光秀/時代のからくり
2020.05.08
時は戦国時代。

まだ天下は統一されておらず、自分の「領土」(国)は自分で守るのが“正義”の時代のお話です。

現代と違って、「領土」の所有によって、田畑から日々のお飯(まんま)にありつけ、領主も国の運営ができる自給自足がメインの時代です。

だからといって、他国との“流通”や“商い”が行なわれていないわけではありませんが、それでも農作物がとれる田畑が生きる糧となっていた「領土第一」の時代でした。


今年2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公、明智光秀も同様で、二人三脚のナンバー2として天下獲りに貢献してきたにもかかわらず、“義兄弟”だった信長から「領土」を取り上げられる裏切りに遭って「本能寺の変」におよびました。

それは、光秀からみれば、お天道様の道理にもとる信長への当然の“誅殺”だったわけです。

それを天下が統一された秀吉以降の“ルール”からみると、光秀の“動機”がわからず“黒幕”がいたのではないかと考えてしまいます。


わかりやすく、当時の光秀の立場を、かつては“小企業”にすぎなかった「織田有限会社」にたとえてみましょう。


“うつけ”と呼ばれた信長新社長は、家族や親族から「会社乗っ取り」に遭い、先代からの重役(家臣)も信用できず、新たな部下を実力主義で登用しました。

熱田の港といった利権をもつ信長の会社を、今度は有力な大企業が乗っ取りにかかります。

そんなときでした。

妻の濃姫(帰蝶)と同国で縁者だった「明智十兵衛光秀」なる頼もしい人物が中途採用されます。

光秀は、妹(一説では義妹)の「おつまき」を信長の側室(愛妾)に輿入れさせ、信義の証とし、いわゆる“義兄弟”になると、信長の片腕としてたちまちに頭角をあらわします。

その実力によって、「織田株式会社」のナンバー2に抜擢され、「都」の丹波、山城と「近江」の坂本の“支社長”に織田株式会社ではじめて支店長を任せられるまでになります。


そして、「信長-光秀」の“義兄弟”コンビは、ついに念願の宿敵、武田家を滅ぼしました。

このときの名目の総大将は、まだ実績がなかった嫡男「信忠」でした。

「本能寺の変」の年、天正10年の3月、3か月前のことです。

武田家滅亡によって、近隣の会社の合併吸収にすべて成功し、「織田大企業」は、まずは“安泰”という状態が生まれたのです。

戦後処理を終えて帰ってきた光秀は、祝いの席で、「われらも苦労のしがいがありましたな」とかなんとかナンバー2らしく重役(家臣)がいならぶ前で誇らしげに語ります。

これに信長は激怒。

みなの面前で頭から血が出るほど光秀を打ち付け、激しくののしったのです。

なぜなら、凡庸で実績がなかった嫡男「信忠」を、“武田家滅亡の総大将”という功績によって、ようやく「次期社長」に任命する道筋ができたところだったからです。


この一件をさかいに、信長は光秀への態度を180度一変させます。

側室の「おつまき」は昨年、亡くなっており、“義兄弟”の縁も弱まっていた時期でした。

嫡男「信忠」が「織田大財閥」を継ぐことが決定し、元のナンバー2光秀は、凡庸な秀忠を抱える信長にとって、もはや邪魔でしかない存在になっていたのです。


そういうことがありまして、家康への饗応役の光秀を難癖をつけてやめさせると、まず中国地方への出張を命じます。

それは、格下の中国地方支店長「秀吉」の下に就けという命令でした。

さらに決定的に追い討ちをかけたのは、信長直々の下達ではなく、使いの者にナンバー2の“証”だった丹波など「中央支店」の領土を没収し、いまだ敵方の“遠方支店長”に任じられたことです。

ワンマンだった信長の無理難題を、粉骨砕身、ナンバー2として支え、小企業から大財閥へ、日本一の大企業に発展して、ようやく“安堵”できる状態になったとたんの“ありえない”仕打ちでした。

「息子の信忠を副社長にするのでお前はもはや不要」とばかりに、地位も領土(食い扶持、財産)も没収され、給料は、敵方の地方の子会社を乗っ取って家族や家臣を養えばよいとばかりに、手のひら返しの目に遭った老齢の光秀でした。


