国東半島の「ケベス祭り」
2018.08.26
大分県の国東半島(くにさき はんとう)に奇祭と呼ばれる「ケベス祭り」があります。

毎年、10月14日に行なわれますが、祭りの起源も由来も意味も不明の“火祭り”なのです。

祭りの概要は、まず祭りを行なう前に、“トウバ”(当場)の男たちが素っ裸で海に入りみぞぎを行ないます。
このあたりは、宗像大社で、かつて女人禁制(今年からは男子も禁制)だった「沖ノ島」に上陸する際に、男たちが素っ裸で海に入り、みそぎをするのと同じです。

ケベス祭りの次第は、2メートルほどの木の棒をもち、木のお面をかぶった“ケベス”とされる白装束の男が、神社の広場で燃やされているいくつかに束ねたシダの“庭火”に向かって、棒を槍のように構えて突進し、燃え盛る“庭火”をまき散らそうとするものです。

ですが、幾度となく(8回)同じく白装束の男たちに拒まれます。

この絡みは、ある程度は演技なのですが、どうやら本気の力比べでもあり真剣なようです。

ついには9回めにケベスは“庭火”に達し、木の棒でかき回します。
すると炎は5メートルほどにものぼり、火の粉がハデに舞い散ります。

これを機に、今までケベスの邪魔をしていた白装束の男たちは、木の棒の先に“庭火”をさして、なんと観客たちの頭上に次々と振りかざしていくのです。

舞い散る火の粉は、遠慮なく観客たちを襲い、あちこちで悲鳴があがります。

ですが男たちは、さほどお構いなしに観客に火の粉をふらせ、中には棒の先の燃え盛る“庭火”を観客たちのなかに放り投げることさえあります。

では、なぜ、このような“ケベス祭り”が、国東半島で1,000年以上にもわたって毎年行なわれているのでしょうか。

真相は定かではないのですが、個人的には次のように考えています。

国東半島といえば、紀元前7~8世紀ころに、古代オリエントの人々が赤土(酸化鉄)による製鉄を行なっていた場所です。

“ケベス祭り”が、内陸ではなく国東半島の東端の海岸沿いの岩倉社(いわくら しゃ)で行なわれるというのも、世界に先駆けて航海術をもった「フェニキア人」が、世界ではじめて鉄器文化を築いた「ヒッタイト人」を母に持つ古代イスラエルのソロモン王の依頼を受けて、金銀や珍宝また鉱物資源をもとめて「古代イスラエル人」とともに世界を航海し、日本にも来ておだやかな内つ海に面した国東半島付近を拠点のひとつにしていたからです。

事実、“ケベス”というのは、古代ヘブライ語(旧約聖書)で「子羊」(כבש:ケベス、ケヴェス)を意味します。

なので、火を用いた「ケベス祭り」というのは、古代イスラエル人が神への燔祭(はんさい)の「子羊」(ケベス)を捧げた祭りで、観客たちが火の粉を浴びるのも、また観客たちに火の粉を浴びせて当然としているのも、要は神への燔祭の子羊であることを意味し、“信仰”の証なのです。

「ケベス祭り」の長い歴史において、いろんな解釈を勝手に付加した一面がないとはいえませんが、木のお面をかぶっている以上、“ケベス”とされる白装束は何かの化身であり、人間ではないことは確かです。

一方、同じく白装束のトウバたちは、お面をかぶっていないので人間です。

ということで、どうみても日本語とは思えない「ケベス」という言葉が、古代ヘブライ語で燔祭の「子羊」をさすのであれば、『旧約聖書』から祭りの内容も推測できてしまいます。

