「三種の神器」のルーツ 4
2017.06.05
「三種の神器」のうち、最後は「八尺瓊の勾玉」のルーツについてです。

繰り返しになりますが、単なる「鏡」「剣」「勾玉」をもって三種の神器とはいいません。
あくまでも、固有の宝鏡「八咫の鏡」、同じく神剣「草薙の剣」、そして固有の瑞珠「八尺瓊の勾玉」をもって「三種の神器」といいます。

なぜなら、どこにでもある「鏡」「剣」「勾玉」をもって三種の神器とするなら、だれもが「天皇」を名乗れます。
そうではなく、「三種の神器」は、それぞれが各地の王国を象徴しているゆえに、統一大和を治める「天皇」がもつ“みしるし”になっています。

「八咫の鏡」と「草薙の剣」は、『日本書紀』の「神代」紀に由緒が記されています。

「八咫の鏡」は、天の岩戸隠れに際してつくられた「鏡」で、“高天原”こと九州連合「倭国」の王権を象徴します。
「草薙の剣」(天の叢雲の剣)は、“八岐大蛇”を退治した地「出雲」を盟主とする、箸墓古墳でもさわがれる本州「大国主連合」の王権を象徴します。

なので、この2つの神器をもつことは、尾張国以西を治める“天皇”(大王)の“みしるし”となります。

そこに、統一大和の時代、7~8世紀に「八尺瓊の勾玉」が三種の神器に加わります。
それまで(持統天皇まで)「二種の神器」をもって天皇は即位してきました。

それは、『日本書紀』に記されているとおりです。
「三種の神器」が記されているのは神話(神代)のみで、しかも一書に記された「天孫降臨」神話の箇所のみです。
その後の人代の「天皇」の即位に際しては、「二種の神器」しか記されていません。
それが歴史的事実だからです。

では、7~8世紀になってくわわった「八尺瓊の勾玉」は、どの地域の王権を象徴するのでしょうか。
『日本書紀』には次のように記されています。

第10代「崇神天皇」の皇子「垂仁天皇」紀の記載です。

●『日本書紀』「垂仁天皇」紀より抜粋

むかし丹波国の桑田村に名を甕襲(みかそ)という人がいた。
甕襲の家に犬がいた。名を足往(あゆき)という。
この犬は山の獣むじなを食い殺した。
獣の腹に八尺瓊の勾玉があった。これを献上した。
この宝は今、石上神宮(いそのかみ じんぐう)にある。

《原文》
昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。
則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、
則獸腹有八尺瓊勾玉。因以獻之。
是玉今有石上神宮也。

古代、一般の「勾玉」は、現在の新潟県の糸魚川産のヒスイが最高級で、糸魚川はもちろん北海道や青森など主に北日本で、はるか5,000年前の縄文時代から勾玉に加工されていて、九州まで全国に交易されています。

それゆえ、「勾玉」自体は、基本的に北陸をふくめた関東以北の国の支配権を象徴します。

つまり、九州倭国の支配権を象徴する「八咫の鏡」、尾張国をはじめ近畿以西の本州国の支配権を象徴する「草薙の剣」、これに北陸や北日本の支配権を象徴する「八尺瓊の勾玉」が加わって、7~8世紀以降、統一大和の「天皇」の象徴「三種の神器」となるわけです。

では、固有の「八尺瓊の勾玉」は、なにを意味するのでしょうか。

もとは「むじな」の腹にあって、今は「石上神宮」にあると記されています。
「むじな」は、学術的にはアナグマやタヌキまたはハクビシンなどのことではないかといわれていますが、『日本書紀』の記述には、たびたび「むじな」が出てきます。
それは「よからぬ人」や「正体不明の一族」また、ワケあって「事実を記せない人」をさします。

『日本書紀』編纂当時、「今は石上神宮にある」と記されている以上、やはり石上神宮にかかわる物部氏の支配地を象徴するといえます。

つまり、石上神宮を拠点とする物部氏の祖「饒速日命」(にぎはやひのみこと)こと「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてる ひこ あめのほかあり くしたま にぎはやひの みこと)の支配地だった地域です。

物部氏は、日向の曾(そ)の山に天降り、出雲にもかかわるのはもちろん、上述の「むじな」の丹波国(現京都府)や畿内国をはじめ、東北にも勢力を伸ばしています。

結局は、「神武天皇」の東征に際して、国を譲った物部氏の祖「饒速日命」の勢力圏を象わしているのが「八尺瓊の勾玉」です。


※ 物部氏は、紀元前7~8世紀ごろ、珍物や鉱脈を探しに日本にやってきた古代オリエントの一族にかかわります。
当時は、長野の「諏訪」を通る「糸魚川静岡構造線」の断層地帯に“鉱脈”がむきだしになっていたのは“当然”で、鉱脈を探しにきた古代オリエントの一族も、また最高級の「ヒスイ」製であろう「八尺瓊の勾玉」も、ここにかかわります。
腹から八尺瓊の勾玉が出てきたという「むじな」の正体は、私見では、この“古代オリエントの一族”を意味するのではないかと考えています。




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