友泉亭公園:福岡市
2022.04.07
 
友泉亭公園:福岡市
― 筑前福岡藩のお殿様の元別荘 ―



◆「江戸中期の6代目黒田継高公の別邸があった場所」



福岡市中央区、城南区との境を流れる樋井川(ひいかわ)沿いに「友泉亭公園」(ゆうせんてい こうえん)はあります。




福岡市で初めての「池泉回遊式」の日本庭園として整備され、1981年(昭和56年)に開園したとパンフレットに紹介されています。

もともとは、軍師黒田官兵衛(黒田如水)を藩祖とし、その嫡男:黒田長政を初代とする筑前福岡藩の6代目黒田継高公の別邸だった場所でした。




明治維新後は小学校や役場になり、昭和に入って民間人の別荘となるなど二転三転しています。

結局、1978年(昭和53年)に福岡市が取得し、現在のように日本庭園「友泉亭公園」として改修復元を行ない、一般公開し、今日に至ります。




上の画像は、「白玉増量中」とコピーがあった冬季限定のぜんざい(抹茶、菓子つき)で、畳間の「本亭」(茶室)で、池泉を泳ぐ鯉など庭園を眺めながらいただけます。

ホームページには、2月5日に3つから5つに白玉が増量になり、なくなり次第終了と書かれていましたが、4月初めも継続中でした。




順番が前後しますが、公園内にある「本亭」(友泉亭)の入り口です。

道路わきの公園入口「冠木門」(入園料200円、65歳以上無料)から50メートルほど進んだところにあります。

毎週月曜日休園(休日の場合はその翌日)。9時から17時まで開園中です。










橋下「炎上商法」を読む
2022.04.06
 
橋下「炎上商法」を読む
― 変節ではなく彼の性分と作戦 ―



◆「ナナメった発言で注目を集めるのが狙い?」



またぞろ橋下発言が話題になりました。

「ウクライナはロシアに降伏せよ!」といった1か月ほど前の発言です。

これは彼の「炎上商法」(作戦)ともいえそうです。

周囲が騒ぐほど話題になり、マスメディアへの露出や登場頻度が増えるという狙いが、どこか透けてみえるからです。



≪茶髪の風雲児≫

彼がマスメディアに登場したのは、以前は知りませんが、「行列のできる法律相談所」に弁護士としてのレギュラー出演でした。

当時、真面目でお堅いイメージのある弁護士らしからぬ“茶髪の風雲児”と呼ばれていたのを覚えています。

その発言は、意外性のある果敢なもので、一定の人気があり、評価を得ていました。

その後、「大阪都構想」とともに大阪維新の会を立ち上げ、知事選に打って出ると、見事、当選を果たしたのはご存じのとおりです。

結局、2020年11月1日に「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行なわれ、僅差で敗れると、当時の役職大阪市長をあっさりと辞めて政界を引退しました。

投票数に対してわずか1.26%差、17,167票での敗北でした。



≪非常識な発言を狙ってる≫

その後、大阪維新の会の法律顧問に収まっていました。

この頃は国政選挙以外、大きな話題にはならなかったと記憶しています。

その法律顧問も、先月3月(平成3年度)をもって契約終了しました。

彼のことです。

人並の発言をしても話題にはのぼらず、マスコミへの露出は望めません。

なので「それおかしいよ」「ちょっと違うんじゃない」というナナメった発言を半分ホンネで、半分意図的にしているようです。

“茶髪の風雲児”と呼ばれて弁護士らしからぬ言動をしていた彼です。

頭はいいので、それぐらいは考えるでしょう。

もっとも、考えなくてもふつうにできるタイプです。

なぜなら、彼のホロスコープ(出生天球図)からそれがリーディングできるからです。



≪橋下氏のソーラーチャート≫

下図は、彼のホロスコープ(出生天球図)です。




出生時間が分かりませんので、出生時の「太陽」をASC(Ascendant:アセンダント=上昇点)の位置におく「ソーラーチャート」で作成しています。

サイン(宮)とハウスを、ともに30度ずつにしたイコール・ハウスシステム「ハウス・ホイール」でのソーラーチャートです。



≪「天王星」と神秘長方形≫

彼のホロスコープ(出生天球図)をみると、蟹宮6度の「太陽」に対して「天王星」が下方矩(ロウアー・スクエア=90度)です。

直前に「冥王星&ドラゴンテール&木星」の三重合(コンジャクション=0・0・0度)をもちます。

これと、衝(オポジション=180度)の「ドラゴンヘッド」、また「金星」と「海王星」の衝=180度を交えた6つの星で、神秘長方形(ミスティック・レクタングル=120/60/120/60)を形成しています。

