“逆説”の邪馬台国-1
2020.09.06
議論百出の「邪馬台国」なのはご存じのとおりです。
史実はともかく、個々人が“所在”をどこだと主張してもかまいません。
すると、まれに“トンデモ説”がでてきます。
ですが、“トンデモ説”すぎるのは、逆にありえないと多くの人がわかるのでいいのです。
むしろ、いちばん困るのは、ご本人が真剣に信じているのか、「ついに完全解明」とか、「最終結論」などと我知らずとも“うそ”ぶいてしまうことです。
それは、「当たらずとも遠からず」といった相応の“確証”があるからでしょうが、なかにはアクセス数稼ぎや出版社が売らんかなの“釣り”でもって、そう誇張することがあります。
それが困るのです。
「え? 魏志倭人伝(倭人条)って、そんなに整合性のある“歴史記録”でしたっけ?」
と思っちゃいます。
理数系ならともかく、「歴史書」は正確ではありません。
たとえば、“勝者”と“敗者”どちらの立場からみるかによっても、また“第三者”の目からなるべく客観的にみたとしても、“ウソ”とまではいいませんが、どこか一方的な主観になったり“間違い”が生じるのは事実です。
そんなことは、実は、だれでも身近に経験しているのです。
なのに、なぜか「魏志倭人伝」だと、正しい“歴史記録”だととらえてしまう人がいます。
もちろん、「南は東のことだ」とか「1月は1日の間違いだ」などど、曲解するのは論外です。
著者が意図するしないにかかわらず、当時の事情や状況などによって、情報不足や誤解もふくめ“誤まって”記述してしまうことは、“歴史記録”には避けられません。
身近な一例をあげましょう。
お隣の国の歴史認識などは“論外”ですが、正しい歴史を伝えようとする日本の「歴史教科書」がよい例です。
戦後の一時期ほどの左翼偏向の記述は、多少は少なくなったと思います。
ですが、一般的なところでも“聖徳太子”がどうのとか、“足利尊氏”の肖像が違うとか、“鎌倉幕府開幕”の年代が異なるとか、明らかになっていなかった“誤り”は今なお出てきます。
比較的“史実”の結論のみを記そうとする「教科書」でさえそうなのです。
“歴史記録”ってそんなものです。
今日のネット社会のように、玉石混交ながらも情報があふれているわけでもありません。
文字は一部の人しかもちいていませんし、残すとしても“絵”がせいぜいで、写真などの情報インフラが整っていない時代の記録です。
著作郎(著述家)だったとしても、記録されたり伝え聞いたごく一部の“情報”しか伝わらない時代の記録です。
まして、大陸サイドの目で残した「魏志倭人伝」なので、客観的な部分があったとしても、どこかにフィルターがかかります。
古代日本の、しかもごく一部地域の、わかる範囲でしかない情報を、“主観的”に記録しただけなのです。
決して、当時の日本各地の状況を把握して記録したのでもなければ、古代日本のそれ以前の変遷をふまえて記したものでもありません。
そんな「魏志倭人伝」の記述ゆえに、古い日本の原点を記したものでもありません。
実際、大陸の“記録”に残らないだけで、紀元前の“文明文化”のあとは、世界が驚くほど日本各地に残っているからです。
とくに、卑弥呼が共立されてのちの「女王国連合」(新・邪馬台国グループ)というのは、2世紀末に誕生した“新興国”にすぎません。
「“逆説”の邪馬台国」とタイトルをつけたのは、そういう意味からです。
また、『逆説の日本史』(初巻)においても、卑弥呼や邪馬台国の新たな解釈が付加された項がありますが、著者は作家らしく確たる証拠はないにもかかわらず、“持論”を展開されて史実かのように語っているのです。
著作は自由ですが、客観的かつ公平にみれば、やはり“思い込み”がみられることから、あえて「“逆説”の邪馬台国」というタイトルで、確実に史実に近い部分と、そうでない“思い込み”の部分、さらには“留保”すべき部分などを『逆説の日本史』に関係なくみていきたいと存じます。
もし、「魏志倭人伝」(倭人条)が100%正しい“歴史記録”なら、邪馬台国の位置はとっくに比定されているはずです。
今だにそれができていない以上、そういうレベルの“歴史記録”だということです。
なのに、状況証拠などを結びつけて、「ついに完全解明」だとか、「最終結論」などと断言されるから、“おかしく”感じますし、真に史実を解明しようとするときに“困る”のです。
それはともかく、“邪馬台国”をはじめとした「古代史」解明に、なぜ、“思い込み”や“事実誤認”が生じやすいのかを占星学からご紹介しておきます。
