「共同通信社」のウソ報道
2020.06.08
昨日、次のようなニュースが流れました。

真偽をご判断ください。


「香港への国家安全法制の導入をめぐり、中国を激しく批判する米国や英国などの共同声明に日本政府も参加を打診されたが、拒否していたことが6日わかった。複数の関係国当局者があきらかにした。」

「米国など関係国のあいだでは日本の対応に失望の声が出ている。」

ホントに?

なにか深い配慮があるの?

「複数の関係国当局者があきらかにした」と、いかにも情報源が“複数”で真実かのように書いています。

しかし、配信元をみると、完全な中国の代弁者である「共同通信社」なのです。


「通信社」というのは、契約している全国の新聞社に「記事」を流し、東京の五大新聞社も地方の新聞社も一部を削除して掲載することも、逆にプラス・アルファをして掲載することも、そのまま「共同」として流すことも可能です。

当然、世界や日本政府に取材源をもたない地方新聞社の多くは、「共同」もしくは「時事」ときには海外の「ロイター」といった通信社の記事を、そのままニュースとして流すことも多いのです。

では、肝心の今回の「共同」の記事は信用できるのでしょうか。

おかしいですよね。

「複数の関係国当局者があきらかにした」と、もっともらしく書いていますが、それが“誰”なのかはもちろん、どんな“立場”の人物なのかを、まったく明らかにしていないので具体性がないのです。


そのため、完全な“フェイク・ニュース”の可能性があり、そればかりか中国の意を受けて、世論を誤った方向に誘導しようとする情報操作を仕掛けた、“情報戦”また“超限戦”という、国家消滅の“断末魔”にひんした見えない戦争を“中国”が仕掛けてきているかのようです。

こと、昨今の米国警察官による黒人殺害に対する抗議デモといった反米報道もそうです。

結局、「武漢ウイルス」や「香港国家安全法」でピンチに陥っている中国の“反転攻勢”の試みが、実に涙ぐましいほどの状態で“必死感”が伝わってきます。

結局、事実は事実です。

ウソで糊塗しようとしても、親中で反日反米の堕落した日本の「新聞」や「マスコミ」がそのまま垂れ流しても、“玉石混交”のネットはごまかせません。

昨今、もはや緊急事態宣言によるステイホームなどで、“ネット民”と化した多くの一般人は、玉石混交のニュースのなかから、どれが事実なのか、混沌とした多くの情報に接することによって見抜く目を格段に研ぎ澄まし高めてきていますので、“ウソ”は次第に通用しなくなってきています。

気がつかないのは、「新聞」や「マスコミ」ばかりといった、あわれな状況が生まれつつあります。


事実、“中国より”とも思われていた菅官房長官は、本日8日、次のように述べました。

「わが国は強い立場を直接、ハイレベルで中国側に直ちに伝達し、国際社会にも明確に発信をしている」

「米国や英国など関係国は、わが国の対応を評価しており、失望の声が伝えられたという事実は全くない」


やはり、「共同通信」の記事は大ウソだったのです。

地方新聞社や読者はバカではありません。

こんなことを続けていれば、「共同」の配信ニュースを次第に信用しなくなりますので、結局、自らの墓穴を掘っていることに気づかないのでしょう。








えっ なんていう山の名?
2020.06.08
難読山名のお話です。

※画像がなくてスミマセン、カメラを失くしました。


福岡方面をのぞいて、ほぼ山に囲まれた盆地に実家があり、そこから見える頭一つぬけている4~5つほどの山のうち、なんと3つが「難読山名コンテスト」で入賞しているという日常のお話。

NIFTYが1996年に行なった「日本異様難読山名コンテスト」で、投票によって日本一に選ばれた山、また第3位の山、さらには第12位の山です。

gooが2016年に行なった全国の難読山名調査でも、1位と4位になっています。


まずはかるく肩ならしで、山というより丘陵。

実家の川向かいにあります。

「会所山」。

川をはさんで目の前にあるので、子供の頃から朝に夕に日々目にしてきました。

山頂には、858年に創建され、古代にこの地を治めていた“日佐津媛”(ひさつひめ)を祀る祠(ほこら)「久津媛神社」があります。

もともとは景行天皇とともに祀られていたのですが、明治末期にふもとの「会所神社」に移されました。

たぶん、古墳代わりに埋葬されたもので、景行天皇が熊襲征伐の帰りに寄られたことが『豊後国風土記』に記されています。

丘陵の名前は「会所山」(よそやま)です。



さて、本題の実家から見える難読山名を含めた4つの山をご紹介します。


1、
NIFTYでもgooでも全国1位に選ばれたのは「一尺八寸山」。

標高は、706.7m。山容は平凡です。

名前の由来は、猪を3匹仕留めたところ、その尾の長さが一尺八寸(54.5cm)もあったことから名付けられたといいます。

山名は「一尺八寸山」(みおやま、みおうやま)です。


2、
次は、NIFTYで3位、gooで4位の「月出山岳」。

見る場所で山容はまったく異なります。

実家のある盆地から見ると、頂上が3つ見え、こどもが描く富士山のようです。

実際は4~5つ前後の直列的な連山です。

別名「月嶺山」、標高は708、7m。

盆地の東にあって「月」が昇ると山容が美麗なことからの別名でしょう。

山名は「月出岳山」(かんとうだけ)。

読めるかw。


3、
また、巨大な伐り株のような山容の「万年山」が秀逸でよく見えます。

ふもとに“伐株山”があるのですが、それは標高685.5mと低く、この「万年山」は標高1140.3mです。

特徴的な山のかたちをしており、下万年と上万年にわかれ、珍しい2段メーサといわれる台形状の「卓上台地」(山)が2つ連なっています。

こちらも『豊後国風土記』に登場し、地名の由来にかかわっています。

山名は「万年山」(はねやま)。

NIFTYの難読山名コンテストでは、全国12位でした。


歴史があるから“難読”なのか、あれやこれやと理屈をつけたがる地元の”習性”があったからなのか、はたまた江戸時代に全国一の塾生数をほこった咸宜園をかかえる“天領”(江戸幕府直轄地)が置かれるほど、九州の山奥ながら要衝の地にあるからなのか。

へぇ、そうだったんだぁ、って感じです。


4、
最後は、簡単な山名。

よくカミナリが落ちるので周囲の木が枯れていて見晴らしの良い「五条殿」。

標高は833.6m。

名前の由来は、1512年に五条氏が「五条烏砦」を築いてからだそうです。

山名は、なまって「五条殿」(ごじゅうどん)。

中学、高校を父親の郷里のこの地で過ごしたムツゴロウさん(畑 正憲氏)も、この「五条殿」を見るのが帰省のさいの楽しみだったとか。

でもゴロウさんは福岡市生まれで、北海道に移住しましたけどね。









※いい写真が集まれば後日アップするかも。

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