事情があったとはいえ、裏切ったのは光秀ではなく、信長のほうでした。

でなくても、当時は天下が統一される前ゆえ「領土」を守り生き抜くための下克上は当然とされた時代です。

光秀は、当然の選択をしました。

それが「本能寺の変」です。


ところが、その後、光秀を主君「信長」を殺した“極悪人”のように喧伝したのが秀吉で、信長に代わり“天下獲り”を成したことを正当化させ、天下人の立場を維持するためでした。


さらに、後世、秀吉の次に「天下」を掌中にした家康は、天下泰平の世を継続させる政策の思想的根幹として、“君に忠”、“親に孝”、“長幼の序”といった立場による秩序を重んじる「儒教」を推奨し、以後、下克上が行なわれないようにしたのです。

これ以降、光秀のイメージは、「儒教」の教えにそむいて主君「信長」を殺した“謀反人”として語られるようになります。

そして、現在に生きる私たちも、倫理的にそう思い込まされています。

このような「時代のからくり」を知ると、“思い込み”のフィルターがとれて、事実が見えてくるのではないでしょうか。












本物の「金正恩」を見抜く
2020.05.05
マスコミが垂れ流すフェイク画像に見慣れてしまうと、どれが本物の金正恩か分からなくなります。

本物を見抜く確実な方法は、理論的なデータもそうなのですが、古美術や骨董の世界でもいわれているように、まず本物のみを見ること、本物に触れて本物しかもちえない気品や風格を感じとれるようになることです。

そこで、本物の金正恩の画像をいくつかピックアップして掲載してみました。

人は接する相手や置かれた状況によって少なからず表情が変わります。

また立場や経験、健康状態など年月によっても顔や体格などは変わります。

そのあたりもふくめて、真顔のとき、緊張しているとき、笑顔のとき、どのような表情になるのかを考慮されつつ、その根底にあるその人しか持ちえない“人柄”や“風格”を感じとっていただければ、本物を見抜くご参考になるでしょう。


まず、父の金正日国家主席との比較的若いときの画像です。




次に幹部らが集う会場で、妻の李雪主とリラックスした少し前の金正恩です。




以上の画像からは、想ったより品のある案外といい男であることがわかると存じます。

次は、肥満体となり、ストレスを抱えたり、国内では命を狙われるなど厳しい環境の中にあるなか、昨年2019年にロシアを訪問したときの金正恩の画像3連発です。








やはり、この貫禄はニセモノには出ません。

もっともロシアは、“味方”とはいえ気を抜けない相手なので、相応に緊張した金正恩です。

最後に、同じく昨年2019年に“仲間”のベトナムを訪れたときの画像を掲載しておきます。

終始、どこかこわばったロシア訪問とは異なり、笑顔が多くみられたベトナム訪問でした。そのメインとなる1枚の写真です。




いかがでしたでしょうか。

ホクロなどは、どうにでもなりますし、耳の形も少しは参考になるものの、やはり角度によって見え方が異なります。

彼の顔の特徴は、鼻先(鼻中)が引っ込んでいるといった鼻の形があるのですが、写真の角度では判別しずらいし、顔はもちろん顔の横におできみたいなものができていたり、治ったりすることもあります。

そういったこともあって、結局は国家を背負ったTOPがもつ“強さ”や“凄さ”などから判断されるのがベースになると存じます。

ちなみに、右手のひらを向けて手をふるときの“手相”は、上のロシア訪問とベトナム訪問のときの画像は同一人物でした。

さすがに「替え玉」も鼻のホクロはともかく、“手相”までは整形できないので、見抜く決め手になるのではないでしょうか。


もちろん、ご判断は皆様のご自由です。








金正恩ニセモノ説の真贋
2020.05.03
20日ぶりに姿を現わしたとされる「金正恩」の画像に対して、“ニセモノ”説が上がっています。

もっとも、だからといって金正恩が“死亡”しているかは今現在、確定していません。

さらには、“病み上がり”だから精彩を欠いた表情だともとれますが、それにしても低レベルの「替え玉」です。

というか、「金正恩」とされる画像の多くは、北朝鮮国内のものを含めて、だいたいは“ニセモノ”です。


さて問題です。

次の画像をのなかで“ホンモノ”はどれでしょう?