これらによって彼が、“奇抜”な内面性をもつことがリーディングできます。

世間一般の考え方や、ものの見方からからは、少々外れた言動をしやすいことが分かるのです。

さらには、ほかの要素からも、無意識か意図的かはともかく、彼の生まれもつ“性分”からみても、奇をてらった考えや言動をされることが透けてみえます。



≪彼の“性分”としてもあらわれる≫

さらにリーディングを続けます。

上述の三重合=0・0・0度の終盤にある乙女宮28度の「木星」は、「天王星」と合(コンジャクション=0度)です。

これらに対して、射手宮22度の「月」が「冥王星&ドラゴンテール&木星」また「天王星」を上方矩(アッパースクエア=90度)としているのです。

これらのことから、蟹宮生まれ(太陽)の彼にとって、その“性分”が世間一般の常識やふつうの考え方からは、外れやすいものとなっていて、情動としてオモテに現われやすいことがリーディングできます。

要は、意図するしないは別にして、“深層の内面性”や“性分”が、世間やマスコミの注目を集めるような奇をてらったものになりやすいタイプなのです。

結局、それによってマスコミ露出度アップを狙う「炎上商法」になっています。

世間が「非常識だ!」「橋下さんやめて!」と騒ぐほど彼の思うツボで、その術中にはまっていることになるといえそうです。









アストロロジーの原意をUP
2022.04.05
 
宝瓶宮占星学サイトに「アストロロジーの原意」をアップしました。

当ブログにアップした「占星学と占星術の「原点」」に続くものです。


ご興味がありましたらご高覧ください。










頼朝と義経の文化のレベル
2022.04.05
 
頼朝と義経の文化のレベル
― 草薙神剣が重要だった ―



◆「熱田神宮大宮司家の娘を母に持つ鎌倉殿



幼名「牛若丸」こと源義経は人気があります。

平家を滅亡に追いやった軍功からもそうなのでしょう。

一方、武家政権の世をひらいた源頼朝は、さほどではありません。

ですが、頼朝がひらいた武家政権によって日本は救われていくことになります。

それはのちの歴史のお話。

もし、義経に文化的素養があれば、その運命は違ったものになったでしょう。



≪異母兄弟の頼朝と義経≫

初代鎌倉将軍「源頼朝」(みなもとの よりとも)と、異母兄弟の弟「義経」(よしつね)の文化差は歴然です。

二人とも河内源氏の6代目棟梁:源義朝(みなもとの よしとも)を父にもちます。

ですが、母は異なります。

兄:頼朝の母は父の正妻:由良御前です。

弟:義経の母は側室:常盤御前でした。

由良御前の実家は三種の神器のひとつ、「草薙神剣」(くさなぎの みつるぎ)が奉斎されることで知られる熱田神宮の大宮司家です。

日本の文化の根因に通ずる由緒ある家柄です。

一方、九条院こと藤原呈子の雑仕女(ぞうしめ:召使い)だった常盤御前の出自やご両親は不明です。

母親の違いではなく、頼朝と義経の文化的素養のお話です。

常識にとらわれない発想や身体能力は、兄:頼朝を超えて頭抜けた義経でした。

ですが、日本(世の中)の伝統文化の把握、もしくは考慮においては、遠く頼朝におよびませんでした。



≪壇ノ浦での平家滅亡≫

ご存じのように、義経は本州と九州の間にある関門海峡「壇ノ浦の戦い」で平家を滅亡に追い込みました。

戦いに勝った義経ですが、やむをえないとはいえ、大きなミスをおかしてしまいます。

敗走する平家は、幼帝「安徳天皇」と、そのお立場の象徴「三種の神器」を持ち去っていました。

敗北が決定的になると、幼帝を抱いた平清盛の妻:時子は、三種の神器もろとも入水したといいます。

結果、三種の神器のうち、草薙神剣は回収できませんでした。

八咫の鏡(やたのかがみ)は箱ごと波間に浮いていたようですが、神剣は沈んでしまったようです。

歴代天皇の中で、最も短命で崩御された幼帝でした。

数え年で8歳です。

2歳でご即位されたため、実権は存命中の外祖父:平清盛が握っていました。

安徳天皇の母は、高倉天皇の皇后で平清盛の娘:徳子こと建礼門院です。

清盛の病没後4年めに起きた「壇ノ浦の戦い」(平家滅亡)でした。



≪頼朝の思惑を知らなかった≫

平家を滅ぼした源義経は、意気揚々と兄:頼朝に報告したのではないでしょうか。

しかし、三種の神器を手にすることが日本国のトップを象徴することを知っていた源頼朝です。

平家は滅びたものの、三種の神器とくに草薙神剣を回収できずに喪失してしまったことを熱田神宮大宮司家の娘を母に持つ頼朝が喜ぶでしょうか?

