生きていることの“奇跡”
2017.06.12
健常者にとって、生きていることはふつうで、さほど不自由なく生活しています。

それが当たり前の日常なので、他国と違いテロもなく飢餓や紛争もない平和な日本では、とくに問題はありません。

しかし、病気の人や身体に障害のある人はどうでしょうか。
とあるテレビ番組で、いつ死ぬかもしれない病気の方のひとことが“真実”をついていました。

くわしいシチュエーションは覚えていませんが、「生きていること自体が奇跡」「生命そのものが奇跡」と思うといった趣旨の発言です。

この言葉は、骨折以外に病気も入院もしない身ながら“記憶”(心)に残りました。

なぜかといえば“真実”だからです。

それは宝瓶宮占星学サイトの記事を書くにおいても、想いのどこかにありました。
また「数理法則とクオリアル・ワールド」においても、“生命”の存在はもちろん、“生命の奇跡”は、「数理法則」では論理的な必然性を有していました。

「基本三数」につづく「4数」に、「地球生命体」の存在理由はもちろん宇宙この世界の根本的な秘密があったのです。

奥深い内容でもあるために、現時点で“パーフェクト”だとは考えていませんが、宇宙この世界に「人間生命」が存在する根本の意義を明らかにできるものです。

肉体的にみれば、物質ゆえに消えゆく「たかが命」ですが、精神意識的にはやはり「されど生命」です。
唯一ゆえに重要なのはご存じのとおりです。


※ 霊能者やスピリチュアリストの一部の方が、肉体よりも霊(魂)のほうが永遠なので重要だといった発言をされることがあります。そうではなく肉体をふくめた「生命」(精神意識)そのものが重要です。




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