「天孫降臨」の地はどこ?
2016.11.24
●宝瓶宮占星学サイトの連載「占星学と解く日本成立史」と「占星学から解く日本の原点」に書いていない「小ネタ」を随時アップしていく第3弾です。


先回の「高天原」との関係で書かざるをえません。
本当の「天孫降臨」の地についてです。

天孫降臨といっても、もちろん「空」から降りてきたわけではなく、『古事記』や『日本書紀』で「天」(あま)というとき、それはだいたい「海」を意味します。

いずれ書きますが『古事記』でいうイザナギとイザナミの「天鳥船」(あまのとりふね)もそうです。
宇宙船ではなく、帆のついた櫂船(かいせん)のことを天鳥船といいます。

大海人皇子(おお あま の おうじ)、海人族(あま ぞく)と書いて、海人を「あま」と読むのも同様です。
有名なところでは、丹後の「天橋立」(あまのはしだて)がそうで、「宮津湾」と「阿蘇海」を南北にへだてた海中の砂洲ゆえ、「天」(あま=海)と呼びます。

と、長い前置きをして本題です。

「天降」(あまもり)というのは海からの上陸を意味します。
当時の交通機関は「船」なので、当然そうなります。

それゆえ「天孫降臨」は海のそばです。
具体的には、近くに平野にあり、山(岳)の裾野が海岸線にまで接している場所でなければなりません。
その山(岳)が天孫降臨の地になります。

なので、海に接していない日向(宮崎県)の山奥の高千穂峡が実際の「天孫降臨」の地とはなりえません。
『日本書紀』が意図的に隠した本当の「天孫降臨」の地を、わざわざ暴いて書くこともないのですが、「物部文書」にはちゃんと書かれています。

●「物部文書」より抜粋
「仁々伎命(ににぎのみこと)、西方筑紫国久志振嶽(くしふるのたけ)に天降(あまもり)ましまして、天下を知食(しろしめ)たまい、その四代の孫、神倭伊波礼日子(かむ やまと いわれ びこ=神武)天皇…」(以下略)

物部の伝承に基づいて、『日本書紀』奏上後に記されたのが「物部文書」です。
『古事記』には「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふるだけに天降りましき」と記され、『日本書紀』には「日向の襲の高千穂の峯にお降りになった」と書かれています。

『日本書紀』は、天孫降臨が「筑紫国」だったことを隠さざるをえない重大な理由があるのです。

また、連載にも書きましたが、最初の国生みに日向国は記されていません。
当時、九州には「筑紫国」「豊国」「肥国」「熊曾国」の4面があったと記されています。
当然です。
7世紀頃になって大和朝廷(天皇)が、北部九州にあった日向の地名を今の宮崎県にあてて「日向国」と命名したからです。
そういった大昔にはなかった「日向国」に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨することはありえません。

天孫降臨の「日向」は、「筑紫国の日向」だと考えたほうが、まだ納得ができます。


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