詳しいご説明は、機会があれば「宝瓶宮占星学」サイトにアップすることがあるかもしれません。





吉本坂46とHKTBINGO!
2018.08.20
時代って“怖い”です。

宝瓶宮占星学サイトにアップした当時は斬新でも、10年もたつと「何あたり前のこと言ってんの?」と陳腐な内容になることがあります。

それって、未来がどうなるかわからない当時からみれば、ちゃんと“リーディング”できてたってことですが、そこに気づくかたは多いとはいえません。

それはともかく、宝瓶宮占星学サイトを立ち上げた当初、過去の“つくられたアイドル”(幻想)から“個性”(キャラ)を重視した「新しいアイドル」の時代が来ると書きました。

すると、ある閲覧者のかたが「アイドルは変わらない」と反論してきたことがあります。

ご判断はみなさまに委ねるとして、60年代~80年代の素性を隠した“アイドル”(偶像)を知っている人と、1989年の宝瓶宮時代のビッグバン以降、AKB48に代表される素の”キャラ”で勝負するアイドルしか知らない人とでは、「アイドル」の概念が異なります。

さらには、2012年に“アイドル”などを象わす海王星が、自らの共鳴サイン(宮)の「魚宮」に入宮したことによって、影響圏を含めれば2009年から「双魚宮時代のリバイバル」のディレクションがはじまり、「アイドル」の多様化にともなって、その概念をさらに複雑なものにしています。

要は、“新アイドル・ブーム”が起きているわけです。

昨今の個性(キャラ)重視の新しいアイドル・ブームを開いたのは、「会いにいけるアイドル」をコンセプトにしたAKB48であることに間違いはありません。

なかでも、古いアイドルの枠を越えて、体をはったお笑いも辞さない個性(キャラ)が立った代表的なメンバーは、選抜総選挙で2代目女王となった大島優子(天秤宮:卒業)と、3代目女王で3連覇を成し遂げ4度の女王の座に輝いた指原莉乃(蠍宮)です。

ふたりとも、かつてのアイドルらしからぬNGなしのドッキリやぶっちゃけトークに、過去のアイドルを知る芸能人たちからは、「アイドルがここまでやっていいの?」という声が当初、あちこちできかれたものです。

もちろん、それでOKで逆に人気がでたのは宝瓶宮時代の「個性(キャラ)による新しいアイドル」の時代がきているからです。

AKB48がまだ売れていなかったころ、メンバーの素のキャラを見事に引き出した番組が今も続いている「AKBINGO!」で、当初は「AKB1じ59ふん」(2008年開始)でした。

メンバーに対して「ドッキリ」や「罰ゲーム」また「お笑い」の要素を取り入れて、俗にいう「アイドル」を身近に感じさせることに成功しました。

ファン(ヲタク)らは“推しメン”なる言葉を生み出し、人気を高めると、ついには“国民的アイドル”として認知されます。

その後、AKBの公式ライバルとして「乃木坂46」が発足しますが、“お嬢さま”然としたメンバーに最初は鳴かず飛ばずでパッとしませんでした。

しかし、「AKB48のマネをしたら売れるのか」というキャッチフレーズで「NOGIBINGO!」が放送開始されると、メンバーにいきなり「ドッキリ」を仕掛け、「罰ゲーム」や「お笑い」も取り入れて、“お嬢さま”イメージと“素”のメンバーのギャップに個性(キャラ)が立ってきて、一気に人気が出ました。

この成功を受けて、欅坂46がデビューした際には、同時に「KEYABINGO!」が放送開始になったのです。

今年も瀬戸内を拠点としたSTU48がメジャーデビューすると同時に「SETOBINGO!」が放送開始され、“ひらがなけやき”こと「けやき坂46」も同じコンセプトで「ひらがな推し」を放送中です。

ですが、そこにとどまらないのが、48&46グループをプロデュースしてきた秋元康。

いっそのこと、個性(キャラ)の宝庫、お笑いのレジェンド「吉本」からアイドル・グループを立ち上げてしまえと、「吉本坂46」にむけた芸人らによるオーディション番組「吉本坂46が売れるまで」を仕掛けて放送中です。