古史古伝に描かれる“超古代史”や邪馬台国のような“古代史”など、「現実」(現代)を超えた世界や時代への意識やご関心(ロマン)は、星でいえば「海王星」がもたらします。
ちなみに、「木星」の場合は、地域的には“海外”など、地上規模の意識や関心の広がりにとどまります。
一方、「天王星」となると、“宇宙”規模の意識や関心の広がりをもたらします。
それゆえ、「木星」と共鳴したかつての「双魚宮時代」は、海外に広く領土や産物を求めた“大航海時代”や“支配/被支配”の“植民地時代”が到来しました。
それが、「天王星」を共鳴星とする「宝瓶宮時代」の影響圏に入ると、ついには“飛行機”や“ロケット”などの飛行体が開発され、「宝瓶宮時代」が正式にはじまった今後は、“宇宙ステーション”や“各種衛星”をはじめ“宇宙時代”へと進んでいくわけです。
では、「海王星」はどうなのでしょうか。
上述いたしましたように、「海王星」による意識やご関心はそれらを超えます。
「現実」を超越してしまうのです。
人間の形而上的な“心理”や“心象”をふくめて、“時空”を超越した存在しえない“イメージ”や“フィクション”の世界へと誘っていきます。
それを、まだ「自覚」できているうちはいいのですが、海王星の影響は、自分でも気づかないことが多く、“これは事実だ”とまるで“現実”かのように思い込むはたらきが加わるのです。
そういった「海王星」の象意を、強く生まれ持っていたり、「海王星のディレクション」を受ける人生期にあるとき、“スピ系”などもそうですが“古代史”の世界に“関心”や見果てぬ“夢”(ロマン)をいだくことが起こります。
“良し悪し”とは関係がありません。
「海王星」自体が、現実を超えた“霊界”や“不思議系”など、不確かな世界に共鳴して、“イメージ”や“インスピレーション”をもたらすために、よくよくご注意しないと、“現実錯誤”や“事実誤認”、また“思い込み”をもたらすことになるのは事実です。
当然、不確かさの残る「古代史」や“シュメール文明”をはじめ「古史古伝」などによる“超古代文明”と共鳴(スパーク)して、まるまる信じてしまうことが起こります。
“イメージ”や“イスピレーション”が、「海王星」の象意によってさらにふくらむ結果、“これは事実に違いない”と、無意識のうちにまるで「現実」かのように我知らずとも信じ込みやすくなるのです。
それが、邪馬台国の所在などに関して、「最終結論」だとか「ついに完全解明」などと、断言してしまう言動にいたる理由です。
“悪気”はないのですが、「現実」が見えなくなるのです。
結果、史実の究明とは正反対に「海王星」らしく“混乱”や“混迷”また“欺瞞”を我知らずにもたらす結果をまねきます。
地道に史実を探究する人たちにとっては、いい迷惑なのです。
ただ、弁護しておきますと、ときに「海王星」の“妄想”や“フィクション”また“インスピレーション”が、史実へのヒントになって役立つことはあります。
そのためにも、「土星」の象意をもっておくことが必要です。
なぜなら、「土星」は、“誤魔化すことのできない現実”を象わすためです。
海王星とは正反対に、地に足をつけて、地道にコツコツと、忍耐強く、慎重に研究を一歩ずつ重ねていく働きをもたらします。
また、“疑心暗鬼”といえば失礼ですが、“用心深い”ので容易には“観念論”や“妄信”には流れません。
もっとも、それゆえ「土星」は、現世でなく“天上天国”や“信仰”に価値をおく「キリスト教」や、19世紀後半以降、現実に根差さないオカルト解釈に流れた「神秘占星術」(オカルト占星術)の流れをくむ現代西洋占星術などでは、“大凶星”とされてきました。
ですが、もはやそんな「双魚宮時代」は終わったのです。
新しい宝瓶宮時代は、星に「吉凶」はありません。
「海王星」は、海王星らしく、“夢”(ロマン)や“想像”(フィクション)を楽しめばいいでしょう。
「土星」は、“シビア”に、“誤魔化すことのできない現実”にそって、一歩ずつ史実の解明に近づいていけばいいのです。
問題は、そのバランスとTPOです。
お遊びや興味半分なら、「海王星」によってご関心をもたれてもいいのですが、「邪馬台国」をはじめ古代史の史実を解明していくには、やはりこれからの時代は「天王星」や「土星」の象意また作用が重要になります。
いずれにしましても、上述のようなことから「“逆説”の邪馬台国」を、随時お届けしてまいります。