三種の神器がなければ、「京」を押さえ武家政権の世を盤石にする名目が立たないのです。

喪失した草薙神剣が本物だったのか、もしくは形代(かたしろ:レプリカ)だったのかはわかりません。

少なくとも皇位継承の儀に使われていたものであることは確実です。

そんな頼朝の思惑を知るよしもなかった義経でした。

安徳幼帝の退位もなく、神器継承もないまま、即位していたのが京にいた後鳥羽天皇です。

平家が滅び、頼朝にも神器が渡らず、喜んだ天皇からの官位を受けたのが義経でした。



≪義経の裏切り行為≫

繰り返します。

頼朝は、鎌倉政権を盤石なものにするためにも、三種の神器を手に入れたかったのです。

平家に代わってこの国を治めることはもちろん、後鳥羽天皇や京に対して優位に立つことができるからです。

しかし、京の鞍馬山で育った義経でしたが、神器の重要性は認識していなかったようです。

もしくは、知っていても軽視したことになります。

そんな文化レベルの義経だとは、頼朝も思いもおよばなかったでしょう。

一方、義経は、宝鏡:八咫の鏡(やたかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を京に持ち帰って、凱旋を果たします。

喜色満面の後鳥羽天皇だったのではないでしょうか。

ご自身のもとに三種の神器がなかったことはもちろん、頼朝の手に神器が渡らなかったことが大きいからです。

結果、兄:頼朝を軽視して、裏切ってしまったことに気づかない義経でした。



≪文化レベルが異なる≫

現在、NHKで放送されている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、どう描くのかはわかりません。

