モーツァルトと宝瓶宮時代
2022.01.11
 
モーツァルトと宝瓶宮時代



◆「偉大な大衆」を賛美するK.275番は“大ミサ”曲?」



「世界三大音楽家」といえば、代表的にはバッハ、モーツァルト、ベートーベンが挙げられます。

と、偉そうに書いていますが、私はシロウトです。

シロウトですが、曲を聴けば「これは誰々の作曲かな」というくらいにはイメージできる程度です。

そんなドシロウトが「モーツァルトと宝瓶宮時代」を語る滑稽さをお楽しみください。



≪天才エピソード≫

知る人ぞ知るモーツァルト(1756-1791)は、天才と呼ばれ、作曲した譜面を見ると書き直した形跡がほとんどないそうです。

かつてフォークギターを抱えてシンガーソングライターの真似をして、下手な作詞作曲にいどんだこともある身からは考えられません。

この点、世に名前を知られる作曲家とは、モーツァルトは異なっています。

それが良いとか悪いとか言っているのではなく、単に事実をお伝えしているだけです。

逆にいえば、譜面を何度も書き直していると“努力家”という評価もできます。

有名なエピソードでは、一瞬にして膨大なクラシック曲の全体が浮かんだといいます。

あとはそれを譜面に起こすだけだったモーツァルトゆえに、書き直す必要がなかったのかもしれません。

そのようなエピソードなどから、モーツァルトは“天才”と評されているようです。




≪水瓶宮生まれは天才?≫

占星術の分野でも「水瓶宮生まれ」(太陽)の一人として引き合いに出されることがあるモーツァルトです。

いわく、「水瓶宮生まれは天才肌」だとか…。

かつて「天才と気狂いは紙一重」と言われたことがありました。

今は言いません。

なぜなら、「気狂い」が差別用語にあたるからです。

それはともかく、モーツァルトを描いた映画「アマデウス」をみても、そういった天才と狂気の一端を描いていたように思います。

まあ、そんなものです。

発明王エジソンも「水瓶宮生まれ」(太陽)ですが、そこは神秘主義(スピリチュアル)な側面やお金儲けの側面をもっていたといわれます。

個々人には、いろんな側面があっても当然なのです。

なので、素直に評価し認めるか認めないかの違いです。

評する人次第で変わります。



≪宇宙共鳴波動≫

さて、18世紀後半に生きて35歳で人生を閉じた「モーツァルト」と、今年2022年からわずか32年前(1989年)の20世紀末に正式にはじまった「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい)にどんな関係があるというのでしょうか。

モーツァルトが「水瓶宮生まれ」ということ以外に関係があるのかということです。

上述の一瞬にして膨大な曲全体が浮かんだというのは、どうなのでしょうか?

宝瓶宮時代は「共鳴関係論」を歴史パラダイムとして運営発展していきます。

時空を超えた「共鳴関係」が特徴なのです。

お話が飛ぶようですが、いちいち「神と対話」する必要がありません。

高次元になるほど宇宙波動は一瞬で伝わります。

一方、地上の人間は、ゆっくりとかみふくめるように一言ひとこと話さないと、正しく伝わらないことがあります。

モーツァルトが高次元だったのかどうかはともかく、「共鳴関係」の“周波数”をもっていたのは事実のようです。




≪自由、平等、博愛≫

さて、モーツァルトと宝瓶宮時代との関係性はもう一つあります。

それは、モーツァルトが生きた晩年に起きた「フランス革命」(1785-1789)です。

別名“ブルジョア革命”と左巻きの一部で呼ばれる「フランス革命」そのものではなく、個人の自由と平等と博愛を得るために起きた、その方向性です。

ご注意すべきは、古い「対立二元論」の概念をもったフランス革命の有名なスローガン「自由、平等、博愛」は、宝瓶宮時代とは、多少なりとも異なることです。

宝瓶宮時代は、新しい「共鳴関係論」によって“バージョン・アップ”した「自由」「平等」(対等)「友愛精神」(和、絆、民度、人類愛)の時代になっていきます。

いずれご説明することがあると思いますが、市民や大衆が「個人の自由と権利」を求めて権力者を倒して革命を起こすほど、社会風潮が高まっていた時代にモーツァルトは生きていたということです。

それも当然でした。

「フランス革命」が影響を受けた「アメリカ独立戦争」のその最中に宝瓶宮時代の共鳴星「天王星」が発見(1781年)されたからです。

この意味は、当時の世相や社会状況が「天王星」の象意と共鳴していたことを示します。

そういうものなのです。



≪モーツァルトのスタンス≫

土星回帰(サターンリターン)を迎えてのち、30代直前頃まではともかく、モーツァルトは上述の社会風潮もあってか、それまでの権力者のための「宮廷音楽」などから距離をおくようになりました。

そして、モーツァルトが向かったのは、時代状況と共鳴して市民や一般大衆のための音楽だったのです。

大衆歌劇(オペラ)といえる「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」「魔的」などは有名です。

また、世間がいうように“大ミサ曲”かどうかはともかく、「Masses」(大衆)という曲を作曲しています。

さらには当時の宗教儀式も断ったモーツァルトの最期でした。

ケッヘル257番(K.257/272b)「Masses」(1776年作曲)は、一般に「クレド ミサ」(Great masa:大ミサ)としてミサ曲に区分されています。

教会には逆えない時代風潮がまだ一般には残っていたため、“ミサ”(Masa)にかけて「大衆」(Masses)を賛美する曲をモーツァルトは作ったのではないでしょうか。









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