そうなると、AKBグループの中でもトップの“新アイドル”「指原莉乃」を支配人とするHKT48もだまっていません。

吉本坂46とは”逆パターン”の番組「HKTBINGO!」をはじめ、年末の「お笑い賞レース」の決勝進出をめざして“芸人アイドル”育成のドキュメント番組を放送開始しています。

現在、第5回の放送が終わったところですが、さすがは指原に鍛えられたHKT48の宮脇咲良(魚宮)を筆頭とした個性派メンバーが多いこともあって、かけだしながら素質を垣間見せています。

HKT48で唯一の大阪出身のメンバー松本日向(ひなた:射手宮)が“天才的”な理解不能の超絶ボケをみせるなど、アイドルから「芸人」へのチャレンジを仕掛けているわけです。

これらの方向性は、素の個性(キャラ)で勝負すべき「宝瓶宮時代」の流れからみて間違っていません。





大分に残る西郷の肖像画
2018.08.14
生前、西郷隆盛が写真を残さなかったのは、有名なお話です。

幕府側の「京都見廻り組」や「新撰組」から、いつ命を狙われてもおかしくない時代。

また、「西郷隆盛」というのは、実は父親の名前で、通名は「吉之助」(吉之介)ですが、本名は「隆永」だったというくらいです。

それくらい用心深かったので、幕末はもちろん明治時代も西郷の本当の顔は残されていませんでした。

ということで、ツン(犬)を連れた上野の西郷さんの銅像も、明治31年の除幕式のさいに、妻のイト(糸子)は一目見りなり「んだもしたん。宿んしは、こげな人じゃなかったこてえ」と言ったもんだ。

この銅像は、イタリア人画家のキヨッソーネが、西郷の縁者だった得能良介の助言をえて、西郷の実弟「西郷従道」の顔をベースに、西郷の従弟「大山巌」の体格などをモデルにして描いた「西郷隆盛」とされる肖像画をもとに製作されたようです。

西郷の盟友だった大久保利通(一蔵)も、西南戦争で西郷が自刃した明治10年の翌年に暗殺されています。

なので、上野に銅像が建てられた明治31年はもちろん、キヨッソーネが肖像画を描いた明治16年に、明治新政府内に生前の西郷を知る人物が身近にいなかったことはもちろん、得能良介も同年には亡くなっていますので、アドバイスはしたものの、作品にまでは関与はできなかったことになります。

ということで、キヨッソーネの肖像画や上野の西郷さん以降、西郷のイメージは定着し、真似て描かれた「西郷」とされる肖像画などがあってもおかしくありません。

ところが、今から15年前の2003年に、西南戦争直前の明治9年に実際に西郷に会った現大分県日田市の文人画家が西郷の没後10年ほど経ったころに描いた肖像画が発見されました。

かつて、日田は江戸幕府の直轄地「天領」で、九州一円を管轄する代官所が置かれていました。

そのため、豪商のいる商都であったことはもちろん、松下村塾に先駆けて、身分を問わずにだれでも入塾できる「咸宜園」(かんぎえん、塾主:広瀬淡窓)が開かれ、入門者4,800名を数える江戸時代最大級の私塾があるなど文化都市でもあったわけです。

そういったことから、当時は中央との縁も深く、大久保利通は僧でもあり文人画家でもあった平野五岳に、西郷と会って蜂起をとどまるように説得することを依頼したわけです。

後日、肖像画に描かれている薩摩の丸に十字の紋が入った紋付き羽織が、「西郷南州顕彰館」に保存されている遺品と同じであることから、本物の西郷ではないかとみられています。




「西郷隆盛」晩年の肖像画(左)、右は肖像画を描いた明治の文人画家・平野五岳。




今や「ネトウヨ」は常識人
2018.08.12
一時期、「ネトウヨ」という言葉をよく目にしました。

最初、そんな右翼がネットには多いのかと思いましたが、どうやら“左翼思想”に染まった一部の人々が、”蔑称”の意を込めて使っていたようです。

その点、“のりこえねっと”などが反対しているように、自ら”ヘイト”を行なっているといえます。

「鏡の法則」のとおり、だいたい自らのなかに同じような要素(左翼、ヘイト)があるために、相手に対して、“ネトウヨ”などとヘイト攻撃をしてしまうのですが、そのことには気づいていないようです。