三谷作品は、文化よりもエンターテインメント重視だからです。

源頼朝の視点を語り部として描いた2012年の大河ドラマ「平清盛」とは異なります。

低視聴率だった「平清盛」でしたが、文化レベルは高かったのです。

ですが、NHKは今回、文化レベルよりもエンターテインメントのほうを重視したようです。

商業ベースではないNHKですが、文化よりも視聴率のほうが気になるようです。

“公共放送”という虎の威を借りて受信料金を徴収しているNHKです。

ですが日本の文化を描くことは期待できないようです。

三谷作品であることもそうですが、内部事情からなのか、他国に配慮して奥深い描写はできないのかもしれません。









占星学と占星術の「原点」
2022.04.02
 
占星学と占星術の「原点」
― アストロロジーとの違い ―


◆ アストロロジーは「学問」、現代占星術は「占い」



多くのかたが「アストロロジー」と「占星術」を混同しているようです。

同じだと思っているかたが多いのですが別ものです。

古代ギリシャに発祥したアストロロジーは「学問」(当時の科学)ですが、現代占星術は「占い」だからです。

いずれも「ホロスコープ」を用います。

なので同じだと思われていますが、「原点」の異なる異分野の存在です。

これは事実をお伝えしているだけです。



≪西洋占星術の“ウソ”≫

西洋占星術を学びはじめた当初は気づきませんでした。

「アストロロジー」と「占星術」は同じだと思っていたのです。

多くのかたがそう思っているのではないでしょうか。

書籍やWEBサイトのタイトルは「西洋占星術」ですし、説明には「4,000年の歴史があり…」云々などと書かれています。

初めてのかたは、古くからある伝統的な占いだと思ってしまうのです。

また、別の説明では、「アストロロジーは古代からの最先端科学で…」などと喧伝されていました。

これらは“ウソ”です。

もしくは作者の“妄想”また“思い込み”です。

以下、ご説明してまいります。

英語で「アストロロジー」(Astrology)というとき、日本語では「占星術」と訳されます。

2,000年も前ならいざ知らず、現代では間違いです。

英語で「〇〇ロジー」というからには、「〇〇学」といった学問や科学でなければなりません。



≪科学とは正反対≫

古代ギリシャに発祥したアストロロジー(通称:古典占星学)と、19世紀中ごろに萌芽した現代占星術は、“根っこ”が異なります。

同じようにホロスコープを使うので、世間一般的には同じだと誤認されていますが、そこには「メビウスの輪」のようにねじれた歴史的経緯をみることができます。

約2,000年前の「学問」(アストロロジー)が、近世に「占い稼業」(古典占星術)に転じたこともその要因です。

さらに、19世紀後半に似て非なる「占い」(星占い、現代占星術)が誕生したという経緯があります。

これらは皆、同じようにホロスコープを用いるのです。

詳しい理由は、あとでご説明いたします。

早いお話が現代占星術(占い)は、アストロロジー(学問)を”パクった”のです。

理由はあります。

いずれにしても、星占いや現代西洋占星術を「学問」また「科学」と呼ぶ人がいたら、相当、頭のおかしい人です。



【星占いに古典占星術が介入】

上述ように「学問」(科学)だったアストロロジーは、近世に「占い稼業」(通称:古典占星術)に転じます。

理由は、「四大元素説」が“疑似科学”(迷信)とされたからです。

ですが、古代ギリシャの理論を維持したままで、古典占星術(占い稼業)に変わっていくのです。

しかし、古典占星術もまた「天王星」の発見によって、ホロスコープ理論が破綻していきます。

そののち、「海王星」発見の直後に“当たる/当たらない”の星占いが萌芽していきました。

これに古典占星術が介入していくことによって、皆さまご存じの現代占星術(ホロスコープ占い)に変容していった経緯があります。



≪誤認している4つの理由≫

アストロロジー(学問、科学)が、占星術(占い)だと誤解されるようになったのには、複雑な事情があります。

結論的に、ポイントのみ書いておきます。

次の4つです。

1、同じようにホロスコープをもちいる。

2、Astrology(アストロロジー)が、“占星術”と誤訳されている。

3、両者の歴史的経緯が複雑に錯綜。

4、双魚宮時代や海王星の象意なので仕方がない。

ここまで読まれて、アストロロジーと占星術は同じだと思われておられるかたは、まだいらっしゃるでしょうか。

もし、いらっしゃるなら、“占星術信仰”はご自由ですが、現代人としての論理的判断力に欠けているか、もしくは“洗脳”が進んでいるかもしれません。



≪ホロスコープを用いる≫

もう少しご説明をいたします。

ホロスコープは、出生地などのイベントのあった場所からみた、その瞬間の宇宙太陽系の星の配置を忠実に写しとったものです。

古代ギリシャのアストロロジー(学問)も現代占星術(占い)も同じです。

ですが、ホロスコープの解釈や用途がまるで異なります。


たとえば、最先端の高性能カメラを用いて、壮大な「宇宙ドキュメンタリー」(学術)を撮るのと「スターウォーズ」(物語)のようなSF映画を撮って、両者を観るといったような違いです。

現代占星術のように「占い」としてのホロスコープ解釈しかないと慣れ親しんでしまうと、アストロロジーの学問によるホロスコープの解釈や用途も同じだと思い込み、まったく別のものであることに考えがおよばないのです。

「アストロロジー」(Astrology)に占いという意味はどこにもありません。

直訳すれば、天体学(Astro=天体:星、-logy=科学、~学)です。

同じようにホロスコープを用いるので勘違いしているかたが多いのですが、アストロロジーは、あやふやな「占い」などではなく、古代ギリシャの世界観に基づいて体系的に解釈された、当時最先端の「学問」でした。



≪海王星の象意“事実誤認”≫

次は、歴史的経緯による勘違いの理由をご紹介いたします。

古代ギリシャのアストロロジーは、近代科学によって“疑似科学”とされ、学問的に否定されました。

有名なケプラー(1571-1630)は、“疑似科学”とされたものの同じようにホロスコープ理論をもちいた「古典占星術」(占い稼業)によって、研究資金としています。

しかし、18世紀末の「天王星」の発見によって、そのホロスコープ理論までもが破綻していきます。

その後、19世紀中ごろの「海王星」の発見によって、世界的な心霊ブーム(近代スピリチュアル・ブーム)が起きたのです。

それとともに、霊媒師マダム・ヴァッキー率いる神智学協会のアラン・レオらによって、理論を捨象したオカルトチックな“星占い”が萌芽していきます。

ここから、アストロロジー用語の一部を取り入れ、ホロスコープを占いとして用いていく、皆さまご存じの現代西洋占星術に変容していくのです。

まるで、朽ち果てた古い“母屋”(アストロロジー)の軒下を借りて「占い」という看板を出し、母屋かのように装っているのが「現代占星術」かのようです。

以上のような出来事は、「双魚宮時代」また「海王星」の象意なので“占星術的”には仕方ありません。

双魚宮時代の末期、海王星の発見(1846年)によって「現代占星術」は萌芽しはぐくまれていったので、海王星の象意“幻想”や“欺瞞”また“事実誤認”を内包しつつ存立しているためです。



【では、「占星学」はどうなのか?】

「〇〇ロジー」は学問ですが、では「占星学」といった場合はどちらなのでしょうか?

「占い」なのか「学問」(科学)なのか、ということです。

占星術を学術的に論じるというなら「学問」ですが、西洋占星学はありえません。

なぜなら、西洋占星術を言い替えただけの「占い」で、科学的な理論がないからです。

では、通称「宝瓶宮占星学」はどうでしょうか。

ちゃんと宇宙この世界の根本法則に基づいた基礎理論があります。

また、古代ギリシャのアストロロジーは、“古典占星学”と称されています。

なので、便宜上「宝瓶宮占星学」と称してご理解をうながしています。

過渡期なのです。

本来は、宝瓶宮時代の新しい「アストロロジー」(宝瓶星学:ほうへいほしがく)に進展していきます。

とりあえずはそういうことです。











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