【答え】
後半はほとんど全部が“ニセモノ”です。

若い頃の画像のなかに比較的本物がありそうです。


ここ数年は、暗殺をおそれるために北朝鮮国内の公式行事でも当人が姿を現わすことはほとんどないといえます。

当然、その画像も“ニセモノ”です。

そのため、ネットやマスコミで私たちが見る「金正恩」の近影は大半が“ニセモノ”です。

画像のどれかが“ホンモノ”ではないかと考えること自体が、すでに誤魔化されている可能性が高いのです。

たとえば、次のようなことを考えてみてください。


一般人とは際立って異なる服装や髪型などの特徴があると、それに目を奪われて“同一人物”だと認識しやすくなります。

「金正恩」の場合、それが“黒電話”のヘアースタイルです。

そういった髪型で風貌が似ていると、「金正恩」? と思い込みやすくなります。

北朝鮮は、そういった人間心理を利用して、“黒電話”を特徴にした「替え玉」を準備しているといえます。

その人数は、10数人~一説では60人ほどもいるといわれます。

逆に申し上げますと、本物の金正恩は、ふだんはですが、そこまでキッカリと固めたヘアースタイルはしていません。

なので、各国との首脳会談の「金正恩」の画像もだいたいは“ニセモノ”です。


文在寅との「南北首脳会談」にしても、習近平との「中朝首脳会談」にしても、またトランプとの「米朝首脳会談」にしても、ほぼ同様だと考えられます。

なぜなら北朝鮮は、もともと“韓国”とは休戦中ですし、“中国”は信用できず、“アメリカ”も敵対関係にある国家だからです。

中国が入っていることに意外だと思われる方がいるかもしれませんが、同じ“共産主義”ゆえに最も警戒していて、父の金正日が金正恩を後継者にするさいに、「中国を信用するな」と言いおくったほどです。

そういうこともあってナンバー2だった叔父の「張成沢」は、中国とのパイプ役ゆえに粛清されました。


占星学からみても金正恩は、山羊宮生まれ(太陽)なのです。

山羊宮の本質は、“用心深く”また“慎重”なので、“計算高い”タイプです。

ときに、石橋を叩いても渡らないほどで、近年の北朝鮮はそうでもないと、いつ暗殺されるかわかりません。

そのような山羊宮の性質の反面、金正恩は、激高するとなにをするかわからない闘争的な星まわりを生まれもっています。


さて、そろそろ結論を述べなければなりません。

本物の金正恩についてです。

その“タネ明かし”となるお答えは、ロシアを訪れたときの金正恩が本物です。

なぜなら、北朝鮮はもともと旧ソ連が祖父の金日成(初代国家主席)を立てて、建国した共産主義国家だからです。

そのため、旧ソ連だった現在のロシアは、比較的ながら他国よりも安全で、万が一のさいの亡命にあたっては、ロシア経由が準備されているほどです。

また、ロシアを訪れた金正恩が本物である理由は、元“KGB”出身の現ロシアのプーチンの前では、「替え玉」などすぐに見破られて通用しないためです。


ということで、ロシアとの関係をつないでおくためにも、金正恩本人がプーチンとの会談に臨んでいます。

そう考えて他の画像とみくらべてみると、ふだんの“黒電話”の「金正恩」とは異なり、凄みだったり、威風さえ相応ながも感じられます。



↑ 2019年 ロシアを訪問したときの金正恩







【現実版】戦国武将ベスト5
2020.05.01
この前、国民10万人が投票「戦国武将総選挙」が放送されていましたよね。

これは“日本人に愛される戦国武将 ベスト30”という副題のとおり、各自が“好き”だったり“尊敬できる”または“強そう”など、それぞれの自由な判断基準をもって、いわば“イメージ”で選んだものです。

なぜ、“イメージ”?