ちょうど一部野党がお得意とする“ブーメラン”と同じで、実は自らが過去に似たようなことを行なっていた、と馬脚を象わす結果になっています。

ということで、右翼というほどの実体はない一般的な考えの人を、“ネトウヨ”と呼んでしまったこともあって、最近では、ネトウヨ=常識人といった認識がしぜんとでてきたようで、あまり目にしなくなりました。

思えば、かつて共産主義的な考えが“一般常識”かのように日本を席巻していた時代がありましたが、そのころ、マスコミの論調に反論したり、学界や学校教育の方針に反対すると、すぐに「右翼だ」と言われた時代があったことを思い出しました。

そう言われた一部の識者は、「わたしは左翼でも右翼でもない、中道だ」と語っていました。

今では、それも過去のお話で、マスコミの論調に反対の意をとなえても、もはや「右翼」などと言われることはなく、逆にテレビや新聞などマスコミのほうが「反日(左翼)」だという認識が一般的になってしまいました。

このような現象は、多くの人々が玉石混交のネットに接することによって、どちらの言い分が正しいのか、自ら自由に判断し考えていくようになったことが大きいようです。

逆に、テレビやワイドショーまた新聞といった一方的な“主張”を行なう偏りの激しいお仕着せの情報のみに接している人たちは、自分たちは“真実”を知っているつもりになっていても、実は“浦島太郎”よろしく「情報貧民」に陥っていることに気づけないわけです。

かたや、自由自在にネットをたぐり、玉石混交のさまざまな情報や主張に接している“ネット民”は、かつては“ネトウヨ”などと呼ばれたりもしましたが、いろんな意見に接したうえで、常識的な判断をしている人々となっているわけです。

もっとも昨今は、トランシットの木星と海王星の三分(120度)が続いていることから、なにかと“過剰”に陥りやすい傾向もあって、思想とは関係なく相手を“非難”するといった炎上さわぎにはしる一部の”ネット民”(国民)もいる状況になっています。

それはともかく、“反日(左翼)的”なワイドショーやテレビ報道や新聞からしか情報を得ていない人たちに対して、「テレサヨ」なんて呼ぶむきもあるようです。
これも“ブーメラン現象”なのでしょうか。

テレビや新聞などマスコミだけにしか接しない人たちは、だいたいながら高度経済成長期を支えてきたお年寄りが多いので、揶揄するのはちょっとかわいそうな気もします。

確信犯的に“ネトウヨ”などと叫ぶ反日左翼思想の人たちはともかく、ネット時代の若い人たちが“ネトウヨ”などと一時は蔑称(ヘイト)されつつも、昨今では、もはや常識人と認識されて、“市民権”を得ている現状のほうが、将来への明るさを感じます。




中津宮と沖ノ島への参拝
2018.08.09
福岡県北岸にある宗像大社。

ご存じ天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれたとされる「宗像三女神」こと「田心姫神」(たごりひめのかみ)、「湍津姫神」(たぎつひめのかみ)、「市杵島姫神」(いちきしまひめのかみ)がまつられています。

『日本書紀』の一書(あるふみ、別伝)には、これら三柱の女神は、「道主貴」(みちぬしむち)といわれ、筑紫の水沼君(みぬまのきみ)らの祭神であると記されています。

詳しいご説明はともかく、“三貴子”(みはしらのうずのみこ)というのは、本来、「大日霎貴」(おおひるめのむち)、「大已貴神」(おおあなむち、おおなむち)、そして「道主貴」(宗像三女神)であるはずですが、一般的には「天照大神」、「月の神(月読命)」、「素戔嗚尊」を三貴子と呼びます。

