『風土』からも分かるように、民族性は気候風土に左右されてはぐくまれます。

日本列島は他国とは異なって、日常的には大自然を克服する労苦が少なく、受容の精神による穏やかな民族性が形成されていきました。



【ご参考:民族性:魚宮、国体:水瓶宮】

アストロロジカルに申し上げますと、「日本は何座宮」(別サイト)で触れたように、日本人の“民族性”は「魚宮」によって象徴されます。

一方、“国体”は天皇を推戴して臣民平等といった「水瓶宮」によって象徴されています。

12サイン(宮)の象意に詳しい方なら、「日本的霊性」は魚宮の象意に通じ、「友愛精神」は水瓶宮の象意に通じることをご理解できるでしょう。




≪豊かな食材に恵まれた≫

大自然と共存し次代につなげていくために、たとえば山菜を見つけても、すべてを刈り取ることはしませんでした。

来年もまた実りを採収することができるように、一部を残しておく知恵をもって、大自然との共生共存を図ってきたのです。

世界の文明発祥の常識を覆した縄文文明は、青森の三内丸山遺跡にみられるように4、5,000年以上前から栗林を人為的につくり、栗の栽培をしていたことがDNAから確認されています。

一方、西欧は作物に乏しく、狩猟生活を旨としたために、戦うことが大前提の民族性がはぐくまれていった気候風土があります。

彼らが中南米を植民地としたときに、ご当地産のジャガイモを西欧に持ち帰って栽培に成功することで、今日に知られるようになったほどです。


【One Point】 春夏秋冬、山海の多彩な食材に恵まれた日本は、アストロロジカルにみれば、戦後の現体制は“グルメ”としても象わされる「牡牛宮」に変わりました。

それゆえ快適な生活環境や妥協なき食への追及が功を奏し、ユネスコ無形文化遺産に「和食」が指定されています。




≪明治に正式にご裁可≫

明治以降、皇祖神は「皇大神宮」(伊勢内宮)に祀られる「天照大御神」になりました。

天皇として初めて伊勢をご親拝された明治天皇によって、ご裁可されてからです。

現在、各地の神社やご家庭などの神棚で「天照皇大神」(あまてらす すめ おおかみ)が等しく主祭神として祀られるようになったのはそのためです。

本来の古神社は大自然の山や岩などをご神体としていました。

また、一般的に神社では、拝殿に「鏡」を置いて崇拝の対象にしているのを見かけます。

なぜでしょうか。

鏡は、自分を写すだけでなく周囲の人々も、空の日月星や大地の山川草木など大自然のすべてを写し出せるのです。

一部例外があるかもしれませんが、いわば大自然の象徴です。

それゆえ、拝殿の鏡は「かんながら」の象徴だといえます。


【One Point】 かつて武家社会では「素戔嗚尊」(すさのお の みこと)も多く祀られていました。

ヤマタノオロチを退治し、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)をもたらした“武神”でもあるからです。

その武家社会が明治維新で終わると「天照大御神」がご祭神に変わり現在に至ります。




【ご参考:随神は“かんちがい”】

「かみ」というのは、川の源にあたる上流を川上といい「かみ」です。

また、命令などお沙汰を下すお役人やお役所もお上で「かみ」と呼びます。

ご家庭で「おかみさん」といえば母親を指しますが、子供を生みだす源でもあるためです。

始原に近い存在や新たに生み出す存在を「かみ」と呼ぶのが日本です。

古代縄文においては、大自然はすべての万物を生み出す「かみ」と考えられていたようです。

「かんながら」の由来でしょう。

そのため、「かんながら」を随神や惟神と漢字を使って表記すると、“かんちがい”(神違い)に陥りかねません。










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