まず「戦国武将」の実際の姿を知っているわけではありませんよね。

だいたいは「小説」や「ドラマ」また「ゲーム」などで描かれた“フィクション”に影響されつつ、一部にノンフィクションの部分的な「実録」をまじえた“イメージ”によって、ご判断されているからです。

江戸時代の「太閤記」や近年の「司馬文学」などは、フィクションの代表例です。

歴史家のあいだでは、事実とは違うことが知られていますが、読者としては「なるほど、そうだったのか」と思い、イキイキと描かれた胸躍る戦国武将の活躍の姿に、つい“事実”だと信じてしまいます。

そういった後年、当時の人によって書かれた戦記物をふくめ、ドラマと実際の戦国武将の姿はかなり違いがあります。

およそTOPに立つ人間は、遠くから客観的にみるぶんには“カッコイイ”のですが、実際にそばでリアルに接すると考えの違いがあることなどから理解できなかったり、接し方に苦労することも多くイメージがガラリと変わることがあるからです。

そこで、そういった“フィクション”や“ドラマ”のイメージを抜きにして、歴史に残る「実績」から、ほんとうに凄かった戦国武将はだれなのかベスト5にしてみました。

もちろん、好き嫌いの個人的な感情はぬきにしてです。


では、早速、発表~♪

ド、ド、ド、ド、ど~ん!同率 第4位。


◆「豊臣秀吉」と「前田利家」

【理由】
秀吉は、たしかに「天下」を獲りましたが、2人の軍師の突出した力が大きく、天下をとってのちは弟「秀長」のコーディネイトに負うところが大きかったからです。

もともと秀吉のイメージは、光秀を討ってのち自らのイメージアップ戦略によるもので、信長の覇権を自分の手柄かのように描いた「太閤記」などによるつくられた秀吉像です。

事実、秀吉が真の天下人たりえないのは、「淀姫」への接し方をはじめ、TOPとして最も重要な「後継者」づくりに失敗していることです。

逆に、利家は、秀吉側でありながら、徳川政権下で「後継者」への引継ぎに成功し、加賀100万石の礎を築いています。

また、賢妻「まつ」とともに、秀吉を上回る卓越した側面をもって生き残り、単純に比肩はできないものの結果、いい勝負だといえます。


第3位

◆「織田信長」

【理由】
個人的には、いちばん好きな戦国武将です。

過去にとらわれない合理的な判断や、数々の改革を推し進め、古い家柄や権威の時代から、実力で新しい時代のやり方に変えていったことは、やはり特筆に価します。

その点で秀吉は、信長の2番煎じの政策が多いことからも、信長が上位です。

減点せざるをえない部分は、ドラマチックな生涯は面白いのですが、「星のディレクション」の影響があるとはいえ、天下獲りが見えて“慢心”してしまったことが、戦国武将のTOPとしてはありえません。

事実、それが「本能寺の変」につながっています。


第2位

◆「伊達政宗」

【理由】
東北にありながらバテレン禁止のなか、広く海外にも目を向けて秘密裏に派遣した先見の明と胆力、また戦さの実力もありながら、「気長く心穏やかにして(中略)この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」と達観する精神性をそなえていたところです。

天下人の秀吉にも家康にもおそれられながらも高く評価され、重用されれる器をもっていたことや、家康なきあと、天下獲りの野望を捨て、三代将軍「家光」の“後見役”として、“外様”ながら仙台藩58万5千石(のちに62万石)の雄藩を築き、幕末まで続く礎を残したことです。

もし、信長と同時代に生まれていれば、どちらが天下を獲ったかわかりません。

少なくとも東北をはじめ関東以北は“伊達王国”になっていた可能性が高いからです。


第1位

◆「徳川家康」

【理由】
家康は、明治政府によって徹底して貶められました。

長州、薩摩などから、関ヶ原の“仇”(かたき)として、功績をないかのように評価されたのです。

そんな誤まったイメージが現在も残り、戦後、経済界のTOPなど組織存続の手本として評価を受けてそこそこの名誉を回復したものの、一般人にはおよびませんでした。

現代人は、明治政府によってイメージづけられた悪人“家康像”を心のどこかに植えつけられたまま、その実績に反して、かなり不当に評価されています。

というのも、天下のTOPたる最大の責務は、国家国民の安泰であり、その維持と継続だからです。

家康は、自身の後継者の育成とともに、それを見事に成し遂げています。

あの時代に、旗本や直参には石高を低くして地位を与え、外様には地方に封じたものの石高を高くして不満を抑えています。

また、檀家制度によって宗教を“戸籍係”や“葬式仏教”にして、維持運営はできるものの信仰的には骨抜きにするなど、300年近い太平の世を維持する“システム”を家康は築いています。