つまり、大日霎貴は「天照大神」に、道主貴は「月の神(月読命)」に、大已貴神は「素戔嗚尊」の系統として『日本書紀』に描かれているわけです。

また、「宗像三女神」の一人、沖ノ島に祀られる「田心姫神」は、『古事記』では多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、また『日本書紀』では別名を「奥津島比売命」(おきつしまひめ)と記され、一書(あるふみ)では、辺津宮(宗像大社)に祀られている「市杵嶋姫神」(いちきしまひめ、市寸島比売)の別名ともされていています。

多分、本来は同一神です。

宗像海人族が、海路の安全を願う“守り神”としての三柱の女神なので、実態はなく、強いていえば大国主神に嫁いだ「多紀理毘売命」が、田心姫神をはじめとした市杵嶋姫など“海の女神”として祀られるようになったといえます。

沖ノ島は、島全体が“ご神体”とされ、これまで「女人禁制」として知られてきました。

ですが、今年2018年からは男子も立ち入り禁止と定められ、10日交代で祭祀をつとめる神官のみが常駐しています。

ただし、江戸時代には福岡藩が防人をおいたという記録が残っています。

一説では、沖ノ島が本格的に“神域化”されたのは、明治になってからという説があったり、「女人禁制」の記録は17世紀までしかさかのぼれないともいわれますが、これらは間違った理解です。

なぜなら、明治になってからも人が渡っていた反面、信長秀吉の安土桃山時代の軍船ならともかく、17世紀以前に手漕ぎの舟でもって、庶民が荒れることで知られる玄界灘を、約60km近く離れた「沖ノ島」に出入りすることは無理だったからです。

潮の流れもあって、時速2~3ノットの手漕ぎの舟だと、夜明けから日没まで半日間、休まずに漕ぎつづけても着きません。

17世紀以降、平和な江戸時代になって海運が発達し、物資輸送に従事する廻船が全国的になって以降、「女人禁制」の禁忌が一般にも知られるようになったといえます。

事実、今回、中津宮のある「大島」から、航海速力27ノット(時速50km)の動力船でも1時間強かかりました。

眼前に見る沖ノ島は、たしかに人を寄せつけないような“神々しさ”を秘めていて、“ご神体”(神の島)と呼ばれるのも納得です。

2600年以上昔の古代フェニキアの世界最先端の帆付きの二段櫂船でも、見渡すかぎり水平線しか見えない大海原を、どれくらい進んでいるのかもわからず、航海し続けていくわけです。

ましてや、古代海人族の船で、周囲4km、標高243mの沖ノ島が見えれば、板子一枚底は地獄の海のなかに、まるで“神”を見出すような体験をもたらした沖ノ島だったはずです。

島面積のわりに高い最高峰の「一の岳」にのぼれば、天候次第ですが、大島や九州・山口が見え、位置や方向を確定できます。

実際、立地をみればわかりますが、玄界灘を進む船にとって、対馬からも、また壱岐からも、九州北岸からも、また本州西端の山口沿岸からも、いずれも50km~70kmといった大海原の真ん中に沖ノ島は位置します。

そんな「沖ノ島」は、宗像海人族にとって、中継拠点であることはもちろん、“守り神”となる要衝の島だったのです。




「湍津姫神」を祀る中津宮。神湊(こうのみなと)から7kmほど離れた大島あります。


沖ノ島近影。手前のテトラポッドに囲まれた港内に上陸用の桟橋が設けられています。


一の岳。沖ノ島の最高峰 標高243m、灯台があり、神官が日本海海戦を目撃しています。

※九州北岸、宗像市の隣にある福津市の「対馬見山」の標高も243mです。なので、同じ高さで対馬に近い沖ノ島の「一の岳」から「対馬」が見えることになります。
また、243mあれば比較的平らな「壱岐」も望める計算です。当然、高い山がある「九州」や「本州西端」は指呼の範囲です。実は、沖ノ島の“秘密”がここにあります。




