宇佐神宮「ご神紋」の誤解
2018.09.04
数日前、ネットで画像検索をしていたんですよ。

そしたら、「宇佐神宮の神紋と琉球王国の紋章が同じ」という一文があって、ビックリしました。

もし、そうであれば「古代日本成立の原点」が異なってきます。

宇佐神宮といえば、古代では「宇佐八幡宮神託事件」が有名です。

日本で最初に「天皇」と号した天武天皇の皇統で皇子がいなくて最後となった称徳天皇の代に、「道鏡が皇位に就くべし」というご神託があったというお話です。

なぜ、宇佐神宮(宇佐八幡宮)のご神託が、それほど当時の皇位継承に重要だったのかといえば、いろいろ説はあると存じますが、天武天皇のルーツにかかわっていたからです。

ここでの詳しいご説明は省きますが、天武天皇と“海人族”また“大分君”(おおきだのきみ)の関係は、天武天皇の本来の諡号が、「天渟中原瀛真人天皇」(あまのぬなはら おきの まひとの すめらみこと)というくらい、実は深い関係があります。

現在の大分県は国東半島(くにさきはんとう)の付け根にある「宇佐神宮」が、紋章を通じてとはいえ、琉球王国とかかわりがあるというのであれば、歴史がひっくり返るくらいサプライズなのです。

で、結論です。

間違いです。

「宇佐神宮の神紋と琉球王国の紋章が同じ」というのは、どうやら「三つ巴紋」をゴッチャに理解しているからです。





三つ巴にもいろんな種類があって、上図には省きましたが、重なった「重ね三つ巴」がありますし、上図の左下に掲載した少し離れた「琉球王家の三つ巴」、そして上図下中央のふつうの「三つ巴」、さらには右下の少し尾を長くした「有馬三つ巴」、そして渦巻きを象わす、さらに長い「尾長三つ巴」などがあります。

宇佐神宮は、三柱の神を祀っています。
第二御殿の「比売大神」(ひめ おおかみ)の紋章が、宇佐神宮を代表する神紋で、単なる「三つ巴」ではなく「尾長三つ巴」に近いものです。

実際、宇佐神宮のお賽銭箱に「神紋」が飾られていますが、それをみても「琉球王家の紋章」とは異なる“尾長三つ巴”に近いものになっています。

ちなみに、宇佐神宮に祀られる三柱の神のうち、第一御殿の「八幡大神」(誉田別尊:応神天皇)と、第三御殿の「神功皇后」(息長帯姫命)は、実をいえば、あとから祀られたご祭神です。

もっとも、由緒では、宇佐神宮の裏山にある大元山(おもとやま)にある元宮の「比売大神」のほうが、あとから祀られたとされています。

いずれにしても、八幡大神(応神天皇)の紋章とされる「十六(弁)八重菊紋」も、神功皇后の「五七桐紋」(ごしちのきり もん)も、3世紀または5世紀にはありませんでした。

日本に菊が伝わったのはその後ですし、「五七桐紋」のような複雑な紋章が3~5世紀の当時にあったとは思われず、実際、数世紀を経たあとの天皇の時代にはじまったものとされています。

現在、天皇紋として知られる「十六(弁)八重菊紋」が正式に天皇家の紋章として定められたのは、「明治維新」直後の明治2年8月25日「太政官布告第802号」によって、天皇家以外に使ってはならないと定められてからです。

「十六(弁)八重菊紋」は、それ以前の12世紀の後醍醐天皇が愛用したことで知られていますが、「五七桐紋」と同様に、さほど古い紋ではないというのが実状です。

ということもあって、「菊紋」が似ているなどといった理由から「天皇シュメール起源説」などが語られていますが、ほかにも理由があって完全な間違いです。




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