もはや、並みの戦国武将とはレベルが異なり、この右に出る戦国武将はいません。

義元、信長、秀吉に仕えながらも、信頼され、戦国時代を生き残った術(すべ)や精神性を含めた力量は、あまり喧伝されていませんが、並大抵のものではありません。

そういったいろんな立場を臨機応変にそつなくこなし、生き残り天下を掌中にしたのみならず、泰平の礎を築いた見識や実力また人格は、“三拍子”そろったナンバーワンというしかありません。


ちなみに、戦国武将以外では、1,000年のちをみて『日本書紀』をはじめ“万世一系”の「皇統」を定めた天武天皇とその定着に尽力した持統天皇(天武正妃)がいます。








信長弑逆の理由はコレ
2020.04.14
今年の大河ドラマ「麒麟が来る」は、“本能寺”をどのように描くのかが見所の一つです。

もっとも、これまでのストーリーによると、光秀は「既存の権威」を大切にするかのように描かれています。

そのため、現状では「足利将軍家」復興のために信長を討ったという説をとるのかもしれません。


ですが、そこはドラマです。

それだと、起承転結に弱く、意外性がないので面白くありません。

では、どう描くのでしょうか。

ヒントとなりそうなのは、「麒麟が来る」というタイトルです。

光秀は、既存の権威などのためではなく、もっと広く「天下泰平のために信長を討った」とする脚本が考えられます。

「麒麟が来る」とは、そういう意味にとれるからです。


「キリンビール」のホームページには、次のように書かれています。

「伝説では、麒麟はよいことがある前触れとして姿を現すといわれています。

心やさしい動物で、虫や草を踏まないよう、地に足をつけず、空を翔けています。

太平の世のしるし、とも呼ばれ、平和で穏やかな日々をもたらす幸福の象徴とも言われています。」


もし、同様の解釈を大河ドラマがするなら、「麒麟が来る」というのは、太平の世、すなわち「平和で穏やかな日々をもたらす」ために光秀は信長を本能寺で討ったとする筋立てが考えられるというお話です。


では、ドラマはともかく、実際に光秀が信長を討った動機は何でしょうか。

光秀は、天下統一がみえた信長にとって、もはや自分や明智一族が完全に見捨てられたと、ハッキリわかったからです。


一例を挙げます。

1、信長に継ぐ織田家ナンバー2だった光秀でしたが、武田討伐の総大将をつとめた信忠(信長嫡男)が武田家滅亡の勲功をあげたことによって、信長後継(ナンバー2)が確定したことです。

2、それを「我らも苦労のしがいがありましたな」とかなんとか言って、信忠ではなく自分の手柄かのように発言したことによって、信長から激しく3度も足蹴にされたことです。

3、ほかにも、家康饗応の大役を、言いがかりのような理由から降ろされたことです。

4、そして、格下だった秀吉の援軍(その下につくこと)を命じられたことです。

5、極めつけは、丹波など都(中央)の領地を没収されたことです。


以上は、光秀自身に関する代表的な一例です。

つまり、これまで信長の天下獲りに、最も功労があり、信長もそれを認めていました。

ですが、“本能寺の変”のわずか3か月前から、上述のように光秀は立て続けに“邪魔者扱い”をされます。

これては、さすがの功臣・光秀も、諸将や家臣部下の手前、武将にとってのメンツが立ちません。


四国の長宗我部家と三好家の件は、そのヨビ的な補足の動機にすぎません。

もし、信長が、四国の件によって光秀の“裏切り”を感じていたのなら、3万もの大軍を預け、秀吉の援軍に向かわせることはありえません。

当時の「星のディレクション」から見ても、天下統一を目前に“過信”する信長に、ナンバー2の座から、“用済み”とばかりに見捨てられた光秀は、中国出征の直前、“目の前にニンジン”をぶら下げられたような状況が訪れます。