海王星がもたらす「共産主義」
2018.08.04
宝瓶宮占星学サイトでも何度か書いていますので、ご存じのかたも多いと思います。

海王星を社会的に「政治思想」の分野でみたときには、「共産主義」を象わすことになります。
ちなみに、天王星は「自由民主主義」です。

これは「政治思想」のお話なので、個人とは直接の関係はありません。

なぜかといえば、海王星を形而上的に個人の「精神面」からみると、それは「心霊主義」、今でいう「スピリチュアリズム」(神秘主義)を象わすことになるためです。

海王星は、ご存じのように魚宮の「共鳴星」です。

共鳴星というのは、“支配/被支配”や“吉/凶”など、双魚宮時代の「対立二元論」でとらえる西洋占星術でいう“支配星”のことです。

それはともかく、海王星の象意が“確定的”なのは、海王星が発見された1846年9月2日に、海王星が「魚宮」の影響圏に位置していたためです。

その2年後の1948年2月18日に海王星は魚宮に入宮しました。
その3日後の2月21日(太陽:魚宮1度)、マルクスによる『共産党宣言』が出版されます。

さらに同年3月31日には、アメリカのフォックス姉妹による「ポルターガイスト事件」によって、世界的な「心霊ブーム」(スピリチュアル・ブーム)が巻き起こり、19世紀後半から20世紀初期を席巻していきます。

つまり、「共産主義」と「スピリチュアリズム」(神秘主義)は、分野こそ違え、同じ海王星の“幻想”や“非現実”といった象意にもとづいています。

それから163年後の2009年、今から9年前、海王星はホロスコープを1周して、発見時の位置に戻ってきて、同年7月16日には、発見時とまったく同じ魚宮の影響圏の位置を逆行しながら通過していきました。

ちなみに海王星が太陽を1周して発見時の場所に戻ったのは、2011年7月12日のことです。

これら海王星の動きが、現実の社会にどのように働いたのかというと、身近なところでいえば、次のようになります。

7月16日から5日後の2009年7月21日に衆議院が解散し、第45回衆院総選挙に突入しました。

翌月8月30日の投開票の結果、衆議院480議席のうち、なんと64%強にあたる308議席を「民主党」が占めて、歴史的な“迷走”をみせた鳩山政権が誕生します。

共産主義にかぶれた鳩山氏は、当時、「これは(共産主義)革命です」と言い放ちました。

反日マスコミは報じませんが、当然、民主党員の多くが”隠れ共産主義(左翼)”といえる考えや思想の持ち主で、鳩山氏自身が中国の根強いシンパなのは、よく知られたお話です。

さらに同2009年、当時、副首席だった習近平は、小沢民主党幹事長のゴリ押しによって、天皇陛下に謁見すると、「国家主席」への箔をつけることに成功しました。

事実、海王星が正式に魚宮に入宮した2012年、中国共産党の最高職である「中央委員会総書記」兼「中央軍事委員会総書記」に就任します。

彼が「国家主席」に就いたのは、翌2013年3月14日(海王星:魚宮3度、太陽:魚宮23度)のときでした。

これは、彼が国家主席として「マルクス主義」(共産主義)を推進することを意味します。

事実、現在、海王星の上方矩(90度)のディレクションを受けている習近平は、「マルクス主義」(共産党一党独裁政権)の中国による「世界覇権」を目指していて、このことは、その筋ではよく知られているお話です。

例によって、反日左翼的なマスコミは報じませんが、中国が提唱する「AIIB」(アジアインフラ投資銀行)も、「一帯一路」構想も、その“美名”とはうらはらに、中国共産党によるアジア・アフリカ・ヨーロッパへの軍事侵出の拠点を築くための「長期的な戦略」であることは、もはや識者のあいだでは常識です。

ということで、「共産主義」を象わす海王星は、現在、共鳴サイン(宮)の「魚宮」をトランシット中(運行中)ゆえに象意を強めており、結果「共産主義」(幻想)のリバイバルをうながしている真っ最中です。

双子宮生まれ(太陽)の習近平は、上方矩(90度)の海王星によって、対外的に「共産主義幻想」を強めている人生期にあるわけです。

一方、おなじく双子宮生まれ(太陽)ながら、「自由」を象わす対宮の射手宮に月をもつトランプ米大統領は、「アメリカ・ファースト」(強いアメリカ)を掲げて、かつての「東西冷戦」の構図よろしく、米中貿易戦争などによって中国をつぶす作戦を展開しはじめています。

トランプがロシアのプーチン大統領に秋波を送っているのも、二人の相性が良いことはもちろんですが、北朝鮮やロシアを巻き込んで、対中包囲網を形成することをベストの戦略とし考えているためです。

ちなみに、海王星は、現在、魚宮15度を逆行中です。

今年2018年11月に魚宮13度で順行に戻ると、海王星は来年2019年2月に再び魚宮15度を通過していきますが、それ以降になると、今度は逆に、徐々に「共産主義の亡霊」のリバイバルは“欺瞞”がバレはじめていきますので、習近平も次第にその神通力を衰えさせていくことになります。






いわゆる「市民団体」って?
2018.08.01
またぞろ、「ニュース女子」問題が“ニュース”になっていました。

先月20日にネットにアップされていたのは、《「ニュース女子」で名誉毀損、在日女性が「DHCテレビジョン」と司会者を提訴へ》というタイトルで、同じ内容の記事が昨日31日にもアップされていました。

ここで“在日女性”というのは、市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表のことです。

「DHCテレビジョン」というのは、いまなお「ニュース女子」を製作している、サプリや美容品などでも知られる企業です。

“司会者”は、昨年2017年1月に“問題”とされた「沖縄ヘリパッド移設反対運動」の内幕を暴露放送したときの、長谷川幸洋氏です。

当時は、東京新聞論説副主幹でしたが、「ニュース女子」が東京MXと契約解除した今年3月末の時点で退社するとともに、「ニュース女子」の司会者も降りています。

それはともかく、市民団体「のりこえねっと」というのは、正式には「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」という、おどろしい団体名の略称です。

なので、こむずかしいご説明はともかく、手っ取り早くいえば、「いちゃもん」をつける“反日左翼団体”です。

だいたい、「朝日新聞」もそうですが、かつての「日本共産党」をはじめ、「中国」や「北朝鮮」など左翼思想をもつと、自分はその主義主張から相手を批判するのですが、相手から批判されることは許さないといった体質をもちます。

今回もその一環で、辛淑玉氏が「ニュース女子」で「沖縄ヘリパッド移設反対運動」にかかわっていると放送されたために、これをこれまでどおり内密にしようと、「ヘイトスピーチだ!」「レイシズムだ!」と、要は、言論封殺をはかり、自分たちの思想や主張を通し、活動を継続しようとする、一見、大衆側をよそおった活動の一環です。

で、本題ですが、「市民団体」は、反日左翼が多いのです。

なぜかというと、彼らは「反国家」「反権力」なので、決して「国民団体」とは名乗らないためです。

本来は、「中華人民共和国」や「北朝鮮人民共和国」といったように「人民団体」と名乗っていただければわかりやすいのですが、そんなわかりやすいことは当然せずに、大衆煽動のために、あくまでも一般人を装って同意を得やすいようにすることからも、「市民団体」と名乗っているわけです。

さらには、辛淑玉共同代表自身が在日なので「日本国民」を名乗ろうにも、思想的にも名乗りたくないことから、「市民団体」というしかないわけです。

このことは、NHKをはじめとした反日傾向の強いテレビや新聞などのマスコミ関係者は知っています。

なので、マスコミは、「市民団体」の活動は比較的ながら積極的にとりあげて放送します。

逆に、「国民団体」の活動はあまりとりあげません。

そこへの人脈や情報が少ないこともありますが、取り上げても、最小限、事実のみの放送となるか、批判的なニュアンスで紹介することが多いのも事実です。

つまり、「市民団体」といっても一般市民ではないことが多いわけです。




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