それが、中国への援軍の道筋にあたる京・本能寺に、わずかなお供と宿泊する信長そして二条城の信忠でした。

当時の光秀にとって、2度と訪れない一瞬のチャンスでした。

それが、6月2日の明け方だったのです。


もし、今、逡巡して、中国に続く右に進路をとれば、もはや老齢の光秀に“再浮上”の目はありません。

信長に忠誠を尽くしてきた光秀でしたが、それを足蹴にされた反動もあって、自らのプライドと一族存続のために、京に向けて左に進路をとり、信長を本能寺で弑逆(下克上)する決意をしたものです。


コレが当時の「星のディレクション」と史実から明らかになった「本能寺の変」の理由です。









甘いNHK「本能寺サミット」
2020.03.20
昨日19日、NHKで「本能寺の変サミット2020」が放送されたことを知りました。

結論は、7人もの学者ならび細川護煕元首相をゲストに招きながら、従来の番組と同様に、なぜ光秀は「本能寺の変」に至ったのか、結論も最有力説も示さないまま終わりました。


誤解なきように書いておきますと、「本能寺の変」に至った理由としては、出演していた7人の学者による多数決では、光秀と秀吉の「織田家ナンバー2争い」だとする「四国説」に最も多い5人もの票が投じられ、反対は2票にとどまっていました。

ふむふむ、そうすると本能寺の変は、四国を秀吉が推す「三好家」に任せるか、それとも光秀に縁がある「長宗我部家」に統治させるかで、天下統一にあと一歩まで迫っていた信長父子を討ったということですか。

光秀の動機としては、本末転倒です。

もっとも、番組MCの爆笑問題というかNHKは、「四国説が正しい」と結論を述べていたわけではありませんので、曖昧なまま“責任逃れ”でお茶を濁したかっこうです。


「本能寺の変」の真相の解明には、次のことを知らなければなりません。


織田家ナンバー2で、「本能寺の変」の直前まで信長を「天下人」に押し上げたのは、蟹宮生まれの信長自身の用心深さもさることながら、実働的には都や畿内の人脈や作法に通じた光秀の勲功が大きかったのです。

事実、信長も「本能寺の変」の年、天正10年3月の武田家滅亡までは光秀を認めていました。

ですが、「本能寺の変」は“三日天下”(実際は11日)に終わり、のちに天下をとった秀吉や家康によって、自らの体制維持のために光秀は“武士にあるまじき謀反人”として、二流か三流の人物ように貶められ、そのような“宣伝”を現代人は信じ込んでいます。

そんな“二流”か“三流”の光秀が、「単独で信長を殺せるはずがない」と思って、「本能寺の変 黒幕説」を描いて生みだすといった、大きな勘違いをもたらしているのです。


事実は、まったく違います。

当代ナンバー2の光秀を操る黒幕などはおらず、光秀の単独遂行です。

また、娘の細川ガラシャとは異なり、キリスト教を信じなかった光秀は、イエズス会からも企てを図る“悪人”かのように報告されていましたが、信仰的判断で正しくありません。

その反面、秀吉は天下を手にした後、信長を天下人に押し上げたのは秀吉かのようにウソの美談「太閤記」を残し、光秀の功績を消し去りますが、「本能寺の変」の前年までは信長と“義兄弟”でもあった有能なナンバー2の光秀が間違いなく最大の功労者です。

そんな光秀が、「本能寺の変」を起こしたのは、信長が家督をゆずっていた嫡子「信忠」が、武田家滅亡とともにその地位を固め、ナンバー2となって光秀は“御用済み”、つまり未だ敵地である石見と出雲(現島根県)に“お払い箱”として、完全に見捨てられることが決定的になったからです。

“怨恨説”とは異なりますが、老齢の光秀には、信長に言われたとおり秀吉の援軍に下れば、もはや挽回のチャンスは一生ありません。

あとがない光秀は、家族や家臣を守り、長宗我部氏への信義を貫くためにも、6月2日早朝、信長を討つには残された唯一のワンチャスに進むしか道がなかったのです。


実際、光秀は決断しました。

そういった二度とない崖っぷちの判断を迫られたのが、下克上「本能寺の変」の真相です。

これは歴史的な織田家の流れをみても、また当時の星の動きによる「ディレクション」(運勢変化)や、信長自身の「ホロスコープ」(出生天球図)をみても、「本能寺の変」のホラリー・ホロスコープ(事件天球図)からは、そのような事実が裏付けられます。







ウ航空752便墜落のホロ
2020.01.10
イラクに拠点をおくアル・アサド米基地を、イランが10数発の弾道ミサイルで攻撃した直後のことでした。

イランの首都テヘランのイマーム・ホメイニ空港を離陸した直後に、「ウクライナ国際航空752便」(ボーイング737-800型機)が墜落し、乗員乗客176人全員が死亡しました。

これに対し、イラン側は「技術的問題」により墜落したと報じました。

一方、イラン人乗客82名につぐ、63名もの乗客を失ったカナダ政府は、複数筋の情報からイランのミサイルによって「撃墜」されたと発表しました。

ただし、ミサイルの“誤動作”によってと述べています。

一方、トランプ米大統領は、9日「誰かが間違いを犯した可能性がある」と示唆するにとどまっています。

では、本当のところは、どうなのでしょうか?

「数理法則」を基礎理論とする宝瓶宮占星学の「新ホラリー占星学」からリーディングしてみました。

データは、2020年1月8日、6時10分にテヘランの空港を離陸した数分後で、場所は墜落したテヘラン郊外のパランド付近による「ホラリー・ホロスコープ」です。




リーディングの結果は、おどろくほど簡単でした。

ミサイルによる撃墜です。

ASC(Ascendant アセンダント=上昇点)の「獅子宮」は、“国家主権”のイランを象わします。

ASC(上昇点)に下三分(ロウアー・トライン=120度)の「射手宮の火星」は、ものの見事に“ミサイル”を象わしているためです。

ごく簡単に解説いたしますと、ホラリー・ホロスコープでの「火星」は多くの場合、“凶器”や“武器”を象わします。

今回、それがどんな武器なのかといえば、“遠い場所”を象わす「射手宮」に火星が位置しているために、遠方を攻撃できる“ミサイル”だということがわかります。

一方、墜落した航空機は、“民間機”で、“被害者側”を象わすDES(Descendant ディセンダント=下降点)は、“一般市民”を象わす「水瓶宮」になっていることから、民間航空機が「被害」にあったことは間違いありません。

なによりも、DES(下降点)水瓶宮の共鳴星「天王星」と、“被害者側”である「DES(下降点)」が、立場の違いを象わす矩(スクエア=90度)をとっていますので、被害者自身(航空機)の問題ではないことが明らかです。

つまり、整備不良や操縦ミスなど「技術的問題」による墜落ではないということです。


では、ミサイル発射の“動機”は何なのでしょうか。

事件の“動機”を象わすIC(Imum Coeli イムン・コエリ=天底:北中点)は「天秤宮」です。

その共鳴星「金星」は、IC(北中点)に下三分(ロウアー・トライン=120度)で、またIC(北中点)に共鳴する「月」を上三分(アッパー・トライン=120度)として、三者は大三角(グランド・トライン=120度×3)をとってスムーズ(自動的)に関係しています。

しかも、動機を象徴する「金星」は、墜落した航空機を象徴する「天王星」と交歓(ミューチュアル・リセプション)をとって、一体不可分の関係にありますので、明らかに航空機を狙って発射されたものであることがわかります。

世間では、ミサイルの“誤作動”による撃墜(墜落)という声も多いのですが、「ホラリー・ホロスコープ」からは、たしかに“自動”(オートマチック)と解釈できますが、「ウクライナ国際航空752便」を狙ったものであることは間違いありません。

通常、ミサイルは「標的識別システム」を備えており、間違って味方機や関係のない民間機を攻撃しないように設定されているものです。

ですが、どうやらそこまでではなかったようで、いずれにしてもイラン側の落ち度(ミス)や責任なのは明らかです。

ただし、タイミングがタイミングなだけに、これ以上、イランとことを荒立てて、開戦へと進みたくないトランプもカナダも、“ミサイルの誤作動”ということにして穏便にことを収めようとしているようです。







- CafeNote -